書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『ガラスの顔』フランシス・ハーディング/児玉敦子訳

東京創元社

『嘘の木』が邦訳された時点から注目作家のひとりではあったけれど、フランシス・ハーディング、ここまで凄い作家だったとは。邦訳のある三作品と違って、今回の舞台は完全に架空の異世界だが、トンネルが張り巡らされた地下都市、そこで暮らす表情のない住民たち(《面(おも)》という人工的に作られた表情を使い分けているが、階級によって使える《面》の数は異なっている)、不思議な力を持つチーズやワイン、豪奢なうわべの下に危険な陰謀が交錯する宮廷……と、細部に至るまで作り込まれた世界観が実に圧倒的かつ蠱惑的で、マーヴィン・ピークの『ゴーメンガースト』すら連想した。一種の特殊設定ミステリとしての伏線回収と、好奇心旺盛な少女が世界のすがたを暴くスリルとが絡み合うクライマックスの疾走感も素晴らしく、ハーディングの最高傑作ではないだろうか。新しいミステリ年度は始まったばかりなので気が早いかも知れないが、本書を今年度の暫定一位としておく。

 

川出正樹

『ガラスの顔』フランシス・ハーディング/児玉敦子訳

東京創元社

 謎また謎に、危機また危機。フランシス・ハーディング『ガラスの顔』が無類に面白い。舞台は、洞窟が複雑に入り組み迷宮化した地下都市。太陽の光が差さず昼夜の区別がなく、なぜか二十五時間のサイクルで暮らす人々は、生まれつき表情を持っていない。そのため《面(おも)》と呼ばれる作られた表情を身につけることで大人になる。主人公は、幻を見せるチーズ作りの名匠に拾われ、仮面を着けられた少女ネヴァーフェル。記憶を操るワインを駆使して幾重にも権謀術数が張り巡らされた宮廷から、不可解な連続殺人が進行中の下層都市(アンダーシティ)まで、自らと世界の秘密を解き明かすべく少女は駆け巡る。この世界で唯一彼女のみが備えたある特質を武器に。

 力強く爽快で心踊る物語だ。追う者と追われる者の駆け引きを緩急自在に描き、謎また謎で翻弄しつつ、巧妙に手がかりを配し伏線を敷く。後半、怒濤のようにパズルのピースがピタピタと嵌まり全貌が明かされて行く快感に酔いしれてしまった。

 現実の過去の歴史を背景にした既訳三作とは異なり、完全な異世界ファンタジーでありつつ、現在の社会問題に通じる主題をあくまでもストーリーテラーに徹して紡ぎあげる。ミステリという点から見て最大の長所は、「不可思議な現象や一見突飛に思える言動といった数々の謎が、すべて合理的かつ説得力を持って解明される」点にある。さすがは『嘘の木』の作者。異世界ファンタジーの特質をフルに発揮し、所謂特殊設定ミステリの興趣を備えた、サスペンスフルで波乱万丈な冒険活劇成長譚だ。激しく押します。

 今月は他に、東京創元社の二冊がお勧め。一つは、元情報部員&上流階級出身の女性コンビが特技を活かしてWWⅡ終戦間もないロンドンで依頼人の幸せのために奔走し謎に挑むアリスン・モントクレア『王女に捧ぐ身辺調査 ロンドン謎解き結婚相談所』(山田久美子訳)。軽妙洒脱、スイート&ビター、そして爽快! 二人のやり取りに思わず笑いが漏れてしまう冒頭から、意表を突く「名探偵、皆を集めて、さてと言い」まで、気持ちよく読めて、しっかりとテーマも心に残る良シリーズです。もう一冊は、オリヴィエ・トリュック『影のない四十日間』(久山葉子訳)。スカンディナヴィア三国にまたがるサーミ人居留地を舞台に、トナカイ所有者殺しと貴重なサーミの太鼓盗難事件に端を発する骨太な警察小説。重く、暗く、厳しく、悲痛なれど、峻厳な美しさと矜持が心に深く残る物語だ。

 

北上次郎

『シリア・サンクション』ドン・ベントレー/黒木章人訳

ハヤカワ文庫NV

 軍人や工作員の冒険譚よりも、個人的な冒険譚の方がいい。これが大前提だ。

 あのジェントリーだってCIAと和解したとはいえ、個人的な匂いが強い。本書の主人公マット・ドレイクはジェントリー同様にエージェント・ヒーローからやや逸脱しているのでその点はいいのだが、問題はその背後にいる特殊部隊のリーダーだ。

 こいつがカッコいい。何があっても助けに行く、と言っちゃったりして。カッコいいのはいいのだが、カッコ良すぎるのは嘘くさい。だからこれは留保付きだ。まだギリギリ許容範囲だが、たぶん次作で決着がつく。

 

霜月蒼

『ダリア・ミッチェル博士の発見と異変』キース・トーマス/佐田千織訳

竹書房文庫

 本連載をまとめた『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』のコラムで書いたように、例年「変化球」の並ぶ11月である。年間ランキングの〆切とのからみで、11月は各版元がミステリ系作品の刊行について「ほっと一息つく」傾向が強い月であるからだ。ということで今年も僕のチョイスは変化球である。竹書房文庫の本作は、SF系スリラーといえばいいだろうか。タイトルロールのミッチェル博士は天文学者。彼女の偶然の「発見」を端緒に、2023年に発生したとんでもない事態を描くのだが、形式が通常ではない。本書は『「上昇」秘録』と題された報告書という設定になっており、〈上昇〉と名づけられた問題の事態を、ミッチェル博士の手記や関係者へのインタビューや証言などをパッチワークするかたちで描いてゆくのである。

 すこしずつ断片が合わさってゆくプロセスは、『WORLD WAR Z』(マックス・ブルックス)や『禁断のクローン人間』(J=M・トリュオン)同様、こうした形式の作品ならではのスリル。さらに本書では、「黒衣の男たち(メン・イン・ブラック)」はじめ、都市伝説で語られるような陰謀なども蠢いており、変化球のスリラーとして一読の価値あり。カバーにあるタイトルや著者名などを鏡文字で記してしまうという造本上の無茶も好ましく(書店さんに嫌がられるのではないか)、そういう意味でも書架に収めておきたい本です。

 1939年のベルリンを舞台にした警察小説『ベルリンに堕ちる闇』も好感の持てる一作。主人公のお目付け役として派遣される若いゲシュタポ捜査官のキャラがとぼけていて面白く、彼のさらなる活躍を見たくなった。続編に期待したい。

 

酒井貞道

『影のない四十日間』オリヴィエ・トリュック/久山葉子訳

創元推理文庫

 北欧ミステリ(作者はフランス人だが)に、遂にラップランドに住むサーミ人を題材とする作品が登場した。

 白人種/キリスト教徒の現地への本格進出に伴い、サーミ人の文化は破壊され、いわれなき差別を受けてきた。それが二十一世紀になってもまだ続いていることが、如実に描写されている。サーミ人の文化を象徴する太鼓の本物が、数百年ぶりに現地に戻って来る。だがその太鼓が盗まれ、トナカイ飼いの一人が怪死を遂げるに至り、フィンランドの街カウトケイノは一触即発の緊張に包まれる。

 ダブル主人公の一人、トナカイ警察のサーミ人クレメットがとても魅力的だ。有能な警察官でありながら、以前の事件での失敗により、しかも自身が被差別人種であることも相俟って、何事にも極端に慎重になっている。気持ちはよくわかるし、この真摯な捜査スタンスは実はなかなか味わい深い。サーミ人とラップランドの現実が丁寧に描写されているからだ。まるで現地にいるかのような臨場感&解像度が小説にもたらされている。事件の真相も入り組んでいて読み応え十分。フレンチ・ミステリっぽくないのも興味深い。

吉野仁

『ベルリンに堕ちる闇』サイモン・スカロウ/北野寿美枝訳

ハヤカワ文庫

 今月、どんな作品よりも図抜けて面白く読んだのが、サイモン・スカロウ『ベルリンに堕ちる闇』だった。とはいえ、ナチスドイツの時代を舞台に、元女優かつ党幹部の妻が殺された事件をめぐる警察小説で、こうした設定や道具立ては珍しくもなんともないし、描かれる殺人事件も行き当たりばったりの犯行に思えるという、あらすじだけだと凡庸な小説だと捉えられかねないもの。ところが、緊張感ただよう場面の描き方や変化やひねりに富んだストーリー展開がうまく、〈ナチもの〉ならではのお約束な趣向もしっかりと生かされていて、文句なしである。そのほか、ボー・スヴェーンストレム『犠牲者の犠牲者』もいい。凶悪犯罪者が残虐な拷問を受けて殺された事件を皮切りに、つぎつぎ惨殺体が発見されるという北欧産のスリラー。後半ややダレるのとアンフェアに思える真相が気になったものの、これだけ読ませてくれれば満足だ。アリス・モントクレア『王女に捧ぐ身辺調査』は、『ロンドン謎解き結婚相談所』の続編。英国王室の危機を救おうとする物語だが、前作同様に女性コンビが繰りひろげる丁々発止のやりとりがなにより楽しい。

 

杉江松恋

『ガラスの顔』フランシス・ハーディング/児玉敦子訳

東京創元社

 いや、まあ、今月はこれしかないでしょう。ぶっちぎり。このタイミングで出ちゃったのでいかなるランキングにも投票できないのがもどかしいぐらいの素晴らしさで、一年を代表する作品になりそう。『嘘の木』『カッコーの歌』『影を呑んだ少女』と、世界対少女の戦いを描いてきたハーディングなのだが、本作もそうした構造を持った作品だ。舞台となるのが地上とは異なる倫理や原則で動いている地下都市という設定でまず心を射抜かれる。ここの作りこみが本当に素晴らしく、ディテールに富んでいるのである。たとえば日照がない地下空間でどのように一日が構成されているのか、といった部分からハーディングはおろそかにせずに設定している。主人公のネヴァフェルは、世間に背中を向けて隠れ住んでいるチーズ作りの親方グランディブルに拾われる。二人は穴倉のような工房でひたすらチーズを作り続けるのだが、それぞれが時計を持っていて異なる時間帯で眠るのである。その時計が二十五時制で、ときおり眠りと睡眠時間の周期がずれて「時計脱」が起きる、というようにまず身体感覚のレベルからこの地下世界がどういうものかが語られていく。この世界の人間はみな生まれつき表情が備わっておらず〈面〉というものを後天的に身に着ける、というのが小説最大の仕掛けだ。この〈面〉は金銭で贖うものなので、富裕層は感情に合わせてさまざまな種類を所持できるが、貧しい者はわずかな数でやりくりしなければならない。貧富の差によって形成される格差社会が表情という最もわかりやすいもので示されているわけだ。もちろんこれは、教育機会や文明の享受といった現実世界における格差分断の似姿にもなっている。諷刺小説でもあるのだ。よくこんなことを思いついた。ハーディング天才だ。物語はネヴァフェルが自分のミスから穴倉の外に誘い出され、さまざまな艱難辛苦を体験していくという冒険小説の構成になっている。その中で謎解きあり、裏切りや友情のときめきありと、なんでもありの充実ぶり。こんな小説を一年に一作でも読めるのは幸せと言うしかない。世の親は全員クリスマスプレゼントに本書を買うべきだと思うのです。

 

 毎年11月は祭りの後で寂しくなるのですが、今年はそんなことなかったですね。特に冒険小説畑に収穫が多かったという印象です。さあ、次月はどんなことになりますか。2022年も休まずに七福神は読んでいきます。どうぞお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧