2月4日から20日に開催された北京冬季五輪の開催地に住んでいるわけですが、一般客の競技観戦ができないせいか、2008年の北京五輪と比べたら、日常の中でオリンピックの熱気をほとんど感じませんでした。マスコットキャラクターのビン・ドゥンドゥンのグッズを買うために長蛇の列ができたとか、中国ネットで羽生結弦人気がますます高まったとかの話は聞きましたが、試合自体に熱狂した中国人は少なかった印象です。先日もビアバーに行ったところ、テレビでリュージュやスケートの試合が流れていましたが、ほとんど誰も見ていませんでしたし。
 じゃあ影響はないかと言うと、交通規制の影響などによって在宅で仕事をするよう北京市から通知が来たり、北京市外からの通販の荷物が滞ったり、生活は全体的に低調ムードを強いられています。
 こうなったのも冬季五輪ではなく新型コロナウイルス感染症のせいなのですが、流行からこの2年間で個人の生活スタイルがすっかり変わっただけでなく、各種イベントの概要も大きく変わりました。中国では、コロナ感染者が少しでも発生すると、その地域のイベントが中止・延期されるのが一般的で、参加予定のイベントが何回も行けなくなりました。さらに厄介なのが、国際的なイベントに海外ゲストが呼びにくくなったことです。

■伊坂幸太郎と中国人読者のオンライン交流会
 上海で毎年夏に開催されている「上海ブックフェア」は、中国各地の出版社の自慢の書籍を割引販売し、国内外から多数の作家を招いてトークショーやサイン会を行う大きなイベントです。しかし昨年はコロナのせいで延期の末に中止となってしまいました。上海ブックフェアにはこれまで多くの日本人作家が招待され、中でもミステリー作家の島田荘司や伊坂幸太郎は、中国で数多くの海外ミステリー小説を出版する新星出版社からメインゲストの一人として招かれており、サイン会では3時間で1000冊近くサインし続けたこともあります。またサイン会が終わると読者との交流会まで行い、そのサービス精神には驚かされました。

 そんなサイン会もこの2年間行われていないのですが、オンラインイベントがこの期間で急速に発達したように、出版社側も代替案をいくつか用意しているようです。

 先日2月10日、新星出版社が中国の大手レビューサイト豆瓣に伊坂幸太郎との交流スペースを開設しました。そこには伊坂幸太郎からの日本語のメッセージが書かれ、今年、中国で出版予定の『逆ソクラテス』と『SOSの猿』を記念し、中国人読者から質問を募集しました。

 作家との貴重な交流の機会に多くの読者が反応し、すぐに多くのコメントが寄せられました。その中には、『オーデュボンの祈り』や『陽気なギャング』シリーズ、『オー!ファーザー』など様々な作品で足の不自由なキャラクターが登場するのは何故か(いわゆる田中さん)、といった熱心な読者による質問もあれば、今年は寅年だからトラにちなんだ作品を書く予定があるのかといった、これは中国で『陽気なギャング』シリーズを原作としたのに、銀行強盗じゃなくてトラを奪還するストーリーに改編した結果、大爆死した映画『陽光劫匪』を遠回しに当てこすっているのでは? と思わせる質問もありました。

 伊坂幸太郎がオンラインで質問に答えたのは2月16日。このURLで回答一覧が中国語で読めます。作品に関する情報の大半が、日本の伊坂読者なら知っているものだと思いますが、もしかしたら作者による初の情報公開もあるかもしれません。

 この種のオンライン交流会によって、今まで中国に来る機会がなかった作家も呼べるようになるかもしれません。

 

■2021年の中国ミステリー短編集
 さて、中国の編集者・華斯比が毎年編纂する『中国懸疑小説精選』の2021年度版が出ました。しかし、今回は7作品しか収録されていなくて、例年より薄めです。聞いたところによると、もともと8作品収録だったはずが、印刷直前にそのうちの1作品が審査に引っ掛かったので泣く泣く削ったとのこと。昨年度の中国ミステリー業界のまとめ及び各収録作品の紹介を書いた序文もありませんし、華斯比にとっても納得する出来ではなかったようです。

(毎年送ってくれるサイン本が今年はなかったのもそれが理由かも)

『彘童』(春申女君)
 子どもの人身売買をテーマにした作品。彘(てい)とは豚の意味であり、中国史の残虐事件に興味がある人間なら読めるだろうし、小林泰三の『人獣細工』を読んだことのある人間なら、本書の「彘」の用途はだいたい想像つくだろう。病弱な少女の前に突然、自分と同年代の少女が現れ、彼女は親に捨てられるのだと不安になる。実はその少女は、彼女に臓器移植させるために親が誘拐した子どもだった。しかし2人の少女はまるで双子のように容姿がそっくりだった。そしてラストで急にSF展開に。

『隐形的殺意』(時晨)
 同作者の長編ミステリー『密室小醜』(密室ジョーカー)の外伝的短編。女性がマンションの部屋から墜落死する事件が起きる。被害者は死ぬ直前、マンションの部屋の窓から外にいた恋人と会話をしており、何者かが彼女を突き落としたとすれば、犯人は室内にいなければいけない。だが部屋は密室で無人だった。
 慣性などを考えると、かくし芸のテーブルクロス引きのような手法で本書のトリックが可能かは疑問。『密室小醜』に登場するトリックの大半は簡単で分かりやすいのですが、それ故に科学の常識などが頭をよぎり、実現の可能性を疑ってしまいます。

『指雕師』路笛
 推理小説家の老人のもとに、数十年前に殺人を犯して死刑になった友人の息子が訪ねてくる。当時の殺人は、推理小説家と友人が仕組んだ交換殺人であり、友人はそのことを秘密にしたまま死んでいった。彼の息子は真相を知りたがったが、実はその交換殺人の背後にはさらなる秘密があり……。タイトルの指雕師とは、人間の指紋を再現した手袋をつくる造形師のことです。これが当時の交換殺人のアリバイと大きく関係します。

『母女』白鹿青山
 生活のために複数の男と付き合う母親と、母親のことを諦めている少女の話。どちらも身近な人物からの愛を求めていて、それを得るために何が障害となっているのかを自覚している。二人の関係性は、公にならないまま終わった娘の誘拐事件で壊れ、少女は母親を殺害し、彼女の財産を引き継いで自立することを選ぶ。

『恨意的花園』許言
 叔父と両親の命を奪った忌まわしい別荘を売り払った女性。別荘の新たな主人が彼女のもとに遣わした呉氏は、彼女から当時の状況を聞き、両親ら三人の被害者の人間関係を見通し、事件に隠された怨恨の理由を解き明かす。

『柏拉図式謀殺』会厭
 柏拉図はプラトンという意味。水槽に浮かぶ人間の脳の演算能力を使ってハイテク製品を生み出す非合法スレスレの会社の社長が殺された。社長は密室の社長室内で殺され、その死体は忽然と消えてしまった。事件の捜査を依頼された探偵は、非人道的な実験を行う会社を統べるトップの存在を疑うようになる。ウソを言っていない容疑者たちの供述から、今回の犯行を成立させられた被害者の正体を探るのが本筋の作品です。

『地球上最後一位名偵探』柳荐綿
 老ミステリー作家が亡くなった妻との思い出を回顧する中で、過去に二回だけ探偵役を買って出て解決した「事件」を振り返る物語だ。「事件」と言っても、小学校のクラスで花瓶を割った犯人当てと、結婚後に卓球台が消えた謎という犯罪性のない出来事だ。当時は華麗に解決したと思っていたのだが、妻の遺品を整理中、彼は数十年越しに真相を知ることになる。

 全体的にストーリー性が高かったですが、1作品が印刷前に削除されるという事実が翌年の出版にどのような影響を及ぼすのか不明です。新人小説家の短編発表の場として、来年も無事に出版できるのか、そして作家たちは引き続き短編を書き続けるのか。個人の体力勝負になれば絶対に長続きしないので、中国の出版社にはもっとミステリーにお金と力を投入してほしいものです。

 

 

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
・Twitter http://twitter.com/ajing25
・マイクロブログ http://weibo.com/u/1937491737







現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


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