Cour d’assises, Gallimard, 1941/3(1937/8執筆)[原題:重罪裁判所]
Justice, translated by Geoffrey Sainsbury, Harcourt Brace Jovanovich, 1985[米]*
Tout Simenon t.22, 2003 Les romans durs 1938-1941 t.4, 2012

 他の人々にとって、ちびのルイを除いてそこにいたすべての人たちにとって、天にも地にも特別なものは何もなく、いつものル・ラヴァンドゥー[南仏マルセイユとニースの中間に位置する海岸町]の夕暮れ時のように、冷たい空から不意に静けさがもたらされ、ものや音を凍らせ、その光景はまるで絵はがきや貝殻のなかに閉じ込めておくかのような、切り取られた一瞬の記憶となった。
 なんと佳き人生! 
 港の前の坂を下ったところにある木陰の広場では、7月14日、巴里祭の飾りつけが残っており、椰子の木は沈みゆく夕陽に照らされて見事な緑色に映え、その後ろにはまるでカンヴァスに描かれたかのように三色旗が掲げられていた。
 誰も疑う余地なく茜色が空の半分以上を占め、青が緑へと変わろうとして、湾の水面が刻一刻と反射を増し、物音が突然弾けたかと思うと急速に鎮まって驚かされるこの時間になると、ひとりとして疑う余地なく皆が思う通り、これはちびのルイにとっての時間であり、彼以外のすべて、彼を取り囲む人々全員は、いまやたんなるエキストラに過ぎないのだった。(瀬名の試訳)

 シムノンの筆致はいっそう独特の呼吸を湛えた詩編となって私たちの前に現れる。仏検3級の私にとってはかなりの難物だ。これほど鮮烈な風景描写の後に何が起ころうとしているのかといえば、南仏発祥といわれるフランス人にとって馴染み深い石投げ遊び、ペタンクの一番勝負なのである(作中では、投げる石を意味する「palet」として記されている)。いままさに大勢の地元民が集まるなかで、4日前からやってきた「ちびのルイ」、本名ルイ・ベール24歳が地元の郵便局長を相手に本日の賭けペタンクを始めようとしているのだ。ルイに幸運が続いており、今日こそは郵便局長も負けられない。郵便局の職員たちでさえ勝負の成り行きを遠くから見つめ、業務がおろそかになっているくらいだ。
 ちびのルイは南仏を中心に盗みを働いている、けちな小悪党だった。実はこのペタンク勝負も彼とその一味の悪巧みである。ルイが人々の気を逸らしているうちに、仲間のジェヌとシャーリーが隙を衝いて、この時間にいつも郵便局から船へ運び出される現金をかすめ取ってしまう算段であった。
 ルイは勝負に勝ち、仲間たちの仕事もうまくいったらしい。彼らとは後で落ち合う予定だ。この勝負の場で、ルイはコンスタンス・ドルヴァル伯爵夫人と名乗る未亡人の女性と知り合った。いま彼女はニースに暮らしているという。ちびのルイは彼女に連れ添ってニースへと逃げた。そして彼女のアパルトマンに招かれ、マルセイユのギャング仲間と落ち合う時期になるまで、夫人の秘書の肩書きを得て奇妙な協力関係の生活を始めることになる。だが地元保安部のバティスティ刑事は以前からルイに目をつけ、彼の行動を追っていた。
 夫人の本名はコンスタンス・ロピケであるらしい。彼女のアパルトマンはヴィラの3階にあり、隣にはニウタというジプシーのような容貌の少女16 歳半が住んでいる。母親は有名な歌手で、いまはアメリカにいるらしい。そのため夫人宅にもときおりニウタがショパンの子守歌を練習で歌うのが聞こえてくる。ちびのルイは夫人宅のマントルピースの上に男の写真が飾られているのを見て取った。「10代のときに結婚していた外交官よ」と彼女はいうが、その素性は怪しい。いま彼女はその男の愛人としてニースに住んでいるのだという。男は毎月2度ニースに来て泊まり、彼女に金を渡しているらしい。その金で彼女は放蕩生活を送り、カジノ遊びに興じているのだ。ルイはときおり夫人から装飾品をもらい、一部は換金して当座の生活費に充てていた。
 ルイはニース近郊のイエールに出向き、彼の姉で仲間ジェヌの愛人でもあるルイーズ・マゾーヌと会い、状況がどうなっているのか聞き出す。ルイーズはジェヌの行動に不審を抱いているようだし、盗品の分け前もまだ届いていない。ジェヌが裏切って、マルセイユの仲間らとともに盗品を独占しようとしているのかもしれない。
 ルイ一家はもともと北方リール出身だが、第一次大戦でドイツ軍が侵攻してきたとき母や姉とともにル・ファーレという南仏の小村に避難してきたのだ。トゥーロンとカルクイランヌの間に位置する。そこで母はドュットという老人と暮らしたが、この老ドュットは粗暴で、子ども時代のルイも学校へ行かなくなり、売春宿のポン引きなどを経て、いつしか裏社会の住人になっていたのである。子どものころルイはみんなから「逃亡者」と蔑まれて呼ばれていた。
 以来、ルイはリヨンから北へ行ったことはない。もっぱら南仏で盗みを働いている。母はまだル・ファーレ村に老ドュットと住んでいたが、すでに男は老衰し瀕死の状態で、ベッドから動くことはできないようだった。それでも母は老人にいまも依存して生きているのだ。ルイは姉ルイーズをニースへ連れて来て夫人と会わせた。
 8月19日金曜日、コンスタンスの愛人パーパン氏がやってくる。彼は72歳で、いつもシルクの傘を持ち、南仏ではそれは日傘の役目を果たしていた。「みんなの誕生日のお祝いをしましょう」夫人は3人を連れてホテルのレストランで豪華な食事を楽しんだ。しかしそのとき、ルイは屋外に人影を見た気がした。ルイーズの愛人、かつ強盗仲間のジェヌであったような気がした。そしてその光景を、保安部のバティスティ刑事が遠くから偶然にも目撃していたのである。

 本作『重罪裁判所Cour d’assises(1941)は、1937年夏、シムノンがイタリアのペスカトーリ島に赴いているときに書かれたものらしい。舞台はそこからほど近い南仏のリゾート地、季節は夏。目映い地中海の陽射しに満ちた一級の娯楽作品に仕上がっている。シムノンというとどうしてもじめじめと暗い冬のパリが連想されるものだが、本作は純粋に読んでいて楽しい。そして主人公は若いちんぴらであるわけだが、正真正銘のワルというわけでもなく、本人はいろいろ考えているつもりだがすごい知能犯でもなく、結局は行き当たりばったりの生活で生きている小悪党であるのだから、ふだんのロマン・デュール作品に見られるようなひりひりするほどの緊迫感が続くわけでもない。むしろ物語の前半は、わたしたち読者もこのちびのルイといっしょになって、南仏のその日暮らしを楽しんでいる気分になる。
 だが本作のタイトルは『重罪裁判所』であるから、いずれは裁判の話になるわけだ。いつから裁判が始まるのだろう? と首を傾げながらも物語に浸って読み進めてゆくと、半ばでついに事件が起こる。ルイは突発的にバスへ乗り込んでル・ファーレ村の母の家を訪ね、老ドュットが死にかけていることを知ったりするのだが、そんなあれこれの後コンスタンス・ロピケ夫人のアパルトマンに戻り、もらった合い鍵でなかに入ろうとすると、すでに扉は開いており、そして寝間着姿の夫人がベッドで血まみれの姿で死んでいたのだ。動転したルイは合い鍵をドアに挿したまま遁走した。鍵には自分の指紋がついている。警察はきっとその指紋から、ルイを犯人と見なすだろう。どうすればいい? 悩みに悩み抜いたルイは、しばらく経った後、もう警察の捜査が始まっているであろうことを覚悟してヴィラに戻った。
 ところが奇妙なことに、ドアには鍵が挿さったままだ。ルイは購入した手袋を嵌めて鍵を抜き取り、なかへ踏み込んだ。死体が消えている。いったいどういうことか? だがそこでルイのちょっとした知恵が働いた。スーツケースに夫人のファーコートや文書を詰め込み、鍵を閉めて下階へと降り、ヴィラの管理人であるソルティ夫人に「おれと夫人は長旅に出る。パリに行って、それからたぶんオランダだ」と告げ、タクシーに夫人を待たせてあるような振りをして逃げたのである。余分なものは港へ投げ棄てた。
 実際はまだ近くにいるのに、時間を見計らってルイは管理人のソルティ夫人に電話をかけ、「いまリヨンに着いた。夫人といっしょだ」と告げてアリバイをつくった。さらに彼は持ち出してきた夫人の書類を熟読し、彼女がオルレアンの弁護士から毎月5000フランを受け取っていること、彼女の別宅を購入したいという依頼がきていることなどを知った。
 ルイは弁護士に手紙を書く。「私は自動車事故に遭って、ペンもろくに持てず、動けない。そこで代筆を頼んでこの手紙を書いている。早急にメントンの郵便局へ1万フランを電送して」。署名だけはなんとか夫人の直筆を真似て書き込む。そしてミンクのファーコートを質に入れて当座の金をしのいだ。
 夫人の書類には小切手もあったが、銀行では本人でないと換金できないといわれ、仕方がなく宝石商に行って指輪を買い求め、高額小切手で支払い、釣り銭の現金を得た。メントンに行って郵便局から金を引き出そうとする。だがここでも本人のIDカードの提示が必要だといわれる。なぜメントンなど選んでしまったのか! ルイは近場にいた若い娼婦に「500フランの分け前をほしくないか?」と持ちかけ、彼女を夫人に仕立てて偽のIDカードをつくり、彼女を郵便局に連れて行って、ようやく送金を受け取ることができた。さらに別宅の件だ! ルイは再び夫人になりすまして弁護士に手紙を書き、ポルクロール島で小さなコテージを買いたいから別宅を売却すると伝え、またしても高額の金を入手できた! 
 このあたりの過程が詳細に描かれて実に面白い。ちびのルイはひとつひとつ難問をクリアして成り上がる。そこまで逃げ切れたならすぐにでも海外脱出すればよいはずなのだが、なんとルイは大金が懐に入るとつい安心してしまって、昔からの憧れであったポルクロール島に行き、地元娘たちと楽しく遊んで暮らそうとするのだ。このあたりの心理が実に小悪党っぽくて読んでいて楽しい。案の定、ポルクロール島の住民に彼の正体はばれて、警察に引き渡される。すでに新聞でヴィラの事件が報道されており、彼の写真が出回っていたからだ。どうやら彼は夫人の文書を取ってくるとき電気アイロンのコードを足で引っ掛けたらしく、無意識のうちにアイロンをベッド脇のテーブルの抽斗にしまい込んでいたが、それで警察が不審に思って事件性を認めたらしい。
 ルイはニースの保安部へ連行される。まずは保安部長から聴問を受け、拘置所に入れられ、何度もニースの司法宮へ車で連れて行かれて、予審判事モネルヴィルから聴取を受けることとなった。この予審判事はルイも吃驚するほど彼の過去を徹底的に調べ上げ、目撃者を何人も召還しては判事室で調書を作成する。ルイには地元の当番弁護士がついたが、その若い弁護士は、自分だけでは裁判に負けるかもしれない、パリの敏腕弁護士にも応援を頼んだという。そしてモネルヴィルはこのニースでいちばん腕の立つ予審判事だというのだ。
 物語の後半は、ひたすらこの予審判事や証人とのやりとりが続く。予審判事の取り調べなのだから、つまりこの時点でまだルイは起訴されていない。予審判事が起訴してようやく法廷裁判が始まるのだから、まだ重罪裁判所は出てこない! だが第二期に入ってからのシムノンのロマン・デュールは物語性が豊かで、生き生きとしている。後期メグレもののそっけない文章ではなく、簡素ではあるがディテールの行き届いた描写が流れるように続き、臨場感に溢れている。だから読んでいて楽しいし、面白い。小説を読んでいる! という充実感に満ちている。そして私たち読者もルイと同じようにだんだんわかってくるのだが、確かに予審判事の聴問は微に入り細を穿った精緻なものであるものの、なぜか肝心の「コンスタンス・ロピケ夫人の死体は見つかったのか」「本当は誰が殺したのか」という部分にはまるで触れない。商店の売り子の娘を召還して「確かにこの人が手袋を買いました! 手を見ればわかります、ほら、サイズが6.5でしょう、記憶の通りです!」などと声明させるものの、それらはすべて的を外した証言のように思われるのだ。ルイはいったい自分が何者で、どうしてこんな場所にいるのかさえ、よくわからなくなってくる。ルイに有利な証言は不思議と出てこない。ホテルのレストランで夫人とともに4人で夕食を摂ったことは確かなはずで、そこでマルセイユのギャング仲間ジェヌの姿も見たはずだが、4人で会食したことを証言できる者はなぜかひとりとして出てこない。みんな記憶が曖昧であるか、嘘をついているかのようだ。こうなるとルイにとって頼みの綱は3人だけ、すなわち母と姉ルイーズ、そして夫人の隣家の少女ニウタだけだ。彼女らであればルイが殺人犯でないことはわかっているはずだ。
 ところがニウタは行方知れずで、なぜか姉のルイーズは曖昧なことをいい、母は老ドュットが亡くなったといって喪服姿で現れ、息子は人殺しなどしませんと哀願するものの、事件前に会いに行って話をしたことははっきり憶えていないらしい。そしてルイは知らなかったが、夫人の愛人パーパン氏は自殺して、この世の人ではなくなっていたのだ。
 ついにルイは告訴されたと弁護士から聞かされた。内容は故意の殺人、死体隠匿、強盗、文書偽造と欺罔。予審判事の作成した文書は823にも及び、237人から証言が取られていた。ここからようやく事案は重罪裁判所へ移ることになる……。だが死体はいったいどこに? 真犯人は誰なのか? そうして最終章の第13章が始まる。重罪裁判所での裁判の一部始終が、この最後の章ですべて語られることになる。
 引っ張りに引っ張って、重罪裁判所が舞台となるのは最終章のみ! たくさんの記者がやって来て、聴衆席は満杯だ。ルイはそのなかに、マルセイユのギャング仲間と通じている者たちの顔を認める。かつての仲間ジェヌが、裁判所近くのバーで飲みながらルイに評決が下るのを笑って待っているのではないか。夫人を殺して死体を隠したのはジェヌではないのか。ルイはそう思うが、どうしてもそれを確証づける目撃者は出てこない。ルイは裁判初日の朝に髭を剃ってもらい、穏やかな気持ちになっていた。裁判が進み、その途中では、これまでの人生でなかったといっていいほど落ち着いて、頭も澄み渡っていると自分で感じられた。このままでは自分は殺人犯に仕立て上げられるのだろう。法廷での争点は、それが故意かそうでなかったかに絞られるのだろう。ルイは何度も裁判長に対して真実を話した。強く訴え出るわけではない。落ち着いて、ときにはユーモアさえ混じった言葉遣いだ。それでも逆転劇は起こりそうにない……。
 なんと驚くべきことに、この最終章に至っても、夫人を殺したのは誰か、真犯人はどうやって、どこへ死体を隠したのか、読者の前には提示されない。ルイでさえわからないのだから読者である私たちにもわからないのだ。残りあと5ページ、4ページとなっても、まだ真犯人はわからない! 正直なところ私は読んでいて、別の意味でどきどきした。これ、いったいどうやって決着をつけるのだろう? 最後の一行で真犯人が明かされるというような、本格ミステリーめいた体裁で終わるのだろうか? それにしても手がかりさえまったくないのだ! 推理しようにも手札がない! こんな状態で仮に真犯人が明かされたとして、読者は納得できるのだろうか? 作者シムノンはどうするつもりなのだろう? 
 最後にどうなるかは書かないが、これまで読んできたなかでは『逃亡者』第44回)の結末にもっとも印象が近い。私は以前、『魔法を召し上がれ』という連作小説を出したことがあるが、少なからぬ読者が「これは雑誌《メフィスト》で連載された小説で、講談社の文芸第三編集部から出ているのだから、本格ミステリーなのだろう」と先入観をお持ちになったのか、「最後まで読んでも犯人がわからないじゃないか!」と怒られてしまった。もちろん広義のミステリーとして書いた作品だったが、まさかそこでお叱りを受けるとは夢にも考えていなかったので逆に意表を衝かれ、「えっ、そこですか」と申し訳なく思ったものだ。作者の私としては物語の謎は最後に解かれて、ちゃんと結末がついていると思っていたのだが、一部の読者の皆様にはそう感じていただけなかったのであった。
 まあ、本作も、ハヤカワ・ポケット・ミステリから翻訳が出ていたら、そういうお叱りのメールが編集部に殺到することだろう。本作はそういう類いの結末を迎える。だが、最後にルイが警備官の男と控え室でふたりきりになったとき、警備官が呟く言葉が心に沁みる。この男はルイと同じくフランス北方の出身で、その点ほんの少しルイと接点があるのだ。法廷で完全に孤立して判決を受けたルイにとって、この男だけはちょっとばかり仲間なのだ。その男がルイに呟く。「あんたはまだ若いじゃないか……」警備官から若造呼ばわりされた25歳のルイ(物語の途中で一歳上がっている)にとって、ここから続く最後のひと言は効いただろう。眩しい南仏の夏から始まったこの物語は、まったくもって不条理な結論へと辿り着きながら、しかしこのひと言によって不思議と救われている。ああ、人生の物語だなあ、と思えるのだ。陰鬱なシムノン作品が苦手だという人には、本作をまずはお薦めしたい。
 アルベール・カミュが『異邦人』(1942)で文壇に躍り出たとき、シムノンとの類似性を指摘されたのはもっともだと、本作を読んで改めて思った。『異邦人』も後半は不条理な裁判劇となるのだが、カミュより前にシムノンはそれをやっていたからだ。またアンドレ・ジッドはシムノンを高く評価したことで有名だが、ジッドも重罪裁判所に対する関心があり、小説やノンフィクションとして遺していたことを知り、そんなところでもジッドはシムノンに対する接点や興味があったのだろうか、とも考えた次第である。
 しかし『異邦人』のムルソーは、なぜ自分が人を撃ったのか、その理由を自分でちゃんとわかっている。ところが周りの人々がそれを理解できない。ムルソーはあまりに明晰に自分を分析できているのに、他人はそれを共有できない。だからこその不条理なのだが、ムルソー自身にとって事件そのものはなんら不条理ではないのだ。
 一方、シムノンの本作では、被告人となったルイ自身が不条理に陥る。周りの人々は、膨大な証言や証拠を前にして、どうやら理路整然とルイが殺人者であるという結論に達し、その結論に一片の疑いを挟みもしないらしい。だがまったくもって裁判は茶番であり、事実ルイは犯人ではないのだ。ぎゅうぎゅう詰めの法廷のなかで、ルイひとりだけが不条理に陥ってゆく。
 そこが“シムノンらしさ”なのだ。とても奇妙なことに、本作はまるで晴れ晴れとしたハッピーエンドのように終わる。私たち読者がそう思えてしまうのは、シムノンの筆によって私たちもまた、こうした不条理は真実として自分の身に起こり得るのだと、改めて気づかされるからである。なんと佳き人生! 
 
▼映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ「Trapped」《Thirteen Against Fate宿命に抗う13人》シリーズ、George Spenton-Foster監督、ロナルド・ルイスRonald Lewis、キース・バックレイKeith Buckley出演、1966[英] ※Les romans durs 1938-1941 t.4, 2012に記載なし
・TVドラマ 同名 《L’Heure Simenonシムノン・アワー》シリーズ、ジャン゠シャルル・タケラJean-Charles Tacchella監督、ザヴィエ・ドリュックXavier Deluc、カトリーヌ・フロCatherine Frot出演、1987[仏]
 

【ジョルジュ・シムノン情報】

 パトリス・ルコント監督の久々の映画復帰作『Maigret』[仏]が、本年(2022年)2月23日よりフランスで公開された。86分と意外に短い。原作はシムノン絶頂期の秀作『メグレと若い女の死』(1954)、メグレ役はジェラール・ドパルデュー。予告編はYouTubeで閲覧可能(https://youtu.be/YbqfhUC6Wzs)。映画評の一例はこちら(https://www.screendaily.com/reviews/maigret-review/5167877.article)。
 またIMDBウェブサイトの情報に拠れば、さらにロマン・デュール長篇『緑の鎧戸Les volets verts[仏](未訳、1950、英訳題The Heart of a Man)の映画もすでにポストプロダクションに入っているようだ。主演は同じくジェラール・ドパルデュー、監督はジャン・ベッケルとのこと。
 そして最近気づいたが、なんとAmazon.frのプライムビデオでは、フランス居住者に限り、ジャン・リシャール版のTVドラマ『メグレ警視の事件簿Les enquêtes du commissaire Maigret[仏]全88話が視聴可能となっていた(https://www.primevideo.com/detail/0SDHGRWB6OUT8CAFLFOE7WK8HH/)。DVD-BOXは最終の第7集がいまなお発売されていないため、終盤のエピソードはここでしか観ることができない。日本からのアクセスでは視聴不可能。

 

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。




 
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