「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 

 《マンハント》という雑誌があります。
 この連載で何度も触れている誌名ですが、ちゃんと説明したことはなかったと思いますので、まず、どんな雑誌か簡単に紹介しましょう。
 《マンハント》は1953年から1967年にかけてアメリカで発行されていた、ハードボイルド小説の専門誌です。
 掲載されていた作品の傾向は大まかに二分できます。
 一つは、リチャード・S・プラザーのシェル・スコットもの、ヘンリイ・ケインのピート・チェンバースものといったタフガイを主人公としたシリーズ作品。
 もう一つは、犯罪者や不良少年を主人公としたノンシリーズの犯罪小説です。こちらはブルーノ・フィッシャーやハル・エルスンといった作家が得意としました。
 エヴァン・ハンターのように両方を書きこなした人もいます。
 日本では中田雅久を編集長とした日本版《マンハント》が1958年から1963年にかけて久保書店から刊行されました。
 単純に本国版の内容をそのまま訳出するのではなく、文体について訳者の自由度を高めたり、コラムなどの内容を充実させたりと独自の誌面が作られたのが特徴です。
 ケイン、フィッシャー、エルスン、ハンターと本連載で扱ってきた作家の名前があがっていることから察した方もいるかもしれませんが僕はこの雑誌のファンです。
 本国版、日本版問わず古本屋で見かけることがあれば必ず手に取ってしまいますし、広告ページも含めて通読することもよくやります。
 雑誌自体が纏っている空気感のようなものにグッとくるのです。
 ハードボイルドという、曖昧に運用されがちな概念について、その曖昧さも含め一つの雑誌の中で再定義しようとするような熱量が全ページに満ちている。だから作家も作品もコラムもみんな輝いて見える。
 今回紹介する『アメリカン・ハードボイルド!』(1981)は《マンハント》が持っていたものの中でも僕が最も惹かれている部分が凝縮されたようなアンソロジーです。

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 『アメリカン・ハードボイルド!』は日本版《マンハント》に執筆者としてだけではなく編集側としても関わってきた小鷹信光が編纂したアンソロジーです。
 収録作は下記の十作になります。
 
 ブライス・ウォルトン「殺人処方箋」(1958)★
 サム・マーウィン「大きすぎた獲物」(1955)★
 デイヴィッド・グーディス「堕ちる男」(1958)
 ジョナサン・クレイグ「水死人」(1955)★
 ウィリアム・R・バーネット「晴れ姿」(1929)
 ウィリアム・R・バーネット「ギャングの休日」(1929)
 ハーバート・カッスル「闇に追われる」(1956)★
 ヘンリイ・ケイン「失われたエピローグ」(1948)
 ウィリアム・ヴァンス「五十万ドルの女」(1954)★
 ブルーノ・フィッシャー「死を運ぶ風」(1942)
 
 ★がついているものが本国版《マンハント》が初出の作品です。
 グーディス、ケイン、フィッシャーも《マンハント》の常連作家であることを考えると本書はほぼ《マンハント》のアンソロジーであるといってしまっていいでしょう。
 バーネットにも《マンハント》掲載作がありますし、「晴れ姿」の初訳は日本版《マンハント》の後継誌《ハードボイルド・ミステリ・マガジン》です。
 これらの作品は先に挙げた二つの傾向でいうと後者に分類されます。
 街を生きる様々な人間が犯罪に関わった一瞬を切り取る、それだけの物語です。
 唯一「水死人」だけはシリーズものですが、それでさえヒーローとは言い難い主人公たちの奮闘を淡々と語る、苦い後味を残す短編です。
 以前本連載でも紹介した「失われたエピローグ」をはじめとして、収録作はいずれも珠玉です。
 真っ当な人生を送ってきた警官が道を踏み外してしまう一瞬の逡巡を描いた「堕ちる男」、捻くれたユーモアが抜群な掌編「ギャングの休日」、強盗で生計を立てる兄弟とその愛人の爛れた関係の先の虚無的な結末が鮮烈な「闇に追われる」……作家も作品も現代日本では有名とは言えない面子ですが、一読の価値がある逸品が揃っています。
 中でも個人的にお気に入りなのがサム・マーウィン「大きすぎた獲物」です。
 
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 物語は、強盗を終えたばかりの男女四人が溜まり場で談笑している場面から始まります。
 彼らはプロではありません。せいぜい不良少年少女と言われる程度の立場で、初めての悪事を終えた興奮を持て余している。
 なにせ獲物が大きかった。三万二千ドル。大きすぎるくらいだ。
 彼らの結束にヒビが入り始めたのも、その巨額のせいだった。
 八千ドルずつ分けるのか? 貢献度に差があるからそれだとフェアではないのでは? 隠れ家に置いたままで大丈夫か?
 疑心暗鬼になっていく。警察が非常線を張っているため、ろくに動けないことも苛立ちを倍増させた。
 やがて崩壊の瞬間が……
 ケイパー小説のジャンルで大きな読みどころとなる、強奪後の時間にフォーカスを当て、描ける限りのことを描き切った佳品です。
 特に結末の皮肉の利かせ方が抜群で、僕は読むたびに膝を打ってしまいます。
 ケイパーものを愛する人なら是非読んでいただきたい逸品なのです。
 
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 冒頭で《マンハント》の中で最も惹かれている部分が本書に凝縮されていると書きました。
 これは自分好みの短編が詰まっていることを指して言ったわけではありません。
 この内容のアンソロジーにこのタイトルを掲げたところに《マンハント》が持っていた熱を感じ、心打たれているのです。
 《マンハント》、あるいはそこに載っていたような作家たちは昔も今も「こんなものはハードボイルドではない。ハメットやチャンドラーのような正統ではなく通俗だ」と言われがちです。
 それに対して本国版でも日本版でも《マンハント》の編集者は「これもハードボイルドだ」と返し誌面を作ってきたのです。
 本国版の実質的な編集者だったというスコット・メレディスは兄弟のシドニーと連名で編んだ傑作選The Best from Manhunt(1958)の序文で《マンハント》は《ブラック・マスク》で書かれたようなタフでリアルなクライム・ストーリーを受け継いだものだと系譜を語りました。
 小鷹信光は日本版誌上の連載〈行動派ミステリィ作法〉でハメット的なものをそのまま書けばハードボイルドということで良いのか、そこから脱却しなければならないのではないかと述べ、現在進行形で刊行されている《マンハント》作家の作品を論じました。
 《マンハント》休刊後も小鷹は新たな私立探偵小説の流れをネオ・ハードボイルドと名づけ最前線で紹介したり、テレビドラマ『探偵物語』の企画に携わりオリジナルの小説版まで執筆するなど精力的な活動をし、ハードボイルドの可能性を広げ続けました。
 そして八〇年代に入ってすぐ『アメリカン・ハードボイルド!』と題するこの本を刊行したわけです。
 いかにもハードボイルドとされるような私立探偵の物語ではなく《マンハント》のもう一つの面に着目したセレクトは、一見すると上にあげたような七〇年代のムーブメントを編者が牽引してきたことと矛盾して見えるかもしれません。しかし、僕はむしろ「これもハードボイルドだ」という一貫した姿勢をここに見ます。
 そして、この戦い続けるスタイルに「これぞハードボイルド」とも思ってしまうのです。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人五年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby