書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

千街晶之

『名探偵と海の悪魔』スチュアート・タートン/三角和代訳

文藝春秋

 あの超難解パズルのような『イヴリン嬢は七回殺される』の著者の第二作なので、ガチガチのパズラーを予想していたのだが、その先入観はいい方向に裏切られた。もちろん本格ミステリとしても優れているけれども、それだけにとどまらず、囚われの名探偵と屈強な従者が謎に挑む異色のバディ小説、現代のように航海技術が発達していない一七世紀を舞台にした海洋冒険小説、船内で次々とトラブルが起こり人々が疑心暗鬼に陥ってゆくパニック小説、悪魔の実在が信じられていた時代だからこそのオカルト小説……等々、さまざまな要素が組み合わさっており、それらがエンタテインメントとしての一大シンフォニーを奏でているのだ。引き返すことが不可能になった作中の帆船さながら、途中で読むのをやめることなど出来なくなる快作であり、ジョン・ディクスン・カーの歴史ミステリが更にパワーアップして二一世紀に蘇ったような印象を受ける。
 なお二月に読んだ本では、『名探偵と海の悪魔』ほどミステリ度が高くないので外したものの、エルヴェ・ル・テリエ『異常(アノマリー)』も最高に面白かった。第二部以降の展開は、帯のキャッチコピーからは絶対に想像できない筈だ。

 

川出正樹

『名探偵と海の悪魔』スチュアート・タートン/三角和代訳

文藝春秋

 愉しいなあ、『名探偵と海の悪魔』。攻めてるなあ、スチュアート・タートン。タイムループと人格転移というSFのアイデアを駆使して、伝統的英国謎解きミステリをコンテンポラリーに蘇らせたデビュー作『イヴリン嬢は七回殺される』から早二年半。スチュアート・タートンが、またもややってくれた。今度は、大海原を往く帆船の中で悪魔の力と名探偵の頭脳が死闘を繰り広げる、オカルティック謎解き海洋冒険教養小説だ。

 盛りすぎだろう、と疑うことなかれ。これでもかとばかりに組み込んだガジェットを、まるで錬金術師の如き手腕で巧妙に掛け合わせて奇想天外かつ複雑精妙なプロットを構築する作者の手腕は一段と磨きが掛かっている。その上、前作よりもキャラクターに厚みと深みを持たせ、彼らの思惑が複雑に絡み合う血肉を備えた一大絵巻を、緩急自在に描き上げていくのだ。アンソニー・ホロヴィッツの本格ミステリが、付け入る隙のない最強の楯だとするならば、スチュアート・タートンの二作は、力と業で読者を感服させる最強の矛といったところか。

 時は大航海時代末期の十七世紀初頭、舞台はバタヴィアからアムステルダムへ向かうオランダ東インド会社の帆船ザーンダム号。本来の交易品である香辛料以外に、特級極秘発明品〈愚物〉を手土産に帰国の途に就くバタヴィア総督一家、なぜか理由も明かされぬまま本国へ護送される〈謎解き人〉サミーと、護衛役兼助手のアレント、謎の子爵夫人、特異な経歴を持つ牧師と信仰厚い解放奴隷といった訳ありの乗客と積荷を始め、兵士・船員・一般乗客合わせて三百名を乗せて、八ヶ月の航海に乗り出したザーンダム号に、次から次へと怪異な事件が襲いかかる。出港間際、呪わしい未来を宣告した後、燃え上がり死んだ病者。風をはらみひるがえる帆に描かれた禍々しき悪魔の紋章。だが、これらは予告に過ぎなかった。人知を超えた忌まわしい奇蹟が立て続けに起き、不穏な空気が充満し一触即発状態となるザーンダム号で囚われの名探偵に代わって、元兵士のアレントと頭脳明晰な総督夫人サラがコンビを組み、船に降りかかる怪異現象を解き明かすべく奮闘するが、ついに殺人事件が起きてしまう。しかも不可能状況下で。

 名探偵を独房に収容し事件の進行を妨げる知性を封印することで、船内を悪魔の使いが跳梁し怪事件が続発する状況を自然に生み出す。この一石二鳥のアイデアこそが本書の要だ。周到に張り巡らされた伏線がすべて回収され、瘴気のベールの影にいかに大胆に手掛かりが配されていたかが判明した瞬間、思わず膝を打ってしまった。恐るべし、スチュアート・タートン。今月どころか、今年度の一、二を争う、いやオール・タイム・ベスト級の傑作だ。ああ、早く三作目が読みたい。

 

吉野仁

『黒き荒野の果て』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 今月は、文句なしに、コスビーだ。かつて裏社会で伝説のドライバーと言われていたが、いまは家族とまっとうな暮らしをしている主人公が、やむにやまれずふたたび宝石強奪犯罪の一味に加わる。なんの新味もない話だ。似たような小説や映画はいくらでもあるだろう。あらゆる設定や話の展開は、みな手垢のついたものばかり。なのに読ませるのだ。ぐいぐいと読ませる。読まずにおれない。これが上出来なクライム・ノヴェルの力である。そのほか、百年前の英領インドで起こる連続殺人を描いたアビール・ムカジー『阿片窟の死』は、シリーズ三作目ながら、あいかわらずの面白さだ。

 

 

霜月蒼

『黒き荒野の果て』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 意外に見かけない「走り屋」をフィーチャーした強奪小説の逸品。ハーパーBOOKSが定期的に出してくる暴力の詩学を感じさせるミステリーである。カタギの仕事として自動車修理工場をやっている主人公は、卓越したドライヴィング・テクニックで強盗現場からの逃走を受け持つ男だが、ある仕事が計算違いの結果を生んだことで、事態が悪い方へと転がってゆく。――という書き方をすると、よくあるタイプのノワール小説のようだし、それもあながち間違ってはいない。ポイントは「悪の爽快」「犯罪の痛快」がきわめて少ないことだ。主人公を犯罪という大博奕に追い込む事情はやたらとやりきれないし、とある痛快な一幕もとんでもない悲しみとともに返ってきてしまう。

 それでも主人公は最後にぎりぎりの逆転劇を企み、そこには確かに叛逆の小説としてのクライム・ノヴェルの輝きがある。でも、もはやアウトローは行き場を失いつつあるのではないか、叛逆者の栄光は過去のものになってしまったのではないかという苦みが全編にいきわたっている。それが証拠に主人公が夢想する「甘さ」は、今や廃墟となった過去の思い出の中にしか存在せず、ラストで彼が口にするひとことは、クローネンバーグの『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のラストと同じ残響をともなって響く。著者の骨太の語り口は武骨な悲しみをたたえて魅力的でもあり、ぜひ次作も読みたい。

 

酒井貞道

『名探偵と海の悪魔』スチュアート・タートン/三角和代訳

文藝春秋

 17世紀のバタヴィア(インドネシアの現ジャカルタ)から、オランダ人総督が帰国の途に付く。その船には、総督のとその家族・関係者に加えて、囚われの名探偵と助手、牧師、高級船員、そして船員たちが乗り込んだ。だが出航直前に、病んだ男が呪いの警告を発した直後に焼け死ぬという椿事が発生し、出航後も、悪魔の出現を思わせる奇怪な出来事が続発する。

 実質的な主人公は探偵助手の男と総督の妻が務め、物語の大半は海の上で展開される。大航海時代(でいいですよね?)の外洋航海用の船という舞台設定がまず心憎い。社会階級の最上位層から最底辺近くまでが壁一枚隔てて隣り合わせる濃密な閉鎖空間は、格差の他、女性差別や迷信、信仰などを織り交ぜるには打ってつけである。さらに作者は、主要登場人物を熱意をもって掘り下げる。多くの登場人物のコンプレックスや愛情が、手に取るようにわかる。単純な悪役、善玉、正義、愚鈍、鋭利など一人おらず、それぞれに光と影がある。ただただ不快なだけの人物はいない。ひたすら真っすぐで眩しい人物もいない。名探偵の能力を持つ人間が虜囚の身であり、事実上まともに機能しないのも効いている。彼らの思いと行動、各種のテーマが交錯し、極めて重層的な物語が現出する。歯応えたっぷり、しかも全く間然としない。最初の殺人まで結構なページ数がかかるのだが、ちゃんと読めば、それを感じさせないほど熱中させてくれる。素晴らしい。

 

北上次郎

『匿名作家は二人もいらない』アレキサンドラ・アンドリュース/大谷瑠璃子訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ベストセラー作家のアシスタントになった作家志望の女性を主人公にした長編で、すぐにハイスミス『太陽がいっぱい』を想起するが、その『太陽がいっぱい』といかに異なるかがキモ。これがうまい。おお、そっちに行くのか。

 

 

杉江松恋

『黒き荒野の果て』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 犯罪小説に私が求めているものはすべてここに含まれているとしても過言ではない作品ゆえ、選ばないわけにはいかない。社会と本質的に対立せざるをえない個人の存在について考察をめぐらし、犯罪という局面を使ってのみ可能な展開で行動によってそれを描くこと、暴力を含む描写、すなわち人体や器物の致命的な破壊を伴う行為をためらわずに取り入れることで生命の脆さを象徴的に表現すること、反社会的な生き方をする人間たちの規律に縛られない自由さと野卑さ、法や道徳によって守られることがないためにいともたやすく生命を落とすという残酷さを笑いのセンスを交えた非情な態度で読者につきつけること。これらの要素が緊張感溢れる文体の中で過不足なくくみ上げられている。プロットだけに話を限定しても、読者の予想を裏切り続け、退屈する瞬間は微塵もない。登場人物には見えない少し先の未来を読者に予想させてしまうのが、こうした犯罪小説では重要だと思う。そのことによって読者はうっすらと絶望し、登場人物の愚かさに対して憐憫の情を抱く。もちろん物語はそれを覆す形で展開していき、読者は自分自身の思い込みを眼前につきつけられて過去と対話するような気持ちになるために、強い感銘を受ける。単なる事実の引っくり返しだけに終始しない、死を前にした人間の恐怖を人質にとるような、犯罪小説ならではの驚きがそこに生まれるのである。そうしたものがこの小説には全部ある。これが犯罪小説というものだと思う。

 

 珍しいことにほぼ真っ二つに支持作が割れた月になりました。謎解き小説と犯罪小説、作風が両極端なのもおもしろいですね。次月はいったいどういう作品が翻訳されるでしょうか。また、お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧