今月もこんにちは! パトリシア・ハイスミス『水の墓碑銘』(柿沼瑛子訳/河出文庫)の改訳版はもう読まれたでしょうか。公然と愛人とじゃれあう奔放な妻を、非難もせず心の奥底で怒りをくすぶらせる夫ヴィク。エドワード・ホッパーの不穏な表紙をめくると、本文1ページ目からすでに主人公ヴィクの只事でないいびつな心持ちが明らかにされます。この異様で緊張感あふれる物語はアメリカのhuluオリジナル作品として映画化され、アマゾンプライムビデオで『底知れぬ愛の闇』のタイトルで先日配信が始まりました。主演はベン・アフレックとアナ・デ・アルマス、監督は『危険な情事』のエイドリアン・ラインで、設定を現代に変更。ラストも大胆に改変され、原作には無いクライマックスの某シーンには「えっ!?いやそれはいくらなんでも無理なんじゃ!」とびっくりしました(^^;。もし先に映画を観た方にはぜひ原作の怖さも味わっていただきたいです!

 
*今月の予想外本*
アリッサ・コール『ブルックリンの死』(唐木田みゆき訳/ハヤカワ文庫)

舞台はNY。生粋のブルックリンっ子のシドニーは、長年苦楽を共にしてきた隣人たちが、次々とこの町を去っていることにいらだちを感じています。それというのも、元来住民のほとんどが黒人だった地域が、今や裕福な白人たちがこぞって住みたがるおしゃれなエリアとして人気が出たため、地上げが横行していたのです。越してきた富裕層たちの〈わたしたち〉〈あのひとたち〉という露骨な差別意識は日に日にエスカレートしていき、元々の住民たちは一触即発の不安に怯え、ついにその一線を超える出来事が起きてしまいます。
まさかこんな展開になるとは全く予想できませんでした! あとがきで、アメリカで絶賛された際にある2本の映画が引き合いに出されていますが、片方はかなりネタばらしスレスレ(?)なので、できれば先に本文を読んで存分に驚いてください!!

*今月の潜入捜査本*
クラム・ラーマン『ロスト・アイデンティティ』(能田優訳/ハーパーBOOKS)


ドラッグの売人でムスリムのジェイが通うモスクが、レイシストたちの暴挙で荒らされてしまいます。友人を守ろうと仕方なく報復に加わったジェイはそのせいでのっぴきならない状況に追い込まれるのですが、その危機を脱するためにMI5の任務を引き受けることに。過激派の動向を探るため潜入捜査でモスクに通ううち、イスラム教について理解を深めていく自分に気がつくジェイ。ところがある日、ロンドンに潜むテロ実行部隊のアジトを突き止めたことから彼の人生は一転します。
ヤクの売人とはいえ、母と二人ぐらしでのほほんと暮らしていたジェイが初めて命の危険に晒されたと思ったら、その先にはさらに過酷な運命が。主人公のキャラクター造形が絶妙で、危険極まりない場面の連続でも読者の緊張感をほぐしてくれる瞬間があり、気がついたら一気読み!という一冊。そしてラストがああああああ!!

*今月のイチオシ本*
ジョエル・ディケール『ゴールドマン家の悲劇』(橘明美・荷見明子訳/創元推理文庫)


ベストセラー作家のマーカスは、幼なじみのアレクサンドラとフロリダで再会します。彼らはかつて恋人同士だったのですが、ある事件が起きたことで、その関係は悲惨な結末を迎えたのでした。物語はマーカスと従兄弟、叔父夫婦、両親、そして祖父母の代にさかのぼるゴールドマン一族にまつわる出来事を、マーカスの少年時代の輝かしい思い出を中心に、繊細な筆致で紡いでいきます。前作『ハリー・クバート事件』のマーカスが今回も語り手となり、大人になって初めてわかる子ども時代の二度とない幸福感や、劣等感、羞恥心、競争心などもろもろいりまじった感情の機微が、読者がまるでその場にいあわせたかのような錯覚におちいるほど、情感豊かに描かれます。ひとつの家族の記録とアメリカ近代史が見事につながっていて、あらためてディケールの語りの巧さに感じ入りました。これ、中学生以上のお子さんにもぜひ読んでほしいなあ。オススメです!

*今月の新作映画*
『アネット』(4月1日公開)


舞台はロサンゼルス。カルト的な人気をほこるコメディアン(アダム・ドライバー)と奇跡の歌声で聴衆を魅了するオペラ歌手(マリオン・コティヤール)が恋に落ち、結婚します。やがて娘のアネットが生まれ、幸せの頂点に立った二人。しかしほどなくして予想もしなかった暗い影が彼らを覆いはじめるのです。




9年ぶりのレオス・カラックス監督の新作は初のミュージカル、しかも全編英語、そしてなんとデビュー50周年目前のスパークスが全曲を担当したロック・オペラです! 通常とは違い、歌を別撮りせずにその場で出演者たちに歌わせているため、激しい場面では役者たちの荒々しい息遣いもそのまま再現されています。独創的でなおかつファンタジック。映画の魔法がちりばめられている一本です。いっときでも現実を忘れたいならぜひ!





『アネット』
4/1金 ユーロスペースほか全国ロードショー

■監督:レオス・カラックス
■原案・音楽:スパークス
■歌詞:ロン・メイル、ラッセル・メイル & LC
■キャスト:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤールほか
■上映時間:140 分
■コピーライト:© 2020 CG Cinéma International / Théo Films / Tribus P Films International / ARTE France Cinéma / UGC Images / DETAiLFILM / Eurospace / Scope Pictures / Wrong men / Rtbf (Télévisions belge) / Piano

■配給:ユーロスペース
■公式サイト: annette-film.com

  
■映画『アネット』特報

■映画『アネット』予告編

♪akira
  翻訳ミステリー・映画ライター。月刊誌「本の雑誌」の連載コラム<本、ときどき映画>を担当。2021年はアレックス・ノース『囁き男』(菅原美保訳/小学館文庫)、ジャナ・デリオン『ハートに火をつけないで』(島村浩子訳/創元推理文庫)の解説を書きました
 Twitterアカウントは @suttokobucho










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