「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 

 仕事を終えて一息吐いたとき、ちょっとした家事を済ませたとき……一区切りついた隙間の時間、むかし読んだ本を再読することをよくやります。パラパラとページをめくって、心に留まった部分を読み返して、棚に戻す。
 どの本を手に取るかは勿論気分によって変わるのですが、評論やエッセイであることが多いです。中でも登板回数が多いのは福永武彦・中村真一郎・丸谷才一の共著『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』(1963)です。
 三人の文学者が翻訳ミステリについて語るエッセイ集です。名著ですので同様に愛読している人も多いかと思います。
 美点はいくらでも見つけられる本だと思うのですが、個人的に最も素敵だなと思うのが、ミステリについての距離感の部分です。
 連載第一回で福永武彦が探偵小説を読む時の自身のスタンスを「素人の横好き」と書いている通り、あくまで一読者として当時の翻訳ミステリを楽しんでいることが伝わってくる。素直な感想や想いが一流の文学者ならではの明快な文章で綴られているのです。
 そうしたスタンスはE・S・ガードナー(A・A・フェア)に対する扱いによく表れていると感じます。
 読んだことがある方ならお分かりになると思うのですが、この本、ガードナーの名前がよく出てくるのです。
 福永武彦のパートでは二章(「マジスン市の方へ」「クール&ラム探偵社の方へ」)、中村真一郎のパートと丸谷才一のパートではそれぞれ一章(「百冊目のガードナー」「美女でないこと」)丸々ガードナーに割いていますし、それ以外でもことあるごとに引き合いに出されます。
 ただ名前が挙げられる回数が多いだけではなく作家としての評価も高く、好意的です。
 その際の褒め方が面白い。福永いわく「ガードナー作品の最大の魅力は、後味がさっぱりしていて、読み終った瞬間に、筋から人物からまるで忘れてしまう点にある」、中村いわく「これは娯楽読物である。そして、文学ではない。従って悪い文学でもない」。
 いまいち褒めているようには読めない文章ですが、福永も中村もあくまで趣味として、純粋に楽しむために探偵小説を読むという姿勢であることを考えると、最上級の評価であることが分かります。
 読んでいる間、夢中になれて、後は何も残さない上等な娯楽読物。
 現代を生きる一ガードナーファンとしても「まさに」と頷いてしまう評価です。
 彼の作品は娯楽読物でしかない。
 そして、そんな作品を何十年もの間、書き続けたところに彼の偉大さがあるのです。
 
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 ガードナー作品について驚かされるのはなんといってもそのアベレージの高さです。
 後年の作品を拾い読みしても初期作と同じくらい良い。ぺリイ・メイスンものなどは個人的には『運のいい敗北者』(1957)『車椅子に乗った女』(1961)あたりの中期以降の作品の方が初期より面白いと感じます。
 その面白さが、シリーズのパターンを崩すような新しい試みを次々と続けているから……というわけではないというのがむしろ恐ろしい。
 登場人物の関係性の変化などはありますが、どの巻を読んでも、いつもの面子がいつものパターンで事件に遭遇する様子を読むことができます。
 なのに読んでいて飽きないのは、読者を引き込む導入も、意外な展開も、最終的に明かされる事件の真相も毎巻、新規のものを用意してくれているからでしょう。
 巻を重ねてもミソとなる部分のクオリティが下がっていないのです。
 外枠のフォーマットについては書けば書くほど不要なものが省けていきますから総合すると出来はどんどん良くなっていくことになる。
 前のと同じくらい面白い新しい話を毎回作れば人気シリーズはいつまでだって人気のまま続けられるだろう、という机上の空論を成立させたのがガードナーという作家なのです。
 「どの作品も同じように面白いからどれを取り上げても良い」を素直な誉め言葉として言えてしまうくらいなのですが、今回は変わり種の一冊を紹介したいです。
 『腹の空いた馬』(1947)という、ぺリイ・メイスンもバーサ・クール&ドナルド・ラムも登場しない中編集です。
 
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 『腹の空いた馬』は保安官ビル・エルドンを主人公にした中編二編を収録した一冊です。
 ビル・エルドンは南カリフォルニアの田舎町に住む、七十歳の保安官です。
 科学知識などには疎いが、その分、経験を積んでいる。事件に関わる人間について知り、理解していくのが彼の捜査スタイルです。
 しかし、そんな手法は時代遅れだと色々な人に疎まれている。特に対立しているのが地方検事と町の政治屋で、彼らは事あるごとに保安官の評判を落とすことを画策する……
 ドロシイ・B・ヒューズ『E・S・ガードナー伝 ぺリイ・メイスン自身の事件』(1978)巻末の作品リストを見ると、このシリーズは全部で四つの中編があるようですが、『腹の空いた馬』収録作以外の二編については未訳です。
 なのでシリーズとしての全容が見えないのですが、少なくとも本書収録の「逃げだした金髪」(1945)「腹の空いた馬」(1947)の二編は抜群に面白い。
 既に作家として大成功を収めた後に発表されたということもあり、発端から結末に至るまで、どこにも隙がない。円熟の腕前という他ありません。
 特に「逃げだした金髪」は完璧な中編ミステリといっていい。
 
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 通報を聞いて出動したビル・エルドンを出迎えたのは、どうにも奇妙な殺人現場だった。
 死体が転がっていたのはトラクターによって鋤かれたばかりの農地の隅。被害者はどこからか逃げてきたところを追いつかれて殺されたことは間違いない。
 だが、周りに足跡が一つもないのだ。一体どこから出てきて、誰に殺されたのか。そして犯人はどこへどう逃げたのか。
 困ったことは事件だけではない。
 保安官の失脚を狙っていた政治屋と地方検事が、妙な事件が発生したと聞いて丁度いいとばかりに裏で動き始めているようだ。
 果たしてビルは無事に事件を解決できるのか、というのが粗筋になります。
 ガードナーの見事な手さばきが堪能できる一編です。
 まず、ビルとその知人を如何に窮地に陥らせるかというところに注力した前半部分にハラハラさせられる。田舎町の人間関係がパズルのようにハマっていき、気がつけばかなりのピンチが出来上がってしまっている。
 そんな絶望的な状況をビルが老練に対応して解決していくのです。
 彼の武器は今までの人生経験から来る、鋭い観察力です。
 関係者の言動や現場の状況にあるおかしなところを一つも見逃さない。
 その上で、最適な解決法を導き行動し、窮地から見事に脱出するのです。
 思わず膝を打つ切れ味鋭い推理が披露されたあとの結末部で彼が義姉と交わす皮肉めいたやり取りには誰しもがニヤリとせざるを得ないでしょう。
 文句のつけようがない、痛快な娯楽読物です。
 
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 ガードナーは自身を〈小説工場〉とたとえました。
 諧謔であったり、作品を大量生産するための口述筆記体制の比喩であったり、時や場合によって色々な意味を込めた発言のようです。
 個人的にはこの自称に、自分はどんな時でも読者を満足させる小説を作り続けるぞ、といった自負もあるように感じます。
 どんな時代のどんな場所でも「面白い!」と唸るひと時を提供してくれる作家。
 それがガードナーだと思います。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby