書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『刑事ヴィスティング 悪意』ヨルン・リーエル・ホルスト/吉田薫訳

小学館文庫

『警部ヴィスティング 悪意』を読み始めて、おやっと思った。張り詰めた空気の中で、いきなり物語が始まったからだ。国家犯罪捜査局(クリポス)の捜査官スティレルと凶悪犯トム・ケルとの面会を、ヴィスティング警部の娘でジャーナリストのリーネが撮影している。未解決事件四部作の三作目となる本書だが、コールドケースものの定石に則り静かに幕を開けた既訳の二作――『カタリーナ・コード』『鍵穴』――と違って、冒頭から既に読者の脳裏をちりちりとさせる物語が動いているのだ。この工夫が心憎い。一体、何が起きているのか。

 二人の女性を監禁・暴行し惨殺した罪で二十一年の禁固刑を科され服役中の犯罪者ケルが、第三の殺人を告白。遺体遺棄現場を供述する見返りに、世界一人道的と言われる刑務所への移送を要求してきた。逃亡のための偽装を疑いつつも、失踪事件解決の可能性有りと判断した当局は、ヴィスティングを責任者に据えクリポスと連携して厳重な警備体制を敷き、手足を拘束した上でケルに現場へと案内させる。だが思わぬ事態が勃発し、ケルは逃亡。未知の共犯者“アザー・ワン”の仕業か?

 新たな惨劇を防ぐべくケルの行方を追う一方、“アザー・ワン”の正体を暴くために検証と推理に基づき仮説を構築して一歩ずつ捜査を進める合同捜査陣。様々な思惑が入り組んだこの二本の緊迫感溢れる主筋に、ヴィスティング警部に対する内部調査課による責任追及という第三の筋が絡んで、物語のテンションはさらに高まる。

 外連を排したシンプルな謎を?みしめるように味わううちに、意外な真相が明かされる良質な謎解き型警察小説という従来からのシリーズの醍醐味と、緊迫感と策謀に満ちた追跡行という新たな面白みが一体となり、刻々と流れる時間を肌で感じつつページを繰る手が止まらない。

 ちなみに、「みんな犯罪を解決しているはずのときに、一時間も物思いに沈んでフィヨルドを見つめてるのを気にしなければ」(クイーム・マクドネル『平凡すぎて殺される』)いけないタイプの北欧犯罪ドラマと違って400ページちょいと短めで入門書としても最適です。シリーズ作ですが本書から読んでもまったく問題ないので、ぜひ手に取ってみて欲しい。

 

千街晶之

『刑事ヴィスティング 悪意』ヨルン・リーエル・ホルスト/吉田薫訳

小学館文庫

  今回は『警部ヴィスティング 悪意』にするか、シルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』にするか、最後まで迷った。一見古典的なゴシック・ホラーでありながら現代的な解釈が施されている後者も好みだったけれども、ここではミステリ度優先で前者を選んだ。ヴィスティング警部シリーズの前二作の淡々とした展開と打って変わって、今回はいきなり殺人容疑者の逃走というド派手な開幕なので驚かされるが、逃走に手を貸したのは誰か……という「犯人探し」ならぬ「共犯者探し」の趣向が目新しさを演出しているのみならず、この「共犯者」の隠し方が実に考え抜かれていて感心する。短すぎず長すぎない分量に盛り込まれた起伏に富んだ出来事もスリリングで、前二作の「静」とは異なる「動」の物語を書いてもホルストは巧いという新たな発見があった。

 

北上次郎

『天使の傷』マイケル・ロボサム/越前敏弥訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 シリーズ一作目が面白かったと言っても、二作目が面白いとは限らない、ということを、クレイヴン『ブラックサマーの殺人』に学んだばかりなので、大丈夫かロボサムと思ってしまったが、クレイヴンと違ってロボサムは本物だ。「嘘を見抜く少女」イーヴィのあれこれが少しずつ明らかになっていくので(まだ語られていないことがある)、早く次作を読みたいと思ってしまうが、まあゆったりとした気持ちで待ちたい。

 

霜月蒼

『刑事ヴィスティング 悪意』ヨルン・リーエル・ホルスト/吉田薫訳

小学館文庫

 3月は佳作の多い月で充実した読書ができました。とくに前作で人物紹介を終えて本格始動した感のあるロボサム『天使の傷』は頼もしさすらる横綱相撲であったし、詩的な語りで悪夢じみたイメージを連ねて異様な真相にたどりつく『災厄の馬』は成功作とは言い難いけれども、『Xと云う患者』あたりのデイヴィッド・ピースにアン・クリーヴスみたいなイギリス寒村警察ミステリを書かせたような怪作で変に印象に残った。

 ベストに推すのはこちら。僕が北欧警察ミステリで推すのは、これとアルネ・ダールのサム・ベリエル物なんですが、本作はヴィスティング連作の「シリーズ中シリーズ」とでもいうべき「未解決事件4部作」の3作目。これまでも未解決事件をモチーフにしつつ毎度ミステリとしての骨格/プロット/風合いを変えていたホルスト、本書では無駄なくストレートなノンストップ・サスペンス風味で攻めてきた。前2作ほどではないにせよプロットの五里霧中感は健在であり、むしろほどよくタイトな分だけ読みやすいので、「最初に読むホルスト」にうってつけではなかろうか。

 ちなみにギリギリまで迷ったのがリサ・ガードナー『完璧な家族』。これ、アレックスを主人公にシリーズ化した『その女アレックス』というか、痛快エンタメに寄せたカリン・スローターというか、まさしく現代型の自警団ヒーローの物語だったのである。前作『棺の女』も大概ではあったが、それがこう進展するとは予想しておらず、一ヶ月遅れの恥を忍んで推そうかとも思いかけるも、4月にさっそく続編『噤みの家』が出るそうなので、今月はホルストとした。同じ小学館文庫だし。

 

吉野仁

『天使の傷』マイケル・ロボサム/越前敏弥訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

『天使の傷』は『天使と嘘』につづく〈サイラス&イーヴィ〉シリーズ第二弾。前作ではあまり語られることのなかった、嘘を見破る少女イーヴィの秘密に迫っていく。あいかわらず人物の心理や他人とのやりとりの描き方がうまく、彼らのゆくえがどうなるか目が離せなくなる。一気に読んでしまった。シリーズの今後が愉しみだ。そのほか、ハリウッド映画のような娯楽性に富んでいるということでは、T・J・ニューマン『フォーリング ─墜落─』がハイジャック+トロッコ問題のサスペンスを正面から描いており面白かった。逆に、シリーズ第七弾のラーシュ・ケプレル『墓から蘇った男』は例によってケレン味たっぷりでハッタリびっくりの連続。奇妙な殺人で幕をあけるレイフ・GW・ペーション『悪い弁護士は死んだ』もやりたい放題の主人公ベックストレームの活躍だけでなく、ストーリーもニコライ二世が出てくる「ピノキオの鼻の本当の話」という脱線が挿入されるなど、どこまで人を喰った作品なのかと思うばかり。もひとつシリーズだとヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 悪意』は、これまでと違って冒頭から派手な展開でサスペンスフルに読ませていく。かと思えば、ジョエル・ディケール『ゴールドマン家の悲劇』は『ハリー・クバート事件』と同じ語り手なのに話は題名どおり家族の悲劇とはいったいなにかというサスペンスでひっぱる、しみじみとした家族ドラマだ。単発もののアリッサ・コール『ブルックリンの死』は、黒人ヒロインと白人男性のカップルが登場し、いわゆるジェントリフィケーションをテーマにした現代都市のミステリ。グレッグ・ブキャナン『災厄の馬』は、英国の海辺の町に円を描いて埋められた十六頭の馬の死体が発見されるという奇抜なもの。R・V・ラーム『英国屋敷の二通の遺書』の作者はインド人ながら、閉じ込められた場所、いわくつきの館、遺書といった古典英国ミステリの要素で構成された探偵小説。パキスタン人作家クラム・ラーマン『ロスト・アイデンティティ』は麻薬密売人の青年がMI5との取引でテロ組織に潜入するというスリラーで、とくにムスリム世界の描写が興味深かった。

 

酒井貞道

『ブルックリンの死』アリッサ・コール/唐木田みゆき訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

ブルックリンの一角ギフォード・プレイスで生まれ育った女性と、その向かいに引っ越してきたカップルのうち男性とをダブル主人公に配して、都市再開発の闇を描く。……などと書くと社会派めくし、実際に社会問題を取り扱ってはいるのだが、読んだ印象は、ご近所で進行する怪しげな事態に、一般市民らしき主人公が巻き込まれるスリラー/サスペンスである。特にプロットは古典的なサスペンスといえ、不気味な事象が、ご近所トラブルのような顔をして、じわじわと主人公にまとわりついてくる。訳者がヒッチコックの《裏窓》を想起したのは、だからとてもよくわかる。他方、物語は21世紀の物事に彩られ、真相もなかなか現代的。また、二人の主人公はそれぞれ秘密を抱えていて、それが明かされるのは中盤ということで「信用できない語り手」の要素も持ち合わせている。これらを実にうまく、読み応えある形で実作に落とし込んでいるのが素晴らしい。

 

杉江松恋

『動物奇譚集』ディーノ・ブッツァーティ/長野徹訳

東宣出版

 純粋なミステリーだったらヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 悪意』を推すのだが、ブッツァーティが出てしまったら仕方ない。ミステリーじゃないじゃないか、と言われても推すぞ。短篇集が好きなの。奇妙な味と言われる物語だったら、ミステリーファンだって好きじゃないか。何べんも書いているのが、リドル・ストーリーの最高傑作だと思っている「何かが起こった」を書いたイタリア作家である。本書は作者の没後に出版されたアンソロジーで、動物をモチーフに用いた短篇がなんと36作も入っている。わーい。「何かが起こった」を思わせる「彼らもまた」をとりあえず読んでもらいたい。ある日動物たちが奇妙な動向を示す、というだけの話なのだが、なんだろうこの不穏さは。動物好きの方にはちょっと辛い話も入っている。死んじゃったりするから。人間の動物の命に対する無関心さをブッツァーティはしばしば書く。彼の作品では人間と動物は相互変換可能で、変化したりもする。動物の立場に置かれた人間を描くこともしばしばあり、そうした形でこの文明を諷刺するのである。「警官の夢」はこの種の作品で、自分が犬に飼育されている夢を警官が見るという話だ。「日和見主義者」は突如城に竜が襲ってくるという話で、ご主人をよそに使用人たちは、自分がどう振る舞うべきかを話し合い始める。ご主人が食われても龍に仕えればいいんじゃないか、でも龍って普段は何を食うんだ、と無責任に相談する連中が可笑しすぎる。こういう風なお話が36篇。もうね、絶対読んだほうがいいですよ、みなさん。

 

 シリーズものに人気が集まりましたが、言及される作品も多く、活況の三月でした。さあ、四月。期も改まったところでまた楽しいミステリーを読みたいものです。また来月お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧