「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 

 夫のことが、嫌で嫌でたまらない。
 妻のことが、鬱陶しくてしょうがない。
 あんな奴死んでしまえばいいのに! いっそ、この手で殺してしまおうか?
 配偶者のことを厭わしく思う夫婦の物語は、いつの時代、どんな場所でも需要があるようです。様々なメディアで星の数ほど描かれています。
 共感……とまではいかなくても(そうですよね? 既婚者の皆様)殺意の形として想像しやすいからでしょうか。
 ミステリーでは登場する夫婦が全ペア仲睦まじいという場合の方が少ないように思います。
 余分なキャラクターは一切出さずに、夫婦間の関係性と犯罪にのみ焦点を絞ったクライム・ストーリーも多い。
 そうした作品を特に〈夫と妻に捧げる犯罪〉と呼ぶ小特集が〈ミステリマガジン〉誌上で何度か編まれています。
 それに影響を受け「この作品はいわゆる〈夫と妻に捧げる犯罪もの〉だね」と語るファンもいたりします。具体的には僕のことです。
 無論、ヘンリイ・スレッサーの『ママに捧げる犯罪』(1962)のもじりです。そのまま『夫と妻に捧げる犯罪』(1974)という題の日本オリジナルのスレッサー傑作集も編まれています。
 『〈新パパイラスの舟〉と21の短篇』(2008)を読むと名づけ親は小鷹信光のようです。〈ミステリマガジン〉1974年4月号のパトリシア・マガー小特集で初めて登場させたフレーズとのこと。
 配偶者への害意を持った夫あるいは妻が実力行使に至ったら思いもよらない結末が、というスレッサーをはじめとした〈ヒッチコックマガジン〉の常連作家が得意としたパターンです。
 僕はこの手の作品が大好きなのですが、ちょっとこだわりがあります。
 ただ配偶者殺しを題材にしただけの作品は〈夫と妻に捧げる犯罪もの〉とは呼びたくないのです。いくつかの条件をクリアしたものだけ、そう称えたい。
 第一の条件は軽妙洒脱で明るいことです。
 どろどろとした情念が積りに積った暗く重い作品は少し違う。そういう作品も好きではあるのですが。
 第二の条件は主人公たちがどこにでもいそうな夫婦であることです。
 勿論、エンターテイメントですから登場人物のキャラクターはできる限り立っていてほしいのですが、余りに特徴的すぎたり、その時代その場所でしか通用しない話は候補から外れます。
 つまるところ、読者のすぐ傍にもあるかもしれない殺意を軽やかに描いてくれる作品を特に愛おしく思っているのです。
 たとえば結城昌治「喘息療法」(1962)、ジャック・リッチー「妻を殺さば」(1963)、パトリシア・マガー「勝者がすべてをえる」(1972)などがこれらの条件を満たす〈夫と妻に捧げる犯罪もの〉なのですが、どうしても短編ばかりになってしまいます。
 配偶者を殺したいというだけの話で何百枚もの枚数は普通もたせられない。ダレてしまう。
 あの味わいは短編に適したものなのです。
 しかし、一作だけ、文句なしに完璧な〈夫と妻に捧げる犯罪もの〉だと思っている長編があります。
 ジェームズ・アンダースン『殺意の団欒』(1980)です。

   *
 
「シルヴィア・ガスコイン=チャマーズが夫を殺そうと決心したのは、ある水曜日のことだった。
 ところで、シルヴィアは知らなかったのだが、夫のエドガーは火曜日、すでに妻を殺す決意を固めていたのだった。」
 
 ミステリの書き出しのオールタイムベストを考えるなら是非とも選出したい、素晴らしい二段落から物語は始まります。
 エドガーとシルヴィアは一見なんの問題もなさそうに見える夫婦です。
 会計士で州会議員という町の皆から頼られる存在であるエドガーと、その美しい妻。
 シルヴィアが相続した由緒ある邸宅〈楡の木荘〉で二人は何十年もの間、誰しもが羨ましいと思うような結婚生活を営んできました。
 しかしこの夫婦、実はお互いを憎しみあっている。
 エドガーはシルヴィアのことを内心で〈あの女〉と罵っていた。
 あの女がこんな山奥の家に拘らなければ俺はもっと華やかな生活を送れていたはずなのだ。
 一方、シルヴィアもエドガーのことを〈あの男〉と憤っている。
 あの男さえいなければ、この〈楡の木荘〉での生活は完璧なのに。エドガーは内装や家具について理想に近づけるための努力はおろか、アンティーク趣味にすら理解を示してくれない。
 結婚当初にはあった愛情はすっかり消え失せていて、表向きだけどうにか取り繕っている。
 そんな二人でしたが、シルヴィアのまたいとこのチャールズがある話を持ちかけてきたことによって事態が急変します。
 隣家の〈樅の木荘〉に売却話が持ちあがっていて、それに絡んで〈楡の木荘〉も大金で売ってほしいと言われているというのです。
 話を聞いた二人は相手を殺すことを密かに決意します。シルヴィアは我が家を守るため、エドガーは我が家を売り飛ばすため……
 〈夫と妻に捧げる犯罪もの〉として申し分のない粗筋です。
 第一の条件である軽妙洒脱っぷりについては上の引用を読むだけでもお分かりいただけたのではないかと思います。
 シチュエーションそのものが持つ可笑しさ、それを表現する文章の皮肉の利かせ方、どちらも抜群です。
 第二の条件についてもクリアです。
 上昇志向の強さ故に妻に不満を抱くエドガー、夫の無理解さに苛立ちを覚えるシルヴィア。こうした夫婦関係は普遍的なものです。配偶者の方だけマイホームに強い執着を覚えていてギクシャクする、というのもよくある話でしょう。実際、本作は舞台を日本に置き換えてドラマ化されています。
 そしてジェームズ・アンダースンは、この二つの条件を満たした上でダレさせることなく長編を書き切ってくれている。
 夫と妻がお互いを殺したがっているというシンプルなテーマにも関わらず約四百ページもの間、読者を飽きさせない。
 その秘訣は愉快なアタック・アンド・カウンター・アタックを繰り返す見事なストーリーテリングです。

   *

 エドガーとシルヴィアはそれぞれ〈完璧な殺人計画〉を打ち立てます。
 どちらも犯罪なんてしたことのない善男善女ですから、計画は穴だらけ。最も大きな誤算は「エドガー/シルヴィアは自分に対して首ったけだろう」という相手の気持ちへの勘違い。
 時に当然のところで、時に思いもよらないところで二人の計画は崩れます。
 無惨に崩れたあと次の作戦を考える。本書の物語はその連続で構成されています。
 アイディアの奇抜さも、実行時のトラブルも、回を重ねるごとにエスカレートしていく。
 ここが楽しい。
 どうしてうまくいかないの?
 なんでこんなことが起こるの?
 二人の作戦は奇蹟的なすれ違いを何度も起こし神の視点にいる読者だけがその可笑しさを味わえる。
 読みながらつい思ってしまうことでしょう。……あんた達、お似合いの夫婦だよ!

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 〈夫と妻に捧げる犯罪もの〉に僕が求める条件について二つ挙げましたが、実はもう一つ、重要視しているものがあります。
 それは夫婦揃って笑えるものであること。
 こんな馬鹿な話があるんだよ、私たちとは大違いだねと楽しめる。
 その上で(でも、もしかしてうちも……)と一瞬、考えてしまう。
 こうした身近さがこのジャンルの真骨頂であり、古今東西楽しまれている所以だと思います。
 人間が誰かを愛し、憎む生き物である限り『殺意の団欒』は古びることはないでしょう。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby