田口俊樹
ただ、気になったのは「息もつかせぬどんでん返しの連続!」というキャッチコピー。あくまで個人の感想ですが、そういくつもあるわけではありません。だからと言って、つまらなかったわけじゃないのだけれど、けっこう期待しちゃったものだから、ちょっぴり肩透かしを食らったのも正直なところです。
でも、ミステリーを紹介するのってつくづくむずかしいですよね。五十ページ以降に起こることを書くのはタブーだなんて、誰か書評家氏が言っておられるのを見たか聞いたかした記憶がありますが、さらにキャッチとなると、ただ紹介するだけじゃなくて、読者の気を惹かにゃならんわけですからね。編集者のみなさんの日々のご苦労、お察し申し上げます。
以上、女性だけでなく、編集者の方々の好感度もアップした田口でした。いや、女性の好感度は前回下がったんだったか。
〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕
白石朗
物語がほとんど動かず伏線や「チェーホフの銃」も見当たらないパートもたしかにあります。しかしそういった部分を埋めている解像度も濃淡も視点も長短も異なるさまざまな描写が輻輳するからこそ、物語世界が三次元の深みと広がりをそなえて息づきはじめる瞬間があるのだし、ぼくがこの作家に求めるのはその魔法にも匹敵する瞬間です。
ま、一見「無駄」で退屈だと思えるパートにも「なにか意味や意図があるはずだ」という前提で翻訳する作品を読む/訳すという翻訳者としてのぼくの習性があるうえ、贔屓作家であるがゆえの贔屓の引き倒しもあり、だから「長くても断じて無駄に長くないぞ」とムキになって力みたくなるのでしょうね。
このところ読んだ本でいちばん昂奮させられたのはシルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』(青木純子訳/早川書房)。山奥の謎めいた館を訪問した若い女性と、館に巣食う奇矯な一族、そこに隠された秘密……というゴシック小説のお約束プロットが、怪異とグロ趣味のデシベル急上昇にあわせて大爆発する唖然茫然の中盤で息をのんでからラストまで、好みすぎる展開のつるべ打ちに口もとゆるみっぱなしでした。
〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS〕
東野さやか
昏睡状態からひとり目覚めた主人公が、コンピュータに「あなたの名前は?」と訊かれ、自分が誰だかわからないことに気づく場面があります。何度も「あなたの名前は?」と訊かれ、「余は皇帝昏睡状態【ルビ:コーマトース】である。ひざまずくがよい」と答えるのですが、自分が何者なのかも、どこにいるのかもわからない状態で、そんな答えを返せる主人公。それだけで、もう最後までついていきますと思いました。へたに感想を書くとネタバレになってしまうので、くわしいことは省きますが、思いもよらない展開と、胸が熱くなるエピソードと、くすくす笑える語り口でとことん楽しませてもらいました。
ミステリ的な要素もある作品なので、年末のミステリベストテンのアンケートで上位に入れてもいいような気がしますが、どうでしょう? 秋までずっと悩みそうです。
〔ひがしのさやか:最新訳書はM・W・クレイヴン『ブラックサマーの殺人』(ハヤカワ文庫)。ハート『帰らざる故郷』、チャイルズ『スパイシーな夜食には早すぎる』、クレイヴン『ストーンサークルの殺人』、アダムス『パーキングエリア』など。ツイッターアカウント@andrea2121〕
加賀山卓朗
いまやMISIAも米津玄師も優里もbump of chickenも、みなここぞというときにはL発音。JASRAC様に叱られるといけないので、具体的な歌詞で説明することはできませんが。しかしたとえば、ゆずやヒゲダンや48系の人たちは、やらない。何か隠れた法則性があるのでしょうか。LはRのようなはじき音ではないので、音符を長く伸ばすときに便利なのか? 短い音符でもLの人はLですけどね。
しばらく、L発音は桑田佳祐やアン・ルイスが80年代に始めて今井美樹で定着したという仮説を立てていたのですが、まちがいでした。1973年の安西マリア『涙の太陽』、これの太陽がまぶしく照りつけるさまを歌った出だしがLです。1番の終わりに同じメロディで太陽が陽炎のように揺れるさまを歌うところも(こっちのほうがわかりやすい?)。これよりまえの事例があったらぜひご一報くださいw
〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』〕
上條ひろみ
四月に読んだ本で印象的だったのは、エドガー賞最優秀新人賞受賞作のケイトリン・マレン『塩の湿地に消えゆく前に』(国弘喜美代訳/ハヤカワ・ミステリ)。さきごろ今年のエドガー賞受賞作が発表になりましたが、こちらは去年(2021年度)の受賞作です。さびれた観光地となってしまったニュージャージー州アトランティックシティを緻密に描写しながら、そこに生きる女性たちの葛藤を映し出す叙情的な作品で、とても読み応えがありました。セックスワーカーばかりがねらわれることと多視点の物語ということで、ちょっとアイヴィ・ポコーダの『女たちが死んだ街で』を思わせるところもあり、背景を彩るアトランティックシティという町の歴史やもの悲しさがいい味を出しています。人の思念を読み取ることができる占い師の少女クララと、恋人に裏切られて故郷であるアトランティックシティに戻ってきたリリー。立場も年齢もちがうふたりが、意外にも姉妹のようにお互いを思いやるようになる過程がまたいいんですよ。とくにふたりで危険な冒険をしたあと、真っ黒な夜の海で泳ぐシーンは秀逸。これもシスターフッドものということになるのでしょうか。
「女は毎日屈辱を受けてるの。些細なつまらない形でも、重大かつ破滅的な形でも」つらいシーンも多いけど、男に使われる性である屈辱を忘れず、自分たちなりにその理不尽さに立ち向かおうとする女性たちの強さがすがすがしく、読んでいて力をもらえます。
翻訳ミステリー大賞の本投票はそろそろ締め切り。資格のあるみなさま、ぜひ祭りに参加しましょう。
〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』、エリー・グリフィス『見知らぬ人』など。最新訳書はフルーク『チョコレートクリーム・パイが知っている』〕
武藤陽生
〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕
鈴木 恵