書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

千街晶之

『姉妹殺し』ベルナール・ミニエ/坂田雪子訳

ハーパーBOOKS

 ベルナール・ミニエのマルタン・セルヴァズ警部(警部補)シリーズも本作で邦訳五作目になるが、ここに来て、まさか警察官になったばかりの初々しいセルヴァズにお目にかかれるとは思わなかった。しかも、当時の彼が解決できなかった事件に、二十五年後に決着をつける……という趣向で。名探偵が一度は解決し損ねた事件に長い歳月を隔てて再び挑むミステリといえば、エラリイ・クイーンの『最後の一撃』や横溝正史の『病院坂の首縊りの家』あたりが思い浮かぶけれども、ミニエがこのシリーズでそれをやってくれるとは予想外だった。扱われる事件も、同じ白いドレスを着た姉妹が向かい合わせに木に縛りつけられた他殺死体となって発見され、一人は十字架つきのペンダントをしたままだったがもう一人はそれを持ち去られた痕跡があった……という異様極まりないシチュエーション。他にもこの二人の遺体にはいろいろと相違があるのだが、それらの謎が矛盾なく鮮やかに解き明かされる解決篇にはあっと言わされた。この事件が解決されるまでに二十五年もかかった理由も納得度が高く、著者の本格ミステリ作家としての実力がフルに発揮された一冊となっている。

 

北上次郎

『捜索者』タナ・フレンチ/北野寿美枝訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 素晴らしい。『ザリガニの鳴くところ』を読んでいる時と同様の感銘を受けた。ミステリーとしての興趣は薄いものの、小説としては万全、というところも「ザリガニ」に似ている。悠然とした筆致がいいし、キャラクターの造形がほぼ完璧で、兄さんを探してくれ、と地元の子供がやってきてはじめて、そうだったかこれはミステリーだったかと気がついたくらい。このまま何も起きなくてもいいぞと思っていた。つまり小説を読むことの喜びを、ひたすら静かに味わっていた。集英社文庫から以前出た3冊を急いで読むつもりである。

 

川出正樹

『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳

文春文庫

 新米刑事セルヴァズの心にわだかまりを残した見立て殺人が二十五年後に思いも掛けない形で再来する、ベルナール・ミニエによるグラン・ギニョル味濃厚な謎解きミステリ『姉妹殺し』か。アイルランドの鄙びた村に移住してきた元シカゴ市警の刑事が、失踪した青年の行方を探る中で内省し再生する様を描いた、タナ・フレンチによる美しく荒々しく静謐なサスペンス『捜索者』か。

 まるでテイストの異なる二作品で決めかねていたところに、日本では二分冊刊行となったジェフリー・ディーヴァーの第三短編集の第二巻『死亡告知 トラブル・イン・マインドⅡ』が到着。リンカーン・ライムの死亡告知で幕を開ける表題作を始め、数学オタクの若手と無頼なベテランの刑事がコンビを組み連続自殺事件に挑む二〇〇頁超の中篇「永遠」、見事な転調に唖然呆然の「カウンセラー」など多種多様な騙し絵に舌を巻く。

 前半六作を収めた『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』も、粒ぞろいだ。シリーズ・キャラクターの特技を逆手に取った上で短篇ならではの瞬発力を活かしたタイムリミットものの表題作(キャサリン・ダンス)と「教科書通りの犯罪」(リンカーン・ライム)を始め、ジョン・ペラム久々登場の〈流れ者トラブル顛末記in西部〉の「パラダイス」、緊迫したポーカー・シーンに固唾を呑む「バンプ」、〈銀の仮面〉ものの「ゲーム」、オリンピックに掛ける「三十秒」と、いずれも用心していても騙される。ドンデン返しの魔術師の本領が発揮された全十二編に、今月の一押しはジェフリー・ディーヴァー第三短編集に決定。『死亡告知』は5月刊行なので、厳密にはフライングですが、原書は一冊の本なのでご寛恕の程を。

 

霜月蒼

『捜索者』タナ・フレンチ/北野寿美枝訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 まず驚きはタナ・フレンチがアメリカ人だと知ったことである。完全にUKの人だと思いこんでいました。これまではアイルランドを舞台に、いかにも現代英国調の心理サスペンス+謎解きのような、強いて言えばミネット・ウォルターズ系の作品を書いていたのが、本作では元シカゴ市警刑事のアメリカ人男性を主人公に起用、彼が引退して移住したアイルランドの寒村で事件に出会う話を書いた。するとこれまでよりもずっと重心の低い実在感が宿った。タナ・フレンチはこんな小説も書けたのか!というのが第二の驚きだ。

 フレンチ自身は心理描写を抑えたというが、人工的で低体温な過去の作品より地に足の着いた心模様がある。それはアイルランドの田舎の村の、何げなく美しい風景描写や主人公の生活の描写を通じて描き出されていて、書かないことで伝わることがあるということの好例。いささかペースがスローだしミステリとして弱いのは認めるが、今年読んだ文芸系ミステリではいちばん好き。傷ついた大人と子供が自分と世界の関係を協働して修復してゆこうとするさまは静かに感動的で、自然描写と繊細な心理描写を重ね織りした作品という点で、なんなら『ザリガニの鳴くところ』よりも好きかもしれない。

 4月はひそかな当たり月で、みんな大好きモーリス・ルヴェルの『地獄の門』、最強の女性ヒーローの最新作『噤みの家』、ルメートル・ファンは必読ベルナール・ミニエ『姉妹の死』など、イヤな感じのミステリの収穫多数でした。

 

酒井貞道

『姉妹殺し』ベルナール・ミニエ/坂田雪子訳

ハーパーBOOKS

 セルヴァズ・シリーズ最新作である本書は、主人公セルヴァズが捜査を初めて担当した、1993年の殺人事件に遡及する。シリーズ前作『夜』では、シリーズ通した因縁に一応の決着(カタストロフともいう)が付けられており、『姉妹殺し』は、シリーズの仕切り直しとして、主人公最初の事件を取り上げたということなのだろう。しかしそこはミニエ、昔の事件を語って終わりにするわけがなく、物語は後半で2018年に舞台を移し、二十五年の時を経て巡る因果を描き出す。正直なところ、事件内容はシリーズ中で最も地味である。しかしながら、日英米のミステリではなかなかこうは書かないだろうという表現や場面が頻出し、かといってフレッド・ヴァルガスのような一種とぼけた味わいが出るわけでもなく、ピエール・ルメートル、ギヨーム・ミュッソ、ミシェル・ビュッシなどとも読み口は全く異なる。この個性は、物語が展開面で「普通の」ミステリに近づいたからこそ一層際立ったようにも思われる。それに、地味といってもそれはあくまで「ミニエ比」であり、終盤の展開はなかなか強引もとい強烈である。やっぱり好きだなこの作家は。

 

吉野仁

『捜索者』タナ・フレンチ/北野寿美枝訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 タナ・フレンチ『捜索者』の主人公カルが捜索するのは、知り合った子どもの兄の行方だ。もともとカルはシカゴで警官だったが、離婚後、仕事をやめ、アイルランドの田舎の村で暮らしはじめた。そこで知り合った子どもの頼みを聞き入れることになったのである。舞台がアイルランド西部という辺鄙な土地である以外、それほど珍しいストーリーではない。だが、自然に囲まれた土地で暮らす主人公の生活ぶりにはじまり、子どもとの交流、そして失踪者を追うその過程などを読み進めていくうち、ぐいぐいと物語に引き込まれてしまった。その丹念な描写から、土地で暮らす主人公の感覚や心理が迫ってくるのだ。事件をめぐる真相やその後の描き方も現実味があり、とても読みごたえを感じた一冊だった。そのほか、解説を担当したライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』は、ゴダールに関心がなくともファムファタルに逃亡もの強奪ものがあわさった犯罪小説に興味があれば必読だ。アフリカを舞台にしたクワイ・クァーティ『ガーナに消えた男』は、昨年末に見た映画「悪なき殺人」とそっくり同じ詐欺ネタを扱っていて驚いたが、こちらの群像劇も痛快だった。〈刑事セルヴァズ〉シリーズ5作目のベルナール・ミニエ『姉妹殺し』は、人気小説家の作品になぞらえて殺された姉妹をめぐるミステリで、例によって視覚的なイメージや派手に驚かせる趣向に加えて、さらにもう一押しあるあたりがミニエならでは。莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』は、十九世紀末の香港の模様を読むのがとても面白かった。

 

杉江松恋

『地獄の門』モーリス・ルヴェル/中川潤一訳

白水uブックス

 純粋なミステリーだったらベルナール・ミニエ『姉妹殺し』、あるいはタナ・フレンチ『捜索者』を推すのだが、モーリス・ルヴェルが新訳で読める短篇集が出てしまったとあっては仕方ない。しかも原書の『地獄の門』から秀作を選んだ上に、単行本未収録作も加えた日本独自編集なのだからなおさら仕方ない。タナ・フレンチとは最後まで迷ったのである。なにしろ集英社文庫から出た過去作はいかにも地味な心理劇で、私以外の書評を自分では見たことがないくらいあまり話題にならなかったのだから、しばらくぶりの新作を褒めないわけにはいかない。だが、まあ、ルヴェルが出ちゃったんだからルヴェルだ。すまぬ、フレンチ。

 というわけで『地獄の門』を熱烈に推す。これは単純に言うと失意と絶望の短篇集で、寸劇(コント)に分類されるべき作品だ。構成はどれも似ていて、心に屈託のある主人公が登場する。彼もしくは彼女は人生のある部分、あるいはどこかの時点で失望を抱えていて、それが足枷のようになっている。何かが起きて主人公の人生は新たな展開を迎えるのだが、不意に判明した事実により、絶望するしかない結末が到来する。こんな話を繰り返し繰り返しルヴェルは書いていたのである。おっそろしく悲観的な人間だったのだと思う。だが、それにしてもこのバリエーションの豊富さは異常だ。別の場所でも書いたが、どんな話でも必ず悲劇にしてみせるという自信を感じさせる。悲劇プロットの宝庫、短篇小説を書くならば必ず学ぶべき教科書。それがルヴェルなのだ。全国民がルヴェルを読むべきだ。そして絶望しろ。絶望の中から無理矢理にでも希望の種を見つけろ。それが人生ってもんだろう。

 これ以外では莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』がホームズ・パスティーシュとしては無類におもしろかった。ホームズとワトスンを清国人にして香港の風俗描写の中で武侠小説の主人公的に活躍させる、という基本設定だけでも楽しい。今書いていてわくわくしてしまうぐらい楽しかったのだが、それだけではなくてこれもプロットがいい。聖典のプロットをそのまま使わず、必ず変形させて別の着地点を準備しているのである。既存のレシピに栗原はるみがさっと一工夫する感じというか。これも短篇小説の勉強になる。シリーズ化されるようなので続篇にも大いに期待したい。

 

 おひさしぶりの作家やらフランスのシリーズものやら、長篇人気の月でしたが短篇集にも見逃せないものがあったようです。次回もこの好調が続くのでしょうか。来月の本欄もお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧