田口俊樹

 かかりつけの整形外科医院の待合室での一幕。小学時代の同級生らしいお爺さん三人がよもやま話をしています。リハビリだけの患者もいて、待合室で長居する人もいるのです。でも、お爺さん三人のおしゃべりは珍しく、私、そば耳を立てて聞いちゃいました。三人とも生まれも育ちも地元(調布市)らしく、ちょこっと訛っていて、また、いつまで経っても、~ちゃんづけで呼び合ったりしていて、それだけでなんとなく微笑ましい。全部聞き取ることはできなかったんだけれど、どうしても病気の話になったんでしょう。ひとりが言いました、「だからぁ、~ちゃん、コショウ少々じゃねえっつうの、骨粗しょう症だっつうの」
 すると、~ちゃん、「なことたぁ、おれ、言ってねえって。おれはコショウ少々つったんだよ。だべ?」と最後のひとりに同意を求めます。その人は平和主義者らしく、ただにやにやしています。それを聞いて、最初のお爺さん、「だべ? 今言ったっぺ? コショウ少々つったっぺ?」「なことたぁ、言ってねえっつうの。おれはコショウ少々つってんの」「田口さ~ん」とそこで私の番になって呼ばれちゃって、その後の展開はわからないんですが、三人集まればいつもこんな調子でやってるんですかね。なんかわけもなく羨ましくなった爺さん三人組でした。

〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕

 


白石朗

 2008年に小学館文庫から邦訳刊行されたジョー・ヒルの第一短篇集『20世紀の幽霊たち』が、このほどハーパーBOOKSから『ブラック・フォン』の題名で7月に再刊されることになりました。収録作「黒電話」(玉木亨訳)が『ブラック・フォン』としてイーサン・ホーク主演で映画化され、本国で同短篇集のムービータイイン版が刊行、それを受けての再刊です。ちなみにこの映画は7月1日公開予定。
 翻訳陣は旧版と変わらず安野玲、大森望、玉木亨の各氏、および不肖白石。大森さんには今回、解説もお願いしてあるとのこと。
 また小学館文庫版には、本国では豪華限定版にのみ収録されていた短篇や自作解説などが収録されていましたが、作者ヒルくんの許可を得てハーパーBOOKS版にも洩れなく収録決定。充実のラインナップでお送りします。
 ということで、これまでお読みでなかった方はぜひともこの機会に、またすでにお読みの方はより一層の書架の充実に、なにとぞお買い求めくださいませ。
●映画『ブラック・フォン』予告編〈2022年7月1日(金)公開〉●

 

〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS

 


東野さやか

 S・J・ローザンの〈リディア・チン&ビル・スミス〉シリーズの長編第十二作、『南の子供たち』(直良和美訳/創元推理文庫)が出ましたね! 前作から八年。いやあ、待った甲斐がありました。冒頭のリディアとお母さんのやりとりにニヤリとさせられ、つづく、リディアとビルの会話は懐かしさいっぱい。
 ところで、この本でリディアは二十八歳ということですが、まだ二十八歳? じゃあ、シリーズ第一作の『チャイナタウン』(直良和美訳/創元推理文庫)ではいくつだったんだろう(と、ここで本を出してきてページをめくる)……二十八歳! 四半世紀もたっているのに、シリーズのなかでは一年も経過していないとは! なのに、二十五年前にはなかったフェイスブックやインスタグラムが登場するけど、そのへんはご愛敬。というか、このシリーズはサザエさんなんですよね、きっと。

〔ひがしのさやか:最新訳書はM・W・クレイヴン『ブラックサマーの殺人』(ハヤカワ文庫)。ハート『帰らざる故郷』、チャイルズ『スパイシーな夜食には早すぎる』、クレイヴン『ストーンサークルの殺人』、アダムス『パーキングエリア』など。ツイッターアカウント@andrea2121

 


加賀山卓朗

 去年読んだレヴィンソン&リンク『皮肉な終幕』がおもしろかったので、『刑事コロンボ』のシリーズを見はじめたら止まらなくなってしまった。そうと知って見るからかもしれませんが、やはりふたりがプロダクションや脚本でかかわった第1シーズンがとりわけ濃厚で味わい深いように思われる。まあ、この歳になると、凝ったトリックよりも、「別れのワイン」や「忘れられたスター」や「祝砲の挽歌」みたいな人情噺(?)がじんわり来るんですけどね。
 私たちはふだん仕事をするとき、和風なことば(いわゆる「和臭」)を避ける傾向がある。ですが、ご存じ額田やえ子さんの吹替は、「ホトケの奥さんには知らせました」とか「うちのカミさんが里へ遊びに行って」とか、たいへん思いきりがよくて爽やか。エンドロールの曲なんかも、そのエピソードの内容に合わせて変えてあり(「仮面の男」は蝶々夫人とか)、一つひとつ丁寧に作られているんだなあと。
 それから、同時に読んでいる『増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』が仰天するほどマニアックですばらしい。各話の解説が充実しているのはもちろん、コロンボの造形でレヴィンソンとリンクが『罪と罰』のポルフィーリーを参考にした話や、コロンボの愛犬が6代目までという追跡記事や、「本日の親戚」w……あとは推して知るべし。おかげで1話につき2度3度楽しめます。

〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』〕

 


上條ひろみ

 五月はなぜか日本人作家の作品ばかり読んでいました。理不尽な社会で生きていく若者たちに深く切り込んだ西加奈子の『夜が明ける』、映画化されるというのでにわかに興味を持った井上荒野の『あちらにいる鬼』、テレビ業界で働く人びとをやさしく見つめる一穂ミチの『砂嵐に星屑』、無戸籍の人びとの生き方に光を当てた辻堂ゆめの『トリカゴ』、そしてソヴィエト・ロシアの少女兵士の運命が現在の世界情勢と重なる逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』。どれもおもしろかったです。とくに『同志少女よ、敵を撃て』は、戦争を大義名分にして許されないことが横行していると訴え、それをまざまざと見せつけるエピソードが印象的。戦争は人間を悪魔にする、だからこそ戦争は絶対にしてはいけないのだとあらためて訴える、力のある作品でした。さすがアガサ・クリスティー賞大賞受賞作。

 現在はアンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』とR・V・ラームの『英国屋敷の二通の遺書』を読んでいる最中です。舞台は宇宙とインド。ほかにも読みたい本が渋滞中。

〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』、エリー・グリフィス『見知らぬ人』など。最新訳書はフルーク『チョコレートクリーム・パイが知っている』〕

 


武藤陽生

 作家の阿津川辰海先生とおこなったショーン・ダフィ・シリーズ対談がハヤカワミステリマガジン7月号に掲載されています。阿津川先生には、作家ならではの視点でシリーズの魅力を語っていただきました。なお、最新作『ポリス・アット・ザ・ステーション』6/22ごろ発売となっております。対談中も「これがシリーズ最高傑作!」ということで意見が一致しました。『ガン・ストリート・ガール』からずっと「シリーズ最高傑作」と帯に書いてあるので、なかなか信じてもらえないかもしれませんが、ほんとうなんです!

〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕

 


鈴木 恵

 訳しにくい英単語のひとつに squint という語があります。まぶしいものや細かいものを見るときなどに目を細めることなんですが、目つきが険しくなるときなどにも使われます。厄介なのは、日本語で「目を細める」というと、なんだか逆の意味になっちゃうこと。
 で、わたし、ときどき「目をしかめる」と訳すのですが、そうするとほぼかならず、編集部や校閲さんから「目を細める」にしてはどうかと指摘がはいります。「しかめる」という動詞はほぼ「顔」にしか使われないので、まあ、そう言われるのもわかります。
 いまゲラに朱を入れている作品には、この squint が12回出てきます(いま数えた)。 で、一か所だけ「目をしかめる」を使ったところ、案の定、編集部から同様の指摘がはいりました。そこで今回は、青空文庫を全文検索してくれる Aozora Search というサイトで、「しかめる」の用例をしつこく調べてみました。するといちばん多かったのはやはり「顔」で、次が「眉」なんですが、「目をしかめる」も、ちらほらありました。中島敦、北原白秋、国枝史郎などが使ってるんですね。意を強くしてそのままにしちゃいました。
 ちなみに「鼻をしかめる」という用例もヒットしたんですが、誰が使ってると思います? 宮澤賢治の「なめとこ山の熊」に見えるのです。そこでわたし、これも使っちゃいました。wrinkle one’s nose (鼻に皺を寄せる)という言い回しが3回出てくるんですが、そのうち1回だけ。
 実を言うとその部分がけっこう気に入ってるんですが、皆さんにも気に入ってもらえるかな。それとも眉をしかめられるかな。
〔すずきめぐみ:この長屋の万年月番。映画好きの涙腺ゆるめ翻訳者。最新訳書はライリー・セイガー『すべてのドアを鎖せ』ツイッターアカウントは @FukigenM