書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

北上次郎

『過ちの雨が止む』アレン・エスケンス/務台夏子訳

創元推理文庫

 1カ月遅れの紹介になるが、今から内容を紹介するのもなんなので、ここでは邦題にひとこと。ジョー・タルバートを主人公にするシリーズの第ニ作で(前作は大学生編、今回は社会人編)、前作の邦題が『償いの雪が降る』。で、今回が『過ちの雨が止む』。共通のトーンがいい。エスケンスにはもう一作翻訳があり、そちらの邦題は『たとえ天が堕ちようとも』。ジョー・タルバート・シリーズとはトーンを変えているのもうまい。読者が混乱しない様に配慮しているのだ。

 しかし、こういうのはシリーズが続いていくと、だんだん難しくなっていく。「償いの雪」ときて、「過ちの雨」だから、次は「○○の雨」あたりが有力だろうが、では四作目はどうするのか。候補がだんだん少なくなるのだ。お手並拝見といきたい。内容は? もちろん今回も超面白い!

 

川出正樹

『三日間の隔絶』アンデシュ・ルースルンド/井上舞・下倉亮一訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 四十年以上も殺人事件と対峙し続け、真相追求に執念を燃やすあまり、しばしば独断専行してきたストックホルム市警のエーヴェルト警部と、長年にわたって犯罪組織の最奥部へと忍び込み壊滅的打撃を与えてきた潜入捜査員ホフマン。片や警察官としての生き方しか知らない定年間近の老刑事、片や正体がバレれば即死という過酷すぎる闇の世界を生き抜いてきた非合法員。そんなコインの裏表のような二人の人生は、スウェーデン社会を脅かす国際的な犯罪組織――ポーランド・マフィア、南米麻薬カルテル、アフリカからの密航業者――が引き起こした凶悪犯罪を前に、これまでに三度交わってきた。

 『三秒間の死角』での対決と『三分間の空隙』での共闘を経て、前作『三時間の導線』ではエーヴェルトがホフマンに助力を請うたが、今回『三日間の隔絶』に至って立場が逆転する。謎の脅迫者によって家族の命と引き換えに身勝手な犯罪行為を強制されたホフマンからの救援要請を受けて、エーヴェルトが潜入捜査を開始するのだ。ターゲットはなんとストックホルム市警内部。なぜなら脅迫者はホフマンの正体と極秘任務を把握しており、それを知るには市警の金庫内に保管されている書類を見る以外に方法がないからだ。一方、十七年前の一家惨殺事件と同じ手口の殺人の謎を追っているエーヴェルトは、ホフマンに犯罪組織を探るよう依頼する。

 互いが互いの潜入捜査官とハンドラーとなり、“三日間”という極めて短い時間内に、脅迫者と汚れた警官の正体を暴くべく孤立無援状態で奔走する。“三秒間”“三分間”“三時間”同様、なぜ“三日間”なのか、というところがミソ。こういうタイムリミットを説得力を持って設定し、緻密にプロットを組み上げ、カウントダウン形式で加速度的にサスペンスを盛り上げて、時間切れギリギリまでどう転ぶか分からない読んでいて文字通り息詰まる物語を書かせたら、アンデシュ・ルースルンドは抜群に巧い。

 加えて真犯人のなんと意外なことか。『死刑囚』しかり、『三秒間の死角』しかり。これまでも不可能状況の構築と真相の意外性に凝り、謎解きの興趣に重きを置いてきたアンデシュ・ルースルンドだけれど、今回の出来映えは一、二を争う。解説で霜月蒼氏も書いているように、作者のベスト3の一角を占める新たなる代表作だ。Must-buy!

 

千街晶之

『ポピーのためにできること』ジャニス・ハレット/山田蘭訳

集英社文庫

 ある弁護士が、二人の司法実務修習生に課題を出した。それは、イギリスの田舎町で起きた騒動の真相について考えるようにというものだった……。二人に提供されたのは、関係者のメールやテキスト・メッセージ、あるいはSNSへの投稿などの膨大な資料。そこから何が読み取れるのか、そもそも何が起こったのか、二人は雲をつかむ思いで知恵を寄せ合い、推理を積み重ねる。読者もまた、それらの資料を読むことで作者と頭脳対決を繰り広げ、真相を推理できるようになっているのだ。書簡やメールだけで構成されたミステリというのは過去にもあった筈だが、フェアプレイの材料としてここまで徹底した例はないだろうし、途中まで事件らしい事件も起こらないのに登場人物同士の裏表があるやりとりだけでこれだけ読ませる手腕も新人のデビュー作とは思えない。冒頭の登場人物欄に四十人以上の名前があることに怯まずに最後まで読み通せば、今年度ベスト級の謎解きを読んだという満足感に浸れるだろう。

 

霜月蒼

『印 サイン』アーナルデュル・インドリダソン/柳沢由実子訳

東京創元社

 インドリダソンのミステリはいつも静謐である。欧州型の警察ミステリは地味で渋いものではあるが、その中でもインドリダソンのまとう空気は静かで、仄暗く、詩的ですらある。例えば傑作『声』で、死んだ男の部屋の薄暗い光と空気が今も私のなかに残りつづけているのは、それが見事に男の心象を映し出しているからで、こういうところにインドリダソンの無音の詩学を感じるのである。本作では、そんなインドリダソン的な静謐の底がこの世とあの世のあわいにある生/死のあいまいな領域に突きぬけてしまったような、奇妙な肌合いの作品となっている。むろんしっかりとミステリであることは保証するが、作品全体を覆う不思議な空気感は忘れがたい。描写が密すぎず、刈り込みと省略が巧みであるのもインドリダソンの美点で、ゆったりとした動きなのに読み心地に停滞感がないのはそれゆえだろう。

 なお北欧ミステリのくくりではアンデシュ・ルースルンドの『三日間の隔絶』も素晴らしい。どう素晴らしいかは解説に書いたのでお読みいただきたいが、これはルースルンド作品中で間違いなくベスト3に入る傑作である。必読。同じく解説を書かせていただいたイギリスの新人ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』は、「こんな『禁断のクローン人間』みたいな小説のどこが現代のクリスティーなのか」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。でもクリスティー・ミステリの芯の芯を現代的に解体・再構築したみたいな快作なので、クリスティーのガチ勢にも読んでいただきたいです。

 

酒井貞道

『南の子供たち』S・J・ローザン/直良和美訳

創元推理文庫

 今月は豊作過ぎてどうしようもない。最近は元気がないと思っていた古典部門すら、レオ・ブルースの素晴らしい短篇集が出てしまった。益々どうしようもない。こういうときは趣味と感情に走ります。頭を冷やすのは、各種の年度ベストに投票する時まで先送りにする。頼んだぞ未来の俺。

 というわけで、遂に、とうとう、ようやく、やっと、S・J・ローザンの《リディア・チン&ビル・スミス》が戻ってきました。前作から8年ですよ8年。翻訳刊行のみならず、本国アメリカでの原書刊行も8年空いています。どれだけ待たされたことか! だがしかしその甲斐はあって、リディアとビルは従前どおりのキャラクターを見せて、八面六臂の大活躍。事件関係者の事情をしっかり受け止めて、適度に狼狽え、適度に突き放し、事件とそれが表徴する社会上のテーマや課題と彼らなりに向き合う。二人のスタンスが微妙に異なるのもいつもどおり。今回の主題はアメリカの中国系コミュニティのそれであり、人種差別がメインに据えられる。それと事件を通した人間模様が丁寧に綴られ、読者の胸にしみじみと染みわたってくる。この点、年を経てローザンの筆は更に冴え、読者に小説を読む楽しみ(描かれるものが差別であっても、なお私は「楽しみ」と言いたい)がたっぷりと味わえる。なお今回の主役はリディアであり、テーマも相俟って、語り手が事件によりヴィヴィッドに反応している。過去のリディア主役作品で、毎回これが成功していたわけではないのですが、今回はばっちりはまっています。また、リディアとビルの関係性も、蝸牛の如き歩みではあるが静かにひたひたと変容してきており、シリーズ作品を読む醍醐味まで確保されている。これ以上に何を望もうか。自分が大好きなシリーズが再開して浮かれているだけ、ではないのは作品の質が担保してくれている。それが何より嬉しい。

 

吉野仁

『壊れた世界で彼は』フィン・ベル/安達眞弓訳

創元推理文庫

『壊れた世界で彼は』は、ニュージーランドを舞台にした犯罪ミステリだ。刑事ニックは、一家を人質にした立てこもり事件が起こったと知らされ、現場へ急行した。銃撃がはじまったかと思えば大爆発が起こる。そののちギャング五人の死体が発見され、妻と娘は助け出されたが、夫の姿はなかった。そんな導入部ではじまる本作は、後半決死のサバイバル活劇へと転じていく。デビュー作『死んだレモン』同様、あちこち、どこかぎこちない感じもするのだが、怒濤の展開のみならず、大きなひねりもあり、ぐぐっと物語にひきこまれてしまった。そのほか、ジェニス・ハレット『ポピーのためにできること』は、事件のあらゆる資料を提示し、「読者への挑戦状」をつきつける謎解きミステリ。それゆえ、一般の小説で見られる、地の文の描写と登場人物が交わす会話によるものではなく、そのほとんどがメールの文章で埋められているのだ。ちと読むのがしんどかった。賛否両論の問題作といえるだろう。ドン・ウィンズロウ『業火の市』は、古代ギリシア叙事詩を下敷きにしたマフィア抗争もの三部作の第一巻で、これはもう読みごたえ充分。アンデシュ・ルースルンド『三日間の隔絶』は、〈グレーンス警部〉シリーズ最新作で、17年前に起きた事件と同じ手口による殺人が発生し、その一方、潜入捜査官を引退したホフマンのもとに謎の脅迫状が届くという二つの出来事をめぐり展開していく。ケレン味の強いスタイルにタイムリミットサスペンス、さらに意外な真相と三つが見事に盛りこまれており、文句のつけようもない。

 

杉江松恋

『南の子供たち』S・J・ローザン/直良和美訳

創元推理文庫

 一ヶ月遅れになってしまうがライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』を推すべきではないか、とぎりぎりまで迷っていたのだが、やはりローザンにする。八年ぶりの新作なのだもの、仕方ないじゃないか。『気狂いピエロ』は理想的な犯罪小説で、人間が犯罪という間違った行為へと突き進んでしまう過程を小気味いいほどのテンポで描いて見事であった。これは必読。早川書房は速やかに『逃走と死と』を文庫化すべし。

 で、『南の子供たち』である。このシリーズの発明はコンビを組んでいるリディア・チンとビル・スミスが交互に視点人物となるという点で、これは発明であったと思う。他にもロバート・クレイスなど複数視点人物システムを取り入れているシリーズはあるが、ローザンほどに意味を持っているものは少ない。人種が異なり、性別が異なる二人を対等な関係として描いていくとしたら、なるほど作中でも同じ役割を担わせるのがいちばんだ。ローザン以前にもこうしたシリーズはあったはずなのだが、成功し、長く続いたものはあまり知らない。1980年代以降の私立探偵小説はパートナーとのチーム制が当たり前のようになった。ところがその中に雇用者と被雇用者、性差のようなものがちらついてしまい、場合によっては主人公のマチズモを引き立てるような形でパートナーが描かれる場合すらあった。ヒーロー小説の宿痾ではあるのだが、こうすればいいんじゃない、とその弊害をやすやすと乗り越えてみせたのがローザンだったのである。新作を読んでみて改めて肩の力の抜け方に関心させられた。

リディア・チン視点の長篇は彼女が中国系ということもあって、一族の背景に言及されることが多いのだが、今回は未知の親戚がミシシッピ州にいたことが判明し、アメリカ南部の人種差別が主題となってくる。中国系移民史という視点を加えたことで語られ方が立体的になっており視界がどんどん開けていくのが心地よい。軽やかで、しかも深いのだ。これは素晴らしい社会小説。

 今回もバラエティに富んだラインアップになりました。シリーズものも多かったですが、言及のみにとどまった中には単発作品も多く、大豊作の月だったと言えるのではないでしょうか。来月も楽しみです。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧