5月は全体的に忙しく、新型コロナ対策に伴う北京の規制強化で、本を買いに行けない・通販で頼んでも届かないという状況だったので、お休みをいただいておりました。
 北京は6月初めに規制が緩和され、レストランでの店内飲食が解禁になったことで市内の中心部の散歩も気楽にできるようになりましたが、その矢先にクラブなどでクラスターが発生。またしても気軽に外を出歩けない日々に逆戻り。また、PCR検査を定期的に受けていないと生活のさまざまな面で支障をきたすので、毎日のように検査を受けに行き、ときには数十分も列に並ばなければいけません。

 北京で生活していると、新型コロナに罹患することよりも、陽性者や濃厚接触者と判断されて隔離させられる二次被害のリスクに怯えながら暮らす今の世の中こそがポスト・コロナなのではないかと実感します。

 今回は、北京の物流が回復したときに中国の出版社からもらった長編ミステリー小説を紹介します。しかし本書は今まで取り上げた本と趣向が少し変わっていて、翻訳小説です。じゃあ中国語に翻訳された単なる海外ミステリーじゃないかと思われるかもしれませんが、イタリア人作家が中国の雲南省滞在中に書き上げた、中国の清朝初期を背景にしたミステリー小説なので、これも一種の「中国ミステリー」なのではないでしょうか。もちろん、本書の原文は英語であり、あくまでも翻訳小説なので、中国語で書かれたミステリー小説を総称する「華文ミステリー」には当てはまりませんが。

『玉龍雪山』著/Elsa Hart 訳/王暁冬(2022年)
(原題:JADE DRAGON MOUNTAIN・2015年出版)

 清朝康煕(1661〜1722年)年間。紫禁城で図書の編纂係をしていたが、逆臣と関わっていたために都から放逐され、各地を流浪していた李杜は、いとこの図利申(漢族だが、満州族の名前に改名している)が知府(知事みたいなもの)をする大研(現在の雲南省麗江)に流れ着く。大研では6日後、康煕帝による大規模な皆既日食の祭典が予定されており、放逐された身である李杜は皇帝に会うわけにはいかず、一時的に図利申の屋敷に身を寄せる。そこには、何十年も前から中国にいて豊富な知識を持つイエズス会の宣教師ピエタ、東インド会社の代表として皇帝へ献上品を持って来たグレイ、宗教活動よりも植物の研究に目がない宣教師のマーティン、おしゃべり大好きな吟遊詩人のハムザなど、多くの外国人が生活していた。
 李杜が屋敷に来た当日夜、宣教師のピエタが毒入りのお茶を飲んで死ぬ。毒がピエタの部屋にあった皮手袋の中に保管している茶葉に仕掛けられていたことで、図利申は、その皮手袋はピエタが持ち込んだ物で、毒はずっと前に盛られていたはずだから、偶然起きた事故だと主張し、騒ぎを隠そうとする。だが李杜の調査によって、皮手袋は数日前に市場から盗まれた物で、毒は図利申の屋敷で使用されている殺虫剤だということが明らかになり、内部犯の可能性が濃くなる。さらに巷間では宣教師殺人事件がすでに噂になり、このままでは皇帝の耳に入るのは間違いなく、宣教師を殺した犯人は分かりませんでしたでは済まなくなる。そこで図利申は李杜に、日食の祭典が始まる前に事件を解決するよう命じる。李杜はハムザと共に捜査する中で、関係者たちが今まで隠してきた思惑や秘密を知ることになる。

 

■日食を政治パフォーマンスに
 本書のキーワードはズバリ「日食」。朝廷の南方への支配力が不十分だったこの時代、康煕帝は日食が起きる日にちに合わせて南巡を開始し、皇帝が空から太陽を「消す」光景を見せることで、自身の超常的な力を南方の人々に知らしめようとしました。そしてその日食の正確な時間まで割り出したのは、朝廷の天文学者ではなく、イエズス会の宣教師たち。彼らの知識や技術は大清帝国に有益でしたが、一部の言動や思想は皇帝の権威に対してこの上なく厄介でもありました。何せ彼らは日食が単なる自然現象だと理解していて、清朝の知識人みたいに朝廷に絶対服従しているわけでもないので、いくら中国語が上手な宣教師でも日常会話のふとした瞬間に王朝の神聖性に疑問を投げかけることができるのですから。

 本書には、大清帝国のマナーやタブーを軽視する外国人に鼻白み、ときには憤慨する中国人の反応が描かれるとともに、危険と隣り合わせの異国の地で布教や商売に勤しむ外国人側の事情にも筆を割いています。日食の祭典は皇帝に謁見できる絶好の機会でもあり、東インド会社のグレイは外国からわざわざ運んできた精巧な地球儀を皇帝にプレゼントすることで、便宜を図ってもらうつもりです。そして知府の図利申にとっても、この祭典を無事に終わらせることでさらなる昇進が期待できました。
 そんな誰もが待ち望むイベントを目の前にして起きた宣教師の毒殺は何を意味するのか。犯人の動機が見えないまま、本書は「日食まであと○日」とカウントダウンしていきます。

 

■手段も動機も不透明な犯行
 科学捜査もできず、目撃者もいない状況では、関係者への聞き込みが重要になってくるものです。しかし動機が一切見えない殺人事件だからこそ、各人の言動がどれも疑わしく思えてきます。
 図利申の忠実な部下で、以前は紫禁城に勤めていたという外国人嫌いの賈環。図利申の妻ですが、子どもがおらず、夫が都へ栄転すれば辺境の雲南に残されることがほぼ決まっている陳氏。宣教師なのに聖書を雑に扱うマーティン。事件当日、献上品の地球儀を勝手に見ていたピエタと口論していたグレイなど……調べてみると誰も彼も怪しく見えます。しかし、賈環が外国人嫌いだからといって、ピエタだけを殺す理由がありません。陳氏とて、夫が仕事をしくじれば、栄転がなくなるどころか処罰されることもあるので、夫に置いてかれたくないから宣教師を殺すのはあまりにも無理筋です。李杜は慎重な態度で関係者一人一人への結論を保留していき、結局、確固たる証拠は見つからないまま、誰が何のためにピエタを殺したのか、ピエタはどうして殺されなければならなかったのか、という謎は推理パートまでお預けとなります。

 ただここで重要なのは、皇帝がまもなく訪れる土地で行われた宣教師殺しについて、どの容疑者にも組織的な背景が見られないという点です。組織的な陰謀でないなら、個人的な理由という説が浮かび上がります。そして、なぜこんな時期に殺人事件など起きてしまったのかという図利申の苦悩は、裏を返せば、犯人側の動機になるのです。つまり、みんな皇帝を重要視するあまり因果関係が逆転していて、殺人が起きた土地に皇帝が来てしまうのではなく、皇帝が来るより先にピエタを殺さなければならなかったというのが犯人の言い分なのです。

 李杜は有力な証拠も証言もなしに犯人と対峙することになるのですが、推理パートで明らかになる犯人の動機は驚くべきものでした。しかし読者にとって決して唐突ではなく、そのいたずらにも似た身勝手な挑戦とも言うべき動機には呆れるとともに、思わず犯人を英雄視してしまいそうになります。罪の大小というのは、やった内容よりやった相手で決まることもあるな、と感心させられました。

 

■李杜の探偵像
 インテリでありながら都から追い出されて家族とも離れ離れになり、世捨て人と化した中国人の李杜と、各地で海外の昔話を披露しながら自由に生きる外国人のハムザのコンビはなかなか意外性がありました。と言っても、李杜はラテン語もペラペラで中国語が不得意な外国人ともスムーズに会話ができるという設定なので、正直、捜査においてハムザの必要性はあまり感じとれなかったのですが、国内を孤独に放浪してきた李杜の心を、好きこのんで異国を放浪するハムザが癒していくような構成は良かったです。
 この李杜という男は、誰も彼もが人には言えない秘密を抱える本書の登場人物の中でとにかく愚直で裏表がなく、真実を知るためなら決して妥協しないという危険な人間でもあります。だから、いとこの図利申の立場など二の次で内部犯説を主張し続けることができ、その賭けには勝ったものの、捜査を続けることで今度はハムザを危険にさらしてしまいます。一途に真相を明かすことをやめなかった男が最後に手に入れられるものは何か? というのも本書のテーマの一つです。

 

■総合評価
 本書には史実も織り交ぜられていて、清朝の天文学者と宣教師がそれぞれ日食の日時とその時間を予想し、宣教師が勝ったというエピソードもその一つです。そういったエピソードのほかに、長年編纂係として働いていた李杜が偽文書を見抜くスキルを持っているという設定など、本筋とは無関係に見えるシーンの一つ一つがクライマックスにきちんと活かされているのも秀逸です。
 また、宣教師殺人事件が解決されてからもう一波乱あり、溜まっていた伏線を一気に片付ける爽快感をもたらしてくれます。
 ただ一つ残念なのが、翻訳の問題というより原文の癖が強いのが原因なのでしょうけれど、文章が少々読みづらいことです。これは他の中国人読者も指摘していて、文章のせいで評価を一つ下げているレビューも少なくありません。「なんかすごい回りくどい言い回しだな」と面食らい、慣れるまでちょっと大変なのですが、李杜とハムザがコンビを組んで本腰を入れて捜査を始めてからは新情報が続々現れるので、グイグイ引き込まれていきました。

 日本を舞台・テーマにした外国人作家による小説は日本でも多く読めますが、海外に目を向ければ、同じように他国をテーマにした作品を書く外国人作家がいるのだと気付かせてくれたのが本書です。
 中国には、早くはオランダ人のロバート・ファン・ヒューリックが書いたディー判事シリーズがありますが、近年のこういった作品は読んだことありませんでした。
 原作は李杜シリーズとして3巻まで続いています。イタリア人作家が英語で書いた中国清朝のミステリー小説、原著でも中国語訳版でも、読んでみませんか?

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
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現代華文推理系列 第一集●
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