「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 

 特定の作家や作品について関連する文章をあれこれ読んでいると「あっ、これだ!」と思うキーワードを見つけられるときがあります。
 対象について語る際、その言葉が自分の中で軸になる。はっきりした形をとっていなかった考えがまとまっていく。
 チャールズ・ウィルフォードについては〈希望の奴隷〉というのがそうしたキーワードでした。
 『炎に消えた名画』(1971)であるキャラクターの本質を評する際に出てきたフレーズです。
 こうあるべきだという理想のようなものが自身の中に確かにある。だけど、目標といえるほど明確なものではない。故にいつまでも具体的な行動に移れない。頭の中で思いだけがぐるぐると渦巻く。いつか形になってくれる日が来るのではないかという希望に縋り続けてしまう。
 だから〈希望の奴隷〉。
 彼の物語の中心にいるキャラクターは皆、多かれ少なかれこの〈希望の奴隷〉です。
 ちょっとした仕事や作業については人一倍うまくやれる。しかし当人に満足感はない。するべきことは他にあるという飢餓感が常にある。
 『拾った女』(1954)の主人公ハリー・ジョーダンが典型的です。自身が描きたい絵が何かも、愛する人との幸せな未来の築き方も分からない。
 明確な目標はありますが、身近なところに幸せになれる道があるのにそれを選ばないで理想を追い求めてしまっているという意味で『コックファイター』(1962)のフランク・マンスフィールドも同じタイプに分類できるでしょう。
 彼らは皆、希望に対して飢えている。
 そう考えて合点したことがあります。
 だから《マイアミ・ポリス》シリーズだけ、ウィルフォード作品の中で読み味が違うのだ。
 
   *
 
 《マイアミ・ポリス》シリーズはウィルフォードが八十年代に発表した、マイアミ警察殺人課のホウク・モウズリーを主人公とする四部作です。
 ホウク・モウズリーは四二歳の部長刑事。舞台がアメリカですから本厄なのは関係ないはずなのですが、とにかく散々な目にばかり遭う男です。
 離婚した妻に給料の半分を送金し続けなければならないため常に懐が寂しい。長年の相棒と離ればなれにされたり急造チームに放り込まれたり、署内の人事にも毎度踊らされる。
 何よりこのマイアミという街が物騒だ。事件の起きない日などない。
 このシリーズは所謂モジュラー型の警察小説で、ホウクが公私様々なトラブルに立ち向かっていくのが読みどころになります。
 どの作品も大変に面白い。
 特にホウクが燃え尽き症候群となってしまう『あぶない部長刑事』(1987)が白眉です。
 警察を辞めてスローライフを送ろうとするホウクの奮闘と、真面目一辺倒の人生を送ってきた老人が道を踏み外していく犯罪譚、二つの筋が別々の方向へひたすら加速していく物語は後にも先にも読んだことのないほどのハチャメチャ具合。抜群に読ませる快作です。
 ウィルフォードは一九八八年に亡くなっていますので本シリーズは晩年の作品群になるのですが、日本ではこれらのホウクものが作者の初紹介。本国でも一般的な人気が出たのはここからで、セールス的にはこの《マイアミ・ポリス》が代表作になるようです。
 セールス的に、とわざわざ書いたのは先に書いた通り、このシリーズが少し読み味が異なるからです。
 作風が大きく違うわけではありません。
 道具立てなど、いかにもウィルフォードらしい。マイアミという舞台、血なまぐさい犯罪、しばしば出てくる画家くずれの青年とちょっとした文学趣味……。
 しかし、本シリーズを他の作品と区別する人は多い。
 何故だろうか、とずっと思っていたのを解決してくれたのが例のキーワード、〈希望の奴隷〉でした。
 ホウクは希望を持っていないのです。
 現状に満足しているわけではないけれど身を滅ぼすほどの理想はない。夢を見る気すら起きないほど人生に疲れ切っている。
 ホウクは作者としては異色の飢えていない主人公なのです。
 では、ウィルフォードは何故、晩年に至って突然、自分の作品らしからぬ人物を創造したのか。
 これについても、彼の作品の中心にいるキャラクターが基本的に〈希望の奴隷〉であるというところから読み解けます。
 ホウクはそもそも主役ではなく、脇役として生み出されたのです。
 だから彼自身は〈希望の奴隷〉ではない。
 だから《マイアミ・ポリス》シリーズの第一作『マイアミ・ブルース』(1984)だけは、いかにもウィルフォードらしい読み味がある。
 
   *
 
 『マイアミ・ブルース』の主役は、フレディ・J・フレンジャー・ジュニアという犯罪常習者です。
 彼は物心ついた時から警察のお世話になり続けてきた人間です。本書の登場時もサンクェンティン刑務所を出てきたばかりなのですが、もちろん更生などしていません。出所してしたことといえば路上強盗で、それで奪った金と身分証を使ってマイアミへと移動したかと思えば、空港へ降り立ってすぐに、一人の男を殺してしまう。行動の全てが犯罪に接続されている男なのです。
 ホウク・モウズリーはその殺人事件を追う刑事として初登場するわけですが、物語の中心にいるのは常にフレディの方です。
 彼は〈希望の奴隷〉そのままのキャラクターです。
 フレディの理想はシンプルです。
 自分のためだけに生きてやろう、というもの。
 今まで自分は利他的に生き続けていた。これからは違うぞ……フレディは新天地マイアミでそう決意するのですが、何をすれば良いのか分からない。
 自分というものがないのです。どうなりたいという具体的なイメージがない。
 結局、彼はこの地で出会った恋人スーザンのために生きようとする。けれど、彼女との幸せなゴールも上手く思い描けない。
 大目的がはっきりしないフレディの行動はどうにもチグハグ。衝動に従って犯罪を繰り返します。
 こうした特異な犯罪者像を書かせたらウィルフォードの独壇場です。飢餓感だけがそこにある異常な人物の暴走をじっくり漏らさず描いていきます。
 そして、そんな異様な犯罪者をホウクが真っ直ぐに追うのです。
 彼のことを脇役と呼びましたが、実は、そんなホウクのパートが段々と熱を帯びて主役を食っていくところが本書のもう一つの読みどころでもあります。
 ちょっとした引っ掛かりから始まったホウクの捜査は、フレディからの反撃を受けてもまだ続く。ホウクの執念もどんどん暴走していく。その過程がこれまた読ませる。
 つまり、ウィルフォードらしい犯罪小説と、本書以降の《マイアミ・ポリス》的な警察小説、二つの要素がガッチリ噛み合った一作なのです。
 面白くならないはずがない。
 
   *
 
 かつてはウィルフォードといえば《マイアミ・ポリス》の作家で、本邦では『危険なやつら』(1993)以降に「彼は伝説的パルプ・ノワール作家で……」と紹介が進んだようです。
 いまやすっかり逆転し、ウィルフォードといえばノワールというイメージの人の方が多いのではないでしょうか。少なくとも僕は『拾った女』から彼のことを知りました。
 そんな新しい読者にとって『マイアミ・ブルース』は《マイアミ・ポリス》入門として最適な一冊といえると思います。
 二つの作風の橋渡しとなる、唯一無二の逸品です。

 

◆乱読クライム・ノヴェル バックナンバー◆

 

小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby