書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『ファイナル・ツイスト』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳

文藝春秋

 明敏な頭脳と冷静な判断力により瞬時に最適解を導き出し、父親直伝のサバイバル術を臨機応変に駆使してターゲットに迫る懸賞金ハンター、コルター・ショウ。ディーヴァー流・現代のまつろわぬアメリカン・ヒーローによる、謎とスリルとアクションに満ちた自由闊達な冒険譚シリーズの第一期完結作となる『ファイナル・ツイスト』が面白い。

 今回のターゲットは民間諜報会社。極悪非道な陰謀を巡らす彼らの正体を暴こうとしたコルターの父を死に至らしめた、所謂悪の秘密結社だ。前二作で、ゲーム業界とカルト教団の闇の奥への探索行のかたわら父の死の謎を探っていたコルターは、本作でついに敵と全面的に対決し、息もつかせぬ緩急自在の攻防戦を繰り広げる。

 ジェットコースターに乗っているかのようだ、というディーヴァ作品を評する際のクリシェ通りに冒頭から止まらなかったページを繰る手が、後半想いも寄らぬ陰謀の正体が判明した瞬間、思わずピタリと止まってしまった。毎回タイムリーかつ意表を突くネタを核に据えるディーヴァだけれど、よくもまあこんなことを思いついたものだ。なるほど、確かにこの文書が表に出たら世界がひっくり返ってしまうに違いない。

 本文中でコルターが、スティーヴ・マックイーンに似ていると言われたことを思い出すシーンがあるが、八面六臂の活躍ぶりはまさに言い得て妙だ。今回、前二作とは比べものにならないくらい規模も危険度もアップした敵相手に苦戦するコルターに、トム・クルーズ扮するイーサン・ハント&MIFチーム並の強力な助っ人が加勢する。世界を揺るがす大がかりな陰謀を実現するためのアイテムを巡る、スケールが大きく捻りのきいたスパイ・アクションであり、第一期三部作の掉尾を飾るのにふさわしいエンターテインメント大作だ。

 

北上次郎

『嵐の地平』C.J.ボックス/野口百合子訳

創元推理文庫

 アクションが素晴らしい。イラク戦争のために作られたMRAP(装輪装甲車両)がものすごい轟音とともに現れるシーンから、地下に閉じ込められたヒロインの必死の脱出行、さらにはエイプリルを救う謎の男の出現、そしてジョーの獅子奮迅の活躍まで、息つく間もなく展開するのだ。その怒涛の勢いが迫力満点だ。切れ味鋭いアクションが鮮やかである。

 

千街晶之

『ポリス・アット・ザ・ステーション』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 麻薬の売人が連続して襲撃されるという一見しょぼい事件が、ショーン・ダフィ警部補にとって最大の危機にまで発展しようとは……。序盤は、我がもの顔で徘徊する山羊に殺人現場を荒されたダフィがキレまくる描写や、本部長直々のお達しによる犯罪対策課の体力テストの情けない結果などで「エイドリアン・マッキンティってこんなに笑えるシーンを書ける作家だったっけ?」と思わせておいて、中盤以降は絶体絶命の危機の釣瓶打ち、まさに手に汗握るシーンがこれでもかとばかりに続く。犯人がわざわざクロスボウを凶器として使った理由など、謎解きの面でも小技が利いている。シリーズ第二トリロジーの閉幕に相応しい充実の内容だ。

 

霜月蒼

『偽りの眼』カリン・スローター/鈴木美朋訳

ハーパーBOOKS

 これまでカリン・スローターを高く評価しつつもノンシリーズ作品を推してこなかったのは、語弊のある言い方をすれば「面白すぎたから」である。『プリティ・ガールズ』も『彼女のかけら』も、アメリカ式ノンストップ・サスペンスとして一級品だった。ハラハラドキドキ度でいえば追随する者が稀で、体感速度はべらぼうに速く暴力的とさえいえた。けれどもそのぶんスローターらしい「苦痛/被害」というテーマが、シリーズ作ほど深く掘れていない気がしていた。

 そこで本書である。あの猛烈なスピード感をキープしたまま、シリーズ作品でみられる容赦ないテーマの追求を組み込んだノンシリーズ作品の登場である。性暴力被害、それへの対抗、被害体験からの回復の苦闘、加害者のおそろしさなどが、無慈悲にさえみえるスローター節で描かれてゆく。とくにクライマックスの悲痛さが忘れがたい。いつになく全体に力感がみなぎっているのは、執筆にあたって一種の覚悟や使命感があったせいだとスローター自身による「あとがき」でわかる。クライム・フィクションにできることは何かという問いにスローターは自覚的である。

 ノンシリーズゆえスローター未体験者にもおすすめしやすく、例えば鳥飼茜『先生の白い嘘』が響いた人はお読みになる価値があるのでは。あと、ときどき出てくる(男性にとっては殺傷力の高い)ユーモアには、尾崎衣良『深夜のダメ恋図鑑』と同質のものを感じるんですよね。スローターはそういう系の作家のひとりだと思うのです。

 

酒井貞道

『ヨーロッパ・イン・オータム』デイヴ・ハッチンソン/内田昌之訳

竹書房文庫

 時は(恐らく)21世紀半ば、近未来のヨーロッパに設定されており、主人公のエストニア人のコックは、物語開始当初はポーランドのクラクフで雇われシェフを務めている。そしてそこで、《森林を駆ける者(クルール・デ・ボワ)》と名乗る国際的諜報組織からスカウトされる。以後、主人公は様々な地道な活動と成功や失敗を繰り返していく。

 という概略からは、とても地味な近未来スパイ小説としか見えないだろう。面白くなさそうですらあるかもしれない。ところがとんでもない、これが曲者なのだ。まず本書は2014年に刊行された作品である。Brexitが決まる国民投票前だ。もちろんコロナ禍など影も形もない。ところが作品世界では、EUからの脱退国が相次いで、おまけに感染症拡大も起きたことを契機に、国際秩序がかなり棄損している。都市単位(あるいはもっと小さい単位)での独立がヨーロッパ全域で後を絶たず、国際的な連帯はかなり後退している。もちろんSF小説は未来を予言するための文学形式ではなく、本書においても細部は現実とは異なる。EUから脱退したのはイングランドではなく、ドイツやフランスである。恐らくウクライナ侵攻などの戦争も、欧州では発生はしていない。だがここで強調しておきたいのは、そういった歴史の経緯は現実とは異なれど、社会(特に西側の民主的・自由な社会)の分裂と分断の空気が、恐ろしいほど、2022年に我々が直面している現実社会と呼応している点だ。この小説で描写される欧州各地の空気感は、とても他人事ではない。主人公のスパイ活動がかなりしょぼくれている点も含め、なかなかに沁みる。

 そして、物語の後半が大問題である。主人公の直面する事態が急激にボルテージを上げて、物語はいきなり様相を変え、エスピオナージから紛れもないSFへ大転換を遂げるのだ。しかも、恐らくSF好きのみならず、空想好き、幻想好き、人文好きにも深く刺さるような物語へと変容する。主人公が翻弄される人物から狂言回しへと役割を変えたようにも思わる。また前半後半問わず、主人公が他の人物と交わす会話・交流も、なかなか含蓄に富んでいる。これをミステリ好きが読み逃すのは、ちょっと勿体ないです。前半は落ち着いた色調の作品なので、まずは落ち着いて読み始めるのをオススメしておきましょう。

 

吉野仁

『裏切り』シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳

創元推理文庫

 五年まえに出た同じ作者の『失踪者』は、夢中になってページをめくらされた記憶があるため、今回も期待して読みはじめたところ一ミリも裏切られることはなかった。題名は『裏切り』だけど。ヒロインは、ロンドン警視庁の刑事ケイト。彼女が故郷のヨークシャーに戻ったのは、名警部として知られた父リチャードが殺されたからだ。やがて、容疑者が浮かぶとともに、ケイトに連絡をしてきた女性がいた。リチャードはいったい誰になぜ惨殺されたのか。と、あらすじだけ書くとなんてことはないように見えるが、殺人事件が巻き起こす犯罪の連鎖とその捜査模様、真相をめぐる伏線、そしてヒロインをはじめとするキャラクターの描き方が、とんでもなく巧みなのだ。巻き込まれた被害者の危機と救出シーンなどに緊迫感や迫力があるだけでなく、隠された謎につながり怒濤の展開を見せる。ドイツ作家ながらイギリスを舞台にミステリを書くシャルロット・リンク、まだ読んだことのない人はぜひぜひぜひぜひこれを手に取ってほしい。そのほか、ジェフリー・ディーヴァーのコルター・ショウ・シリーズ三部作の掉尾をかざる『ファイナル・ツイスト』も、ディーヴァーならではの緊迫した場面から幕をあけて一気に読ませるサスペンス。C・J・ボックス『嵐の地平』は猟区管理官ジョー・ピケットシリーズ最新刊で養女エイプリルが意識不明で発見されたことにはじまり、友人ネイトまで死にかける目にあい、ジョーが悪辣な一家と戦うという展開がラストでたたみかける。アレックス・ベール『狼たちの城』の続編で『狼たちの宴』は、ユダヤ人元古書店主イザークがゲシュタポ捜査官として、新たな女性絞殺事件の謎に立ち向かうというもの。リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク『突然の奈落』は、『皮肉な終幕』につづく短編集で、ヒッチコックマガジン掲載のものを中心に、この手の雑誌で読める、小粋な短編が並んでいる。

 

杉江松恋

『ポリス・アット・ザ・ステーション』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 今月はもうこれでいいかな、と三分の一ぐらいを読んだところで思ったのだが、後半に入って、いや、これしかないだろう、と考えが固まった。シリーズの六作目ということで手に取りづらく思っている読者は多いかもしれないが、大丈夫、ここから読んでください。

 前作『レイン・ドッグズ』で年下の女性エリザベス・マカルーとの間にこどもを授かり、一気に所帯じみた中年男になったショーン・ダフィ警部補である。本作の冒頭でもこどもを連れて実家に帰り、じじばばは孫とご対面してでれでれ、さて慣れない家族サービスでもやっかなあ、気が向かないなあ、などと正月に帰省した親不孝会社員みたいなことを考えていると、署から連絡が入って、ひさしぶりに殺人事件が起きたんすけどこっちで処理しますか、一応警部補が担当しますか、と聞かれてダフィ、ばっかやろう、行くにきまってんじゃんかよぅとトンボ返り、その殺人事件とは麻薬密売人がなぜかボウガンで射殺されたというもので、それはいいのだが現場保存がまずくて鑑識はどういうわけだか不在だし、そこらじゅうに見物人がうようよしているし、柵から乗り出して山羊が被害者の靴紐をもりもり食おうとしているし、と出鱈目な状況、そこにいるはずのクラビー巡査部長はどうしたんだよ、あい、逆上した被害者の妻にフォークで刺されて救急車で運ばれました、とまあ、こんな頓珍漢な状況で始まる小説が、まさかあんな恐ろしいことになるなんて。

 緩急の付け方が実に素晴らしく、後半の畳みかけには手に汗を握らされる。エイドリアン・マッキンティは頭で考えすぎというか、書かなくてもいいことを書きすぎて話が遅滞することも多かったのだけど、そういうところがまったく無くなってお見事な小説巧者になっていました。ウーバーイーツの運転手に転職して、また戻って来てからドン・ウィンズロウのエージェントに面倒見てもらっているみたいだけど、アドバイスが効いたんじゃないのかな。このシリーズ、全部読むのが面倒臭かったら、最初の三作は飛ばして『ガン・ストリート・ガール』から読んでもいいと思う。それも面倒臭かったら、五作目の『レイン・ドッグズ』は後回しにして、『ガン・ストリート・ガール』の次は本作でもいい。なんならさっきも書いたように『ポリス・アット・ザ・ステーション』から読んで遡ってもいいんだから。それくらいおもしろくて初読の人も楽しめる。つまりこれは必読ってことです。これ以外に薦めたいと思っていたのはリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの短篇集『突然の奈落』で、前作の『皮肉な終幕』に続いてアルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジンなどに発表された1950~1960年代の作品が収録されている。これはいい短篇集なので、ぜひとも。

 冒険小説やスリラーがやや多めの一月になりました。ベテラン勢も多めでしたね。七月はあれもこれも出ているので、また違った顔ぶれになりそうです。次回もお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧