今回はMI6(英国秘密情報部)の元工作員、エリオット・ケインが活躍するAscension(2021年)を取り上げます。著者は『バッドタイム・ブルース』(2011年)のオリヴァー・ハリス

 MI6で南大西洋部局を率いる管理官のキャスリン・テイラーは、アセンション島に送り込んだ工作員、ローリー・バナタインが帰国前日に現地で縊死したとの連絡を受ける。
 この島は大西洋をアフリカから南米へと横断する光ファイバーケーブルの中継地で、バナタインはGCHQ(政府通信本部)と合同でケーブルに流れる情報を傍受する〈腹話術師〉計画を進めていた。自死だという警察の判断に納得できないテイラーは、オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジの講師を務めている元工作員のエリオット・ケインに調査を要請する。
 テイラーとバナタイン、ケインはかつてオマーンで同様の任務に従事したことがあり、機密情報を扱える資格保持者で、2週間後に迫った〈腹話術師〉の始動に間に合うよう、すぐにでも出発できるのはケインしかいなかった。
 オマーン滞在中、バナタインは10代の男女を自分のホテルの部屋に招き入れて彼らのセックスを眺めていたところを警察に通報された過去があり、上層部に報告せず金で処理したテイラーは今回も同様の事態が発生した可能性を懸念していた。
 果たして数時間後、現地で15歳のペトラ・ウェイドが6日前――バナタインが自殺したとされる日――から行方不明になっているとのニュースが報じられる。
 バナタインの死とペトラの失踪に関連があるのか、不安を抱えたままケインを送り出したテイラーは現地の捜査を統括しているスコットランドヤード(ロンドン警視庁)から呼び出しを受け、バナタインがペトラだけでなく、島の十代の若者たちとも親しかったと告げられて彼の仕事の内容を追及される。
 一方、ケインはアセンション島に到着したその夜に三人の男たちに暴行されていた若者、コナー・リングレンを救うが、彼の母親、アンは米軍基地に赴任した空軍の将官だった。
 翌日、住民から借りた車を登録するために警察署を訪れたケインは、コナーがペトラの同級生であり、彼女の失踪事件で容疑者と目されていることを知る。住民たちもコナーが犯人であり、更にはペトラと仲の良いローレン・カーターが重要な秘密を抱えていると噂する中、コナーの父親、トーマスは警察が充分な捜査を行なっていないと疑っていた。
 そしてローレンも行方不明となり、島をあげての捜索が始まるが……
 
 舞台となるアセンション島はアフリカ大陸とブラジルのほぼ中間、南大西洋に浮かぶ火山島で、「セントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャ」と呼ばれる英国の海外領土の一画を成し、1982年に起こったフォークランド紛争では英軍の拠点ともなった。
 まさに「絶海の孤島」で、アセンション島はアフリカ大陸から1,600キロ、1815年から1821年までナポレオン1世が幽閉されていたセントヘレナ島とは1,300キロ離れている。
 中東の文化に強い関心を持ち、いくつもの言語を操るエリオット・ケインは2019年に発表された A Shadow Intelligence において初めて登場しているが、こちらの作品では彼がMI6を去る原因となったカザフスタンでの事件が描かれている。
 Ascension の第1章では身元不明の棺が英国空軍のブライズ・ノートン基地へ到着し、次の章ではケインが講義している場面へと飛ぶ。辞職後は博士号を取得するための研究に没頭していたケインだが、かつて共に任務に携わった工作員の急死によって現場復帰を決意する。
 そこから物語は目まぐるしく展開し、アセンション島に赴いたケインのみならず、英国で調査の進展を見守るテイラーも次から次へと発生する不測の事態に翻弄される。
 デビュー作の『バッドタイム・ブルース』 A Shadow Intelligence は全編を通して主人公の視点で描かれていたが、本作では情報を求めるスコットランドヤードのみならず、何かと口出しするMI6副局長とも渡り合わなくてはならないテイラーの視点も取り入れられ、ロンドンとアセンション島の状況が交互に描かれる。
 外界と隔絶した魅力的な舞台設定ながら、途中までは物語を広げ過ぎて収拾がつかなくなるのでは、と危惧しながら読み進めた。しかし中盤以降は、工作員の死や若者の失踪といった謎が徐々に結び付き、読者はいつの間にか想像もできかった結末へと巧妙に導かれていく。
 2022年7月には A Season in Exile(ニック・ベルシーのシリーズ第4作)が出版されているが、その次にはケインが活躍するシリーズ第3作を書いてほしいと切に願う。

■作品リスト■
 ニック・ベルシーを主人公とするシリーズ:
  The Hollow Man(2011年)
  →『バッドタイム・ブルース』(府川由美恵訳/早川書房/2013年)
  Deep Shelter(2013年)
  The House of Fame(2015年)
  A Season in Exile(2022年)
 
 エリオット・ケインを主人公とするシリーズ:
  A Shadow Intelligence (2019年)
  Ascension(2021年) 本書

寳村信二(たからむら しんじ)
『グレイマン』鑑賞。原作はマーク・グリーニーのシリーズで、制作はネットフリックス、監督は『アベンジャーズ』シリーズのルッソ兄弟。偶然、自宅近くの映画館で上映されていることを知り、慌てて駆けつける。

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