書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『ロンドン・アイの謎』シヴォーン・ダウド/越前敏弥訳

東京創元社

 

 巨大観覧車ロンドン・アイで少年が消えた。宙に浮かぶ密閉空間を舞台にした人間消失というシンプルかつ強烈な謎を、十二歳の少年が論理的かつスマートに解き明かす『ロンドン・アイの謎』がとても面白い。

 主人公テッドと姉のカットが見守る中、三十分で一周するカプセルから降りてきた人の中に、従兄弟のサリムの姿はなかった。二十人以上の乗客と共に確かに観覧車に乗ったはずの少年は一体どこへ行ったのか? 人の思惑や感情を察することは苦手だけれども、複雑なことを覚えたり物事の仕組みを論理的に解明することは抜群に得意な主人公テッドは、たちどころに九つの仮説を立てて検証し、活発な姉とともにサリムの行方を探る。

 十代の少年少女の悩みと願い、屈託と蹉跌、希望と成長を、ユーモアとくすぐりの利いた文章で瑞々しく綴る爽やかなれど、ちくりと心に刺さるジュブナイル・ミステリだ

。何気ない会話や日常の描写の中に手掛かりを潜ませ、伏線を敷き、布石を打つ手際が実に見事で、所謂「チェーホフの銃」に照らして再読すると、いかに過不足無く目配りが行き届いた謎解きミステリかが分かり二度楽しめる。

 内容もさることながら、“難しい漢字にはきちんとルビを振る”心遣いが素晴らしい。ローティーンから読める翻訳ミステリとして真っ先に押したい作品なので、ぜひ全国の小中学校の図書館に常備して欲しい。

 今月は、ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』の続編であり、前作の活力と公正さはそのままに教養小説として犯罪小説としてより深みと厚みを増した『優等生は探偵に向かない』(服部京子訳/創元推理文庫)と、アレックス・ベール『狼たちの城』の続編で、シリーズ二作目にして完全に孤立状態となり身の危険度が一気に跳ね上がった中で、再度ゲシュタポ捜査官に偽装して絞殺事件に当たらなければならないユダヤ人青年の命がけの捜査と潜入活動を描いた『狼たちの宴』(小津薫訳/扶桑社ミステリー)もお勧めです。

 

千街晶之

『ロンドン・アイの謎』シヴォーン・ダウド/越前敏弥訳

東京創元社

 間もなくニューヨークへ行く筈のいとこが、巨大観覧車「ロンドン・アイ」のカプセルから消えた。下にいて見守っていたのに、その証言を大人たちに信じてもらえなかった十二歳の少年テッドとその姉カットが、独自に真相解明に乗り出す。ひとの気持ちを察するのが苦手だが独自の思考能力と観察力に恵まれた弟と、ハリケーンのようにパワフルな行動力を持つ姉が、時には喧嘩しながらもそれぞれの長所を活かして真実に迫る名コンビぶりが読みどころである。テッドが列挙した仮説の中に、人体自然発火やタイムワープといったトンデモ系が混じっているのが子供っぽくて可笑しいけれども、人間消失の謎の解明は意外なほどロジカル。大人の鑑賞にも充分に堪える、爽快な読後感のジュニア向けミステリだ。

 

北上次郎

『デスパーク』ガイ・モーパス/田辺千幸訳

ハヤカワ文庫SF

 人口を抑制するために、17歳になるとその後の生き方を選択しなければならなぃ未来が舞台。主役となるのは、一つの体を5人で使う道を選択した5人。一つの体を4時間ずつ使うのだ。最後の4時間はメンテナンスにあてられる。問題はその5人の中に協調性ゼロの人間がいて、他の4人を悩ませること。さらにそのうちの一人が居なくなって、謎解きが始まっていく。わかりにくいところがいくつもあるが、なあに気にすることはない。イギリス作家のデビュー作で、第2作は時間を巻き戻せる殺人犯を題材にしたものだという。

 そうか、イギリスの西澤保彦か。

 

酒井貞道

『優等生は探偵に向かない』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 昨年、大評判をとった『自由研究には向かない殺人』の続篇である。前回の事件を見事に解決したピップは、今回、友人から兄が失踪したとして助けを求められ、ポッドキャストやSNSなどを活用して捜索を開始する。失踪前後の状況も調べ、不穏な事実が徐々に明らかになっていく。

本作の中で、前作の事件の真相と展開は、ほぼ全面的に明かされる。ゆえに前作を読んでいない人には不親切な内容ではあるのだが、これはどうしても避けられない、やむを得ない措置である。なぜなら、本作は主人公ピップのさらなる成長の物語であるからだ。よく考えると、探偵としてだろうが人間としてだろうが、主人公を変化させる以上は、主人公のそれまでの経験とその影響をしっかり描かないと、真の意味での描写にはならないはずだ。従来、ミステリ作品では、過去作品のネタバレを避けるために、主役級の人物すら、成長や変化が精密には描写されてこなかったように思う。過去作品を読んだことのある人だけがニヤリとできるエピソードや言葉が散発的に挿入される程度が精々であり、当然、成長への踏み込みは浅くなってしまう。だが『優等生は探偵に向かない』は違う。作者はそこから逃げない。前作終了後に前作の事件がピップと周囲の人物にどのような影響を与えたかを、真相にも触れることで果敢に、精密に描写する。だからこそ、本書の物語には細かい所まで強烈な説得力が生まれている。「経験の積み重ね」を正面から描き切ったがゆえの凄みがあり、その点で本作は前作を明らかに超えている。そしてこれが、少女の成長譚との相性抜群なのである。しかも今回も、ヒントの出し方や真相の衝撃性はよくできているし、事件が突き付けてきてピップが直面する課題も今回は一層深く鋭い。前作よりも高く評価されるべきと信じる。

 

霜月蒼

『アポロ18号の殺人』クリス・ハドフィールド/中原尚哉訳

ハヤカワ文庫SF

 題名は謎解きミステリっぽい本書(原題もThe Apollo Murders)、冷戦時代の米ソ宇宙開発競争を背景としたスリリングな謀略冒険小説。

 現実には実施されなかったアポロ18号による月面探査が軸。18号には、ソ連の宇宙/月探査をにらんだ極秘ミッションが与えられ、宇宙飛行士たちの活動は、NASAのみならずホワイトハウス(主はニクソン)も固唾をのんで見守ることになる。しかしミッション開始に先立って何者かの破壊工作が行われたり、宇宙船内にソ連の息のかかった者がいるらしかったり、KGB(議長はのちの書記長アンドロポフ)も対抗策を仕込んでいる。いかにも冷戦下スパイ・スリラーといった物語が、地球と月のあいだの宇宙船内と月面で行われるわけである。

 スリラーとSFを絶妙に組み合わせているという点で、アンディ・ウィアーがお好きな向きにはむろんオススメですが、大きなミッションの遂行と妨害工作の謎解きという2つのプロットの撚り合わせはアリステア・マクリーンの『荒鷲の要塞』などと同じ趣向だし、冷戦とかKGBとかルビヤンカといった文字が乱舞する世界が好きな人もいますでしょ? そういう人にもおすすめです。

 他に『ローズ・コード』(ケイト・クイン)、『狼たちの宴』(アレックス・ベール)といった歴史スリラーの名手の新作も期待を裏切らぬ出来でしたが、驚いたのが巨匠D・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』。ウェストレイクはもともとニューヨークらしいミステリ作家でしたが、そのニューヨーカーぶりが本書ではいつも以上に躍動していて、読み心地は犯罪小説というよりもデイモン・ラニヨンそっくり。そもそもラニヨンも犯罪小説として読めるわけですけど、ともかくも古き良きゴキゲンな米国都会小説ファンはこれもお見逃しなく。

 

吉野仁

『優等生は探偵に向かない』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

ここはあくまで「その月刊行の海外ミステリで自分がいちばん面白いと思った一作」を挙げることにこだわっている。……と最初にことわりをいれたのは、みなさんごぞんじ昨年の人気作『自由研究には向かない殺人』の続編『優等生は探偵に向かない』が今月のベストだからだ。すでに評判になっているからといってここに取りあげず、代わりに自分好みのマイナーな作品を推す、なんてことは極力しない方針なのである。ともあれ、シリーズ第二作も最高に読ませる。『自由研究』のネタに触れているので、万が一、前作未読の方は要注意だ。わたしがとくに気に入っているのは、探偵の手続きをごまかさずに書いているところである。そのほか、大観覧車に乗ったはずの少年が消失したという謎を推理を重ねて突きとめるというジュヴナイルもの、シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』もまたシンプルだがしっかりした探偵小説で、愉しく読んだ。マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』はコロナ禍を思わせるパンデミック後の、ある家族の奇妙な生活を追うディストピア老人小説。にもかかわらずひねりや味わいがあって、さすがリューイン。また、主人公の職業が「処罰屋」というデイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』は、先住民(アメリカ・インディアン)を主人公にしたタフガイもので、その特異な社会ならではの新奇さが多いため飽きさせない。アリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』は、いろいろ無理があったり作りすぎたりしているのが気になるものの、ちょうど春にアイラ・レヴィンの戯曲の映画化「デストラップ・死の罠 」を見たばかりで、それと比較をしながら味わったのが面白かった。たとえば、主人公がどちらも脚本家であるなど共通点があるし、サスペンスとサプライズの作り方は影響を受けているように思う。これ以上、詳しくは書けないけど。

 

杉江松恋

『喪失の冬を刻む』デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン/吉野弘人訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 自分で解説を書いた本なんだけど、感慨深かったので本書を推す。アンソニー賞、バリー賞などの五冠に輝いた2020年の新人デビュー作である。主人公ヴァージル・ウンデッドホースはラコタ族の男で、居留地において〈処罰屋〉を名乗っている。先住民族居留地における重罪捜査はFBIの管轄になるのだが、殺人以外は放置されることが多く、泣き寝入りを強いられている弱者もいる。そうした人々のために働いているという設定がまず上手い。つまり力こそ正義を信条とする男であるわけだ。そのヴァージルの甥が重罪事件に巻き込まれてしまい、力ではどうしようもない状況に陥る、というのはプロットの定石だろう。

 一口で言ってしまえば、アメリカの変わらなさを描いた小説だと思う。なーんも変ってない。力こそ正義の私立探偵小説が隆盛になったのは1980年代、力さえあればいいんだ、ひねくれて星を睨んだ僕なのさ、とばかりに暴力を肯定する連中が湧いて出たが、そうした主人公たちが活躍できる場所はごく狭いテリトリーに限定された。社会全体に対するアプローチとしてはあまりに粗暴だったからだろう。それから40年近くが経過したが、やっぱり力だけで事態を解決しようとする自警団的主人公は書かれ続けている。先住民族を主人公にし、居留地を舞台としたことで物語は重層性を帯びており、小さく見れば自分たちの精神の拠り所をどこに求めるべきかという文化の帰属意識の小説であり、大きく見れば不可視領域に追いやられてきた弱者たちを描く物語ということになる。この大小二つの問題はアメリカ社会における宿痾なのだ。いや、日本だって同じだけど。ああ、解決できていないんだな、というかむしろ、社会が世知辛くなって問題はさらに深刻化しているんだろうな、などと思いながら私は読んだ。私立探偵小説ファンには一読をお薦めしたい。

 ジュヴナイルからSFまで多彩な顔触れとなりました。謎解き小説が多めでしたがジャンルもばらばら。今月も豊作でしたね。さて、次月はどうなりますことか。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧