「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 ノエル・カレフの代表作はと問われたら、それはなんといっても『死刑台のエレベーター』(1956)でしょう。
 ルイ・マルによる映画版が名作として語り継がれていて知名度があることだけが理由ではありません。邦訳されたカレフ作品を通読してみた時、単純に最も出来が良く、何十年もの年月に耐えうる普遍的な面白さがあり、その意味でこの作家の代表作と呼びたくなる。『死刑台のエレベーター』はそういう作品です。
 完全犯罪を遂行できたはずの主人公ジュリアンが、エレベーターに乗っている最中に閉じ込められてしまったという偶然を起点として追い詰められていく構成が素晴らしい。その窮地を作り出しているのが誰かの悪意ではなく、誤解やすれ違いの連続なのが良い。
 ジュリアンとその妻を含め、この物語には何組かのカップルが登場します。そのいずれもが問題を抱えている。それぞれ愛情がないわけではない。だが、各自が優先したい思いやパートナーに求めるものがズレていて、それでギクシャクしている。読者としては「ちゃんと話し合って、気持ちを整理すれば上手くいくのに」と感じてしまう。
 そうしたディスコミュニケーションが連鎖していく構造が『死刑台のエレベーター』の美点です。何の接点もなかったカップルたちが関係の不和から起こした事件が一つ一つ連なっていく。それによって、何も知らないうちにジュリアンは決定的なピンチに陥ってしまう。
 カップルの中での問題に対する思いと同じで物語全体としても「誰かがもっと整理してあげれば全員、人生上手くいっただろうに」ともどかしくなり、そこで忘れがたい読み味が産まれている。今の読者にも強烈な印象を残すこと間違いなしの名品です。
 訳出されている作品そのものが少ないので、作風をいまいち語りにくいところもあるのですが、邦訳作品を読む限りだと、カレフはこうした多視点での誤解やすれ違いから生じるトラブルをサスペンスフルに描くことが上手い作家のようです。『その子を殺すな』(1956)ではボールに爆弾が入っていることを知っている人と、それを知らない子供たちの落差でスリルを作り出していますし、中編「ロドルフと拳銃」(1957)でも無邪気な子供の視点とどうしようもない状況にいる大人の視点の使い分けで独特の雰囲気を演出することに成功しています。
 そんなカレフ作品の中にあって、ほとんど主人公の一人称で語られる異色作が今回紹介する『ミラクル・キッド』(1960)です。
 一人のタフガイが殺人事件に巻き込まれ、美女とのロマンスを挟みながら命懸けの冒険をする……はっきり言って古臭いおとぎ話。
 だからこそ、僕は偏愛してしまうところがあるのです。

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 ロジェ・ケルデックはヨーロッパ・ライト級の挑戦試合のリング上にいた。
 対戦相手の現チャンピオン、ペーター・ハネッセンは強敵だ。だが大丈夫、負けやしない。ロジェのあだ名は〈奇蹟のキッド〉、顔面に一度も傷を負わされたことがない新進気鋭のボクサーだ。激闘の末、ロジェは勝利し、チャンピオンの座に輝いた。
 マネージャーのシャルロは次は世界選手権だと控室でスケジュールの調整を始めるが、事はそう簡単にはいかない。ロジェの妻、エレーヌがこの稼業に反対なのだ。彼女はもう引退しようとすすめてくる。これまでの賞金を使って商売でも始めて、ゆっくり暮らそうと言うのだ。ロジェは勿論、それには乗り気になれなかった。自分からボクシングを取ったら何が残る?
 試合の翌日、ロジェは家を出て前日に誘いをかけてきた女優ヴァイオレット・アミーの家へ向かっていた。昨日は行く気なんてなかった。自分を受け入れてくれないエレーヌが悪いのだ。そう言い訳をしながらヴァイオレットの家に入った彼を待ち受けていたのは予想外の殺人事件だった。
 積み上げてきた経歴と財産、そして何よりもエレーヌの愛、全てを失いかねない状況に陥ってしまったロジェ。果たして逃げ切ることはできるのか。
 誤解を恐れず言えば、巻き込まれサスペンスとしては非常に類型的な粗筋ではないでしょうか。
 また、仕事に対して誇りを持っている男、それに対して危ない仕事よりも自分のことを優先してほしいと願う妻という根本のところの関係性も犯罪小説では新旧問わず、よく見る構図です。
 故に『死刑台のエレベーター』『その子を殺すな』のカレフらしくはない。
 元ボクサーで、映画人でもある作者自身のプロフィールを思うと納得の道具立てではあるのですが、前二作とは三人称か一人称かといった視点の置き方から、構成に至るまで違います。
 しかし、読み進めていくと段々とこの作者らしいところが見えてくる。
 本書も登場人物の思いのすれ違いにポイントがあり、それを効果的にするために視点の使い方が意識されているのです。
 
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 『ミラクル・キッド』の主人公であるロジェは、他人が何を思っているか、考えているかを察することが極度に苦手な男です。
 妻であるエレーヌの気持ちを汲むことができないのは先に書いた通りですが、その後に出会う美女アーヌマリや、自分を襲ってくる怪しい男に対してもその場その場の発言以上のことを読み取ることができない。それが彼に悲劇を呼ぶ。
 ロジェ自身、どうしてこうなったのか分からない内にどんどんピンチに陥っていくわけです。
 つまり、窮地の作り方としては実は『死刑台のエレベーター』他のカレフ作品と同じでディスコミュニケーションが主な原因なのです。ただ、他の作品は読者には全て見通せるように多視点にしているのに対し、本作はロジェ一人に合わせている。
 この違いの部分にこそ、他作との真の差があります。
 『死刑台のエレベーター』のような、読者だけが全体の構図を分かっていればいい作品とは違い、『ミラクル・キッド』はロジェが理解しなければ読者も真相を知ることができない。
 他のカレフ作品の主人公たちとは違い、ロジェは捜査をして、事の次第を把握していきます。自分が周囲の人間のことを、さらには自分自身のことも分かっていなかったことを分かっていく。
 本書は物語の進行と共に息苦しく閉じていくサスペンスではなく、閉じ込められた場所から段々と外へ開いていくサスペンスとなっているのです。
 理不尽な偶然に登場人物が弄ばれるままの他のカレフ作品と比べると、正直言って緩いです。カレフ自身、照れ臭く感じているのか、ラストに物語全体を曖昧なところに落とすようなオチまでつけています。
 でも、僕は今作に関してはこの甘さを好ましく思ってしまうのです。「嗚呼、良かった。ロジェは彼女のことをちゃんと分かってやれた」と。

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 本書はかつて原題の直訳で『名も知れぬ牛の血』のタイトルで刊行されていた本です。古書店などで目につく機会や、響きのインパクトを考えるとそちらの名前で覚えている人の方が多いかもしれません。
 ただ、個人的には本書は『ミラクル・キッド』と呼びたい。
 不穏で悲劇的なサスペンスを描く名手だったカレフが、根本のところでの組み立ては同じながらも全く違う読後感になるよう描き切った冒険譚が本書です。
 『死刑台のエレベーター』や『その子を殺すな』に連なるような、ちょっと不気味な『名も知れぬ牛の血』よりも、〈奇蹟のキッド〉の方がタイトルに相応しいと感じます。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby