書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー/鈴木恵訳

早川書房

 今月は迷うことなくクリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』を推す。英国推理作家協会(CWA)ジョン・クリーシイ・ダガー(ニュー・ブラッド・ダガー)賞(最優秀新人賞)を受賞したデビュー作『消えた子供 トールオークスの秘密』(峯村利哉訳/集英社文庫)の翻訳から早四年、気になっていた新鋭にようやく再会することができた。しかも質量共に格段にグレードアップしているのだから慶びもひとしおだ。

 三作目にしてCWA賞ゴールド・ダガー賞(最優秀長篇賞)に輝いた本書は、We Beg in at the Endという原題が示すように、ミステリと教養小説とロード・ノヴェルが一体となった〝終わりから始める人々の物語〟だ。

 カリフォルニア州ののどかな海辺のスモール・タウンとモンタナ州の大地に拓かれた農場を舞台に、三十年前と現在の悲劇が引き起こした余波に巻き込まれ、人生を大きく変えざるをえなくなった人々の怨嗟と憤怒、悲嘆と悔恨、失意と諦念、贖罪と救済、そして停滞と再起を、コーマック・マッカーシーを彷彿とさせる飾らぬ力強い文章を連ねて、悠揚迫らぬ筆致で瑞々しく荒々しく情感豊かに描き上げる。

 クリス・ウィタカーは、二人の主人公――“無法者”を自称する中学生の少女ダッチェスと正直者の少年がそのまま大人になったかのような警察官ウォーク――の生き方を通じて、人は、何度も間違え、躓き、そのたびに手痛いダメージを受けても、学び、選択し、責任を引き受けて先へと進んでいくのだと訴えてくる。

 人がディスコミュニケーション状態に陥った時、自らの行為がどんな影響を及ぼすのかを考えないまま突っ走ってしまう愚かさと怖さと哀しさを冷徹な慈悲を持って見据え、過ちを犯した者は、どうすれば赦されるのか、どうしたら罪の意識から解放されるのか、という人が生きていく中で決して逃れることができない難問に正面からがっぷりと取り組んだ傑作だ。

 今月はもう二冊フレデリック・ダール『夜のエレベーター』(長島良三訳/扶桑社ミステリー)とエマ・ストーネクス『光を灯す男たち』(小川高義訳/新潮クレスト・ブックス)もお薦め。前者は、虚無と諦念の帳の中で出会った男と女が演じるトリッキーでサスペンスフルな聖夜の運命劇。後者は、1900年12月にスコットランドの孤島の灯台から三人の灯台守が失踪した事件に着想を得て、1972年のコーンウォールに時代と場所を移した幽玄かつサスペンスフルなミステリ。三人の灯台守の視点から事件発生までを語る章と、失踪から二十年後に真相を解明しようとする作家に残された妻と恋人が語る章のカットバックで徐々に全貌を浮かび上がらせていく“英国クリスマス・ストーリーの三要素”を巧みに活かした滋味深いミステリだ。“灯台”が何を象徴するのか読後、じっくりと考えてしまう。

 

千街晶之

『われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー/鈴木恵訳

早川書房

 以前邦訳された『消えた子供 トールオークスの秘密』を世評ほどには高く評価する気になれなかったこともあって、正直に言えばやや期待値低めの状態で本作に挑んだのだが、ストーリーテリングといい謎解きの構成美といい、前作を遥かに凌駕する出来映えだった。読んでいてどんより落ち込みそうな負のピタゴラ装置めいた展開に救いを齎す主人公(の一人)ダッチェスのキャラクター造型が秀逸だし、ミステリとしても、ある登場人物の終盤におけるイメージの反転と、第一部の最後で起こる事件の犯人には心底驚愕した。ヘヴィーさと風格を兼ね備えた見事な小説だと思う。八月に刊行された作品では、かつて「土曜ワイド劇場」で放映された天知茂主演『天国と地獄の美女 江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」』も顔負けの壮大なやりたい放題ぶりが皇帝まで巻き込んで繰り広げられる陳漸『大唐泥犁獄』もインパクト抜群の怪作で忘れ難い。既刊三作を読み返す時間が取れなかったため、カルロス・ルイス・サフォンの「忘れられた本の墓場」四部作の完結篇『精霊たちの迷宮』に目を通せなかったのが心残り。

 

北上次郎

『魔術師の匣』カミラ・レックベリ/ヘンリック・フェキセウス富山クラーソン陽子訳

文春文庫

 カミラ・レックベリの作品をこれまで読んだことがあるのか記憶にないが、これはなんだか怪しいなと手に取ると、おお、私好みだ。というのは、女性主人公のミーナが極度の潔癖症との設定で、そのディテールが延々と描かれるのだ。

 ヒロインの私生活を描いて物語の味付けにするという範囲を明らかに超えている。これはいったいなんだろう。ミーナだけでなく、ストックホルム警察特捜班のメンバーの私生活も描かれるのだが、それも明らかに分量が多すぎる。しかもすべて物語に直接関係がないのだ。

 つまり余分な要素だ。これらを切り落とすとこの物語はたぶん半分になる。無味乾燥のストーリーだけになる。ようするにこの余分な要素が物語に奥行きと臨場感とダイナミズムを与えているということだ。

 

霜月蒼

『奪還』リー・チャイルド/青木創訳

講談社文庫

 リー・チャイルドのジャック・リーチャーは、ディーヴァーのリンカーン・ライムと並ぶ「現代的な名探偵」の筆頭である。アクション・ヒーローの話に見せかけて、チャイルドはいつも魅力的な謎、魅力的な推理プロセス、魅力的なサプライズを仕込む。ストーリーテリングを優先しがちなディーヴァーに比べて、物語のスローダウンを怖れずに名探偵リーチャーの推理プロセスをしっかり書く。ちなみに僕は、ディーヴァーはクリスティー的でチャイルドはクイーン的だと思ってます。

 シリーズ中でもミステリ度の高い本書では、民間軍事会社の社長の妻子がNYで誘拐されたという事件にリーチャーが巻き込まれる。閉鎖空間みたいな趣のあるマンハッタンという舞台を、チャイルドは推理(犯行の謎、犯人の居場所の謎などいずれもNYCという前提に立脚している)に存分に活かす。ことに中盤の200ページの、謎また謎、意外な真相つるべ打ちが素晴らしい。いくつもの仮説が事実によって書き換えられてゆく過程が、律儀な手がかりを隠したアクション・スリラーというレールに乗って踏まれてゆく。

やはりNYを舞台とする最高傑作『葬られた勲章』には一歩譲るかも知れないが、傑作『アウトロー』に匹敵する快作。一気読み度では今月ならぬ今年のベストでした。

 

酒井貞道

『われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー/鈴木恵訳

早川書房

 三十年前の少女の死は、関係者の人生にはいまだ深い影を落としていた。そして今、犯人として逮捕収監されていた男が釈放されて帰って来る。かりそめの、表層だけの平穏はそれをきっかけに崩れていく。

 物語の中心にあるのは三十年前の事件とはいえ、読者の目の前で展開されるのは、あくまで三十年後の「今」の物語である。この「今」の物語がなかなか強烈で大胆なのだ。筆致は落ち着いている。雰囲気も重々しくまた痛ましい。登場人物も物思いに耽ることが比較的多い。だからトマス・H・クックのような渋い物語が進展していくのかと思いきや、途中(前半)でとんでもない事態が出来し、それ以降、物語は予想外の展開を迎える。それも何度もだ。物語のスピードが上がるわけではない。ゆっくりとした歩みは維持されたままだ。その遅い歩みの中でも意外性が感じられるし、その度に、何かがひたひたと内的緊張感を増していくのである。物語において、スピード起因の劇性というのはよく見かける。他方、ゆったりじっくり踏みしめてくる、緩徐の劇性というのはなかなかない。本作はその好例であり、だからこそ貪るような読書と浸るような読書が同時にできる。そして作品テーマ上はここからが大事なのだが、徐々に、登場人物たちにある種の連鎖が起きていることが次第にわかってくる。誰に何が起きてどう連鎖し、それが小説として何を表現することになるのか。この点に注目して読めば、『われら闇より天を見る』は、あなたにとって無二の作品となるはずです。

 

吉野仁

『われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー/鈴木恵訳

早川書房

 すでに評判の作品ながら、やはり今年の収穫となる一作であり、その抜きんでた読みごたえからしても外すことはできない。舞台はカリフォルニアの海辺の町。過去の悲劇とそれをいつまでもひきづる人たちをめぐる人間模様、そして新たに起こる事件のゆくえを追う物語で、あらすじだけだとありがちながら、さまざまな描写がよく、とくにヒロインの少女、無法者ダッチェスの人物造形がすばらしい。その魅力がこれほど刺さる登場人物は〈ミレニアム〉シリーズのリスベット以来かもしれない。ただ、ミステリとしての真相を隠す必要性からか、人物やエピソードの書き込みが足りないのでは、という不満も読後に覚えた。リアリティがないというかアンフェアな感じが残ったのだ。それでも『われら闇より天を見る』は本年屈指の小説だと思う。そのほか、個人的な趣味にぴったりな小説が並ぶ。「こんなとき、ロバート・ミッチャムならどうする?」と自問する主人公が最高なドナルド・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』に、ウィリアム・アイリッシュ風な雰囲気に包まれた中編フレデリック・ダール『夜のエレベーター』、そして7月刊を遅れて読んだレオン・サジ『ジゴマ』だ。ルパンや二十面相が好きなわたしは、この〈ベル・エポック怪人叢書〉の刊行がうれしくてたまらない。

 

杉江松恋

『ギャンブラーが多すぎる』ドナルド・E・ウェストレイク/木村二郎訳

新潮文庫

 今月は全員がクリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』を推してくるのではないかと思いつつ、初の全員一致もいいだろうと思いつつ、だったら自分もそれに乗っていいのではないかと思いつつ、だいたい最初に訳された『消えた子供 トールオークスの秘密』の解説は私だったのだしと思いつつ、途中まではエリー・グリフィス『窓辺の愛書家』を推すつもりだったのである。今年翻訳された謎解き小説では今のところ自分のベストだから。まあ、私が解説を書いてるんだけど。黄金期探偵小説の本に不審死の謎を解く鍵が隠されているという展開で、LGBTQの元放送局員老人と元修道士で恋愛願望の強いカフェ店長、ウクライナからやって来て追手の影に怯える介護士がトリオを結成して犯人を捜し、やはりLGBTQでスマートフォンのゲームばっかりやっている刑事がその対抗馬になる、という設定だけ見てもおもしろそうでしょ。これ、途中に素晴らしいチェンジ・オブ・ペースの場面展開があって惚れ惚れしちゃうのである。ユーモアのセンスも素晴らしい。上條ひろみの訳もいい。だけどまあ、自分で解説を書いたしな。

 チェンジ・オブ・ペースで感心する作品がたぶん私は大好きなのだ。それで言うとドナルド・E・ウェストレイクの旧作を発掘した『ギャンブラーが多すぎる』はツボに入りまくりの快作である。なんでこれが今まで翻訳されなかったんだろう、と不思議に思う。ギャンブル好きのタクシー運転手が、ある日客からもらった情報を元に競馬をやったら千ドル近い配当がついた。喜び勇んでノミ屋のところに行くと銃殺されていて、警察には疑われずに済んだものの、二つのギャング組織からは犯人扱いされてしつこくつけまわされるようになる。おまけに被害者の妹にまで拳銃をつきつけられて、とここまでの話だけでもうお腹いっぱいなのだが、本当に素晴らしいのはその後だ。

 流れ弾に当たって療養生活を送らなければならなくなった運転手の部屋に、いろいろな招かれざる客たちが押しかけてくる。被害者の妹やら、両ギャング陣営の男たちやら、そのせいで部屋が大混雑してしまうのである。さながら、マルクス兄弟『オペラは踊る』の有名な船室の場面よろしく。これに痺れてしまった。濡れ衣を着せられて主人公が逃げ回るのが話の基本なのだけど、その中にまさかの『オペラは踊る』状況。オフビートだな、と思う。これこそオフビートだよな、と思う。近頃こういうオフビートな場面のある小説って他に読んだっけ、と思う。読んでない。というわけで『ギャンブラーが多すぎる』を推すわけである。他にない犯罪小説なんだよ、これ。

 

 CWAゴールドダガー受賞作強し(ちなみに『窓辺の愛書家』はこの作品に負けました)。そして他にもバラエティに富んだ顔ぶれが揃いました。来月はどんな作品が挙がってきますことか。どうぞお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧