今回はサッシャ・ロスチャイルドの Blood Sugar(2022年)をご紹介します。

 マイアミで生まれ育ったルビーが初めて人を殺したのは5歳のときだった。海で泳いでいたところ、7歳の少年、ダンカンがおぼれかけていた。彼の両親はダンカンを見ておらず、周囲の大人も誰ひとりダンカンに気づいていなかった。ルビーは水中に潜って彼の足首をつかむと、思いきり引っ張った。ダンカンはルビーの姉、エリーの同級生で、いつもエリーをいじめていた。それを知っていたルビーはダンカンを助ける気にはならなかったのだ。

 それから25年、ルビーは4人の人を殺害した容疑をかけられ、マイアミビーチ警察署の取調室に坐っていた。きっかけは夫、ジェイスンの死だった。
 ジェイスンは1型糖尿病で、糖分の摂取には細心の注意をはらわなければならなかった。就寝中も血糖値を測定する装置をつけ、数値の異常を知らせるブザーが鳴れば、糖分を補給することになっていた。しかしジェイスンはいったん眠るとなかなか目がさめないタイプで、ルビーが彼を起こさなければならないことも多かった。
 ある日の深夜、ブザーの音で目がさめたルビーの隣で、ジェイスンが冷たくなっていた。この日にかぎってルビーも熟睡しており、ブザーが鳴っているのにすぐに気がつかなかったのだ。
 検死解剖の結果、不審な点は見あたらなかったが、ジェイスンが死ねば、保険金や彼が投資しているアパートメント、父親から相続した遺産など、そうとうな額にのぼる金がルビーのものになることから、警察はルビーに疑惑の目を向けていた。

 ジェイスンの死にルビーは関わっていなかった。だが、容疑をかけられている他の3人の殺害については身におぼえがあった。うちひとりは、5歳のときに殺したダンカン。
 もうひとりは、子どものころからの友人ハンナの父親、リチャード。10代のとき、ハンナの家に泊まりにいったルビーはリチャードにレイプされかけた。力ではとうていかなわなかったが、リチャードがピーナッツアレルギーだったことを思い出し、ルビーはそばにあったピーナッツ入りのチョコレートを口にした。そしてそれをかみ砕くと、リチャードにキスをして、無理やりピーナッツを食べさせたのだ。アナフィラキシーショックを起こしたリチャードをその場に放置し、ルビーは寝室に戻った。リチャードの死は不注意による事故として処理された。

 残るひとりは、20代になってから通っていたセラピストのもとで知りあったイヴリンだ。彼女は意地が悪く、ルビーが大切にしていたランプを故意に壊したこともあって、ルビーは彼女を忌み嫌っていた。
 イヴリンは携帯電話から目を離すことがほとんどなく、道を歩くときも携帯電話を見つめ、周囲に目を配ることがなかった。ある日、いつものように携帯電話を見ながら信号の色が変わるのを待っていたイヴリンの隣に、ルビーはそっと立った。そして大型トラックが近づいてきたとき、ルビーは足を一歩踏み出した。それにつられたイヴリンは信号の色が変わったと思い込み、歩きだした。すぐに足を引っこめていたルビーは、イヴリンがトラックに轢かれるのを見届けると、その場を去った。

 夫の死によって、夫殺害という謂れのない罪を着せられたあげく、過去の殺人を暴かれる恐れが出てきたルビーは、大学時代の友人であり、現在は刑事事件専門の弁護士として実績をあげているローマンに助けを求める。

 ルビーは大学で心理学を専攻し、卒業後はセラピストとして自身のクリニックを設け、精神的に辛い思いをしている人たちの診療にあたっている。動物もかわいがり、自分の心のうちを人に語るほうではないが、ごく一般的な人として社会に順応している。夫との仲は悪くなく、互いに相手を思いやる夫婦だった。傍目から見れば、仕事も家庭も問題なく、いい人の部類にはいるだろう。
 だが、過去に犯した殺人に関して罪悪感はいっさい抱いていない。本人は罪悪感がわくのを待っていたのだが、そういった感情が芽生えることはなかった。自分はサイコパスではないと言ってはいるが、どこか自分のなかにサイコパスのルビーが存在しているように感じていたのではないだろうか。物語はルビーの一人称で語られるが、その語りには、何かが欠落している人の不気味さが漂う。

 著者のロスチャイルドは本書の主人公ルビーと同じく、マイアミで育ち、ボストン大学で劇作を学んだのち、ロサンジェルスに居を移し、作家としてのキャリアを積んだ。エッセイや、自身の離婚にまつわる回想録を発表したほか、脚本家として活躍している。ネットフリックス制作のコメディ・ドラマシリーズ『GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』にはプロデューサー兼脚本家として関わっており、エミー賞にノミネートされた経験もある。小説は本書が初となる。

高橋知子(たかはしともこ)
翻訳者。訳書にミラー『5分間ミステリー あなたが陪審員』、レヴィンソン&リンク『皮肉な終幕』(共訳)、ブラント『アイリッシュマン』、ロビソン『ひとの気持ちが聴こえたら』、ケンプ『世界シネマ大事典』(共訳)など。趣味は海外ドラマ鑑賞。お気に入りは『シカゴ・ファイア』『ブルーブラッド NYPD家族の絆』

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