『西遊記』と聞くと、日本ではドラマとかアニメのイメージもけっこう大きいと思うのですが、それらの元となっているのは、中国明の時代に成立したとされる作者不詳の白話小説(中国の口語体で書かれた小説)です。日本語訳は岩波文庫で読むことができます(全十巻 中野美代子訳)。孫悟空、沙悟浄、猪八戒という三人の弟子を供に従えた三蔵法師が、ありがたいお経をいただくために天竺(インド)を目指すお話だということは、おそらく多くの人がご存じかと思います。『西遊記』は、唐代にインドに渡って仏教の経典を持ち帰った玄奘という僧が残した旅の記録『大唐西域記』を下敷きとしています。つまり『西遊記』における三蔵法師は玄奘がモデルである、ということになるのですが、そもそも三蔵という言葉は、仏教において「律蔵」「経蔵」「論蔵」の三種に精通した人を指す敬称として用いられるものなので、玄奘以外にも三蔵と呼ばれる人は複数存在するわけです。とは言うものの、日本において三蔵といえばやはり『西遊記』の三蔵法師を指すのであって、結局のところ三蔵法師=玄奘である、と言ってもいいのではないかと思います。

 今回は、この玄奘を主人公とする唐の時代を舞台とした伝奇ミステリ、陳漸ちんぜん『大唐泥犁獄』(緒方茗苞訳 行舟文化)をご紹介します。タイトルは「だいとうないりごく」と読みます。

 物語の舞台は貞観三年(六二九年)、唐は霍邑かくゆう県。玄奘が二七歳のときのこと。その八年前、兄長捷ちょうしょうとともに、益州は空慧くうけい寺で修行を積んでいた玄奘は、仏法を学ぶため各地を遊歴しようと思い立ち、兄が止めるのも聞かずに空慧寺を出て行きます。それから四年が経ったころ玄奘は、長捷が師匠を殺して出奔したことを伝え聞きます。なぜ兄は我らが師を殺してしまったのか、なぜ身を隠してしまったのか、その理由を知るため、玄奘は長安、そして益州へと足を運び、詳細を聞いて回るのですが、聞く人みな長捷が師匠を殺したことは知っていても、そうするに至った事情はおろか、長捷がどこに向かったのかも知る人はいませんでした。そんななか玄奘は、霍邑県の県令崔珏さいかくが、ある僧の訪問を受けたあとに自殺したという話を耳にします。崔珏と話をしたその僧こそ長捷ではないかと思った玄奘は、旅の途中で従者となった天竺人波羅葉とともに霍邑県に入ることになります。

 崔珏の後任として県令となった郭宰の館に逗留することになった玄奘は、郭宰やその妻である優娘、その他の役人にも話を聞きますが、さしたる収穫はありませんでした。しかし、郭宰から不思議な話を聞きます。前の県令崔珏は、謎の僧に会い自死したあと、閻魔大王の部下である判官となり、泥犁獄で人の世の善悪を裁いているというのです。泥犁獄とは冥界に存在する、いわゆる地獄のようなもので、死んで冥界に入る者は生前の善悪や罪過を吟味され、十八ある泥犁獄のどれかに進むよう命じられるのですが、その罪過の判断を司るのが判官であり、その役割を崔珏が担っているのだと、民衆の間ではまことしやかにささやかれていたのでした。このような伝説となった崔珏のために、民衆は廟を作り、線香をあげて祈りを捧げるのでした。

 奇妙な伝説のほか長捷に関する情報はなにも得られなかった玄奘でしたが、その後何者かによって二度も命を狙われます。そのため、郭宰に迷惑がかかってはならないと、館を出て霍山にある興唐寺へと投宿することにします。世間に名高い高僧の訪問とあって、興唐寺の住職空乗は教典の講義を所望し、玄奘もそれを承諾したところ、ここで彼はみたび命を狙われます。兄を探して霍邑を訪れただけなのになぜ何度も命を狙われるのか、その理由もわからないまま投宿を続けるうち玄奘は、宗教間の対立(当時は仏教と並んで道教が大変盛んでした)に端を発する壮大な陰謀に巻き込まれていることを知るのでした。

 本作の魅力をいくつか。まずは玄奘を始め長捷、崔珏、そして唐帝李世民といった実在の人物を大胆にも物語の中心に据え、虚実を織り交ぜつつかくもスケールの大きな陰謀とその顛末を破綻なく描き切ったというところでしょう。実在の人物にも、おそらくは著者の想像によるキャラクター付けがされていて、それぞれに個性を発揮しているのはもちろん、優娘やその娘である緑蘿、玄奘の従者波羅葉など、架空の人物も大変魅力的に描かれています。実在する人物をこれほど大胆に動かすことができるのも、これら架空のキャラクターの造型が優れているからだと考えます。特筆すべきは波羅葉で、頭脳明晰であり何年も旅を続けてきて胆力も備えた玄奘を心から敬い、時には師の目となり足となり、時には師を守る盾となって、まさに八面六臂の活躍をするのです。その姿は「探偵玄奘と助手波羅葉」と言っても差し支えなく、この二人の行動はさしずめ冒険奇譚ともいうべき雰囲気をまとっていてわくわくします。

 また、陰謀の舞台となる興唐寺(これも実在します)がすごいのです。どうすごいのかを説明するとネタばれになりそうなので詳しいことは書けないのですが、読んでいて「こんなんアリ?」と言いたくなること請け合いです。現在はもう朽ち果ててしまっていて李世民が植えたというアカマツが一本だけ残っているという興唐寺をよくもまあここまで……陳漸という作家の想像力のすごさを垣間見ることができます。この想像力が陰謀の「なぜ」にも存分に発揮されていて、とにかく読んで驚けとしか言いようがないのです。

 玄奘が主人公となれば『西遊記』との繋がりも気になるところですが、史実によれば玄奘が天竺に旅立つのも貞観三年なので、本作はまさに玄奘が出立する直前に起こった事件だということになります。そして本作に描かれる、玄奘の出立に絡むエピソードが、なんともいえない切なさと余韻を残していて実にいいのです。

 本作は「西遊八十一事件」と銘打たれた全五作からなるシリーズの第一作です。すでに第四作までが刊行されていて、著者によれば現在最終作を執筆中とのこと。天竺に向かう道中で、玄奘がどのような事件に出会いどのような活躍を見せるのか、日本語で読める日が楽しみでなりません。ん? それって結局『西遊記』なのでは? と思った方。確かにそうなんです。著者によれば、このシリーズは《歴史上の玄奘と『西遊記』を融合して斬新なものを創り出す》《大量な歴史の細部を作中に取り入れることで『西遊記』をファンタジーの世界から現実の世界に引っ張ってきた》という狙いがあるとのことで、第二作以降の展開も『西遊記』と呼応するものになることが明らかにされています。それだけでももうわくわくしてきませんか?

 陰謀あり、伝奇あり、冒険あり、恋愛ありとさまざまな要素がふんだんに詰めこまれていて、欧米のミステリはおろか、これまでに刊行されてきた華文ミステリとも一線を画している本作。ちょっと武侠小説のエッセンスも入っており、まさになんでもありの大スペクタクル小説となっています。ぜひ手に取ってみてほしい一冊です。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。Twitterでも随時情報発信中です(Twitterアカウント @hmreadersaward)。10/29のギョロッケ読書会もよろしくお願いいたします!

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