単に私のリサーチ不足なのだとは思いますが、日本人作家の書く小説でも海外を舞台にした作品はあるけれど、それらは主要な登場人物が日本人だったりなど、どこかに日本という「色」が添えられているものがほとんどで、舞台も登場人物もすべて海外という作品はあまり見かけないような気がします。一読者の立場で考えてみても、アメリカの話が読みたかったらアメリカ人作家の書いた本を読めばいいということにはなるかもしれません。餅は餅屋、病んでは医に従うという感じでしょうか。もし、日本色がまったく排除された日本人作家の「海外小説」をご存じの方がいらっしゃったらぜひご教示ください。私が知らないだけで、きっと存在するのだと思いますので。
で、外国人作家に目を向けるとこれが割とあるんですね。自分の国がまったく絡まない、他国を舞台に他国の人たちが活躍するという作品が。他の国との距離感とか言葉とか、国と国とを隔てるさまざまな要因が日本とは大きく異なるというのがその理由なのかな、と想像してはみるものの、アジアの小さな島国に住む私にはその本当のところは到底わからないのだろうと思います。
というわけで、今回紹介する二作品に共通するのは、「どちらも著者の住む国とは違う国が舞台で、しかも自国がまったく絡まない」という点なのでした。たまたまそのことに気づいちゃったので枕に使いましたが、作品紹介にはまったく関係ありませんので……。あ、そういえばどちらも東京創元社の作品です。こっちの共通点のほうが大事ですね。
まずご紹介するのは、R・J・エロリー『弟、去りし日に』(吉野弘人訳 創元推理文庫)。イギリス在住のイギリス人作家による、アメリカ南東部で起こる殺人事件を描いた小説です。
ジョージア州北部に位置するユニオン郡の保安官ヴィクター・ランディスのもとに弟のフランクが殺されたとの知らせが届きます。フランクはユニオン郡の西、テネシー州との州境に位置するデイド郡の保安官でした。しかし兄弟の関係は昔から悪く、もう十二年も顔を合わせていません。それゆえ、ヴィクターの胸に迫るものはなく、弟に何が起こったのかすら気にならなかったのです。そんなヴィクターを変えたのは、フランクの一人娘ジェンナでした。葬儀で初めて会ったばかりの姪に、なぜ父が死ぬような目に遭ったのかを調べてほしいと懇願され、なんとか言い逃れようとするヴィクターでしたが、そんな彼にジェンナはこう言うのです。
「もしわたしがあなただったら」彼女はようやく口を開いた。眼は涙でにじんでいた。「わたしたちのあいだに何があったとしても、どうしてパパが体じゅうぼろぼろになるまで車で轢かれたのか知りたいと思う」
彼女の下唇は震えていた。全身が時計のゼンマイが巻き上げられたように固くなっていた。
「それにもしわたしが知りたくないと思うなら、どうしてなのって、自分自身を問い詰めるわ」
(六〇~六一ページより引用)
この言葉に心を動かされたヴィクターは、唯一の肉親となったジェンナのためにフランクの死の真相を探りはじめるのですが、ジェンナの養育費に絡む謎や、市警がまともな捜査をしているようには見えないことなどから、弟の死の裏に隠されたものの存在に気づいていくのでした。そんな折、ユニオン郡の湖で少女の死体が発見され、ヴィクターは弟の死と少女の死という二つの事件の捜査にのめり込んでいきます。
両親はすでになく、弟とは疎遠で、妻を病気で失ったヴィクターにとって、家族は自分に縁のないものでした。しかしジェンナが現れたことに加え、弟の死の真相が少しずつ明らかになるにつれ、ヴィクターの心は少しずつ変化していきます。と書くと、家族を失った男の再生を描く物語のように見えます。もちろんそのような要素は強いし、ヴィクターとジェンナの間に通う信頼関係は読む人の心を強く打つでしょう。
しかし、この作品の本質はそこではないような気がするのです。読み終わったときに生まれるほんのわずかな違和感。それがなにかをここで語るわけにはいきません。一見無関係のように見える二つの事件を大胆に結びつけていくテクニックの巧みさ、やや文学的に傾いているかのような抑制された語り口、これらによってうまく隠された、本作を構成している論理をぜひ読み取ってほしいと思います。
続いて紹介するのはドイツ人作家の描くイギリス警察小説、シャルロッテ・リンク『罪なくして』(浅井晶子訳 創元推理文庫)。『裏切り』『誘拐犯』に続く、ロンドン警視庁の刑事ケイト・リンヴィルを主人公とするシリーズの第三作です。第一作『裏切り』は以前当欄でもご紹介しています。同じシリーズの作品を二度も取り上げるなんて、よっぽど好きなんだろうなあとお思いのあなた。正解です。記事を読んで、よっぽどおもしろいんだろうなあ、読んでみようかなあと思ってもらえれば本望です。
前二作は、ロンドン警視庁に所属しているケイトが、実家のあるヨークシャーで事件に巻き込まれ、地元スカボロー署のケイレブ警部とともに事件を解決するという形でした。ロンドン警視庁では周りの評価はおろか自己評価も低く、友人もなく内向的で魅力に欠けた存在のケイトでしたが、実はとても優れた捜査能力の持ち主であることをケイレブは見抜いており、この二人の関係性も読みどころになっています。今作ではケイトがロンドン警視庁を辞め、ケイレブとともに働くためにヨークシャーへ向かう列車内から物語は始まります。
ケイトは、車内で銃撃されたロシア人女性クセニアを、自分の足に怪我を負いながらも救い出します。銃撃してきた相手に心当たりはなく、なぜそんな目に遭うのかもわからないというクセニアでしたが、その言動からケイトは彼女が何かにおびえていることを察知します。
一方同じ頃、ケイレブは休暇用貸しアパートの一室に、銃を持った男性が妻と子供を人質にして立て籠もるという事件に対応しており、その結果人質を死なせてしまいます。ケイレブは以前からアルコールの問題を抱えており、今回の失態もそのせいだと感じていた部下は上司に報告し、ケイレブは停職処分となっていました。
その二日後、ケイトとクセニアを銃撃したものと同じ銃が別の場所で使われます。この事件で犠牲になったのは、ステイトン・デイルという村で教師をしているソフィアという女性です。自転車で走っていたソフィアは、何者かが道路を横切るように張った針金にかかって転倒し、四肢麻痺に陥ります。彼女に向かって放たれた銃弾は幸いにも当たらなかったのですが、まったく面識のない二人の女性に同じ銃が向けられたのはなぜか。彼女らはどのような目的で狙われたのか。これらの謎は残ったままでした。
というのが本作の冒頭およそ百ページあたりまで。ヨークシャーに到着したケイトは、停職になったケイレブと会えないまま事件の捜査に加わるというのが、前作までと違うところです。これまでは事件の外側にいるケイトが、内側にいるケイレブに先んじて事件を解決に導くという形だったのが今回は逆転しています。ただし、ケイレブは捜査にいっさい手出しができない状況なので、実質はケイトが一人で捜査に臨むことになっています。
本作、というか本シリーズの魅力はいくつも挙げられますが、まずは人物のキャラクターに注目すべきでしょう。主役の二人はどちらも完璧にはほど遠い、どちらかというと欠けの目立つ人物です。片や自己肯定感が低く孤独な自分をなんとかしたいともがいており、片やアルコールに溺れながらもなんとか抜け出したいとこちらももがいている。このような彼らが、自らの欠けを自覚しつつ事件に真摯に向き合い、時に危険な目に遭いながらも少しずつ真相に近づいていく姿が読者の胸を打つのです。ケイトのちょっと不思議な友人コリンも、物語のちょっとしたスパイスとして貴重な存在です。
続いて、著者の語りの巧さが挙げられます。本作にはケイトやケイレブの他にも視点人物が複数いて、ともすれば混乱してしまうところですが、リンクはいともたやすく(そう見えるだけで、だからこそテクニックに長けているということなのですが)もつれそうになる糸をまっすぐにして読者に差し出します。ゆえに読者は物語の行方を見失わず、彼らに共感すらしながら読み進めることができるというわけです。まさにリンクの真骨頂です。
本作では、決して共感することのできないキャラクターが登場します。おそらく読めば誰もが嫌悪感を抱くようなこの人物を通して、読者はタイトルにもある「罪」とはなにかということを改めて考えさせられることになるでしょう。そして、最後がもうなんとも言いようのない終わり方なので、きっと次を読みたくなるはずです。著者の体調が気がかりですが、次作以降も順調に刊行されることを期待しています。
さて、最後に「どくミス!」関連の情報を。
投票期間と結果発表日が決定しました。
結果発表 2025年5月24日(土)21時より
例年よりも約一ヶ月ほど遅い日程となっています。その分昨年末までに刊行された作品を読み直す期間も十分ありますし、投票期間もたっぷり二週間ありますので、ギリギリまで迷って投票するのもオーケーです。
翻訳ミステリー読書会のサイトには、投票に関する詳しい情報が掲載されていますので、そちらを一読いただいて、ぜひあなたのイチオシミステリに票を投じてくださいますようお願いいたします。
大木雄一郎(おおき ゆういちろう) |
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