今月はまず原書房コージーブックスの新刊から。サラ・ハーマン『うちの子が犯人なわけない』(下田明子訳 コージーブックス)をご紹介します。

 主人公フローレンスは三〇歳のシングルマザー。かつてはガールズバンドのボーカルとして活動していたこともありますが、ブレイクしないまま引退、バルーンアートの訪問販売をしながら十歳になる息子のディランを育てています。

 ある日、ディランのクラスメイトが校外学習中に行方不明になるという事件が起こります。

”ディランのクラスで消え失せたってかまわない子を選ばなきゃならないとしたら、リストのトップはアルフィーだ”(九ページより)

 行方不明になったアルフィーという子はフローレンスにとってこのような存在で、日頃からディランのことの虫けらのように扱っていることに腹立たしさを感じていました。

 ディランの通う学校は創立一五〇年を誇る私立の男子校。伝統を重んじる校風であり、そんな校風に見合う家柄の子供たちが集まっています。前夫の意向でディランをこの学校に入れることになったフローレンスでしたが、級友の母親たちは高級ブランドを身にまとうような金持ちばかり。そんな母親らに反発心しか持てない彼女にママ友などできるはずもありません。味方はディラン以外になく、バルーンアートを売りながら芸能界へのカムバックを夢想する日々を送っています。

 かつてのマネージャーから「会いたい」という連絡をもらって、すわ再デビュー? と浮かれ気分でミーティング用の衣装を物色していたフローレンスの携帯が立て続けに通知音を鳴らし始め、読むのが追いつかないほどのメッセージが送られるなか「緊急事態」「警察が向かってる」との文字を見た彼女は、実際には何が起こっているのかわからないまま店を飛び出して学校に向かうのでした。

 学校に到着すると、すでに他の母親たちも集まっていましたが校舎内に入れてもらえないため、門のところで教師たちに説明を求めていました。そこでフローレンスは初めて「生徒のひとりが行方不明になった」という事実を知ります。そう聞くやいなやフローレンスは周囲の制止も聞かず強引に校舎に侵入し、そのひとりがディランじゃないことを祈りながら校舎内を探し回ったあげく、とうとう学校から連れ出してしまうのでした。

 ディランを連れて帰宅し、彼に事情を聞いたところ、行方不明になったアルフィーとディランはバードウォッチングのペアになっており、彼がちょっとその場を離れた隙にアルフィーはいなくなっていたのだと言います。つまりディランは行方不明者を最後に見た人物だったのです。そのうえ、ディランの部屋のベッド下からアルフィーのリュックが見つかったものだからもう大変。息子がこの行方不明事件にどう関係しているのかとパニックに陥りつつも、とにかくまずディランを事件から遠ざけ、問題のリュックをどうにかしなければと考えるのでした。

 コージーミステリの特徴のひとつに、警察や職業探偵以外のいわゆる素人が探偵を務めるというのがありますが、これには常々「無理があるのでは?」と思っていました。たとえそうすべき理由があったとしても、素人が事件の捜査をするなんて普通に考えたら違和感しかないじゃないか。そんなふうに考えていたのです。ところが本作では、フローレンスに抜き差しならない状況(ディランが犯人かもしれない=ディランを失うかもしれないという不安)を与えて彼女を追い詰め、「ある行動」を取らせることで、なんとしてでも自分で事件を解決しなければならないように仕向けています。この「ある行動」によって、事件捜査をする素人というちょっと無理な設定がぐっと現実的に見えてくるのです。これを著者が意図していたのであればすごい。というか素人探偵という設定に無理があると思っていたのは、実は私がちゃんと読んでいなかっただけなのかも、と猛省しているところです。

 本作をひとことで説明するならば、フローレンスの直情的で破天荒なキャラクターがもたらすドタバタ感あふれるミステリということになるのですが、そんななか、全編を通して流れているのは子を思う母親の愛情です。ディランを「ちょっとふつうじゃない」と思っていても、たとえ彼の考えが理解できなかったとしても、我が子をなんとしても守りたいというフローレンスの思いがどのページからもあふれてきます。彼女の行動に笑ったり呆れたり、時に共感しながら、本作を楽しんでもらえたらと思います。

 続いて紹介するのは、ダーヴラ・マクティアナン『#ニーナに何があったのか?』(田辺千幸訳 ハーパーBOOKS)です。こちらも親子関係がテーマなんですが、『うちの子が犯人なわけない』とは趣のまったく異なる作品です。

 プロローグはニーナという大学生のモノローグ。サイモンという恋人に対してニーナが不信感を持ち、彼の元を去る決心をするまでが描かれます。ニーナ視点というバイアスはあるにせよ、サイモンの言動は読者の目にもやや異様な印象です。

 ある週末、サイモンの両親が所有する別荘の敷地内にあるトレイルコースに出かけた二人でしたが、プロローグで記された出来事があり、ニーナは別れる決心をしていました。しかし別荘から帰宅したのはサイモンだけで、ニーナは帰ってきませんでした。どちらの親も二人で出かけたことは知っていたので、ニーナの両親はサイモンを訪ね、ニーナがどこへ行ったのかを問いただすのですが、サイモンは別荘でニーナに別れ話を切り出され先に帰ってきてしまった、ニーナがその後どこに行ったのかは知らないというばかり。

 母親同士はもともとお互いをよくは思っておらず、サイモンの母親は、娘の失踪はサイモンのせいだと言わんばかりのニーナの母親の態度が気に入りません。より広く情報を集めるために、ニーナの両親は警察の勧めに従って記者会見を開くのですが、この会見をきっかけに事件は思わぬ方向に転んでいきます。

 会見の内容が気に入らないサイモンの両親は、SNSを利用してニーナの両親に対する大ネガティブキャンペーンを張ります。母親の経営するペンションも、父親が営む造園業もネガキャンのおかげで立ち行かなくなり、ニーナ一家は徐々に追い詰められていくのですが、ニーナ一家もただやられているわけではありません。視点人物がめまぐるしく入れ替わっていくなか、両家のなかで何が起こっているのか、そのすべてを知っているのは読者だけであり、そのことが、やがて訪れる結末になんとも言えない余韻を残します。

 ニーナに何があったのか、については中盤あたりでうっすらとわかってくるのですが、それだけに、この話の行く先がどうなるのかとページをめくる手が止まりません。彼らを自分に置き換えてみて、これほどの策謀や人々の悪意を目の当たりにしながらもなお、自分が彼らのような行動を取らないとは言い切れないと気づくとき、本作に潜む本当の怖さが理解できるのではないでしょうか。

 どちらも日本初紹介の作家で、親子関係がテーマというのは偶然でしたが、この際両方手に取ってみることをオススメします。

 あともうひとつ。フェリックス・フランシス『覚悟』(加賀山卓朗訳 文春文庫)についても手短に触れておきます。父ディック・フランシスのあとを継ぐ形でスタートした新・競馬シリーズは二〇一五年の『強襲』(北野寿美枝訳 イースト・プレス)が一作目で、その後刊行が止まっていましたが、このたび! ようやく! 文春文庫から出ました!

 本作と競馬シリーズ全般については、「蘇る! 伝説の競馬シリーズ! 『覚悟』を200倍美味しく読めるレシピあります!(全国翻訳ミステリー読書会YouTubeライブ第26弾)」にて熱く語られておりますのでぜひごらんください。

 私からここで申し上げておきたいのは以下の三点です。

1)『覚悟』は、競馬シリーズ唯一といってもいいシリーズキャラクター、シッド・ハレーが活躍する五作目の作品である。
2)競馬シリーズ(新・競馬シリーズ含む)と言うけれど、競馬の知識はまったく不要である。おそらくシリーズのファンで、競馬に詳しいという人はそう多くないはず(私もそうです)。
3)シリーズとはいうものの、基本的に一作完結の作品群なので、どこから読んでも大丈夫である。『覚悟』を読んで気に入ったらそこから旧作を遡るのはもうめちゃくちゃ「アリ」です。電書なら全作読めます!

 新しいシリーズがスタートしたいまこそチャンスです。みんなでフランシス親子の描く世界に飛び込もうではありませんか!

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
今回で当欄も81回目となりました。いつも読んでいただきありがとうございます。100まで届くかな? 今後ともよろしくお願いいたします。

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