先月お休みしたぶん、今回はちょっと欲張って四作品取り上げます。
まずはリツ・ムケルジ『裁きのメス』(小西敦子訳 新潮文庫)から。南北戦争が終わって間もないころのフィラデルフィアが舞台の医療ミステリーです。
主人公は女性医師のリディア。女性は男性よりも劣っている存在であるという偏見が、当然のように受け入れられていたなか、特に女性医師に対しては、男性医師からの嫌がらせや、患者の診療拒否なども日常茶飯事だった時代。彼女はさまざまな屈辱に耐えながら、毎日の診療のみならず、ペンシルベニア女子医学校でリディアのような医師を目指す女性たちを指導するなど、堅実に仕事をこなしていました。
そんな折、リディアのもとに法医解剖の目的で水死体が運ばれてきます。それはリディアの患者であり、また彼女が何かにつけ目をかけていた少女アンナの遺体でした。警察は状況から見て自殺だと考えていましたが、リディアにはどうしてもそうは思えず、自ら捜査に加わっていくのでした。
本作の大きな特色は、十五年もの経験を有する女性医師が書いたミステリーということです。当時といまでは医療に関する知識も技術も天と地ほどの開きがあるのは当然のことですが、病気を診断するための考え方はそれほど変わりません。問診や診察によって症状を把握し、時には患者の生活環境なども調査して病気を推測していくというプロセスは、昔もいまも共通です。このプロセスが、事件を捜査し犯人を追い詰めていくプロセスとまったく同じだと、本作の解説を書かれた岩田誠医師は言います。私自身、医療に携わっている経験上そのように感じることは多いですし、最近放映されている医療ドラマにミステリー要素がふんだんに盛り込まれているのももっともなことだと思うわけです。
著者はリディアを優れた医師として描いています。優れた医師は聡明であることはもちろん、客観的思考の持ち主であることが求められるでしょう。それはそのまま、推理小説における探偵役の要件にも置き換えられるのではないでしょうか。差別に耐えながらも自らの信念、正義を貫き通そうとするリディアの姿を通して、当時の女性たちが置かれた厳しい環境を映し出しながら、ミステリーとしての意外性も十分に兼ね備えている本作、ぜひ手に取ってみてほしい作品です。
続いてはキャメロン・ウォード『螺旋墜落』(吉野弘人訳 文春文庫)をご紹介します。
旅客機を題材にしたミステリーといえば、セバスチャン・フィツェック『座席ナンバー7Aの恐怖』、ジュリー・クラーク『行き477便』、T・J・ニューマン『フォーリング―墜落―』、クレア・マッキントッシュ『ホステージ 人質』など、この数年を振り返ってみてもこれだけのタイトルが思い浮かびます。そしてどれもおもしろい。そんな航空ミステリーの系譜にまたひとつ秀作が加わることになりました。
本作ではふたつの時間軸の物語が交互に描かれます。まずひとつはアメリカン・アトランティック航空二二九便に乗ってロンドンからロサンゼルスに飛ぶチャーリーという女性の物語。チャーリーは息子のセオが副操縦士として搭乗する旅客機に乗り込みます。ただしセオはそのことを知りません。チャーリーはあることでセオの怒りを買ってしまい、それ以来断絶状態にあります。チャーリーはなんとかして関係を修復したいと願い、息子のフライトに紛れ込んだのでした。しかし、チャーリーの願いは叶わないまま、深夜十二時に旅客機は墜落してしまいます。
もうひとつはチャーリーが搭乗したその日から一年前、母と過ごしていたロンドンを離れ、一人でロサンゼルスにやってきたセオの物語です。彼の目的は、母親との確執の元にもなったある人物を探すことであり、そのために探偵も雇っていました。しかしロスに着いたとたん、探偵はこの依頼は受けられないと連絡をしてきたのでした。その人物に関わりたくない、他の探偵事務所を推薦することもできないと言われ、手がかりもまったくなくなったセオでしたが、その人物を見つけたいという意志は少しも変わることはありませんでした。
確かに墜落したはずなのに、チャーリーが目を覚ますとまだ飛行機のなかにいて、時計を見ると午後十一時〇一分。墜ちたはずなのになぜ時間が戻っているのか。彼女にはその理由がわからないまま再び飛行機は十二時に墜落し、その後彼女は目を覚ます。同じ時間を何度も繰り返していることに気づいたチャーリーは、なんとか一人で墜落を食い止めようと試みます。しかし彼女が目を覚ます時間は十一時〇三分、十一時〇五分、十一時〇八分、十一時十三分と繰り下がっていく。ループを繰り返すほどに墜落までのリミットが短くなっていくのでした。
墜落の一年前から始まるセオの物語は、探している人物に固執するあまりアルコールやギャンブルに溺れ、落ちるところまで落ちたところで、チャーリーの物語と交錯することになります。セオの物語が進むにつれ墜落の原因が読者にも明らかになり、旅客機のなかで孤軍奮闘するチャーリーもまたその答えに辿りつくのでした。
ループのたびに繰り下がっていく時間はフィボナッチ数列に従っており、最後のループが午後十一時五十五分、つまり墜落五分前だということに気づいたチャーリーが、タイムリミットが迫るなか如何にしてこの窮地を脱することになるのか、読者はこの母子の選択と行動を固唾を飲んで見守るしかありません。まさに巻を措く能わずという言葉がぴったりな作品です。第一級の航空スリラーをぜひご堪能あれ。
三作目と四作目は八月二日に配信された「第4回 夏の出版社イチオシ祭り」で紹介された作品をご紹介します。まずはホリー・ジャクソン『夜明けまでに誰かが』(服部京子訳 創元推理文庫)から。
『自由研究には向かない殺人』から始まる三部作は、全国読書会のYouTubeライブで二回にわたって読書会を開催したほど話題となったシリーズです。特に三作目の『卒業生には向かない真実』は、その結末がファンの間でも議論を呼びました。
そんな著者の最新作は、三部作とは趣をガラッと変えて、ほぼすべての出来事がキャンピングカーのなかで起こるというワンシチュエーションもの。かんたんにあらすじを紹介すると……。
高校生四人と大学生二人のグループが、キャンピングカーを借りて旅行に出かけます。すでに日も暮れてしまい、携帯電話の電波も届かないような田舎道でルートを探しながら走る六人に、タイヤがパンクするというアクシデントが降りかかります。スペアタイヤに交換して旅を続けようとする六人でしたが、今度はなぜか四輪すべてがパンクするという事態に。なにがなんだかわからない六人でしたが、そのなかの一人であるレッドが、闇の中にきらめく赤い小さな点を見つけたことから、キャンピングカーが狙撃されていることに気づきます。パンクも狙撃犯の仕業であり、ご丁寧に燃料タンクまで打ち抜いているという始末。六人はわけもわからないままキャンピングカーに閉じ込められることになったのです。
狙撃犯が届けたトランシーバーを通して、六人はその目的を知らされます。彼らのうちのひとりがある秘密を知っていてそれを隠しており、狙撃犯はその秘密を知りたいのだというのです。誰がどんな秘密を隠しているのかがわからないなか、年長者のオリヴァーをリーダーとして六人はキャンピングカーからの脱出を試みるのですが……。
物語はレッドの視点で進んでいくので、彼女を通して語られる言葉だけが、読者にとって車内の様子を知る唯一の手段となります。また、読者にはかなり早いうちからレッドが何らかの秘密を持っていることが知らされていますが、その秘密が狙撃犯の知りたい秘密かどうかはレッドにすらわかっていません。この場から逃げ出したいという気持ちと、秘密を探り出さなければという気持ちが入り交じり、六人の間には互いに腹を探り合うような状況が生まれてきて、平時には見ることのなかったそれぞれの性格が徐々に浮き彫りになっていきます。とりわけそれはリーダー格のオリヴァーに顕著に表れてきて、極限状態にさらされてまともな判断ができなくなっているのに、反対を押し切って無謀な脱出プランを試みようとする。失敗したら誰かのせい。誰かがいいアイデアを出せばそれを自分の手柄のようにしてしまうという自分勝手な振る舞いには、おそらく誰もがうんざりすることでしょう。
そのようななか、それぞれが抱えている秘密が徐々に明らかになっていき、やがて狙撃犯の目的であった秘密も暴露されるわけですが、それですべてが解決するわけではないというのがホリー・ジャクソンのすごいところで、そこから先にもう一段階仕掛けがあり、その仕掛けがわかったとき、読者には初めてこの物語が伝えようとしている本当のところが理解できるのです。
オリヴァーに腹を立てながら読んでいると足下をすくわれます。くれぐれも油断なさらないよう。
さて、最後にご紹介するのは、フリーダ・マクファデン『ハウスメイド』(高橋知子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)です。怖い小説は数あれど、本作ほど冒頭から不安の種がちらついている小説に出会うことはそれほどないと思います。そのくらい、怖い。
刑務所から出所したミリーは、働いていたバーを追い出されてしばらくはホームレスのような生活をしていたのですが、ようやく裕福な家のハウスメイドの仕事にありつきます。住み込みで働くため、荷物を屋敷に持ち込んだミリーが案内されたのは、物置とも見まがうような屋根裏にある狭い部屋。とはいえ小さいながらもベッドはあり、車での寝泊まりを余儀なくされていたミリーにとってはそれでも十分だといえるものでした。しかし、扉が外鍵になっていることに気づき、心のなかに妙な引っかかりを覚えます。物置だったのだから当然だと思い直し、仕事に集中しようとするミリーでしたが、仕事を進めるにつれこの家は何かおかしいと思い始めます。雇い主であるニーナは部屋を散らかし放題で、気分によってミリーへの態度や言うことがコロコロ変わる。娘のセシリアはけっしてミリーに懐こうとせず、反抗的な態度ばかり取る。ただ一人、まともに見えるのが夫のアンドリューですが、だからこそ、ミリーはなぜこんな人格者がニーナのような妻と結婚生活を続けていられるのだろうかといぶかしむのです。加えてほぼ毎日のようにやってくる庭師のエンツォの存在も気になります。英語がほとんど話せない彼は、ミリーになんらかの警告を発しているようにも見えるのですが、ミリーにはその意味するところがわかりません。この家は明らかにおかしいと思いつつ、お金を必要としているミリーにはこの仕事が大切で、決して辞めるわけにはいかないのでした。
と、あらすじはここまでにしておきます。あとはぜひ読んでいただきたい。とにかく怖いのよー。でもページを繰る手が止まらないのです。そして、最後まで読み終えたときには、いままで感じていた怖さが驚きに変わっていることでしょう。気を抜かず一気に読むことをオススメします。
ということで四作品を一気に紹介しました。各社のイチオシ作品が集中する読者泣かせの時期になりました。まだまだ暑い日が続きますが、体調に気をつけてしっかり読んでいきましょう。ではまた来月!
| 大木雄一郎(おおき ゆういちろう) |
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9月に福岡読書会を久々に開催します。これからはまた定期的に開催できるようにしていきますので、お近くの方はぜひご参加ください! |
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