「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 最近、ジュリアン・シモンズの小説を読み始めました。
 〈乱読クライム・ノヴェル〉と題した連載をやっておきながらお恥ずかしい限りなのですが、長らく未読のままだったのです。
 特別に読むのを避けていたつもりはありません。というより、ほとんど知らなかったからこそ、手を出していなかったのかもしれません。評論『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』(1972)からの引用文だけは至るところで目にしていたので多分パズラーではなくクライム・ストーリーの書き手なのだろうとはぼんやりイメージしていましたが、その程度の印象でした。なんなら、作家というより評論家と認識していた部分もあるかもしれません。
 読んでいなかったのがなんとなくなら読み始めたのもなんとなくでした。古書店で『二月三十一日』(1951)を割安で見つけたので購入した帰り道、家から持ってきていた本を読み終えてしまったので何か読むものが欲しいとページを開いたのです。すると、これが面白い。異様な引き込みのあるクライム・サスペンスで、そのまま読み切ってしまいました。買ったはいいものの年単位で本棚に差しっぱなしだった他のシモンズ作品も続けて手に取ったのですが、どれも大変に良い。「ジュリアン・シモンズって、こんなに凄い作家だったのか!」と今更ながら驚嘆している次第です。
 一口に犯罪小説といっても、シモンズが書くのはノワール・ジャンルのような、犯罪者を主人公としたものではありません。大抵の場合、事件の犯人が本当は誰なのかといった真相は最後まで伏せられているので物語の構成としては実は謎解きミステリ的といってもいい。その上で彼の作品が探偵小説ではなく犯罪小説なのは主眼となっているのが論理パズルではなく、犯罪そのものだからです。
 シモンズはまず、物語の舞台となる社会について描き込みます。高級住宅街や広告会社などの特定のコミュニティに生きる人々の生活を活き活きと語る。その中に、ちょっとした感情の食い違いや不穏な出来事を散らし「何かが起こるぞ」とサスペンスを盛り上げる。そして実際に事件は発生し、その衝撃と、周囲がどう受容したかが現実的な重さを持って描かれる。
 探偵小説と犯罪小説を厳密に区分するシモンズ本人は余り喜ばないであろう乱暴な評し方ですが、たとえば中期以降のアガサ・クリスティー作品を好む読者は『月曜日には絞首刑』(1964)や『クリミナル・コメディ』(1985)を好きになれるのではないでしょうか。テーマをはじめとして大きな差異はあるものの、犯罪が起こるゼロ時間に至るまでを十二分に読ませるミステリとして読み心地には通じるものを感じます。
 とにかく、ある犯罪が起こるべくして起きていく様子を描くのが抜群に巧いのです。
 今回紹介する『犯罪の進行』(1960)はシモンズ作品の中でも特にその要素が強い作品だと感じます。読み終えた時、読者は作中の事件が起きざるを得なかったことを思い知る。MWA最優秀長篇賞を受賞しているという肩書きだけではなく、中身も含めて文句なしに作者の代表作といえる出来栄えの一冊です。

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 十一月五日、ガイ・フォークス・ナイトの夜、ロンドンから遠く離れた田舎町ファー・ウェザーでも古来から続く祭が執り行われていた。
 ファー・ウェザーのガイ・フォークス・ナイトは他とは少し違って、ガイ・フォークスではなくスクワイア・オールドメドウという、英雄に退治された大昔の極道地主の像を燃やす。
 地方新聞ガゼット紙の若手記者ヒュー・ベネットはこの催しの取材をしていた。わざわざこのためだけに来たのではない。ファー・ウェザーでは今、不良少年グループがちょっとした問題を起こしていて、祭はそれを追ってみようと思ったついでだった。強く乗り気というわけではない。こうした祭をネタにするような、家庭欄の小記事を書くために記者になったんじゃないという不満の気持ちがヒューの中にはどこかあった。
 しかし祭の夜、そんなヒューの目の前で予想外の事件が起こる。例の不良少年たちが襲来してきたのだ。少年たちは因縁がある町の顔役を囲んで襲い、ナイフで刺して殺してしまう。焚火の他は明かりがない暗闇の中で、少年たちの顔すらろくに見えなかったが、ヒューはその現場に確かに立ち会わせた。
 ヒューは勇んで事件を記事にし、その後の捜査や裁判にも関わることになったが……というのが粗筋です。
 一見、単純な事件と物語のように思えます。
 不良少年たちが非行の末に人を殺してしまったことは自明です。一応、実際に町の顔役を刺したのは誰なのかが疑問として立ち上がってくるのですが通常の謎解きミステリの観点から見るとこの謎は余りに弱い。犯人が不良少年たちではないというのならともかく、集団で襲ってきた不良少年の中の誰が実行犯なのかというのはフーダニットとしては興味を強く惹くものではありません。
 それは当然で、作者はそういう意味での謎解きには重きを置いていないのです。シモンズが解こうとしているのは、どうしてこんな犯罪が発生するに至ってしまったのかというもっと大きな謎で、段々とそれが見えてくるところが面白い。
 シモンズは犯罪そのものではなく、周辺を徹底的に描きます。
 たとえば本書の主人公であるヒューを悩ませるのは実は事件に直接関係あるものではありません。
 殺人事件の容疑者である不良少年の姉と恋に落ちてしまったことであったり、この事件を取材しにやってきた大都会ロンドンのメジャー紙の記者と付き合いをしていたら自社の同僚に邪険にされたりといったような事柄で、いずれも個人的な事情なのです。
 他の関係者についてもこうした部分を語っていく。ファー・ウェザーの所轄警察はたスコットランド・ヤードとの力関係に悩み、メジャー紙は事件をどう利用するかに奔走する。
 読みながら段々分かっていきます。シモンズは社会そのものを書こうとしているのだ、と。
 そして、そんな『犯罪の進行』において唯一まともに描かれないのが事件そのものである、というのが痛烈な皮肉なのです。
 被害者と犯人のパーソナリティの部分をシモンズはあえて深入りしない。ただ、それ以外の全てを書く。読者は逆説的にこうした社会だから、こんな事件が起こってしまったのだと理解する。
 これがシモンズの犯罪小説です。

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 シモンズ作品の面白さを知ったあとで噂に聞く『ブラッディ・マーダー』も実際に読んでみましたが、これは論として単独で語るのではなく、優れた実作者であるシモンズがジャンルをこのように捉えていたという風に読み取るべきものなのではないかと感じました。
 この本でも作者は社会を語ろうとしています。
 探偵小説から犯罪小説へ、というのはどちらかが劣っている優れているといった話ではなく、社会が変容していくのだから、ジャンルもこのように変容していると示しているだけなのです。
 その上で、シモンズはこうした社会だから今のミステリはこうあるべきであると自作も引き合いに出している。ここにあるのはただのジャンル論というより創作者としての自負だと思います。そしてその自負は実作のレベルにちゃんと釣り合っている。彼の作品はどれも時代を反映した優れた犯罪小説です。
 今更ながらですが、ジュリアン・シモンズ、読んでいこうと思います。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby