田口俊樹
ちょっとまえのことなんで、どんな事件だったのかも忘れちゃったんだけど、テレビで耳にして、さらにテロップを見て、何、これ? と思ったことがありました。だって「逮捕されたのは自称職業不詳のA容疑者……」ですよ。わが耳、わが眼を疑いました。
自称職業不詳? きっと原稿のまちがいがそのまま流れちゃったんじゃないかと思うんだけど、そのあとなんの訂正もなかったところを見ると、もしかしてA容疑者は尋問され、職業を問われ、ほんとうに「自分、職業不詳っす」なんて言ったんでしょうかね? 普通自称なんとかは盛って言ったり、そもそも嘘だったりするものなのに、A容疑者は実はとても誠実な人だった?
で、ふと思ったんです、わが身のことを。
私、このところ、「エンタメ翻訳者」という肩書きが気に入ってるんですが、ただ自分でそう名乗っているだけで、世間的に認知された呼称でも肩書きでもないんで、これって「自称」ってことになりますよね。
それで気になったんです。私が銀行強盗か何かで捕まって、尋問されて職業を訊かれて「自分、エンタメ翻訳者っす」って答えたら、そのとおり――「自称エンタメ翻訳者」って――報道されるんだろうかって。でもって、そのあとアナウンサーが「取り調べに対し、田口容疑者本人はそんなことを言っていますが、実はこの人、日本一の翻訳家で……」なんて訂正するんでしょうか? その場合、私はテレビ局に抗議すべきなんでしょうか。
ううむ。秋の夜長は人を思索家にします。ボケたわけじゃありません。いや、もしかして……
〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕
白石朗
自訳書が映像化されたことはこれまでにもありましたし、舞台化もスティーヴン・キング『グリーン・マイル』という前例があります(しかも加藤シゲアキさん主演!)。しかし、宝塚歌劇団で舞台化というのはまちがいなく初体験。しかも作品はイアン・フレミングの『007/カジノ・ロワイヤル』(創元推理文庫)。さすがにびっくりしました。驚きは創元社内でも同様だったらしく、発表からあまり間をおかず担当編集者さんをはじめ社内の宝塚ファンの熱い思いがほとばしるような記事が同社サイト内に掲載されましたので、ぜひともご一読を(→ http://www.webmysteries.jp/archives/30039785.html )。
宙組による今回の舞台化にあたってはタイトルが『カジノ・ロワイヤル 〜我が名はボンド〜』となり、公演は宝塚大劇場で2023年3月〜4月に、東京宝塚劇場で2023年5月〜6月に予定されています。くわしくは公式サイトの記事をごらんください。
主演をつとめるのは宙組トップスターの真風涼帆さんと宙組トップ娘役の潤花さんのおふたり。そしておふたりとも本公演を最後に惜しまれつつ引退なさるとのニュースも飛びこんできました。
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20220928_001.html
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20220928_002.html
イアン・フレミングの世界が宝塚の舞台でどのように展開されるのか、いまから楽しみでなりません。
〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS〕
東野さやか
わたしがいちばん苦手なのは、献立を考えることと食材の買い出しです。もう、苦手というより嫌いの部類に入るかもしれません。このふたつがこの世からなくなれば、どんなに幸せな人生かとおおげさなことを考えるくらい苦手。でも、どんなに献立が思い浮かばなくても、家人に「なにが食べたい?」とは訊いたりしません。「ピーマンの肉詰め」と答えるに決まっているので、そういう手間のかかるものはよっぽど気分がのらないかぎり却下です。
〔ひがしのさやか:最新訳書はM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(ハヤカワ文庫)。ハート『帰らざる故郷』、チャイルズ『ハイビスカス・ティーと幽霊屋敷』、クレイヴン『ブラックサマーの殺人』など。ツイッターアカウント@andrea2121〕
加賀山卓朗
ちなみに、私ひとりズルして一部近道で下ったときに、ビーチサンダルで登ってくる人を見かけてびっくり。2700メートルの山ですよ。そのことをあとで報告したら、トレランをやる加藤さんが、あれは「ワラーチ」というもので、マニアックなトレイルランナーのあいだで流行っているのだとか。勉強になります。でも私が目撃したのは、踵のところも固定されていない正真正銘のビーチサンダルだったような……目の錯覚かなあ。まあ、室堂の小屋に泊まっていて、頂上との往復だけだったのかもしれません。サンダルは極端としても、昔ながらのハイカットの登山靴をはいている人は、いまそれなりの高さの山でもずいぶん減りましたね。
〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』〕
上條ひろみ
だれがだれを裏切るのだろう、と思いながら読んでいたけど、そういうことか。これはたしかに裏切られた〜と思うわ。でも、ほかにも小さな裏切りというか、期待どおりにいかないことはいろいろあって、人間だもの、そういうこともあるよね、と思わずにいられません。とくに、スコットランドヤードの刑事でありながら、自信のなさから力を発揮することができず、人間関係もうまくいかない、こじらせヒロインのケイトがいいのです。 自信たっぷりにバリバリ仕事をする女刑事じゃないところがかえって新鮮。彼女を助けるケイレブ・ヘイル警部も仕事ができそうと思いきや、アルコール依存症の治療を終えたばかりでなんだか危なっかしいし。それぞれの心情が丁寧に描かれているので、つらい気持ちがよくわかる反面、なんともはがゆくて叱咤激励したくなったりして。
もう一冊のオススメは、ニタ・プローズの『メイドの秘密とホテルの死体』(村山美雪訳/二見文庫)。主人公のモーリーは、五つ星ホテルで客室清掃員として働くメイドで、メイドの仕事に誇りを持ち、完璧な顧客サービスを心がけているけれど、人のことばの裏に隠された意味を理解したり空気を読んだりするのが苦手な25歳。ある日、客室を清掃しようとして死体を発見してしまい、誤解を受けやすいモーリーは容疑者にされてしまいます。悪い男にだまされがちなあぶなっかしいモーリーのキャラのせいで、前半は史上最高にハラハラしたし、意外な結末と「秘密」には参りました。ちょっぴりビターで、なんとも言えない味のあるコージーミステリです。
アレックス・ベール『狼たちの宴』(小津薫訳/扶桑社ミステリー)は、ユダヤ人の古書店主がナチスの特別捜査官のふりをして殺人事件を解明せざるをえない状況に陥る『狼たちの城』の続編。前作同様ハラハラドキドキの連続で、一歩間違えればまちがいなく死ぬという状況でひとり奮闘する主人公イザークの火事場の馬鹿力がすごいです。もう絶対ダメだ!と何度思ったことか。
ジェス・キッドの『壜のなかの永遠』(木下淳子訳/小学館文庫)は、19世紀ビクトリア期のイギリスが舞台の幻想的なミステリで、ダークな世界観とユニークなキャラクターたちにぐいぐいと引き込まれました。外科医の心得がある女探偵ブライディは、陰があってちょっと屈折しているけど、正義感と行動力のある魅力的なヒロイン。謎解きもしっかり楽しめます。さまざまなことが明らかになるラスト付近は圧巻。
アンソニー・ホロヴィッツの〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ三作目、『殺しへのライン』(山田蘭訳/創元推理文庫)の舞台は、チャンネル諸島のオルダニー島。文芸フェスに参加するために島にやってきた人たちがみんな癖が強くて、期待通りのおもしろさでした。秘密主義だったはずのホーソーンが、トークショーで個人的な質問にバンバン答えていて、ホロヴィッツさん同様拍子抜けしたわ。三十九歳と以外に若かったのにもびっくり。
〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』、エリー・グリフィス『見知らぬ人』など。最新訳書はグリフィス『窓辺の愛書家』〕
武藤陽生
マイクル・Z・リューインによる私立探偵アルバート・サムスン・シリーズの最新連作短篇『父親たちにまつわる疑問』が拙訳で発売されました。探偵事務所に宇宙人を自称する依頼人が現われ、サムスンは4つの奇妙な事件に巻き込まれて……最後はほろりとさせられます。ぜひご一読を。
〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕
鈴木 恵
これはもう、訳註がなければ日本人にはとてもわからない言葉ですよね。というか、世界の多くの人はわからない。なのにこの「ヘイル・メアリー」と名づけられたプロジェクトは、人類の存亡をかけた地球をあげての一大プロジェクトなのです。そんなグローバルなものにそんなアメリカンな名前をつけちゃうところが、なんともアメリカ的で、ちょっぴり微笑ましい。映画化されたら邦題は「南無八幡大作戦」でどう?