書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

 

北上次郎

『このやさしき大地』ウィリアム・ケント・クルーガー/宇佐川晶子訳

早川書房

 巻末の解説(諏訪部浩一)を読んで、それはぜひとも読みたい、と思った。ウィリアム・ケント・クルーガーは、元保安官コーク・オコナーを主人公とするシリーズで知られた作家だが、我が国ではシリーズ第七作『血の咆哮』(翻訳は2014年)を最後に翻訳は途絶えている。

 ところが本書の解説によると、シリーズ第九作で「衝撃の展開」を見せるというのだ。シリーズものを読んでいて、これほど驚いた記憶がない、とまで書いているからすごい。そこまで言われると猛烈に読みたくなる。どういう衝撃の展開なのか。このシリーズ、あちらでは第19作まで出ているというが、その第九作、読みたいなあ。

『このやさしき大地』について何も紹介していないことにいま気づいたが、この作家の素晴らしさについては贅言を要しない。黙って読むべし。

 

千街晶之

『キュレーターの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 九月にはアンソニー・ホロヴィッツやジェフリー・ディーヴァーといった年間ベストテン常連作家の新刊が立て続けに出たが、それらを相手に大健闘したのがイギリスの新鋭、M・W・クレイヴン。同じ人間の指が二本ずつ見つかる、しかも一本は生きているあいだに切断されたものでもう一本は死後に切断されたものである……という意味不明にも程がある連続殺人で幕を開ける本書は、マイクル・コナリー『わが心臓の痛み』やジェフリー・ディーヴァー『ウォッチメイカー』といった歴代の名作に比肩する、人工性の極致のような凝りに凝った犯罪計画の全貌で読者を圧倒するタイプの本格ミステリだ。「マンチェスター市警エイダン・ウェイツ」シリーズのジョセフ・ノックスもそうだが、近年のイギリスのミステリ作家は、「アメリカ産現代ミステリからの影響の受容」と「古典的ミステリへの回帰」という、一見矛盾しているような二つの志向の融合によって進化を図っているようにも思える。なお九月の新刊では、マルカ・オールダー、フラン・ワイルド、ジャクリーン・コヤナギ、カーティス・C・チェン『九段下駅 或いはナインス・ステップ・ステーション』も必読。東西に分断され、それぞれをアメリカと中国が統治するようになった近未来の東京を舞台に、警視庁本部の刑事と米軍から警視庁に出向してきた中尉という女性同士のバディが幾つもの事件を解決してゆく連作で、『UN-GO』や『PSYCHO-PASS サイコパス』といったSFミステリアニメに通ずる味わいを感じる。

 

川出正樹

『魔王の島』ジェローム・ルブリ/坂田雪子監訳・青木智美訳

文春文庫

 8月末日刊行ゆえ前回締切までに読めなかったイーライ・ブラウン『シナモンとガンパウダー』(三角和代訳/創元推理文庫)が無類に面白い。本道ど真ん中の海洋冒険譚と、J・M・ジンメル『白い国籍のスパイ』(中西和雄訳/ノン・ポシェット)ばりの“料理の腕前で危機を乗り切る”主人公という掛け合わせが絶妙な心浮き立つエンターテインメントだ。

 さて、9月。押したい本が山積みで本当に悩ましい。軽重をつけて語られる複数の事件の死角に真相を隠す手際にますます磨きが掛かったジェフリー・ディーヴァー『真夜中の密室』(池田真紀子訳/文藝春秋)、驚愕の真相へと収斂する複雑精緻に構築された逆ピラミッド型ミッシング・リンクものにしてシリーズ最高傑作のM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、この手があったかと膝を打つ新機軸の名探偵が相棒とともに腐敗と暴力と貧困と不衛生の街で“怪物”を追うニクラス・ナット・オ・ダーグ『1794』(ヘレンハルメ美穂訳/小学館文庫)、そしてホーソーンの倫理観が明示され名探偵ものとしての芯がはっきりとしてきたアンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』(山田蘭訳/創元推理文庫)。

 完成度に鑑みて冷静に考えればこの中のどれかになるのだけれど、そこでジェローム・ルブリ『魔王の島』を一押しにしてしまうところが我ながら歪んだ性癖だなと思うけど、好きなんだからしょうがない。

 一度も会ったことのない祖母の遺品を整理するために、ノルマンディー沖の孤島に渡る羽目になった新聞記者のサンドリーヌ。第二次世界大戦中にナチスが設置したトーチカの遺るこの島に暮らすのは、亡くなった祖母も含めてわずかに五人の老人だけ。不穏な空気が充満する隔離された地で、一体何があったのか? 「あたしたちはこの島につながれているようなものなのよ」という言葉は何を意味するのか? そして今、何が起きようとしているのか? 

 小さな違和感が積もり積もって限界に達した瞬間、別の次元への扉が開き、新たな疑問と謎が次々に襲い来る騙し絵の中に騙し絵を潜ませた超絶技巧サスペンス。悪夢のごときラビリントスの最奥部に潜んでいるものの正体に震撼し、しばし呆然としつつ、ゆっくりとページを閉じた。

 

霜月蒼

『父親たちにまつわる疑問』マイクル・Z・リューイン/武藤陽生訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ホロヴィッツの『殺しへのライン』がクリスティーへのオマージュ満載なのが面白かった。舞台は無論『白昼の悪魔』や『そして誰もいなくなった』、ミステリ作家が催しに行く流れは『ハロウィーン・パーティ』、旅先ものなのも『死との約束』『カリブ海の秘密』などを思わせ、そして何より手がかりと真相が『******』の変奏なのである。クリスティー式の旅先ミステリで多用されたアレもミステリとしてのキイとなっている。クリスティー・ファンは必読です。他、同じくナチスに占領された過去のある島が登場する反則スレスレ『魔王の島』、グラン・ギニョー風の残酷趣味をメタフィクショナルな構造に盛って読者を翻弄する『怪物のゲーム』など、いずれも濃口の迫力で忘れがたいが、推したいのはリューインである。

 薄口だが、滋味があふれんばかりにこめられた名人芸のすばらしさである。「わたし」一人称で語る私立探偵サムスンが、事務所にやってきた依頼人に雇われて大小あれこれの事件を解決する4つの中編が収録されているが、いずれも脇役たちがすばらしく色彩豊かに描かれている。読んでいて心地よくあたたかい。「誰にでもすすめられるミステリ」というのは意外と少ないのだけれど、本書はそのひとつ。子供や変人に向けられたフェアな視線は年少の読者に読んでもらいたいし、親子関係を親目線でみるあたりは中高年の胸を打つところがあるだろう。ユーモラスで成熟した語り口は、まるで最高品質の毛布のようであって、その感触をただにこやかに味わうもよし、それを生み出し得た作者の腕の確かさに思いを馳せてもいい。名手の名品です。こういうのを文庫版で読めるのは幸せです。「ハードボイルド」と称されるミステリには、こういう穏やかな小説も含まれる。本書の隣に、若竹七海や仁木悦子や宮部みゆきのミステリがあるわけです。

 

酒井貞道

『殺しへのライン』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳

創元推理文庫

 今回のホロヴィッツは、ロジックの堅牢性と、伏線の周到性が更に増しました。あるヒントとそれから導き出された推理によって、真相を覆う霧がドミノ倒しのように一気に晴れわたる。真相それ自体が衝撃的であるか否かを問わず、推理や真相解明のプロセスそのものによって読者にサプライズを与える。毎度のことながら、この点は実に見事で、高く評価せざるを得ません。そしてこれ以上詳しく書けないのが残念なのもいつも通りです。

 加えて、チャンネル諸島の人口が少なく架空の島、というある程度閉鎖的な舞台設定を活用して、物語は探偵役(ホーソーン)とワトソン役(ホロヴィッツ)の関係性に一層踏み込んでいく。これはシリーズ作品ならではの要素であると同時に、現代英米でクローズアップされることは稀な、「名探偵とは」「ワトソンとは」をテーマの一つに据え始めたことを意味します。本邦では作例が多いこのテーマ、21世紀イギリスではこういう書き方になるのかと、彼我の違いが興味深い。続きが非常に楽しみです。

 

吉野仁

『怪物のゲーム』フェリクス・J・パルマ/宮﨑真紀訳

ハーパーBOOKS

 わたしは『時の地図』『宙の地図』が死ぬほど好きで、三部作ラストの邦訳をまだかまだかと待ちわびている。ゆえにパルマの最新長編『怪物のゲーム』への期待は高まっていた。作家の娘が誘拐され、彼のベストセラー小説の登場人物と同じ〈怪物〉を名乗る犯人が、小説と同じように三つの課題を作家に与え、失敗すれば娘の命はないと迫る、という物語。自作の小説の中の怪物が甦るという趣向をはじめ、全体にスティーヴン・キング作品と共通する超自然的な怪奇と容赦のない残虐場面が圧倒的で、やたら饒舌な文章とあわせて暗澹たる雰囲気のまま話は進んでいく。『時の地図』では、人を喰った展開がなんともいえぬわくわくした愉しさを与えてくれたが、本作は、むしろどろどろと不気味なままなゆえ、人によっては苦手な小説かもしれない。それでもパルマにしか書けないダーク・サスペンスとして今月はこれをイチオシにしたい。もう一作、甲乙つけがたいほど小説世界に入り込んだのが、ジェローム・ルブリ『魔王の島』で、この周到で巧みな話の語りとつくりは絶品である。そのほか、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ第三弾『殺しへのライン』は、島でおこなわれた文芸フェスを舞台にしたことによる内幕ものの面白さだけにとどまらない、まさにホロヴィッツの職人芸といえるミステリを堪能した。『真夜中の密室』は、ライム・シリーズ最新作で〈解錠師(ロックスミス)〉という新たな怪人の登場と描き方がよく、最近はどんでん返しのための「あざとさ」がやや鼻につくこともある作者ながら、これはそれを感じさせず、最初から最後までぐいぐいと頁をめくらされた。クレイヴン『キュレーターの殺人』は、刑事ポーや分析官ブラッドショーら、お馴染みの個性豊かな面々の活躍が今回もまた痛快で一気読み。リューイン『父親たちにまつわる疑問』は、奇妙な依頼人から持ち込まれた事件を娘とともに調べていく私立探偵サムソンの物語で、もうなんというか、その世界にしみじみといつまでも浸っていたいと願うほど幸せでいっぱいの読後感だった。カシュニッツ『その昔、N市では』は、幻想的で奇妙な味の短編が並ぶ。閉じた世界や境界のむこうとこちらをさまよい、さまざまにゆらぐ心理を読ませるのだ。

 

杉江松恋

『その昔、N市では』マリー・ルイーゼ・カシュニッツ/酒寄進一訳

東京創元社

 綺羅、星の如く名作・佳作が目白押しの九月であった。それらの作品については上で諸氏が書き尽くしてくださっているだろうから敢えて触れない。今月はぎりぎりまでマイクル・Z・リューイン『父親たちにまつわる疑問』にするつもりでいたのだが、最後に手に取ったマリー・ルイーゼ・カシュニッツ『その昔、N市では』が好きすぎたので、これを選ばないわけにはいかなくなった。あの酒寄進一が厳選した日本オリジナル短篇集、というところにも魅かれたのだが、装画が気になって手にとったのである。作者は違うのだが、雰囲気があのフェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』の単行本に似ているではないか。これは絶対何かあると思って読み始める。

 巻頭の「白熊」は、帰宅した夫が妻に過去の出来事について突然質問を始めるという話だ。そのとき妻は動物園で、白熊の檻のところにいた。なぜか夫はそのときの彼女の態度に執着する。話を続けるうちに妻の心には次第に不安が膨れ上がっていくのである。何これ。サスペンスの興趣で読ませる短篇としては満点の出来じゃないか。これは素晴らしい短篇集だと確信した。一気に読んでしまうのはもったいないので、ちびりちびりと何日かに分けて読んだのである。いくつものお気に入りができた。一つだけ挙げるなら「船の旅」かな。ドン・ミゲルは船旅に出かける妹を見送った。だが出航した後で、実はそれが彼女の乗るべき船ではないということに気がつくのである。急いで問い合わせるが、それは定期便ではなくて正体不明の船であるという。じりじりしながら待つドン・ミゲルに、妹が出した手紙が次々に届くのである。この手紙がよくて、不可避の結末に向かっていく物語の、憔悴を煽り立ててくれる。不勉強でカシュニッツ作品を読んだことがなかったと思うが、何冊か邦訳があるらしい。探して読む。絶対読む。今年の収穫である。

 ひさしぶりに全員バラバラの月になりました。短篇集あり冒険小説あり謎解き小説ありで内容もバラエティに富んでいましたね。いや豊作豊作。さあ、年末に向けてこれからどんな秀作が刊行されるのでしょう。来月も期待してお待ちください。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧