田口俊樹

 また競馬ネタなんですけど。
「騎手変更のお知らせをします」
 たまにこんなアナウンスが流れます。騎手が落馬とかして次のレースに出られなくなったりすると、別な騎手に乗り替わるわけです。
 先日、テレビで競馬中継を見ていたら、たまたま遊びにきていた孫娘(10歳)がこれを聞いて言いました。
「なんでいちいちそんなことを言うの?」
 これは考えてみれば案外むずかしい問題ですよね。騎手が替わることでどれだけそのレースに影響が出るか。馬七騎手三なんて言って、そう、基本はやはり馬で、騎手も三割ぐらいはレースに影響を及ぼす、というのが、まあ、一般的な考えみたいです。
 これは原作を馬、翻訳者を騎手と置き換えると、翻訳にも通じるものがあります。では、翻訳についても競馬と同じことが言えるのかどうか。原作七翻訳三みたいに。もちろん、この割合は個々の作品によっても変わってくるでしょうが。
 亡くなった翻訳家の東江一紀さんが昔、あるベストセラーの翻訳書について、ああいう作品は誰が訳してもおんなじ翻訳になりますよね、と言われたのを聞いて、なるほど、そういう見方もあるか、と思ったのを覚えています。翻訳者としては、翻訳七原作三ぐらいに思いたいところだけど、ま、それはないでしょうね。
 さて、最初に戻ると、孫には馬七騎手三の話もして説明したんですが、一向に通じません。それほどむずかしい話ではないはずなのに。でも、最後になって、通じなかったわけがようやくわかりました。はい、孫はスマホなんかの「機種変更」だと思ったのでした。ちゃんちゃん。

〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕

 


白石朗

 お待たせしました。前作『ジャパンタウン』の邦訳刊行から(もっぱら訳者の非力もあって)いささか間があいてしまいましたが、〈私立探偵ジム・ブローディ〉シリーズの第二作『トーキョー・キル』が今月末に同版元のホーム社から刊行されることになりました。今回ブローディが挑むのは、東京都内で発生した連続家宅侵入事件と、そこから派生したとおぼしき歌舞伎町での陰惨な殺人事件。事件の真相をたどるブローディは、やがて日中戦争の歴史の闇にいやおうなく巻きこまれていく……。
 東京都内(隅田川クルーズや渋谷の隠れ家的喫茶店、ゴールデン街、目白など)から横浜中華街の裏社会、さらにはフロリダからバルバドスまで、前作以上にカラフルな舞台背景に、ブローディお得意の格闘技ばかりか剣術もミックスされたスピーディなアクションシーンもたっぷり。美術商ブローディによる刀剣や絵画などの日本美術にまつわるうんちくも楽しく読めます。翻訳や校正をすすめているあいだに、江戸時代の禅僧・仙厓義梵と韓国生まれで日本を拠点にしている美術家・李禹煥という、いずれも本書内で言及のある芸術家の展覧会情報が飛びこんでくるという偶然にひとり昂奮していました。
 なお巻末の解説は当サイトでもおなじみの杉江松恋さん。
 刊行のあかつきには、ぜひお手にとっていただければ幸いです。 

〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS

 


東野さやか

 沖縄本土復帰五十年企画として上演された、『ハベル〜不思議の国のモモト〜』という舞台を見てきました。蝶々に導かれ、不思議な世界に迷いこんだ内気な女の子モモ。不気味な仮面をかぶった生き物に追いかけられ、危ないところをモモトという女の子に救われ、ふたりは仲良くなっていきます。その後の展開はなかなかダーク。そしてメタファーに富んでいて、見た人同士で語り合いたくなる内容でした。
 この舞台のいちばんの特徴は、ジブリッシュというでたらめ言葉だけで会話が進むところ。でたらめ言葉なのに役者さんの表情や仕種から、なにを言っているのかがちゃんとわかるから不思議です。それでも、かなりの集中力を要求され、のめりこむように見てしまいました。
 バックの音楽隊(そう、生演奏がつくのです)に、家人の好きな唄者さんが参加していることから、ほぼ無理やりに連れていかれた舞台でしたが、思っていた以上におもしろく、再演の際にはまた足を運ぶつもりです。

〔ひがしのさやか:最新訳書はM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(ハヤカワ文庫)。ハート『帰らざる故郷』、チャイルズ『ハイビスカス・ティーと幽霊屋敷』、クレイヴン『ブラックサマーの殺人』など。ツイッターアカウント@andrea2121

 


加賀山卓朗

 S・A・コスビーのものすごくエモーショナルなRazorblade Tearsの訳稿を提出して、山のようにたまっていたあれこれを少しずつ片づけて、合間に東京都最高峰の雲取山(小雨に暴風!)に登ったりして、ようやくだんだん人間らしい生活に戻ってきました。
 先日は会社員時代にお世話になったかたの通夜に行って、帰りに知人と久しぶりに飲んだら、その彼がコロナにかかって(飲んだ店で隣の集団がすごく盛り上がっていた……)また濃厚接触者になってしまいましたが、いまの私にはまだ免疫があるようです。
 山にいっしょに行った友だちから、ここの私の投稿はNetflixのことばかりだとお叱りを受けましたけど、しかたないよね、おもしろいんだから。『シスターズ』、いま3話目ですが、こんなにミステリー色が強いとは思いませんでした。お姉さんたちファイティン、ということで毎日弁当の時間が愉しみです……なんて呑気なことを書いてたら、梨泰院で大事故が。ことばもありません。

〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』〕

 


上條ひろみ

 先月長屋の白石さんが、お訳書『007/カジノ・ロワイヤル』が宝塚歌劇団でミュージカル化されることを書いておられましたが、宝塚ファンのわたしとしてはうらやましくて死にそうです。宝塚歌劇は男役が主演なので、女性主人公の作品を訳すことが多いわたしにはありえんことよ……いや、去年訳したスタン・パリッシュの『強盗請負人』(ハヤカワ文庫NV)があるじゃないか! 宝塚でミュージカル化されたこともある「オーシャンズ11」を思わせるケイパーものだし、メインのカップルをもっと若くするなどして潤色すれば、若手スターのぶんまで役はたっぷりあるし、宝塚でもイケるのでは? 大劇場は無理でも別箱なら……去年「シャーロック・ホームズ」の脚本演出をされた生田大和先生あたりに訳本を送ってみようかしらん……と妄想は広がります。いや、それより真風さんがジェームズ・ボンド! 潤花ちゃんがボンドガール? 楽しみすぎる! チケット取れますように!
 枕が長くなりましたが十月に読んだ本でおもしろかった本をご紹介しますね。
 まずM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ文庫HM)。〈ワシントン・ポー〉シリーズ第三弾です。あまりにぶっとびすぎていて、事件の様相が変化する後半はついていくのに必死だったわ。ポーはもちろん、ティリーや臨月のフリンまでとんでもない無茶するし……ディーヴァー先生もびっくりの大どんでん返しも用意されていて、サービス満点。
 C・A・ラーマー『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』(高橋恭美子訳/創元推理文庫)は、ありそうでなかった、ブッククラブのメンバーが謎解きに奮闘するコージー・ミステリ。こういうのが読みたかったのよ! ほんとにクリスティファンなの?というツッコミどころはあるものの、イギリスではなくオーストラリアが舞台というのも新鮮だし、そこはかとなくイギリスの香りもしてよき。
 イチ推しはケイト・クイン『ローズ・コード』(加藤洋子訳/ハーパーBOOKS)。第二次大戦中、バッキンガムシャーのブレッチリー・パーク(ドイツのエニグマ暗号を解読するための施設)で極秘任務につくことになった、まったくタイプのちがう三人の女性たち。謎解きやサスペンスもあるけど、それぞれの恋の悩みやその行方の描かれるロマンス部分がすばらしく美しく切ないのです。『戦場のアリス』『亡国のハントレス』もよかったけど、今回がいちばん好き。
 そして、みんな大好きワニ町シリーズ、ジャナ・デリオンの『どこまでも食いついて』(島村浩子/創元推理文庫)では、フォーチュンのタフさにあらためてCIAみを感じ、♪Akiraさんのレビューのとおり、またもややられた感のあるイアン・リードの『もっと遠くへ行こう。』(坂本あおい訳/ハヤカワ文庫HM)では、他人との認識の違いの怖さを実感。訳者あとがきの「指の作業と化した数ページ」は「ゾーンにはいる」というやつなのでしょうか。テキストにサブリミナルメッセージでも仕込まれていたとか?

〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』、エリー・グリフィス『見知らぬ人』など。最新訳書はグリフィス『窓辺の愛書家』〕

 


武藤陽生

アマゾンプライム『力の指輪』シーズン1、すばらしかったですねえ……何がすばらしいって、このドラマを機に世間的にも自分的にも指輪物語熱が再燃していることです。世間的な話をすると、指輪物語TRPG『The One Ring』の邦訳がホビージャパンから発売されることが先日発表されましたし、評論社からは『指輪物語』新装版が発売されました。自分的には、『ロード・オブ・ザ・リング』を全作観直し、これまで手を出していなかった『シルマリルの物語』をぽつぽつ読みはじめたり、ミドルアースを舞台にしたミニチュアゲームを息子と遊んだり……指輪熱はしばらく続きそうです。

〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕

 


鈴木 恵

 昨年の「ニューヨークタイムズ・ベストセラー」ジーン・ハンフ・コレリッツの『The Plot 』をちょうど訳し終えたところ。死んだ男から聞いた小説のプロットをひそかに拝借して世界的ベストセラーを書いた作家のもとに、「おまえは盗人だ」という匿名のメールが届きはじめるというお話。主人公をおどしているのは何者なのか? そのプロットにははたしてどんな謎が秘められているのか? 盗作が世間にばれるのを阻止するため、作家自身が犯人をつきとめようとあがくサスペンス・ミステリー。早川書房より刊行予定。お楽しみに!
〔すずきめぐみ:この長屋の万年月番。映画好きの涙腺ゆるめ翻訳者。最近面白かった映画は《こちらあみ子》と《アトランティス》。ツイッターアカウントは @FukigenM