書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

北上次郎

『暗殺者の回想』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 マーク・グリーニー『暗殺者の回想』について考えている。ずっと考えている。

 これは「グレイマン」シリーズの第12作だが、第一作から十一作まで、私はすべて絶賛してきた。小説推理の連載コラムでは毎作、◎を打ってきた。この◎は競馬予想の印に準じたもので、その月の新刊で一番面白かったもの、あるいは気にいった作品につけるもので、次位作品には当然ながら対抗の○印。極めて個人的な感慨があるものには▲。そういう区分があり、「グレイマン」シリーズにはすべて◎をつけてきた。

 ところが今回は初めて無印。いくらなんでも無印はないだろ、と本人も思う。○でいいじゃないかと思ったが、グリーニーの作品に○印は似合わない。◎でないなら無印だ。

 では、どうして無印なのか。つまらないわけではないのだ。実は面白い。コート・ジェントリーの若き日が描かれるのだから、興味津々である。25歳のジェントリーはどんな青年だったのか。シリーズで初めて描かれるその姿は感慨深い。そうか、こういう青年だったのか。

 なんだか長くなりそうなので、続きは来月書く。面白いのになぜ無印なのか。そこに「グレイマン」シリーズの最近の変化と、今後の展望の鍵が眠っているような気がしているのだが。

 

川出正樹

『56日間』キャサリン・ライアン・ハワード/高山祥子訳

新潮文庫

 キャサリン・ライアン・ハワード『56日間』が素晴らしい。重層的なプロットを精緻に組み上げ、船上という逃げ場のない巨大閉鎖空間を舞台に濃密なサスペンスを醸しだし、意外な真相まで一気に読ませるデビュー作『遭難信号』(法村里絵訳/創元推理文庫)以来四年ぶり、二冊目の翻訳となる本書で彼女が舞台に選んだのは、新型コロナウィルス感染症のパンデミックにより事実上ロックダウン状態となった2020年春のダブリンだ。

 この街に引っ越してきて間もない女と男が運命的な出会いをして強く惹かれ合い、やがてともに暮らし始める。わずか三週間の間に急速に関係を深めていく二人。だが、その行く末に待っていたのは――、ひとつの死だった。外出禁止令の発令によりステイ・ホームを余儀なくされる状況下で、芽生えたばかりのロマンスが当事者の思惑を大きく外れて制御不能状態に陥り加速度をつけてカタストロフへと至る様と、集合住宅の一室で発見された死後半月は経つとおぼしき腐乱死体を巡る警察の捜査状況を、視点を頻繁に切り替えて時系列をシャッフルし、スピーディーかつ鮮烈に描き出していく。遺体の身元は? 死因は? どうして長期間放置されたままだったのか? そもそも殺人事件なのか、それとも不幸な事故死なのか?

 一体何が起きたのかという強烈な謎が牽引力となり、想定外の出来事に対処する中で男女の関係が目まぐるしく変容していく様が推進力となってページを繰る手が止まらない。サスペンス・ミステリの幕引きはかくあるべし、と言いたいキレのあるクライマックスに唖然とし、冒頭に戻りじっくりと読み進め入念に打たれた布石とさりげないミスディレクションを見つけて、その手際に舌を巻く。そして三読目は、時間軸通りに章を並べ替えて死体が発見された〈今日〉まで通読。ストーリーの一貫性と整合性を確認すると同時に、本来シンプルかつストレートな一連の出来事を、意外性と緊張感に満ちた物語に仕上げる作者の技巧に改めて感服してしまう。

 作者本人が体験したコロナ禍という非日常の中の日常の有り様を随所に織り込んで現実味を持たせながらも、パンデミックによるロックダウンは設定に留めて孤独な魂を抱えた男女の思惑が絡むサスペンスに徹したエンターテインメント作家ぶりも好感度大。来年翻訳予定の次作 The Nothing Manが待ち遠しい。

 

霜月蒼

『1795』ニクラス・ナット・オ・ダーグ/ヘレンハルメ美穂訳

小学館文庫

 第1作『1793』を読んだとき、「あっこれはホームズ+南條範夫だ」と思った。題名通り18世紀末を舞台とした同作は、『緋色の研究』や『四つの署名』のように、怪事件と探偵(と助手)のミステリのあいだに、その背景を語る過去の因縁物語をはさんだ構成になっていて、その「因縁話」が、まるで南條範夫の残酷歴史小説のように容赦なく陰惨だったからである。「厭」とか「暗鬱」といった小説はいくらでもあるが、残酷をつきつめて至高の陰惨までたどりついた小説は南條範夫くらいで、ナット・オ・ダーグはその域に達するほど酷薄な創意を発揮してみせた。

『1795』は、『1793』にはじまる三部作の完結編で、前作『1794』の後編にあたる。つまり『1794』『1795』は上下巻のような構成になっている。そしてここにも陰惨な残酷はあるのだが、本作は南條範夫に加えてマルキ・ド・サドの暴虐が乗る。なにせ本書の残酷劇を演出する者はフランス革命の陰惨に立ち会い、サドの著作もリアルタイムで読んだ人物なのである。階級制度による峻険な権力勾配が文字通り弱者を潰し殺す世で、富める者の暴虐に対抗する正義はありや?という苦闘が本書の軸をなす。正義を問うのはミステリという小説の本質である。

 残酷と残忍と汚穢と血とはらわたがこの世界には満ちているが、しかし、そのおそろしいほどの汚濁のなかに、正義への意思が鋼のごとくまっすぐに貫かれている。だからこれほどに世界が陰惨で醜悪なのに、物語は陰惨と醜悪に陥らず、むしろそれを乗り越えようとする。この汚穢の中には希望の光があって、最後に灯るのはそれだ。本作は2022年に刊行されたミステリのベストのひとつである。圧倒されました。

 

千街晶之

『56日間』キャサリン・ライアン・ハワード/高山祥子訳

新潮文庫

 ダブリンの集合住宅の一室で発見された腐乱死体。発端に提示されるこの事件はすべての結末であり、物語はそこから遡って、五十六日前の時点からスタートする。ある男女が出会い、集合住宅で同棲するに至る過程を描いた過去パートと、腐乱死体をめぐる警察の捜査を描いた現在パートがカットバックで綴られ、次第に不穏さを増してゆく。極めてシンプルながら読み出すとやめられないスリリングさに満ちた本作に更なる緊迫感を付け加えているのが、背景となるコロナ禍である。ダブリンでロックダウンが行われたのは本作に描かれている通りの現実の出来事だが、主人公の男女はこのロックダウンによって行動を制限されてしまうのだ。このコロナ禍のご時世でも日本が体験することのなかった(日本の緊急事態宣言はそこまで厳格なものではなかった)、従っていまひとつ実感が湧かないロックダウンというものの不自由さが、本筋の出来事と密接に絡み合うことによって読者にもひしひしと迫ってくる。

 

酒井貞道

『彼女は水曜日に死んだ』リチャード・ラング/吉野弘人訳

東京創元社

 犯罪に関係する、掌編に近い物語10本から成る短篇集である。人生のままならなさ、孤独、悲しみ、辛さが、端的な文章の中で直接的な言及を避けて(←これがとてもとても重要である。直接言及する小説は平凡である)、丁寧に鋭く綴られていく。わかりやすい文章ながら一行当たりの情報量は多い。含意、裏の意味、言外のニュアンスが横溢している。言葉では表すことが難しく、一人の人間の中で整合性は必ずしも取れず、乱れ濁り矛盾するが、しかし当人にとっては影響が大きく、やむにやまれぬ焦燥を呼ぶ何かが、確かに描出されていく。一番わかりやすいのは「万馬券クラブ」か。この物語の主人公の、誰がどう見てもつまらない愚行としか言いようがない行いが、主人公自身にとっては必然であることがはっきりわかるように描かれている。「ボルドーの狼」の、虜囚となった連続殺人犯に対する倫理的扱いの大切さとやりきれなさの実感を伴った両立。「本能的溺水反応」の救いのなさと、それでもどうしても薫る何らかの優しさ。「聖書外典」の、冷静に見ればストーリーから独立しているとしか思えない主人公の孤独感に、強固な内的関連性を体感させられてしまう事実。「灰になるまで」に漂う救済の感覚。こういった諸々全てが素晴らしい。そして、こう評言に出してしまった時点で、真に重要なものが決定的に抜け落ちる。だから読んでくれ。《つらみ》のある小説が好きな人は、マストリードです。

 

吉野仁

『56日間』キャサリン・ライアン・ハワード/高山祥子訳

新潮文庫

『56日間』は、ダブリン市内で男女が出会い、やがてふたりは近づいていくが、新型コロナウイルスによるパンデミックで街がロックダウンしてしまう。と、まさに今ならではの現代的な設定をもとに、56日前からカウントダウンして、男女それぞれの視点から語られるサスペンスで、ばらばらのパズルの断片を意外な絵に見せて驚かせるのだ。そのほか、ウィリアム・ケント・クルーガー『このやさしき大地』は、親を失った四人の少年少女が劣悪な施設から逃げ出し、カヌーで川をわたっていく大恐慌時代の冒険もの。家族をめぐる旅物語でもあり、なにかいつまでも話がつづき、終わらないでほしいと思うような成長小説だ。二年前に評判になった歴史ロマンミステリ大作ニクラス・ナット・オ・ダーグ『1793』が7月に文庫化したと思ったら、9月に『1794』、10月に『1795』が刊行し、めでたく三部作が完結した。今回の二冊で前後編という展開で、探偵ものというよりも〈怪物〉との対決に重心がおかれているが、『1793』に衝撃を受けた読者は、読まずにおれないだろう。ケイティ・グティエレス『死が三人を分かつまで』は、アメリカ南部で暮らす夫がもう一人メキシコにいる夫の存在を知り、その男を殺したという事件があり、犯罪実話ライターが話を聞き出そうと重婚した妻へ取材するという物語。驚きの真相は、これまで何作も書かれているパターンながら、重婚した女性の心理と事件までの経緯や犯罪実話ライター自身の生活とその苦境などが詳細に書かれており、全体にサスペンスとして読みごたえがある。こうした重量級の三作のほか印象に残ったのは、イアン・リード『もっと遠くへ行こう。』だ。夫が宇宙への移住計画の候補に選ばれるという突飛な状況のなか、夫と妻と組織の男の三人が部屋で会話を続け、しかし裏に秘密が隠されているという、なにかヨーロッパのインディペント系映画をミニシアターで見ているような話だった。同じ作者による『もう終わりにしよう。』でも感じた独特の雰囲気や妙な不安感が今回も漂っており、中毒性が強く、三作目が待ち遠しい。

 

杉江松恋

『彼女は水曜日に死んだ』リチャード・ラング/吉野弘人訳

東京創元社

 先月に続き、今月も短篇集を挙げさせてもらいたい。『1795』と『56日間』で迷ったのだが、誰かが言及するだろう。『彼女は水曜日に死んだ』、年間ベスト級の犯罪小説短篇集なのである。これは必読だろう。私が解説を書いた本なのだが、そこはご容赦いただきたい。

 これはラングが地方の文芸誌などに発表した作品を集めた第二短篇集にあたる本だ。収録は発表順ではなくて、ある意図をもって並べられている。解説に書いたので繰り返さない。内容はばらばらで、ギャンブル依存症の男が思いがけず口説き落せた美女と初デートに行く「万馬券クラブ」なんてコミカルな話も入っている。男が彼女を連れて行くのは競馬場なのである。よせばいいのに、と思っていると案の定な展開になる。人間にはぐずぐずの塊が胸の中にある。それを制御できている人もいれば、できていない者もいる。でも、何か悪いものがあるのは同じなのである。そのことを書いた短編だ。『彼女は水曜日に死んだ』という題名の短篇はなくて、「本能的溺水反応」でリフレインされる一節が改変されたものだ。これはアーヴィン・ウェルシュが書くドラッグ小説みたいな作品で、オーバードーズで死んだ恋人のことを回想し続ける男が語り手である。どうにもならない悔恨と、汚辱にまみれた過去でわずかに訪れた心の平穏に関する記憶の物語だ。解説を書いたときに本国で出た書評をいろいろ見たが、レイモンド・カーヴァーを引き合いに出しているものもあった。これはたぶん、巻頭の「悪いときばかりじゃない」あたりからの連想だろう。私もこれを読んだときに『愛について語るときに我々の語ること』収録の「出かけるって女たちに言ってくるよ」を思い出したからだ。妻が初めての子を身籠り、貧しいながらも日常と折り合いをつけようとしている男が、金回りのいい義父と男同士で夜の街に出かけていくという小説だ。これ、いけ好かない義父と自分との間にある断絶を主人公がこぼす話かと思っていると、突如として犯罪小説になるのである。こんな感じで自由自在に犯罪について語っている。作者は音楽雑誌の編集長を長くやっていた人で、原書の巻末にはこの短篇を読むときはこれ、とBGMを指定したリストが掲載されていた。残念ながら解説の文字数が足りなくて割愛せざるを得なかったが、本人の公式サイトに行くとどこかに転がっていると思うので探してみてもらいたい。収録作は全部好きだが、一作を挙げるならCWAのショートストーリー・ダガーに輝いた「聖書外典」かな。スレッサー風でもありウェストレイク風でもあり、要するに短篇ミステリーに求めるものが全部入っている作品なのだ。うっとりするぜ。

 歴史ミステリあり、新型コロナウイルス流行の時代を描いた作品あり、冒険小説あり、短篇集あり、と今回もバラエティに富んだ内容となりました。さて次回は2022年最後の七福神です。いかなる(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧