書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『疑惑の入会者 ロンドン謎解き結婚相談所』アリスン・モントクレア/山田久美子訳

創元推理文庫

 ずしりと胸の奥に響く大作や、脳細胞をぴりぴりと刺激する先鋭的な作品を立て続けに読むと、一度、頭と心を常態に戻したくなる。そんなときに手に取るのは、思わずにやりとしてしまうウィットとユーモア溢れる会話に彩られた軽妙洒脱な作品だ。

 戦争で心に深手を負ったふたりの女性――機敏で世知にたけ武術の心得もあるアイリスと、善良で人に対する勘が良いグウェン――が、過去を克服し再起すべく奮闘するアリスン・モントクレアの《ロンドン謎解き結婚相談所》シリーズもその一つ。第二次世界大戦終戦まもない1946年、「世界を人でいっぱいに!」というモットーのもと結婚相談所を開業した元情報部員と上流階級出身の女性コンビは、依頼人の幸せのために大空襲(ザ・ブリッツ)による戦禍が随所に残るロンドン市中を奔走する中で事件に巻き込まれ危険な目に遭いながらも、互いの特性を活かして謎に挑む。

 シリーズ三作目となる『疑惑の入会者 ロンドン謎解き結婚相談所』で二人は初めてアフリカ出身の入会希望者を迎える。英国留学経験があり好感度の高い若者であったが、グウェンは、男の話した経歴が嘘だらけだと直感。さらに自宅付近で彼を見かけ、疑惑は深まる。一体何が目的なのか?

 アフリカから帰国した独善的な義父と対決するグウェン、目を背けてきた過去と対峙せざるを得なくなるアイリス。心に深手を追わせた元凶をしっかりと見据えた二人が、克服し前に進むべくいよいよ具体的な行動に出るところが本書の最大の読み所だ。中盤、不測の事態が発生し、静かに高まっていた緊張感は臨界点を超え、物語が大きくうねり始める。前二作同様、さりげないやり取りの中に一気に真相へと至る手掛かりを潜ませる手際が巧い。シリーズ三作目だけれども巧妙に過去作のネタバラシを回避し、登場人物間の関係もすんなりと頭に入るので、本書から読んでもまったく問題なし。多忙な師走に打って付けの一冊です。

 

霜月蒼

『WIN』ハーラン・コーベン/田口俊樹訳

小学館文庫

 2022年はハードボイルド・ミステリの年だったのかもしれない。リューインの中編集、ポール・ベンジャミンの『スクイズ・プレー』、創元推理文庫の日本ハードボイルド全集も佳境に入り、S・J・ローザンの新作も出た。そして本書である。「私」一人称で語るのは ウィンザー・ホーン・ロックウッド三世。プライベートジェットを所有し、実家にはヘリで帰り、その実家は大豪邸である。証言を渋る人物にプレッシャーを与えるために、その人物の店の債権を買い取ってしまうこともある。美形で、冷酷で、優雅な、暴力者。おそろしいけれどもカッコいいやつなのだ。

 かつてハヤカワから出ていたシリーズで、不器用で誠実な主人公マーロンの相棒であり、冷酷な私的正義の執行者として活躍してきた男を主役とした作品である。これまでもコーベンは良質のサスペンスを書いてきたが、それを軽々と上回る密度、語りの魅力、そして何よりオリジナリティがここにはある。自警団的正義とソシオパスの問題は現代のヒーロー物語で最重要のイシューのひとつだが、それをこれほどギリギリまで追求する作品はそうそうあるまい。痛快だが、同時に痛ましくもある傑作。未訳のまま残っているマイロン・シリーズを読みたくて仕方なくなる。

 

北上次郎

『暗殺者の回想』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 先月の続きを書く。

 このシリーズの最近の変化とは、ヒロインの登場である。なぜコート・ジェントリーに恋人が必要なのか。この恋人が敵方に拉致されて、それを救いに行く物語でも書くのか

、と最初は思った。そのための登場なら、あまりにバカにしている。

 ところがこのヒロイン、思ったよりも活躍しない。出てきたり、出てこなかったり。ちなみに今回は出てこない。

 そして今回は、「若き日のコート・ジェントリー」だ。なぜ感情むき出しの青年像が必要なのか。何かマーク・グリーニーがこれまでとは違った物語を書き始めているのではないか、という気がしてならない。

 つまり私は、ヒーロー物語に恋人は不用だし、若き日の回想もいらないと考えているのである。

 ターザン物語に、ターザンが幼き日のことを回想する哀切きわまりない巻があったことを思い出す。しかしあれは例外だ。

 ヒーローに恋人を与え、若き日を与え、そういう「人間的な側面」を付与する意味は何か。

 この先に待っているのは、闘うことへの「疑問」だろう。そういう内省的なヒーローまではただの一歩だ。

 マーク・グリーニーは本当にそっちに向かい出したのか。結論は、まだない。

 

千街晶之

『ステイト・オブ・テラー』ヒラリー・R・クリントン、ルイーズ・ペニー/吉野弘人訳

小学館

 元合衆国大統領ビル・クリントンがジェイムズ・パタースンと合作で執筆した『大統領失踪』というポリティカル・スリラーがあったが、そのビルの妻にして元国務長官のヒラリー・クリントンまでが、ガマシュ警部シリーズで知られるルイーズ・ペニーとの合作で同様のポリティカル・スリラーに挑戦したのには驚いた(合衆国大統領が創作に関わったミステリは前例があるが、元大統領夫妻がどちらもミステリを執筆した例は史上初だろう)。『大統領失踪』の主人公が大統領なのに対し『ステイト・オブ・テラー』の主人公が国務長官と、夫妻それぞれの元の地位と同じなのも面白い。作中の国務長官エレン・アダムスは、ヨーロッパ各地で起きる連続爆破事件に翻弄されながら、ホワイトハウス内部に潜む裏切り者の正体を突き止めようとする。前大統領が内政と外交を滅茶苦茶にした件など現実を反映した設定が迫真のスリルを盛り上げているし、終盤の連続どんでん返しも切れ味が鋭い。アメリカと敵対する諸国を極秘で訪問しながら事態改善と事件解決に奔走するエレンの姿には、『大統領失踪』の大統領と同様、著者自身のあるべき理想像が投影されているかのようだ。

 

酒井貞道

『ルミナリーズ』エレノア・キャトン/安達まみ訳

岩波書店

 デヴィッド・スーシェ『ポワロと私』は、ほぼ全作品のポワロを演じて当たり役とした俳優にしかできない、ポワロの優れたキャラクター評論でもあった。脚色もキャラクター分析の結果なんですなあ。10月中に読んでおけばよかった。バリー・ランセット『トーキョー・キル』は、21世紀の小説としてもちろんリアルながら、作品の舞台となる日本と登場する日本人には、どこか異界/異人めいた雰囲気が漂う。我々が外国に抱くイメージも、現地住民にしてみればこういうものかもしれない。そして活劇が楽しい! クララ・ラーマン『テロリストとは呼ばせない』は二作目にしていよいよ好調であり、タイトル通りの物語をキャッチ―かつサスペンスフルにまとめ上げて見事でした。

 しかし今月は『ルミナリーズ』を挙げざるを得ない。19世紀ニュージーランドの金鉱の街で、殺人(?)、失踪、薬物使用、謎の金塊発見といった椿事が起きます。20名を超える主要登場人物の様子を細かく描き出していくので、いわゆる「事件」に該当する部分を整理するだけで300ページ近くかかるなど、話の展開は遅い。しかしその分じっくり浸れます。文章自体は平易で読みやすいのも吉。要所では派手な場面もあり、裁判シーン(そう、あるんですよ)での核心部分の謎解きは否応なく盛り上がります。ミステリ的に高く評価したいのは、真相をフラッシュバックの手法で綴っているのに、フラッシュバック開始前に真相の概要を頭に入れていないと、何が書かれているか理解不能な点である。前衛的な手法が採られているわけではなく、登場人物の行動や発言は明瞭なんですよ? しかし、前提知識がないと真意を完全にスルーしてしまう。そういう書かれ方である。通常、ミステリは終盤をぱらぱらめくって読むと真相がわかってしまい興覚めだが、『ルミナリーズ』は違うのだ。特にラスト2ページは圧巻で、700ページ超の大長篇の真相がギュッと凝縮されている。にもかかわらず、この部分だけを読んでも意味がわからない。わかるためには、最初から読むしかないのです。素晴らしい。

 なお本書は登場人物とその性格・動向がホロスコープになぞらえている模様です。「模様です」というのは、私にそれらの知識がなく、認識できないからです。占星術に詳しい人が読めば、更なる符号や仕掛けに気付けて、より重層的な読書体験になるのではないでしょうか。かなり綿密にやっている気配だけは私にも感じ取れました。知識・時間・意欲のいずれかがある人は、そっち方面からの読解も試してください。とはいえ、筋を追うだけで十分に楽しめるのは上述の通りです。警戒する必要はありません。ただし物理的に1kgある(現時点で電子書籍はなし)ため、ちゃんと机に置いて読んでください。ずっと手に持って読むと手首を痛めます。

 

吉野仁

『ミン・スーが犯した幾千もの罪』トム・リン/鈴木美朋訳

集英社文庫

 まさか新作西部劇が邦訳されるとは思わなかった。しかも復讐にもえた中国系の殺し屋ガンマンが予知能力をもった老人がとともに旅にでる物語なのである。これがもう最後まで読ませる。巻末解説で東山彰良氏が指摘しているとおり、単にこのジャンルの基本をおさえただけにとどまらず、活劇と娯楽と奇想と詩情にあふれている。今月の、というより今年のベストワンにしたいほど個人的には気に入った小説だ。そのほか、最後でおおっと唸らされたのは、ハーラン・コーベン『ウィン』。なんと作者の代表作マイロン・ボライター・シリーズにマイロンの相棒として登場したウィンが本作では主人公をつとめる。大富豪でしかも容姿端麗、武術の達人という超人ウィンが一族の過去にまつわる事件の謎に挑んでいくとなれば、なにか現実離れしたコミック風な娯楽活劇をベテランの筆力でさらっと書きあげたのかと思ったら、とんでもない。たしかに冒頭シーンがそんな感じなので甘くみてしまった。しかし一種の私立探偵小説として極上といっていいほどよく出来上がっているのだ。コーベン作品にはずれはない。クラム・ラーマン『テロリストとは呼ばせない』は、前作『ロスト・アイデンティティ』同様、パキスタン系の青年ジェイが主人公で、ロンドンのムスリム社会における事件と関係者の日常が生々しく描かれており、他にはないサスペンスとして読ませる。前作が評判だったリチャード・オスマン『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』は、すでに主要人物を把握しており、事件もわりと明快単純な分、第一作より読みやかった。あと残念ながら、2段組みで700頁をこえるエレノア・キャトン『ルミナリーズ』は読む余裕がなかったので、次回へ持ち越しだ。

 

杉江松恋

『ミン・スーが犯した幾千もの罪』トム・リン/鈴木美朋訳

集英社文庫

 それまでは『WIN』にするつもりでいたのだが、『ミン・スーが犯した幾千もの罪』を読んだら他の作品は選べなくなってしまった。これが犯罪小説ってもんでしょうよ。中国系移民のミン・スーは、妻を奪われ、いわれなき罪を着せられて苦力の境涯に落とされる。その男が復讐のために立ち上がるのだ。自分を陥れた者たちを皆殺しにし、最愛のエイダを奪い返す。筋立てはそれだけで、長い長い旅の小説でもある。19世紀後半、間もなくユニオン・パシフィックとセントラル・パシフィックが結ばれて大陸横断鉄道が完成する、という時代から物語は始まる。最初の場面は、ユニオン・パシフィック鉄道当時の終端のコリン近辺だ。そこでミン・スーは最初の敵を殺害して拳銃を手に入れた。次の標的を葬り去り、〈預言者〉と合流する。彼は盲目で短期の記憶も頭に留めることができない人物だが、その代償として未来が見えるのだ。ミン・スーはやがて奇術ショーの一座と行動を共にするようになり、異能の人々が同行者に加わる。こう書いていてもわくわくする要素しか見当たらないが、さらにこの小説は文章がいいのである。「ずいぶん前から、人を殺しても良心の呵責に苛まれなくなっていた」という文章で始まり、その後に「太陽は湖面にかかり、水面に写る太陽と境目を溶け合わせていたが、そのうち完全に沈みきった」という自然描写が続く。この1ページめだけで行動の小説を愛する人は心臓を射抜かれるであろう。完璧である。絶対に読むべき犯罪小説だ。

 なんと元アメリカ国務長官の小説から19世紀西部小説、懐かしのキャラクターが登場するスピンオフ作品にウェルメイドな謎解き小説、重さ1kg超えの大作と、いつもに増してバラエティに富んだ月になりました(さらには北上さんの掟破りの『前月の続き』まで)。2022年はこれでおしまい。みなさまどうぞよいお年を。また来年お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧