「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 僕が、叢書〈クライム・クラブ〉を意識するようになったのは大学生になってからでした。それまでも古書店に足繁く通っていましたので視界には入っていたとは思いますが、目を留めることがなかったのです。高校まで海外ミステリをあまり読んでいなかった僕にとっては〈クライム・クラブ〉といえば、国内作品のための新刊レーベル〈創元クライム・クラブ〉でした。大学ミス研に入部して、ミステリファンの諸先輩方と知り合い、それで、東京創元社が一九五〇年代後半に同じ名前で海外ミステリのシリーズを出していたことを教えてもらったのです。
 コンセプトは仏米英の新人発掘で、作品を選出したのは植草甚一。伝説になっている叢書でファンも多く、古書店では高値をつけられているといった基礎知識も仕入れ、どんなものかと作品リストを確認した僕がまず思ったのは「成る程、これらが〈クライム・クラブ〉だったのか」でした。
 文庫で読んだあの名作は〈クライム・クラブ〉が初訳だったんだ、という意味だけではありません。読んだことのある作品のいずれもが僕の中で共通の読書体験を持っているものだったので、それをもって頷いたのです。具体的にはどれも「新しいぞ」と感じた作品でした。
 原書の出版も翻訳も数十年前なのに何を、と思われてしまうかもしれないのですが、少なくとも僕の中ではそうだったのです。ビル・S・バリンジャー『歯と爪』(1955)、カトリーヌ・アルレー『わらの女』(1956)、ノエル・カレフ『死刑台のエレベーター』(1956)。いずれも、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティーといった古典的なパズラーしか読んでいなかった頃に読んで衝撃を受けた作品でした。偏った読書傾向が期せずして〈クライム・クラブ〉刊行当初の読者とシンクロするような読書体験を生んでくれていたのです。
 これらの作品は、クライム・ノヴェルやサスペンスといった別のサブジャンルに分類される作品だから、というだけではなく、作品を構成する要素が古典と比べて明確にアップデートされている。特に違うのは語りの技法だと思います。
 〈クライム・クラブ〉とその前身レーベル〈現代推理小説全集〉で選者である植草甚一が寄せた解説をまとめた『クライム・クラブへようこそ』(1978)の解説で佐野洋が〈(前略)私を喜ばせたのは、どの一冊をとっても、そこに小説作法上の新しい趣向を見出せたことであった。/なるほど、昔から書かれて来た、手垢のついたテーマでも、書き方一つで、こんなに変った小説になるのか……。〉と語っていますが、この叢書の収録作の特徴をよく捉えていて、かつ、同時代の読者がどのように衝撃を受けたのかがよく分かる一文だと思います。テーマやトリックといった部分ではクラシックの年代にも前例はあったのかもしれない。ただ、書き方が違う。そこに新しさがある。
 今回紹介するコリン・ロバートスン『殺人の朝』(1957)は、まさにそうした意味で〈クライム・クラブ〉的な「新しさ」のある逸品です。とにかく、書き方が巧い。

   *

 マーク・グラントはいわゆる立志伝中の人だった。苦難に次ぐ苦難を重ね自分の会社を大企業にまで成長させた。断固たる決意を持って立てた計画を遮ろうとする者を全て排除しながら実現させ続けてきたのだ。
 グラントの私設秘書であるヒュー・バージェスは彼に敵意を抱いていた。品がなく、尊敬することができるような人格ではないということもあったが、最も大きな理由は、グラントが九ヶ月前に結婚した後妻フェイスを苦しめていることだった。ヒューは、フェイスと愛人関係にあった。
 フェイスのグラントへの敵意はもっと強い。父親のことを人質にするようにしてさせられた結婚、その後の愛のない生活、全てが彼女を苦しめている。
 グラントと先妻の子、モニカも父親のことが我慢ならなかった。幼い頃からずっと、自由のない育てられ方をされてきた。恋人であるジム・ブレエイスウェウトもグラントの手によって会社から追い出された。許せない。
 当然のことながら、ブレエイスウェストの方も、グラントを恨んでいる。それから、フェイスの兄の戦友だった男フランク・レッドバーンも妹のように思っている彼女が苦しめられていることを心よく思っていない。それから、グラント邸の執事ペックも。それから、それから……グラントの身の回りの人間のほとんどが、彼なんて死んでしまえば良いと思っていた。
 そして、グラントは、そう思われていることを知っていた。
 解説で植草甚一がフランシス・アイルズ『殺意』(1931)を引き合いに出している通り、本書はまず、犯罪心理小説として非常に読ませます。
 登場人物一人一人について、最小限の描写でどういう人間で、誰に対してどんな気持ちを持っているかを語っていく。たとえば冒頭、豪奢だが、見せかけの虚栄に満ちている事務室の様子を読むだけで、読者はグラントという男がどういう人間なのかをすぐに理解できてしまいます。こうした人物描写が繋がって、不穏な人間関係が見えてくる流れもお見事。小説家としての技量を感じます。
 的確な文章で何かが起きざるを得ない状況が綴られていく。これだけでサスペンスに満ちた上質なクライム・ストーリーになっていて、実際に、本書は事件が発生する場面まで一息に読ませるのですが……この小説が凄いのはそこからです。
 ついに事件が発生した瞬間、僕は思わず「えっ、これってそういう話なの?」と声に出して呟いてしまいました。何かが起きるぞとは身構えていたのに起こった出来事が予想外のもので、それに驚いてしまったのです。
 この予想を裏切ってくる部分の技巧が『殺人の朝』の最大の美点です。それ自体が、とんでもなく意外な事象というわけではない。ただ、「こういう話なんだからこうなるだろう」という物語のパターンをこれでもかと外してくるのです。何度も「この先どうなるの?」と思わされる。ミスリードが効いているというよりも「ミステリのパターン的にこう展開するだろう」というメタ的なところを含めて読者の思考を読み切っている感じです。
 たとえば本書は「第一部 計画」「第二部 罠」「第三部 動機」とそれぞれ章題がつけられています。恐らく手練れのミステリファンなら「この粗筋でこういう章題なら」と一つか二つは予想ができてしまうのではないでしょうか。本書で各部のヒキとなるツイストはどれも、その予想を超えてきます。
 読者はただ、コリン・ロバートスンの掌の上であちらこちらへ弄ばれるのみ。それでいて、予想を裏切ることばかりにかまけて破綻することもなく、最終的には「読んで良かった」と大満足できる地点で解放される。ジェットコースターのようなという評価がこれほど似合うミステリも珍しいと思います。

   *

 本文では〈クライム・クラブ〉作品の「新しさ」を繰り返し書いてきましたが当然のことながら、これはあくまで叢書の刊行当時の最新です。現代作品を読んでいる人にとっては歴史的な価値しか感じ取れない作品もあるとは思います。しかし、一方で、現代のミステリ読者でも、間違いなく読んだら驚くような……妙な言い方になりますが、普遍的に「新しい」作品もこの叢書には存在します。
 『殺人の朝』がその代表例です。断言します。この小説は今読んでもなお、新鮮です。

 

◆乱読クライム・ノヴェル バックナンバー◆

 

小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby