「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 マーク・ショアの〈レッド・ダイアモンド〉シリーズは、私立探偵小説のパロディだと心の中で分類していました。
 そうであることは確かなのです。シリーズの第一作『俺はレッド・ダイアモンド』(1983)を初めて読んだ時は、それこそ笑い転げました。
 主人公であるサイモン・ジャフィーは四人家族を支えるタクシー運転手です。家庭も仕事も、ありふれたもの以上の問題があるわけではありません。幸せだと思う時もちゃんとあります。ただ、どうにも冴えない。家の中で過ごす時間、あるいは運転手仲間との談笑といった日常の中で、自分に居場所がないと感じてしまうことが多い。
 そんなサイモンを癒してくれるものがパルプマガジンでした。片手に拳銃を持ち、もう片方には美女を抱え、気障な台詞を言いながら悪と戦う探偵の冒険譚を読んでいる時だけ、サイモンは楽しい気分になれるのです。特にお気に入りはスコット・マークスの〈レッド・ダイアモンド〉もの。運命の人フィフィを救うために、国際的な大悪党ロッコ・リコを追う私立探偵ダイアモンドのことがサイモンは好きでたまらない。台詞も文章も暗記してしまっているくらいです。
 その日もサイモンはストレス解消にパルプマガジンを読もうと、本のある自宅の地下室へ降ります。しかし本箱の中に何もない。代わりにあったのは銀行から来た督促状のため、お金の都合をつけようとコレクションを全て売り払ったと書かれた妻ミリーからのメモでした。悪気は一切なかったことを示すハートマーク付き。
 サイモンは衝動的に家出して夜の街を彷徨います。行ったことのないような場所へ行き、やったことのないようなことをして、現実離れしたトラブルに見舞われて気絶して目覚めた時……彼は生まれ変わっていました。おれは誰だ? 言うまでもない。私立探偵レッド・ダイアモンドだ。さあ、今すぐフィフィを捜しに行かなければ。
 かくして自身を一九四十年代のタフガイ探偵だと思い込んだ中年タクシー運転手による、八十年代での大冒険が始まった!
 なんとも馬鹿馬鹿しく、故に惹きつけられる粗筋です。
 中身も期待を裏切らない。ただの中年男性がハードボイルド・ヒーローをやりきってしまうことの痛快さ、至るところに散りばめられた私立探偵小説の名作の小ネタ、どちらも冴えていて、このジャンルのファンなら笑ってしまうこと請け合いの逸品です。
 ネオ・ハードボイルドの時代にこういうヒーロー探偵を書くにはパロディの形しかなかったってことか、というのが初読時の僕の感想でした。当時既にハードボイルドの歴史を知った気になっていた頃だったので、ちょっと知ったかぶっていたのです。
 ところが、再読してみて印象が変わりました。むしろこれはネオ・ハードボイルドの本流でもあるのではないか、と思うようになったのです。
 ネオ・ハードボイルドは小鷹信光に命名されたサブジャンルで、《ブラック・マスク》や《マンハント》のような雑誌で活躍していたタフガイ探偵とは違うタイプのキャラクターを主人公にしたハードボイルド・ミステリのことを指します。その潮流の中にいたシリーズ探偵は心や体の弱点が描かれることが多い。アル中のマット・スカダー、隻腕のダン・フォーチュン、マッチョさの欠片もないアルバート・サムスン辺りが分かりやすいでしょうか。彼あるいは彼女らを主人公とした小説では社会的にハンディキャップと見なされることもあるそれらの弱点にどう向き合うか、というのがテーマの一つになります。
 レッド・ダイアモンドもこの流れじゃないか、と気づいたのです。家庭にも職場にも居場所のないサイモン・ジャフィーという余りに弱弱しい男を主人公にした私立探偵小説。最初に書いた通りパロディであることも間違いないのですが、あらためて読んでみて、それだけでは切り捨てられないシリーズであることに気づかされました。タフガイの流行らない時代と、そんな時代遅れのヒーローに憧れるだけで自分はちっともタフになれない主人公に真摯に向き合ってもいる。
 ネオ・ハードボイルドのヒーローとしてのレッド・ダイアモンドを考えた時、シリーズの中でベストと思うのが三作目の『ダイアモンド・ロック』(1985)です。自分の家庭という、サイモン・ジャフィーが真に向きあわなければいけなかったものについてレッド・ダイアモンドとして立ち向かう、捻くれた構造の小説です。
 
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 サツが出し渋っているせいで許可証はもらえてはいないが、私立探偵として仕事をこなしながら暮らすようになったレッド・ダイアモンド。ひょんな切っ掛けから弁護士から依頼された、犯罪組織のボスについての調査も順調だった……と思っていた矢先、妙なことをのたまう青年がダイアモンドの元に飛び込んでくる。その青年ショーンが言うには、彼はダイアモンドことサイモン・ジャフィーの息子で、同じく彼の娘であるメロニーを捜してほしいと言うのだ。何を言ってやがるんだ? レッド・ダイアモンドに子供なんているわけがない! ……というのが粗筋です。
 まず、シリーズの設定をとことん活かした物語が面白い。
 息子や娘なんて知らない、正気になれとショーンを諭していたダイアモンドが、メロニーが宿敵ロッコ(勿論、ロッコは架空の存在なので現実には存在しません)と一緒にいる写真を見つけ、一転して勇んで捜査に乗り出すという展開。ショーンやかつての知り合いに心を揺さぶられて時々サイモンに戻るが、ダイアモンドとは違って彼は頼りにならない情けない男なのでメロニーを助けるには正気にならない方が良いという皮肉さ……美人を見かけたらすぐに愛人フィフィと思い込む、シリーズお約束のギャグもいちいち笑わせます。
 こうしたシチュエーションを活かした笑いの中に、サイモンが目を逸らしてはいけなかった家族の問題が仕込んである。悪い男と付き合っていた我が娘、優秀すぎてまともに会話ができていなかった息子、どちらもサイモンとして生きていた頃に関係を投げ出したものです。
 タフな私立探偵レッド・ダイアモンドとして冒険をしながら、こうした人間関係をやり直すところが本書の読みどころで、実に泣かせるのです。
 読み終えた時、「良かったなあ」と呟いてしまう。ダイアモンドとサイモン、どちらに言っているのか分からないままに。
 
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 『俺はレッド・ダイアモンド』の終盤、レッド・ダイアモンドがタフさとは客観的なものではなく主観的なものであると語るシーンがあります。
 拳銃に撃たれても何も動じないスーパーマンがガンマンに立ち向かってもタフではない。弱点であるクリプトナイトを持っている者に立ち向かう時こそタフなのだ。タフとは、自分が敵うと思わないものとも戦う強さのことだ。……作者がこのことをダイアモンドに言わせた意図は明瞭でしょう。いくらギャングや殺人鬼と戦っても彼は決してタフではない。真に立ち向かわなければならなかったのは家庭や職場なのだから。
 『ダイアモンド・ロック』はこの台詞に込められた皮肉へのアンサーだと思います。読み終えた時、この会話を思い出し「大丈夫。こいつはタフだぜ」と言い返すことができる。
 設定のインパクトが余りにも強いこともあり所謂一発ネタと思われがちですが、レッド・ダイアモンド、中々どうして骨のある私立探偵小説シリーズです。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人六年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby