書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

酒井貞道

『影の王』マアザ・メンギステ/粟飯原文子訳

早川書房

 1935年から始まったイタリアによるエチオピア侵略を題材にとった戦争小説である。

 まず文章が凄い。「」は一か所もなく、登場人物の発言は全て地の文で表現される。しかも台詞がダイレクトに記載されることは少なく、表現上、何らかのフィルターがかかることが大半だ。メタファーなり、もって回った言い方なりが多用されるわけである。では読みづらいのかというと違う。全ての文章にグルーヴ感がバッキバキにかかるのである。オラトリオや民俗音楽の翻訳された歌詞に見られる、ある種のリズム感がほとんど恒常的に文章を支配しており、言葉そのものの圧が凄い。翻訳の手間を考えると気が遠くなります。「合唱」と表現される随所に配されたパートが、それが当該場面近くの情感を、オラトリオ(或いはバッハの受難曲)の合唱ナンバーよろしくまとめてくれたりもして、歌/音楽、それも長大な楽曲を訳詞を読みながら聴き通すのに近い読書体験ができるのだ。

 次に内容も凄い。もちろん小説の力は過半が文章それ自体に宿るのであり、文章が凄ければ内容も凄そうに見えてくる面はある。『影の王』もこれに当てはまってはいる。だが内容それ自体もやっぱり凄い。何せ戦争のありとあらゆることが遺漏なく描かれる。前近代的社会に対して、全体主義国家が1930年代にしかけた侵略戦争の、現地で起きたであろう全てが刻まれていると思わざるを得ないのである。封建社会。帝国主義。歪んだ因習。格差。人権軽視。男女差別。支配者の弱腰。民の矜持。勇気。怒り。悲しみ。諦め。悔恨。戦争それ自体の邪悪。近代戦の暴虐。差別。全体主義の狂気。あの時代の狂気。人間の弱さ。人間の強さ。これらは上述の特徴的な文章表現によって混然と渦を巻き、めまぐるしく交代する多くの視点人物から重層的に展開される。そして何一つ「説明」はされない。地の文や登場人物が作者の主義主張を演説するようなこともない。しかしながら全てがはっきりと伝わってくるのである。取材量も凄そうだ。本書の中では、写真が細かく描写されていることが多い。これらの写真は全て実在しているらしく、恐らくは綿密な文献取材に加えて、写真というビジュアル上の素材からも想像/創造の翼が目いっぱい広げられているのである(残念ながら本書には二枚しか載っていない)。

 結果生み出されたのは、普通の小説の読み味とはかけ離れた、叙事詩的で神話的な物語であった。幻視成分すらあって圧巻です。初期の古川日出男が好きな読者は、『影の王』にはイチコロじゃないかしら。近代以降の侵略戦争を小説でどのように描くか。その理想的回答の一つがここにある。

 なお今月はS・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』という強力な対抗馬がいます。お好きな方をチョイスすれば良いですが、本当はどちらも読んでほしい!

 

川出正樹

『P分署捜査班 寒波』マウリツィオ・デ・ジョバンニ/直良和美訳

創元推理文庫

 マウリツィオ・デ・ジョバンニの《P分署捜査班》シリーズが併せ持つ懐かしさと新しさが心地よい。デ・ジョバンニは、エド・マクベインが確立した伝統的な警察捜査小説のスタイルを忠実に守りつつ、登場人物の価値観や社会問題をアップデートした上で、同時進行する独立した複数の事件にあたる個性豊かな男女の内面を、公私両面から情感を込めて活写する。

 ロヤコーノ警部を筆頭に、有能だけれども見過ごせない欠点もある癖の強い七人の警察官が、毎回、分署の存続をかけて難事件を捜査する。なぜなら彼らは、不祥事を起こして逮捕された前任者の穴埋め要員として各分署から厄介払いされてきたはぐれ者であり、上層部からは分署を取り潰すための口実として常に監視されているからだ。そんな緊迫した状況下にもかかわらず、というかむしろそれ故にか、彼らは常にユーモア精神を忘れず、陰々滅々とした空気はみじんも感じられない。七人全員が、公私に問題を抱えつつも生きることに前向きなのだ。“21世紀の〈87分署〉シリーズ”という謳い文句に偽りなしの好シリーズだ。

 約二年ぶりの翻訳となるシリーズ三作目『P分署捜査班 寒波』で、“ピッツォフアルコーネ署のろくでなし刑事”と蔑まれる彼らは、科学者の兄とモデルの妹の二重殺人事件と児童虐待疑惑に挑む。異常なまでの寒波に襲われる十一月のナポリと呼応するかのような、心寒くやるせない事件の真相が胸に響く。

 

千街晶之

『恐ろしく奇妙な夜 ロジャーズ中短編傑作集』ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ/夏来健次訳

国書刊行会

 かの怪作『赤い右手』が邦訳されてジョエル・タウンズリー・ロジャーズの名が日本のミステリファンに知られるようになって早くも二十数年。同じ版元、同じ訳者によってロジャーズの作品が再び日本に降臨した。異様な熱気を帯びた文体のせいで「天然」という印象を受けかねないが、不可分の関係にある語りと騙りが構図の反転を演出しているあたり、実はかなり計算ずくの技巧家だったのではと思えるので(少なくとも「書く」という行為に極めて意識的な作家なのは確実だ)、どこまで計算で書かれていたのかわかりづらかった『赤い右手』のイメージも本書によって変わるかも知れない。本格ミステリからSFホラーまで守備範囲は広いが、作中作ミステリ「わたしはふたつの死に憑かれ」のサプライズは特に見事だった。

 

霜月蒼

『頬に哀しみを刻め』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 北上次郎の有名なフレーズを借りることにする。まだ2月だが断言してしまおう、本書は今年のベスト1だ。「慟哭」とか「号泣」とか書かれた本はたくさんあり、たくさんありすぎて本来の意味を持たなくなってしまったが、でも本書については言葉の意味そのもの、慟哭の犯罪小説である。本書は復讐譚だし暴力描写も少なくないが、著者コスビーがそれを無造作に美化していないのが素晴らしい。主人公は言うのだ、「人は復讐を正義のように語るが、復讐はちょっといいスーツを着た憎しみ」にすぎないと。ここで描かれる暴力は、たしかにいくらかの痛快をもたらしはする。しかし冒頭から最後まで主人公ふたりの悲しみと自己嫌悪と悔恨がずっと響きつづけるから、復讐は贖罪になりえないという苦しみが読者の脳裡から消える瞬間はない。

 物語は同性婚をしていた若い男性ふたりの葬儀ではじまる。その場にいるふたりの父親は悔恨で身を焦がしている。彼らは息子たちの性的指向を認められず、絶縁状態にあったからだ。そして息子たちは惨殺された。息子たちとの最後の記憶は、自分たちが彼らを傷つけた一幕となってしまった――このどうしようもない悔恨を抱えて、どちらもスネに傷をもつ父親ふたりは真相を探りはじめる。親であるということは、振り返れば後悔が無数に見つかるということでもある。もはや取り返しのつけようもないという悔恨――思えばすべての復讐譚はそういうものなのだ。片方の父親は黒人であり、もう片方は白人で、互いの人種的憎悪も根深かかったが、やがてふたりは自分の息子の配偶者を「夫」と呼べるようになり、最後の大勝負を前にこんなことを言い交わすようになる、「お互い結婚式で会ってればよかったな。ふたりとも出席してればよかった」。ここ数年の犯罪小説で間違いなくベストの一冊である。

 そんな作品が出たおかげで損をしたドン・ベントレー『奪還のベイルート』についても触れておく。トム・クランシー印で刊行されたジャック・ライアン・ジュニア物で、『ライアンの代価』『米中開戦』などマーク・グリーニーも何作か書いたあれです。ベントレーは『シリア・サンクション』で、とにかく主人公が孤立無援で満身創痍になるエクストリーム冒険小説を爆誕させた作家だが、あちらはいささか荒っぽいところもあって留保をつけていた(でも読む価値は十分にあります)。だが本書ではクランシー印の制約が効いたか、巨匠クレイグ・トーマスに肉迫する快作となった。やはり孤立無援&満身創痍プロットで、チームプレイは最小限。結果グリーニーよりも肉体性が前面に出た冒険小説となった。物語が進むにつれて主人公のケガが増えて使えない腕や足も増えるという状態で主人公は下巻の3分の2を占める1vsテロリスト集団の激闘を強いられるのだ。すごいぞ。

 

吉野仁

『頬に哀しみを刻め』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

『黒き荒野の果て』につづくS・A・コスビーの新作は、息子が殺された事件の真相を追う父親たちが主役だ。その息子たちは同性愛者であるばかりか、黒人と白人のカップルであり、しかも現場となったところはアメリカ南部バージニア州。差別による悪行の生まれる条件や血と暴力による報復の舞台がそろっているだけでなく、読み手の感情に強く激しく訴えかける著者の書きぶりがすばらしい。前評判の高さに裏切られることはなかった。そのほか、ヴァシーム・カーン『帝国の亡霊、そして殺人』は、最近多く刊行されるインドの現代史を背景とした歴史ミステリであり、インド初の女性刑事を主人公にすえ、共和国化を目前とした一九四九年大晦日のボンベイから物語がはじまる。英国外交官の殺害事件を扱っており、印パ分離独立の問題がからんでいるという話で、詳しくは書けないが後半になるほど面白く感じたし、作中、「インパール」という言葉が出て来たのでどきっとしてしまった。ラーシュ・ケプレル『鏡の男』は〈ヨーナ・リンナ〉シリーズの最新作。あいかわらず残虐でサイコなシリアルキラーものであり、おののくばかりだ。なかでも「お婆」と呼ばれる人物の不気味さよ。現代イタリア産〈87分署〉、マウリツィオ・デ・ジョバンニ『P分署捜査班 寒波』は邦訳三作目で、発生した事件だけでなく私生活をふくめて個性的な刑事たちの動向を追っていく、あいかわらずの展開ながら、途中でたびたび挿入される、言葉の反復を多用した風変わりな独白が印象に残った。

 

杉江松恋

『頬に哀しみを刻め』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 実際に読んだのは昨年暮れで、推薦文を書くためである。しかしその時から、2月他に何が出ようとこれを推さないわけにはいくまいと思っていた。他に何が出ようと。それほどの傑作ということだ。それほどの高水準で、現代の犯罪小説について言及しようとするならば、今後本作を除外しては考えられない。作品の種類は異なるが、9年前にロジャー・ホッブス『ゴーストマン 時限紙幣』が出たときとほぼ同様の驚きを覚えた。

 憎悪の殺人と思われる事件から話は始まる。同性愛者の男性カップルが殺害されたのである。二人の両親は自分の息子がそうした結婚をしたことを受け入れられず、拒絶してしまっていた。後悔してもし切れずに日々を過ごしていたとき、一方が真実追究の提案をして、もう一人が乗る。物語の筋はそういうものである。前作『黒き荒野の果て』は、強盗から足を洗って堅気として暮らしていた男が生活上の必要から再び悪事に手を染めてしまい、ずるずると状況に流されていくという物語だった。その過程の中で、自らの中に暴力衝動があると認めざるをえなくなっていくのである。本作にもそうした要素はある。息子たちを襲った憎悪に対して父親は憤怒する。その怒りが大きく燃え上がっていく中で、自身が暴力に酔っていることを自覚するのである。ここから、さらに流されるのか、それとも自らを持すことになるのか、その選択が一つの読みどころとなる。

 しかし本作が凄いのはここからで、プロットが単線だった前作に比べて、より高度化している。まず書いておかなければならないのは、いい年をしたオヤジ同士の相棒小説になっていることだ。一人はアフリカ系で前科持ちだが、現在は成功した実業家、もう一人は離婚歴があってアルコール依存の問題も抱える貧乏白人、という構図が上手い。どこまでも対照的な二人が事件調査を通じてお互いの間にある壁を乗り越えていくのである。直接詫びを言うことの叶わない息子への贖罪に加え、人間同士でわかりあえないはずはないという別の問題提起も加わり、人生をやり直すという物語の構図が複層化する。さらに、強者による弱者からの搾取という社会批判の視点も加わるのである。この点については実際に目を通していただきたいので詳述は避けるが、二人の男の個人的な物語であるだけではなく、社会全体を見通した完璧な犯罪小説に本作がなりえたのはこの視点を備えたからだ。完璧。何度も書くが完璧。

 

 伝説のカルト作家から現代犯罪小説の最先端を行く小説、戦争小説にイタリアの警察小説と、今月も賑やかでした。さて、来月はどうなりますことか、(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧