■ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル『禁じられた館』


 ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル『禁じられた館』(1932)には、誰もが驚くだろう。作品自体ももちろんだが、その存在にも驚かされる。
 あの浩瀚で、本格ミステリに幅広く眼を配ったフランス・ミステリ史である松村喜雄『怪盗対名探偵』にも、一行も登場しない作家名である。そんな知られざる作家によって、英米の黄金時代にフランスでも不可能犯罪ミステリの秀作が書かれていたという事実は、新種の恐竜が発見されたような興奮を伴う。
 この合作作家は、不可能犯罪物を蒐集したロバート・エイディLocked Room Murdersやその補遺にもその名はなく、訳者の小林晋氏の解説によると、フランスの大部の二巻本ミステリ事典にも、その項目はないという。まさに、本国でもまったく顧みられない作家なのだ。

 訳者によって奇跡的にサルベージされた作品を紐解いてみると、これが実にいい。
 その第一は、黄金時代流のフェアプレイを重視した不可能犯罪ミステリであることだ。
 富豪のヴェルディナージュが、マルシュノワール館に引っ越してくる。これまでの館の主には常に災いがつきまとってきた曰く付きの館だ。富豪のもとには、再三「この館から出ていけ」との脅迫状が舞い込む。犯行予告の日、ついに事件は起こる。謎の男の来訪の後、富豪は射殺死体になって発見される。しかし、犯人と目される人物は、どこにも逃げ場のない館から忽然と姿を消していた-。
 警察が家の雇人たちを訊問しても、不可能犯罪の様相は強まるばかり。訪問者の一連の動向を小塔の窓から監視していた召使の存在もあり、事実は確固たるものだ。犯罪に付随する状況は包み隠さず読者に提示され、そこから納得度の高い解決を取り出す作者の手つきは、黄金時代の一流プレイヤーそのものだ。謎解きが突飛なものではなく、確かにこれしかないと納得させる。トリックの面では、英国のある古典(非密室物)の影響を受けた可能性も考慮したいが、いずれにしても不可能犯罪のトリックとしてうまく溶かし込んでいる。
 フェアプレイ度では、同時代のフランス(ベルギー)作家のS・A・ステーマンやピエール・ヴェリーより上だろう。論理の隙のなさは、二人の作家の合作という形式が大いに与っているかもしれない
 第二は、多重解決型のミステリになっていること。バークリー『毒入りチョコレート事件』(1929)ほど整然としたものではないが、最初に駆け付けた憲兵隊の警部、その次にやってきた予審判事、管区警視、検事代理、さらには私立探偵が押しかけてきて、それぞれの推理を披歴し、独自の犯人を指摘する。ありうべき解決を幾つもの主体が推理し、否定されていくことで、事件の不可能性は増していくし、全体にユーモラスな調子を与えている。
 トム・モロウなる私立探偵は、ポワロ風のもったいぶった喋り方をする気取り屋の小男だ。富豪の遠い親戚に押しかけ、遺産が遺された雇人が真の犯人になれば、親戚に遺産が転がり込んでくるという理屈で、脅迫気味に雇うことを迫る一風変わった探偵で、名探偵のありようとしてもユニークだ。
 第三は、全体を通じた劇的構成。真犯人と目された人物は重罪院の法廷にかけられ、死刑宣告まで風前の灯となる。一部はルルー『黄色い部屋の謎』に由来しているかもしれないが、クライマックスの法廷で、真の名探偵が浮上し、推理を披露するという構成は、ドラマティックで、最後の謎解きの効果を高めている。
 
 フェアプレイの本格ミステリとしても、密室ミステリとしてもフランス屈指の作といえる本書がここに発掘されたのは喜ばしい。作者は、1930年代に本書を含め3作の不可能犯罪物を遺し、ほかにも、ガストン・ボカ、ノエル・ヴァンドリーといった作家が不可能犯罪物を書いているという。フランス30年代にささやかな不可能犯罪ブームがあったことは、愛好家のさらなる夢想を誘うだろう。

■ドロレス・ヒッチェンズ『はなればなれに』


 昨年亡くなった映画の革命児ゴダール監督の追悼の意味合いもあってか、映画『はなればなれに』の原作となったドロレス・ヒッチェンズ『はなればなれに』(原題Fools’ Gold / 1958)が新潮文庫〈海外名作発掘シリーズ〉から。
 フランスの〈セリ・ノワール〉叢書を通じて、米国の犯罪/ノワール小説がヌーヴェルバーグの監督たちの霊感の元になったことはよく知られており、さきに紹介された『気狂いピエロ』もやはりそうした作品の一冊だったが、本書も盟友トリュフォーを経由してゴダール監督によって選ばれた一冊だ。ただし、原作と映画の肌触りは大きく異なる。
 ともに22歳の前科者スキップとエディは、手に職をつけるために通う夜間学校で17歳の娘カレンと知り合う。彼女が身を寄せる未亡人宅には、彼女の元娘婿が持ち込んだ莫大な現金が保管されていることを知り、二人は現金を奪うことを目論む。しかし、スキップがその計画を叔父のウィリーに漏らしてしまったことから、すべての歯車が狂っていく。
 早々と二人のチンピラの現金強奪物と見切った読者には、一筋縄ではいかないその展開にうろたえてしまうだろう。スキップと一緒に暮らす叔父のウィリーも元犯罪者で、彼はかつての犯罪仲間を訪ね犯罪の代行を依頼する。スキップと叔父は、犯行の時間には、完璧なアリバイをこしらえるというわけだ。一方、スキップは叔父の計画を出し抜くために、エディとともに現金強奪に先回りをする。カットバックによって描かれる幾つかの筋の進行により、犯罪者たちの思惑はぶつかり、安手の犯罪は悪夢のような事態を招来する。
 本書のストーリーに引き込まれるのは、作者の人物造形がものをいっている。スキップはタフで冷酷な若者で何事にも心を動かされず、カレンは道具にすぎないと思っているようだ。カレンは、家庭の愛に飢えた娘でスキップに強く惹かれる。心ならずも犯罪計画に加担し、心を失っていく。エディは内に優しさを秘めた青年でカレンに惹かれていく。絶望的な三角関係だが、この中心人物の男女三者三様の心理のありようが、犯罪の成否を中心に据えた通常の犯罪小説を超え、話に奥行きを与えている。
 強奪の手前、スキップがカレンにストッキングを脱げと命じる場面がある。スキップとエディは脱いだストッキングを一本ずつ分け合って、頭からかぶり覆面の代わりとするのだが、3人の関係を端的に表した痛ましくもユーモラスなシーンであり、ここは映画版でも再現されている名場面だ。
 本書のストーリーが一筋縄ではいかないというのは、例えば、ウィリー叔父のアリバイづくりのくだり。彼は、犯行日の夜のアリバイをつくるために、なんと匿名アルコール依存症者の会(通称AA、ローレンス・ブロックのマット・スカダー探偵が参加していたアレだ)に参加する。さらに、ウィリー叔父は会の参加者のスピーチに体を震わすほどに感銘を受けてしまうのだ。こうしたオフビートな展開、緩急の自在ぶりにも、作者のただならぬ手腕が顕れている。
 結末は、やや倫理的に過ぎるかもしれないが、この優れた「破滅と死」の物語を照らす一筋の光として、肯定すべきだろう。
 作者は、40冊以上の長編を発表しており、D・B・オルセン名義の謎解きミステリ(『黒猫は殺人を見ていた』の邦訳がある)から、ドロレス・ヒッチェンズ名義の犯罪サスペンスに作風を転換していったとのこと。訳者・矢口誠氏によると、他にも優れた作品があるようで、そちらもいずれ紹介されることを期待したい。
 映画『はなればなれに』は、今回初めて観た。『気狂いピエロ』ほどの原作の解体はなく、かなりの程度、原作の筋を追っているが、趣はかなり違う。喜劇的でもあり、悲劇的でもある男女三人の映画であり、原作では切実だった犯罪は、青春をもてあました三人の「ごっこ」遊びのようにも見える。三人が踊るマディソン・ダンスのシーン、ゲリラ撮影で撮られたという三人がルーブル美術館を手をつなぎ駆け抜けるシーンなど色褪せない輝かしい瞬間がこの映画にはある。カレン(映画ではオディール)を演じるのはゴダールの美神アンナ・カリーナでみずみずしい魅力を湛えている。

■クリスチアナ・ブランド『濃霧は危険』


 〈奇想天外の本棚〉から、クリスチアナ・ブランドのジュヴナイル『濃霧は危険』(1949) が初紹介。ブランドは、我が国にも紹介され人気がある童話〈マチルダばあや〉全3巻の作者でもあるが、本書は、もう少し上の世代を意識した小説だ。ジュヴナイルだからというわけで、本文(いつもの山口雅也氏の「炉辺談話」まで)は、総ルビで、多くの挿絵も入っている。
 主人公は、レデブン館の相続人で15歳の少年ビル。知人宅で休暇をすべくロールスロイスで目的地に向かっていたが、霧が一帯に立ち込める荒地の途中で、お抱え運転手につまみ出されてしまう。同じ頃、〈ナイフ〉と呼ばれる少年が近隣の少年院から逃亡する。
 ビルは、荒地をさまよううちに、眼帯をかけた少年パッチと知り合い、行動をともにする。二人は、ビルが手に入れた暗号の文書を解読しながら、悪人たちと追いつ追われつの大冒険を繰り広げる。
ジュヴナイル冒険小説とはいえ、最上級の本格ミステリを書き続けたブランドだけあって、導入は凝ったもの。お抱え運転手に放り出される冒頭から、少年院の脱走者、シェイクスピアの『マクベス』の台詞をキーにした取り違え、犯罪を暗示する暗号メッセージなど盛りだくさん。そこにパッチ(とシャム猫サンタクローズ)が相棒役となって冒険の準備は整う。
 敵役の造型がまたいい。〈にやついた若者〉〈にやついた刑事〉と呼ばれる不気味な青年、ヴァイオリンケースを抱えた〈ヴァイオリン〉と呼ばれる大柄の男。彼らは、物語の要所で二人の少年に迫りくる脅威となる。
 冒険には知的なものと肉体的なものがあると思うが、本書はいずれの部分も創意に富んでいる。
 まず、暗号のメッセージがいい。海外小説の暗号は我が国の読者にはハードルが高いものだが、根幹の部分は日本人にも納得のいくものだし、正反対のメッセージが存在することによって陰謀のスケールが増すというつくりも優れている。
 暗号メッセージが徐々に解かれていくに連れ、濃霧のように漠然とした事件、悪人が誰かすらはっきりしない謎が解けていくのも、知的な冒険の快感だ。
 肉体的な冒険のほうも、爽快感に富んでいる。ダートムアの地を立ち、ウェールズの海岸に向かうために、最終的に少年たちが利用するのは、かつては魚釣りに利用されたコラクルという小舟。イングランドやウェールズの数少ない川で使用されるもので、背負って持ち運びもできる。この冒険は、イングランドの少年がウェールズという異郷に乗り込んでいく未知との遭遇の旅でもあるのだ。二人は、指定された時刻に目的地に間に合うのかというサスペンスを持続させながら、物語はクライマックスの闘いになだれこんでいく。
 少年ビルは、過保護に甘やかされて育った少年で、自らもそれを強く意識している。だから、この冒険は、周囲の人々に「一人前の男子」として扱ってもらえるための試金石でもある、というのはいかにも英国の冒険小説の伝統を受け継いでいるようではないか。
 意外な結末も本書には用意されている。おそらくは、予想がつくものであるかもしれないが、真相が判明したときに、物語の構図が大きく変わるラストは、作者も構想の段階で頬をゆるめたに違いない。
 クイーンばりの明晰なロジックで本格ミステリを書いたブランドにしては、事件の細かい部分で腑に落ちない点もないことはない。けれども、本書は、謎と冒険を愛する少年少女には恰好の読み物であり、元少年少女にとっても楽しい時間を過ごせる一冊だ。

■レックス・スタウト『ネロ・ウルフの災難 激怒編』


 レックス・スタウト『ネロ・ウルフの災難 激怒編』は、ウルフ物3作を収録したオリジナル中編集。〈ネロ・ウルフの災難〉シリーズは、同じ論創海外ミステリ「女難編」「外出編」に続く第3弾。特にウルフの怒りが感じられる事件を3編収録。普段でも、不機嫌このうえない巨漢探偵が怒りに燃えたらどうなるか、収録の3編の読みどころでもある。
 「悪い連”左”」では、ウルフは冒頭から煮えくりかえるような怒りにさらされている。依頼人に加えその妻が同行すると伝えられておらず、彼女は人の話に割り込み、手垢のついた決まり文句を連発するからだ。ウルフに提示されたのは、FBIの工作員として共産党に入ったという甥が、殺された事件。ウルフは、FBIに助手アーチー・グッドウィンを遣わし、独自捜査の可否を問い合わすが、担当官は取り合ってもくれない。ネロ・ウルフは独自の捜査でFBIをやり込められるか。
 容疑者は、共産主義者の犯行が強く疑われる事件で、作品の背景には「赤狩り」がある。ウルフが「無責任かつ不当に共産主義よりの人々を攻撃する最近の傾向を残念に思っています」と話すのは救いだが、「共産主義者による誤った方向性の熱意から生じた行為が悪い連鎖となる」という言明はスタウトをもってしても当時の一般の風潮から逃れられないと感じさせる。
 解決に向け手の施しようがないと判断したウルフが違法スレスレの手段をとるところが見所だが、一見不可能犯罪風の毒殺を扱いながら解決はやや肩透かし。
 「犯人、だれにしようかな(イニ・ミニ・マーダー・モ)」は、ウルフ大激怒の巻。それもそのはず、事務所兼用のウルフの邸宅で、依頼人が殺されたのだから。それも、ウルフのネクタイで絞殺されて。
 突然現れた依頼人の女性は、大きな法律事務所に事務員として勤務しており、事務所の弁護士の一人が訴訟の相手方本人と簡易食堂で密会しているのを目撃したという。アーチーは、蘭の植物室にいるウルフと事件を引き受けるかどうかで押し問答をし、戻ったところで、彼女が殺害されているのを発見。ウルフは怒りのあまり、食事を抜くという、美食家としては最大の暴挙に出て、かつ、警察が捕まえる前に、犯人の正体を暴くことを誓う。犯人は、事務所の弁護士のいずれかと目されるが、ウルフは計略を練り、事務所に集た容疑者の中から真の犯人を指摘する。
 「苦い話」はウルフの中編初登場作。発端は、ウルフ家の名料理人フリッツ・ブレンナーがインフルエンザになったことだった。おかげで、ウルフとアーチーは惣菜屋で買った昼食を食べている最中、ウルフは砲弾が炸裂したように瓶詰のレバーパテを吐き出す。ウルフは食べ物の冒涜者に黒々とした怒りをたぎらせる。偶然、そこへ若い女性が現れ、瓶詰のパテにキニーネが入れられる事件の解決を依頼する。食品工場に出かけたアーチーは工場を所有する会社社長の死に遭遇する。次々と容疑者が現れ、事件は錯綜するが、ウルフは、やはり関係者を事務所に集め、犯人の矛盾をつく。意図的に隠されたアリバイという着想が面白い。
 ウルフとアーチーの軽妙な会話、アーチーのモテぶり、クレイマー警視の切歯扼腕、ウルフファミリーの活躍などといったお約束はいつもどおりで、相変わらずの安定感だ。
 巻末には、「ウルフとアーチーの“仲間たち”の紹介」も。
 訳者あとがきによると、今回で、ウルフ物の短編集は一区切りとなり、今後はウルフの未訳長編を紹介してくれるとのこと。こちらも楽しみにしたい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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