4月。新しい環境で新しい人間関係の中での生活をスタートさせた人も多いことでしょう。そんなとき周りにどんな人がいるのか、信頼関係を築ける相手がいるかどうかは大きな関心事のひとつでは。今回はそんな人間関係がちょっと恐ろしくなる作品、クリステン・バードの The Night She Went Missing(2022)をご紹介します。

 住民の関係が濃いテキサス州の田舎町で、ひとりの少女エミリーが行方不明になる。本が好きな、どこにでもいるティーンエイジャーだ。地元の名門私立学校の創設者一族の一員であり、現在の学校経営者のロザリンの孫娘であるということを除けば。そのエミリーがある晩友人とパーティに出かけたあと、足取りがぷつりと途絶えてしまったのだ。

 エイミーの祖母ロザリンは自らの祖父が建てたキャラハン・プレップ・スクールの長である。近隣では唯一といっていい名門校で、毎年卒業生がアイビーリーグなど米国内の有力大学に進学する。住民に卒業生は多く、親子二代に渡ってプレップ・スクールで学ぶ人も少なくない。だから地元でロザリンのことを知らない人はいない。

 そんなロザリンの孫娘エミリーが失踪した。

 エミリーの母キャサリンは夫カーターの母であるロザリンが苦手だった。祖父の代から名門校を経営する地元の名士であり、強権的な態度を隠さない義母の家をエミリーやその下の双子の娘ルーシーとオリヴィアを連れて訪ねることは何より苦痛だった。町でも一族内でも絶対的な権力を持つ義母は、キャサリンにとってさながらモンスターのような存在だった。夫は地元に子ども時代からの知人も多く、それなりに地元に愛着を持っているようだが、よそ者であるキャサリンにとって強すぎる義母の存在、そして義母に向ける嫌悪の情を隠そうともしない一部の住民たちからの視線を耐えがたく感じていた。

 数年前にライオネルが家を出ていって以来、モーガンはアレックスをひとりで育てていた。アレックスは始終宿題を忘れるし、勉強はいまひとつではあったけれどフットボールがうまいスポーツマンで、モーガンにとっては最愛の息子だった。
 まだライオネルと結婚していたとき、ある女の子がアレックスにレイプされたと訴えてきたことがあった。実際には一方的にアレックスが悪いわけではなく、ティーンエイジャーの男女にありがちなことだったのではないかと思いつつも、モーガンにとって闇の中に葬り去りたいできごとだった。そして、いま、町外から転入してきたロザリンの孫娘エミリーとアレックスが仲良くしているらしい。もうすぐ卒業なのだから、ロザリンの孫娘とだけは問題を起こさないでほしい。モーガンは息子の行動をひやひやしながら見守っていた。

 レスリーは町の模範的な住民と目されていた。自身はロザリンの右腕としてプレップ・スクールの運営に携わり、3年前に夫マイケルが病死したのちは、遺された子どもたちを育てながら奮闘していた。表向きは他人に後ろ指をさされるようなことが何一つない生活を送っているように見えたが、その裏には他人に言えない問題があった。
 若かりしころ、レスリーとモーガンは親友だった。レスリーがマイケルと婚約した直後にモーガンがマイケルにキスをするまでは。親友の裏切りに驚きと怒りを抱えたまま年月が流れ、マイケルに癌が見つかった。治療が落ち着いてもとの生活を取り戻しかけたかに見えたあるとき、夫がモーガンと食事をしていた事実が発覚する。ライオネルと揉めていたモーガンの相談にのってやっていたという夫に、レスリーは怒りを爆発させる。狭いコミュニティではあっという間に噂が広まってしまうだろう。二人の食事を目撃した住民がロザリンに話す日も遠くあるまい。興奮するレスリーをなだめながら、次回はライオネルも呼んで4人で食事しようと穏やかに話す夫だったが、その後ほどなくして癌が再発し、「次回」は永遠に訪れなかった。そしてレスリーは2度も自分を裏切ったモーガンをどうしても許せなかった。

 行方不明になった少女のと言うよりは、3人の母親たち、キャサリン、モーガン、レスリの物語である。それぞれが家庭内外に根深いしがらみを抱えながら、表面上はそれを繕って暮らしている。旧く濃く続いてきた人間関係が現在の3人のいびつな関係をつくりだし、コミュニティ内での生きづらさにつながっている。少女の失踪という田舎の静かな町の大事件は、彼女たちのずっと隠しておきたい闇が世間に知られるところとなるリスクと背中合わせだった。

 作中では登場人物たちの異なる視点で語られる。誰しも保身に走り、他人に触れられたくない過去や裏の顔があり、自分の子どもに尋ねたくない質問がある。物語は行方不明だったエイミーが自分の葬儀の日に水面に浮かんでいるのを発見される場面から始まり、事件前後の数カ月を描く各章それぞれが、3人の母親から見た町の光景とともに描かれる。frenemy(友人のふりをした敵)である3人の自己弁護、事実の秘匿、他者攻撃が綴られた描写は寒々しい。誰かを謗りながら、自分も目の前の苦しさから抜け出すために他人に言えない秘密をつくってしまう。誰が犯人かなのではなく、なぜこんな事件が起こったのか。事件の最大の謎はそこにある。

片山奈緒美(かたやま なおみ)

翻訳者。日本語教師。首都圏の大学で非常勤講師としてコミュニケーション、日本語表現、多文化共生、留学生の日本語などの科目などを担当。
最新の著訳書はリア・ワイス『スタンフォードが教える本当の「働き方改革」』、日本語口語表現教育研究会『社会を生き抜く伝える力 A to Z』(第3章担当)など。
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