「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 パトリシア・ハイスミスのことを長年、恐れ、遠ざけていました。
 一年に一冊しか手に取る気になれない。読むたびに「しばらくはもういいや」と思ってしまう。年に一冊でも読んでいるのなら十分なのではないかと思う方もいるとは思いますが、好きな作家となると何冊、何十冊と続けて読んでしまう人間である僕にとって、これはかなり珍しいことなのです。
 ひとえにハイスミス作品に嫌な話が多いせいです。善人の平穏な生活が強烈な悪意によって壊され人生までも歪められていく『プードルの身代金』(1972)、想像もしたくないことが平然と描かれ、そのまま終わっていく話ばかりの短編集『世界の終わりの物語』(1987)……ハイスミス本人あるいは作品を語る時、意地悪という評し方がよくされますが、そんな言葉で終わらせて良いのかという気分にさえなる。
 なのに、夢中で読んでしまう。一度読み始めると、もう止まらない。圧倒的に面白い。ただ、嫌な話としか言いようがない。露悪的な話なんて好んで読む性質じゃないつもりだったんだけどな、と少し自己嫌悪に浸ってしまう。つまるところ、どうして自分がこんなに楽しんでしまうのかが分からないことが僕は怖かったのです。
 この恐怖心が、最近すこし薄らぎました。『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』(1966)を読んだのです。
 日本ではフィルムアート社から二〇二二年に訳出されたこの本は、ハイスミスが駆け出しの作家たちへ自身の創作術を語っていく、タイトル通りの小説指南書です。
 本の中でハイスミスはデビュー作である『見知らぬ乗客』(1950)から直近の作品である『ガラスの独房』(1964)や『殺人者の烙印』(1965)までの自作を例に挙げ、講義の材料にしています。それを読みながら僕は安心したのです。ああ、良かった。ハイスミスは何もただの嫌な話を書こうとしてあれらの物語を紡いだわけではなかったのだ、と。
 ハイスミスが創作する上で通底していた哲学は、感情をどう揺さぶるかでした。そもそもの作品が生まれる源泉について感情を揺さぶる経験からと語り、何をすれば読者も同様に心を動かされるかに苦心をする。だから、あの作品ではこう書いた、この登場人物にこういう行動をさせた。作者自ら解説していった先で見えてくるのは、ハイスミスが書いた小説の本質は感情を揺さぶる人間の物語であるということです。揺さぶった結果、嫌な気持ちにさせられることになることは多い。けれど、そうさせるためだけの話では決してない。本質は人間の感情なのです。
 今回紹介する『殺人者の烙印』は、こうしたハイスミスの技術の粋ともいえる、感情が揺さぶられざるを得ないサスペンスです。
 
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 シドニーとアリシアのバートルビー夫妻は結婚して以来の一年半、イギリスの片田舎に住んでいる。子供はまだいない。
 シドニーは作家だが本は二冊出しただけで鳴かず飛ばず、三作目の売り込み先は見つけられていない。最近はロンドンに住んでいる相棒と共に連続テレビドラマの脚本を売ろうとしているが、そちらも上手くいっていない。
 アリシアは画家だ。素人の遊びというレベルではないが、それだけで生計を立てていける程ではない。
 二人の生活はほとんど名士であるアリシアの両親に頼っているような状況だった。アリシアはそのことを気にしていないが、シドニーはそうではない。静かにではあるが、夫婦の仲にはヒビが入り始めてていた。
 ある夜、アリシアは感情を爆発させた。アリシアは、自分に消えてもらいたいんだろうとシドニーをなじり、なら、その通りにしようじゃないかと、ある提案をした。これから自分はこの家を出ていく。しばらくは一切の連絡を取らないし、シドニーから取ろうともしないでほしい。アリシアが連絡を取る気になった時にお互いの頭が冷めていたら良し、そうでなかったら終わりだ。
 願ってもないとシドニーは応じた。アリシアが出て静かになった家の中、シドニーは行動を起こした。丸めた絨毯を人目を忍んで埋めにいったのだ。まるで、中にアリシアの遺体が入っているかのように丁重に扱いながら。半分はアリシアの言った通り溜め込んでいた妄想を実現する憂さ晴らし、半分は殺人者の気持ちになるための取材の気持ちで作業を終わらせたシドニーは、いつになくすっきりした気分になった。これなら創作も上手くいきそうだ。
 だが、シドニーの良い気分はそう長くは続かなかった。アリシアの失踪期間が長引くに連れ、シドニーは隣人、義両親、友人、そして警察に段々と疑いの目を向けられるようになり……
 無実なのに妻殺しの疑いを向けられてしまった男の物語。『殺人者の烙印』を一言で表すとそうなるかと思いますが、上記の粗筋だけでも察せられるように、この作品は、そう言い切った時にこぼれ落ちてしまう部分にこそ重みがある一作になっています。
 そもそもシドニーという男について一言で語れない。同種の冤罪ものの話では、そんなつもりはないのに妻殺しをしたと勘違いされるような行動をしてしまった、と単純化されがちなところをハイスミスはそうしない。彼の殺意は本物であるし、夜中に絨毯を埋めたのは、むしろ、そう思われたがっているような気分での実行です。中盤以降、事態が深刻になる前は、妻を殺したと疑われることを楽しみさえします。
 本書はそんなシドニーをはじめとした登場人物の複雑な心理こそが面白い。
 アリシアの失踪が起こるのはページ数で言うと百ページを過ぎてからです。ゆっくりした始まり方が好きと語るハイスミスにしても、かなりスローペースですが、人間描写の達人である彼女はその長さも飽きさせない。シドニーとアリシアを中心とした人間模様を多面的に描いていく。
 特に、はっきりとしない微妙な心理の拾い方が巧い。たとえばシドニーとアリシアの軽い夫婦喧嘩の描写が布石として見事。当事者も目撃者も、後に何もなければ誰も何も思わない。その程度の出来事だけれど忘れはしない、という引っ掛かり具合がリアルなのです。
 こうした場面や心理が全て、アリシアの失踪後、シドニーが殺人者として追い詰められていく結果に奉仕していく。
 ここが圧巻です。
 派手な出来事は一切起こらない。シドニーのすること言うこと全てが思い通りにいかないだけ。ひたすら首を絞められていく。その様子が読者の息をも詰まらせる。シドニーと読者の気持ちが同調していき、終盤へ向けて逸脱していく彼の行動すら理解できるようになってしまう。
 ハイスミスの本領発揮といえるサスペンスです。

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 実は、『サスペンス小説の書き方』を読み終えて、僕が真っ先に手に取って再読したのが『殺人者の烙印』でした。人生で初めて読んだハイスミス作品で、その際にとんでもないショックを受けたからです。アイディアの芽から発展のさせ方まで全ての裏側を把握した上で、どう思うかを確かめたかった。
 結果としては、初読以上に打ちのめされました。この作品はやはり凄い。正体がわかっていても尚、強烈で、こんな物語を書いたハイスミスのことが恐ろしくなる。
 ただ、必要以上に遠ざけようとはもう思いません。自分が楽しんでいるのはシドニーに感情移入しているからで、それは作者が全てコントロールしてくれているものだと分かったから。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人七年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby