書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

川出正樹

『最後の語り部』ドナ・バーバ・ヒグエラ/杉田七重訳

東京創元社

 ドナ・バーバ・ヒグエラの『最後の語り部』を“ミステリ”と言うのは、流石に強弁が過ぎる、と自分でも思う。客観的に分類するならばポストアポカリプスものの近未来ディストピアSFだろう。にも関わらず今月のベストに取り上げることに、まったくためらいはない。なぜならこの作品には、私がミステリを楽しむ上で最も大切だと思う要素、即ちサスペンスが満ちていて、ページを繰る手が止まらなかったからだ。

 時は2061年。13才の誕生日を間近に控えた少女ペトラは、ハレー彗星の衝突により人類滅亡が確定した地球から脱出する恒星間宇宙船に、ごく少数の選ばれし者の一人として、地質学者の父と植物学者である母、そして弟ハビエルとともに搭乗。新天地となる惑星に到着するまでは睡眠ポッドに入り、両親と同じ専門分野の知識に加えて、自ら希望した〈世界の神話と伝承〉を脳にインストールされる予定だったが、発射時に想定外の事態が発生、計画変更を余儀なくされたまま睡眠状態となる。そして380年後、目覚めた彼女を待っていたのは、悪夢の如き〈理想的な社会〉だった。

 四面楚歌の状況下、自らの尊厳と自由を取り戻し、大切な人たちを救うべく、ペトラは強大な敵に立ち向かう。唯一頼れるのは彼女のみが持っている〈物語の力〉という武器。地球に残してきた大好きなおばあちゃんの教えを胸に、〈物語〉を自分のものに昇華して語ることで事態を打開すべく奮闘する波乱に富んだストーリーから目が離せず、一気に読破してしまった。

 驚きに満ちたストーリー展開を十二分に味わって欲しいので、細部を語ることはしない。できれば、これ以上の情報を入れることなく手に取ってみて欲しい。

 

霜月蒼

『悪魔はいつもそこに』ドナルド・レイ・ポロック/熊谷千寿訳

新潮文庫

 傑作とか名作とか激賞する帯には感覚がマヒしてしまった、という読者も多いのではないか。でも、ときには「これは信じていいかも」と思わせる激賞帯もある。本書の帯がそうだ。「ノワールの最終到達点」とか歴史的名匠を「凌駕する」とかいう文言はフカシに見えても、そこにはめこまれた言葉たちが、この帯を書いた者が「ちゃんとわかっている」ことを暗示しているのである。ジム・トンプスンとフラナリー・オコナーを併置していること。「狂信」と「暴力」と「文学」を併置していること。これはノワールと文学が交錯する局面の核心をわかってなければできないことなのだ。だから僕はこの帯を信じた。解説も滝本誠さんですしね。

 期待は裏切られなかった。僕ならオコナーとトンプスンに、さらにトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』もここに付け加えたい。物語は1950年代にはじまり、そこで暮らす戦争帰りの男と妻子の生活を淡々と追ってゆく。暴力はあちこちで小規模な激発を起こすが、帯にある狂信と暴力の化合物がフツフツと瘴気を発し始めるのは男の妻が病魔に侵されてからである。まるでオコナーの『賢い血』における異様な信仰が『悪魔のいけにえ』と悪魔合体したかのような恐ろしい祈り。この祈りが悲劇的な結末にたどりつくと、第二部がはじまる。ここまでで120ページほど。

 ここから先の展開は内緒にしよう。この小説は、いったいどういうふうに進むのかわからないのも味だからである。オコナーやトンプスンや『悪魔のいけにえ』のほか、『密猟者たち』『ねじれた文字、ねじれた路』のトム・フランクリンや、『北東の大地、逃亡の西』のスコット・ウォルヴンといった埃っぽく荒々しいアメリカ犯罪文学も僕は連想した。久々にアメリカらしい暗黒の文学を読んだ気がする。抑えた筆致で淡々と恐ろしいできごとを描きつつも、終盤には一種ウェスタンのような決着も用意されていて、ジョー・R・ランズデールのファンにも刺さるんじゃないかな。

 倫理や道徳を裏打ちするのでなく、倫理や道徳を蹴り揺らすタイプのミステリがお好きなひとはぜひ。帯を信じて大丈夫です。

 

千街晶之

『殺したい子』イ・コンニム/矢島暁子訳

アストラハウス

 四月はアジアン・ミステリの大当たりの月で、蔡駿『幽霊ホテルからの手紙』も私好みの耽美的なゴシック・ホラーだったが、ここでは韓国産ミステリの『殺したい子』を選ぶことにした。「校舎裏で殺された女子生徒。容疑者は“親友”とされる一人の少女。食い違う18の証言――」という帯の惹句からは、視点の切り替えをトリックに利用した本格ミステリが想像されるけれども、実際にはフーダニットの要素そのものはさほど重要ではない。むしろ、級友や教師や被害者の彼氏といった関係者たちから新たな証言が出るたびに、殺人の嫌疑をかけられたジュヨンという女子生徒がどういう性格で、彼女と被害者ソウンの関係がどのようなものだったのかが目まぐるしく反転を繰り返すあたりが読みどころだ。ジュヨンとソウンは親友同士だったのか、それともソウンをジュヨンが服従させていたのか? 証言が積み重なれば積み重なるほどジュヨンへの心証は悪くなってゆくが、しかしそれらの証言は果たして真実を捉えているのか? 作中人物たちや事件の経緯を見守る大衆と同様、読者もまた数多い証言によって翻弄され、ある方向へと心理的に誘導されることになる筈だ。二百ページに満たない短めの長篇だが、人間心理を鋭く抉った内容は濃密そのものである。

 

酒井貞道

『円周率の日に先生は死んだ』ヘザー・ヤング/不二淑子訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 大学教授という立派な地位を捨てて、閉鎖的な田舎町に数学教師としてやってきた男アダム・マークルが、焼死体となって発見される。物語は主に、男の教え子であるローティーンの少年サル、男の同僚である若い女性教師ノラの2視点から、じわじわとアダムの人生の実態に迫っていく。サルはいわばアダムに「関与したorされた」人物である一方、ノラはアダムの真実を「探る」キャラクターである。サルは関係者で、ノラが探偵役、と言い切っても大きな問題は出ない。ただし、ノラの視点だけ読んでも真実は見えてこないし、サルの視点だけではアダムの人生の全体像は完成しない。この絶妙なバランスと、サルとノラそれぞれの人生の、それぞれに深刻な影が物語の性格を決定づけている。詩的な表現が多用されるのも特徴だ。アメリカという、貧富の差、地域格差が大きい舞台の特色をフルに活かしているとも感じる。事情と感情が複雑に絡み合った物語とを、じっくり味わっていただきたい。

 

吉野仁

『円周率の日に先生は死んだ』ヘザー・ヤング/不二淑子訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 3月14日は円周率の日ゆえに数学教師はパイを焼く。ところがその数学教師アダムもまた焼け死んでしまった。『円周率の日に先生は死んだ』は、ネヴァダ州の田舎町を舞台に、アダムの教え子の少年サルと焼死事件の真相を追う同僚の女性教師ノラのふたりを主役としたサスペンスだ。事件が起こってからのパートと事件が起こるまでのパートが交互に語られていく。なにより人物造形がすばらしい。自分をとりまく社会も家庭も崩壊した状況における少年の視点のみならず、いかにも数学で頭がいっぱいの教師らしい猫背のアダムを襲う悲劇をはじめ、深い悔恨の情を抱きながら生きる者たちそれぞれの姿が劇的に描かれているのだ。クライマックスは圧巻だった。しかし、タイトルが謎めきすぎて、まさかこのようなスモールタウンで暮らす少年の悲劇だとは当初思いもしなかった。小説のタイプや描き方はやや異なるが、トマス・H・クックの記憶四部作を思いだした。もう一作のお気に入りは、デイヴィッド・ギルマン『イングリッシュマン 復讐のロシア』。これは銀行役員拉致事件をめぐるスパイ活劇だ。主人公のイングリッシュマンは、はやや超人的すぎる男ながら、細部までつくりあげた物語なので荒唐無稽な感じはしなかった。なかでも脇役で登場する女性情報部員のキャラクターと家族エピソードなどが良く、強く印象に残った。活劇場面も軍事もののようなすさまじい迫力で読ませる。あと、袋とじのポケミスで話題のトム・ミード『死と奇術師』は、黄金期本格探偵ものをしっかりと踏襲した部分もさることながら、主人公が元奇術師ということによる軽めの仕掛けを楽しんだ。ニーナ・デ・グラモン『アガサ・クリスティー失踪事件』は、実際に起きたクリスティー失踪事件に対し作者がいかなるフィクションをかぶせていくのかという、言わばメタ視点で興味深く読んでいった。サッシャ・ロスチャイルド『ブラッドシュガー』は、ヒロインのまわりで夫を含めて四人が不審死しており、彼女は殺人課の刑事の取り調べにあうという物語ながら、なぜか前半読んでいて「魔太郎がくる!!」を思いだしたりもした。そのほか、奥付の発行日が5月1日なので詳しくは来月にまわすが、ドナルド・レイ・ポロック『悪魔はいつもそこに』は、十年以上まえに向こうの評判を知って注目していた作品および書き手だけに、この上なくうれしい邦訳で、中身は期待どおりの凄みを感じた米国南部狂信犯罪ものだった。今月の、ではなく今年のベストだ。

 

杉江松恋

『死と奇術師』トム・ミード/中山宥訳

 なんといっても袋とじだからなあ。これを切って開けるべきかどうか悩んでいる読者もいると思うので、書いておくべきだろう。開けて大丈夫。後悔するような袋とじではないです。たしかにちょっと心配になりそうな要素はある。「ぼくのかんがえたさいこうのほんかくみすてりをよんでください」みたいな雰囲気もあるからだ。舞台は1936年のロンドン、いわゆる探偵小説黄金時代のまっただなかで、あまりに不可能犯罪が頻発するので警察も手を焼き、諮問探偵を雇わなければ立ちいかない状況になっている、というどこかで読んだような設定で書かれている。ちょっと二次創作的な雰囲気なのだ。探偵は引退した老マジシャン、というのも元ネタが透けて見えてやはり二次創作っぽい。

 だがご安心を。内容はしっかりしている。起きる事件は二つあって、両方とも密室的状況が設定されている。第一のほうが本格的で、事件発生の直前に部屋に入った男が消え失せ、喉を切り裂かれた死体だけが残った、という絵になる状況が描かれるのである。あ、もう一つ、額縁に入った絵が盗まれるという事件も起きるから、2.5密室事件とでも言おうか。

 読んで大丈夫というのは、上で挙げた密室状況がきちんと推理で解決されるだけではなく、手がかりがどこに置かれていたかということを追いかけて確認できるからである。つまりフェアプレイの精神に則って書かれている。解説で千街晶之氏が書いているように、ちょっとあやふやな部分もあるが、おおむね大丈夫。現代の海外作品ではちょっと珍しいくらいにフェアプレイにこだわった作りになっており、そういうところも二次創作っぽいのである。

 じーんのかんがえたほんかくおもしろいぞもっとかけ。作者に伝われ。

 韓国スリラーから英国探偵小説まで、またもさまざまな作風・ジャンルが揃った月となりました。お好みのものはありましたでしょうか。今月は第14回翻訳ミステリ大賞受賞作の発表も控えております。そちらもどうぞお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧