田口俊樹

 せんだって杉江松恋さんもこのサイトに書いておられましたが、先月18日、故目黒考二(北上次郎)さんのお別れ会がありました。その二次会で大沢在昌さんが大森望さんと漫才(!)を熱演なさり、その中で目黒さんからよく聞いたということばを紹介されていました。聞いて、私も思い出しました。目黒さん、私にもよく言ってました――「おれは才能は大したことない、ただ、運がよかった」
 このことばのあと、私とはたいていこんなやりとりになりました。
「おまえも勘ちがいするんじゃないぞ。才能があるなんて」
「わかってるよ」
 どういうわけか、このやりとり、運がいいと言いながら、お互い競馬運には見放されたときによくやっていたように思います。
 でも、「わかってるよ」というのは純度百パーセントの本心です。そもそも好きなことを40年以上も仕事にしてこられたんです。それ自体、幸運以外の何物でもないでしょう。いやいや、今ふと思ったけれど、自分は幸運だと思えること自体、なにより幸運なことですね。できれば競馬でもそう思いたいんだけど、それは欲張りすぎか。
 目黒さん、あっちでも、一昨年の夏に連れだって逝ってしまった仲間ふたりと一緒に競馬に勤しんでると思いますが、「予想上手の馬券下手」は相変わらずですか? こっちは櫛の歯が欠けたみたいで、すっかり淋しくなっちまったけど、それを忘れれば、ま、おおむね相変わらずです。
 あっちでもこっちでも、お互い今週末もグッドラック!

〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕

 


白石朗

 先月某日、東京宝塚劇場で「宙組公演アクション・ロマネスク『カジノ・ロワイヤル 〜我が名はボンド〜』」(主演:真風涼帆、潤花)を鑑賞してきました。数十年前の大学時代に一度見た覚えがあるのですが、実質的にはこの歳で宝塚歌劇初体験。いやもう、きらびやかで豪華絢爛たるステージに圧倒され、原作を大胆に再構築したスピーディな展開の物語と舞台転換に引きこまれ、いやがうえにも盛りあがるグランドフィナーレまで3時間半、歌と踊りのパフォーマンスとオーケストラの響きに目と耳を眩惑されどおし。宝塚歌劇が多くの人々をとりこにしているのもむべなるかな、との思いを噛みしめたことでした。  

〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS

 


東野さやか

 ただいま当地は台風二号(マーワー)が接近中です。
 ところで、先日買ってきたバナナがとんでもなく渋くて、のみこんだらあかんと脳が指令を出してくるレベルでした。見た目はべつに青くなく、食感もとくに固いわけではない。なのに渋い、渋すぎる。捨てるしかないのかなと思ったとき、アルコールで渋抜きをすればいいのではと家人が言いだしました。ちょうどイベントでもらった泡盛の小瓶があったので、小皿に少し出して、そこに根元をひたしてみました。
 三日ほどたっておそるおそる食べたところ、おお、ちゃんと渋が抜けている! ねっとり感が増して甘くなっていました。調べたら、バナナを吊した下に、アルコールを注いだ皿を置いておく方法もありました。次はそれをためしてみたいと思います。いや、もう次はなくていいです、本当に。

〔ひがしのさやか:最新訳書はM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(ハヤカワ文庫)。ハート『帰らざる故郷』、チャイルズ『ハイビスカス・ティーと幽霊屋敷』、クレイヴン『ブラックサマーの殺人』など。ツイッターアカウント@andrea2121

 


加賀山卓朗

 山の魅力をことばで表すのはむずかしい。天気がいい日に(ここ大事)、あの3次元の空間に浸っていただければ話は早いのだが、私の場合、日本特有の緑豊かな景色の美しさに触れる喜びや、友だちと山小屋で飲むビールの美味さのほかに、人間の営みとはまったく関係のないものが存在する安心感みたいなものが大きい。人がふだん思い悩むことの9割くらいはじつは「どうでもいいこと」だというのが、しみじみわかるのだ。
 パオロ・コニェッティ原作の映画『帰れない山』を観て、またそんなことを考えた。根っから山男のブルーノは、いろいろあった末、山と、山の時間を共有したことでかろうじてつながっているピエトロにしか心を開けなくなった。その気持ちはよくわかる。悲しいことだけど、山を突きつめるとそうなってしまうのだと思う。自分も含め、山好きの人間からブルーノまではそう遠くない気もする。
 もちろんモンテ・ローザの山々も大画面で満喫しました。自分で山小屋建てて、焚き火して湖の魚を焼いてワインとグラッパ……最高ですね。イタリアの山では、以前テレビで見たグラン・パラディーゾにも行ってみたくてたまらないのだが、もう行けないだろうなぁ。

〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳〕

 


上條ひろみ

 先日チャールズ国王の戴冠式がおこなわれた英国王室ですが、今は亡きエリザベス女王やフィリップ王配が元気なお姿で登場するS・J・ベネットの〈エリザベス女王の事件簿〉シリーズは英国王室ウォッチャー必読の書。シリーズ2作目の『バッキンガム宮殿の三匹の犬』(芹澤恵訳/角川文庫)でも女王陛下の推理は冴え渡ります。それをしれっと他の人の手柄にしてしまうのがまたかっこよくて、すべてわかっていながら腹に収めておくあたり、さすが女王陛下。本書の舞台はブレグジット直後の2016年なので、もう少し陛下の活躍を楽しませてもらえることを願っています。
 イギリスといえばみんな大好きアガサ・レーズン! M・C・ビートンの人気シリーズ〈英国ちいさな村の謎〉は、読みはじめたら止まらなくて、毎回あっというまに読んでしまいます。シリーズ19作目の『アガサ・レーズンと毒入りジャム』(羽田詩津子訳/コージーブックス)でもアガサは探偵事務所の経営者として大活躍。イケメンに弱く、寄る年波に必死で抵抗し、若くてきれいな部下がちやほやされるとむっとしてしまうアガサはとても人間的で魅力的なキャラ。M・C・ビートンは2019年暮れに亡くなりましたが、作品のストックはまだまだあるようなので、このまま邦訳もつづきますように。
 ライリー・セイガーの『夜を生き延びろ』(鈴木恵訳/集英社文庫)は、前作『すべてのドアを鎖せ』同様読み応えのあるノンストップ・サスペンス。完全に映画を意識した作りで、スクリーンを見ているような気分になります。映画オタクの主人公が抱える特殊事情など設定が絶妙で、たとえ恐ろしい世界でも、現実の世界で生きなくちゃいけないと奮闘する姿は応援せずにはいられません。
『夜を生き延びろ』と同じくスラッシャー映画を意識して書かれたと思われるグレッチェン・マクニールの『孤島の十人』(河井直子訳/扶桑社ミステリー)は、アガサ・クリスティーの古典的名作『そして誰もいなくなった』のオマージュでありながら、映画「ラストサマー」や「スクリーム」を思わせる展開で、古典ミステリとスラッシャー映画のハイブリッドと言う感じ。ベタなのかなあと思いきやまったく予想できない展開でほぼ一気読みでした。登場人物が少ないので人間関係がわかりやすくてお勧めです。でも犯人はわからなかった!

〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』、エリー・グリフィス『見知らぬ人』など。最新訳書はフルーク『ココナッツ・レイヤーケーキはまどろむ』〕

 


武藤陽生

今月はお休みです。

〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕

 


鈴木 恵

 子供のころ、ビュルガーの『ほらふき男爵の冒険』が好きだった。とくにあの冒頭のエピソード。男爵がポーランドの雪野原で野宿を強いられたおり、雪の下から突き出ている杭のようなものに馬をつないで眠ったところ、ひと晩のうちに雪がすっかり解けて、目が覚めたら馬が教会の尖塔からぶらさがっていたというお話。よくこんな法螺話を考えつくよなあ、と子供心に感心していたのだが、しかしこれ、まんざら法螺話でもなさそうなのだ。
 というのも、吉村昭『大黒屋光太夫』(新潮文庫に似たような記述があるからだ。ご存じのように光太夫は江戸時代の船乗りで、遠州灘で遭難してアリューシャン列島に漂着、ロシア人に助けられてシベリアを横断し、ペテルブルクで女帝エカテリナに謁見したのち、じつに十年ぶりに日本に帰国する。その苦難の旅の途中シベリアで、ほらふき男爵と似たような光景を目にしている——
「その地一帯は樹木が多かったが、太い幹の樹木の上方の枝に馬の死骸が白骨化した脚をひろげてひっかかっている(……)想像を絶した情景に、光太夫は頭が錯乱するのを覚えた」なぜあのようなところに馬が引っかかっているのか。地元の馬方にそう質問すると、馬方はこともなげにこう説明したという。「降雪期に斃(たお)れた馬の雪の下にたまたま樹木が埋もれていて、雪がとけて消えると、馬の死骸がそのまま樹木に引っかかって垂れているのだ」
 そんなことってあるのかよ、と思うのだが、これは吉村昭が光太夫らの聞き書きをもとに書いたものだから、本当のことだったらしい。事実は小説より奇なりというが、いやいや、事実は法螺話より奇なりである。
〔すずきめぐみ:この長屋の万年月番。映画好きの涙腺ゆるめ翻訳者。最近面白かった映画は《私、オルガ・ヘプナロヴァー》〕