「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 意外でありながらも納得のいくどんでん返しが理想だと思っています。
 予想外の出来事が起こるだけでは物足りない。腑に落ちる感覚がほしい。驚かせるためだけの驚きではなく、そこで反転することによって物語が綺麗に幕を閉じることができるようになるものを読みたい。
 ないものねだりなことは分かっています。どちらかを取れば、もう片方が弱くならざるを得ない類のものですから。それでも時々、両立させている作品に出会えることがあって、そうした際には「ミステリのことが好きで良かったなあ」としみじみため息を吐いてしまいます。
 たとえば今回紹介するフレッド・カサックの『日曜日は埋葬しない』(1958)がそうです。思わず膝を叩いて立ち上がってしまうほどに驚愕してしまう。その後、どういうことかを呑み込めていくごとに「そうか、成る程、ああ……」と感慨が湧いてくる。そういうミステリで、僕にとっては一つの理想です。

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 物語は、主人公フィリップ・ルネ・バランスが事情聴取を受けている場面から始まります。
 状況について詳しいことは何一つ語られません。刑事は、八か月前に行方不明になった男性の死体が見つかったからフィリップを呼びだしたのだと話しますが、その人物の名前も、具体的にフィリップとはどういう関係なのかも読者には示されない。
 フィリップ本人も現状をいまいち把握できていない様子です。混乱した気持ちを抱えたまま、質問に答えていく。出身はフランス領グアドループ島、職業は作家、結婚はしていない……やがて事件について最初から全て話してほしいと促されたフィリップは、自分にとっての始まりを語り出します。
 フィリップにとって全てが動きだしたのはおよそ一年前、博物館のガイドをやっていた頃に一人の女性と出会った瞬間でした。その女性の名前はマルガレータ・ルンダル。
 以後、少しずつ関係を進めていくフィリップとマルガレータの恋の回想と、事件について問い質される現在時点の話が交互に語られていく、いわゆるカットバック形式でストーリーは進行していきます。
 ある程度ミステリを読み慣れている人ならば「いかにも〈フランスミステリ〉的だ」と思う概要ではないでしょうか。
 冒頭で破滅的な何かが起こったらしいという結果を書くことによって読者を惹きつける。回想はそんな結末を迎えるだなんて思いもしないような、極々平和な恋愛物語から始まって、その落差でサスペンスが生まれている。これはフランスの、特に古い作品でよく見られる趣向で、たとえばこの連載で以前紹介した作家のフレデリック・ダール『絶対絶命』(1956)がそうです。そもそもカサック自身の代表作『殺人交叉点』(1957)からして「〈フランスミステリ〉といえばこういうのだよね」というパブリックイメージを作る一端を担っている作品だったりします。
 故に、ともすればありがちだとかベタだとか思われてしまいかねない構造ではあるのですが、『日曜日は埋葬しない』についてはそんな心配は無用です。この形式の小説に初めて触れる人は勿論、玄人も冷めることなく引き込まれるはずです。
 単純に語りが巧い。この手の構成の物語は情報の出し方が重要で、現在パートでは「えっ、過去に何が起こったの?」と回想パートに興味を持たせ、回想パートでは「この人とこの人の関係は結局どうなっちゃったの?」と逆に未来が気になるよう読者の感情のコントロールをしていく必要がありますが、カサックはこの手つきが素晴らしい。一体、何が起こったんだ、とどんどんページをめくってしまう。
 さらに、単純な物語の力強さでも読ませる。
 これまた〈フランスミステリ〉的な要素になるのですが、この小説は孤独な男が運命的な恋をして、人生を変えるという所謂ファム・ファタールものです。しかしカサックは類型的という印象を持たせない。
 フィリップの孤独を読者へ伝える描写が上手いのです。作者は彼の抱えている虚しさを丹念に描き込みます。フランス本土でもアフリカのフランス領の生まれでもない、クレオールであるというプライドと、一方でそのことを気にし続けてしまうという負い目。誇るべき、あるいは語るべきものなど自分にはないという自己嫌悪の気持ち。そんな中、周囲は生い立ちばかりを好奇の目で見て「それこそが君の語るべきものだろう」と押しつけてくる。何に対して抱いているのか上手く説明できない苛立ちのようなものをフィリップは常に抱えている。
 そんなフィリップの生活を一変させ、色づけてくれたのがマルガレータとの恋なのです。彼女こそがフィリップの存在理由であり、語るべきものでもある。勿論それは、何もかもをマルガレータに寄りかかる歪さと紙一重の気持ちではあるのですが……
 つまり、本書はフィリップという男の人生が不穏な結末へと進んでいく様子を巧みに語る小説なわけです。そして、その結末の部分で、余りにも鮮やかなどんでん返しが炸裂するのです。

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 はっきり言って、『日曜日は埋葬しない』のどんでん返しは凄い。
 勿論、具体的にどんな反転があるかのネタばらしはしません。
 大体、ミステリの紹介では通常、どんでん返しがあるということさえも伏せた方が良い場合も多いです。その情報があるだけで身構えてしまいますし、「このストーリーでひっくり返すとなると多分ここだな」と感づいてしまったりもするからです。ただ、『日曜日は埋葬しない』については、そうした心配は要らない。
 そう断言できる理由は二つあります。一つは、どんでん返しのキレが凄まじいので、どんなに身構えていても驚いてしまうから。もう一つは、ひっくり返る箇所が本当に物語の終盤になって提示されるからです。上で紹介したストーリーではそもそも、どこで想定外の事態が起こるのかを想像することもできないのです。
 だからこそ本書は凄い。
 下手な作者が描けば「そんないきなり言われても……」となるような突然の反転をカサックは驚愕のものに仕立てあげる。「えっ!」と叫ばざるを得ませんし、驚いたあとにフィリップという孤独な男の物語の結末は確かにこれしかないと納得もする。
 僕は初めてこの小説を読み終えた時、興奮してしばらく落ち着くことができませんでした。今回この原稿を書くために再読をしましたが、やはり、衝撃と感動は色あせない。
 これぞ理想のどんでん返しです。

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 カサックの長編は『日曜日は埋葬しない』と『殺人交叉点』、それから『連鎖反応』(1959)の三作しか訳出がされていませんが、いずれも珠玉と言っていい作品です。
 『殺人交叉点』は仕掛けだけ取り出せば今やありふれたものではあるのですが、その可能性に思い至らせない語りが見事で、驚かない人は恐らくいない。対し『連鎖反応』はそうしたストーリーテリングの上手さはそのままに毛色を変えてユーモラスに読ませてくれる作品で、意外な展開の数々に笑いながら驚いてしまう逸品です。
 つまりは三作全て、読者の心理のコントロールが上手い。仕掛けに見事に引っ掛けてくる。更に、そうした仕掛けの先には登場人物の気持ちに思いを馳せてしまう不思議な感動がある。
 フレッド・カサック、曲者揃いと言われる〈フランスミステリ〉の書き手の中でも、ひときわ輝いている作家です。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人七年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby