書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳

集英社文庫

 グレッチェン・マクニール『孤島の十人』や早坂吝『しおかぜ市一家殺害事件あるいは迷宮牢の殺人』など、今年はアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』にオマージュを捧げたミステリの当たり年と言えるけれども、まさかフランス・ミステリ界きっての曲者作家ミシェル・ビュッシがこの趣向に挑戦してくるとは思わなかった。タヒチの島に、フランスのベストセラー作家と、作家志望の五人の女性らが「創作アトリエ」のために集まった。ところが作家は姿を消し、やがて第一の殺人が起こった……。実は『そして誰もいなくなった』系ミステリにしてはスローテンポな展開で、第二の殺人が起こるまでにかなりのページ数を費やしているのだが、そこにちゃんと必然性が用意されている。メインの仕掛け自体はシンプルといえばシンプルで、呆気なく見抜いてしまう読者もそれなりの割合で存在しそうだけれども、ある意味露骨に手掛かりを配置しておきながら、あらぬ方向へと読者の意識をミスリードする華麗なテクニックは流石ビュッシ、これぞフランス・ミステリである。

 

酒井貞道

『アオサギの娘』ヴァージニア・ハートマン/国弘喜美代訳

ハヤカワ・ミステリ

 今月選ぶべきは普通に考えると、いやどう考えても『恐るべき太陽』で、次点を『三年間の陥穽』にしておくと完璧だと思う。

 しかし今回は敢えて個人的嗜好を丸出しにして『アオサギの娘』を推したい。ヒロインの性格がとても素敵だと思うからだ。スミソニアン博物館に務める鳥類画家の三十代女性のロニが、故郷にいる弟から母親の要素がおかしいと連絡を受けて、フロリダの田舎町に帰省する。母は痴呆症になっていて施設に入居しており、実家は弟が勝手に処分を決めていた。ロニは弟のことを愛しているが、意見の合わない事項が増えてきているし、弟の妻はロニに嫌味で敵対的な態度をとる。そんな状況で、ロニが母の手持ちの書類を整理していると、そこから、ヘンリエッタという名の未知の人物からの手紙が見つかる。そこには、母の夫、つまりロニの父であるボイドの死について、話すべきことがあると記されていた。ボイドは漁業局に勤め湿地を知悉していたのに、二十五年前になぜか溺死した。かねて不審なものを感じていたロニは、ヘンリエッタを探そうとする。

 過去の殺人(恐らく)を被害者(恐らく)の娘が追う、しかもその娘は首都ワシントンの華やかな博物館から、職場を半ば追われるようにして、うらぶれた田舎町に戻って来た。周辺には湿地帯が多い。となるとこれは『ザリガニの鳴くところ』を連想するなというのは無理だし、そうでなくてもトマス・H・クックのように、粛然と進む暗めの色調のゆっくりとした物語を想像してしまう。事実、最初のうちはそういう雰囲気で進む。ロニも、なんか弱気そうですしね。ところが徐々に、ロニの快活さが滲み出てくるのだ。旧友と会った時の会話内容は完全にガールズトークで楽しそう。痴呆症の母親とは遠慮なく喧嘩。弟や弟の妻ともしっかり対抗する。おまけに独白まで含めると結構口が悪く、毒舌家の側面も少し出て来る。更に、恋をすると浮かれてしまい、地の文でうーっ。とか言い出す。あなたそんなキャラじゃなかったですよね?

 意見が違う読者もいるだろうが、私は、物語の中でロニは変化していると感じた。成長でも克己でもないが、前向きの変化だ。その原因は何なのだろうか。冒頭では結構猫を被っていたが、徐々に地が出て来たと解釈すべきだろうか。帰省して親の衰えや肉親の変化、故郷にあるものの経年劣化を目の当りにしたら、人間誰しも悄然としてしまうが、ロニもそれに該当していたのか。首都ワシントンでは臆病になってしまっていたが、故郷の田舎で本来の自分を取り戻したのか。これら全てが当てはまるかもしれないし、全てが間違いかもしれない。いずれにせよロニは変化していて、それは限りなく「気分」の変化に近いと感じられる。私にはそれはとても好ましいものに映った。クライマックスなど、犯人にカチコミかけようとしていて、シリアスな場面だけれど私は笑ってしまいました。冒頭からは考えられない、大胆な行動です。

 過去の殺人を扱う物語は、ややもすると暗く俯き加減な空気に終始しがちだ。だが活発化した主人公が、その陰に対して絶妙なコントラストを生む。暗の事件に対して明の主人公の対置は、とても魅力的である。しかも主人公の明は、徐々に強くなるのである。スリーピング・マーダーにおけるキアロスクーロの実現、それもグラデーション的に変化する。まあ私の考え過ぎと思わないでもありませんが、一度は体験してもらって損はない。

 

川出正樹

『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳

集英社文庫

 嗚呼、また騙されてしまった。さすがは視点の魔術師ミシェル・ビュッシ。『黒い睡蓮』(2011)、『彼女のいない飛行機』(2012)、『時は殺人者』(2016)と、常にギリギリのコーナーをつく曲球で読者を手玉に取ってきたビュッシが、その技に一段と磨きを掛けて『そして誰もいなくなった』に挑み、見事離れ業をきめた『恐るべき太陽』(2020)の超絶技巧ぶりに痺れてしまう。これは、今年の謎解きミステリを代表する傑作だ。

 ベストセラー作家ピエール=イヴ・フランソワが指導する〈創作アトリエ〉に参加するために、フランス領ポリネシアの島に集まってきた五人の作家志望者の女性。フランソワから出された二つの課題――《海に流すわたしの瓶》というタイトルで、島に滞在する四日間に起きた出来事についてすべてを記すことと、死ぬまでにわたしがしたいことをを列挙すること――に取り組む彼女たちだが、当のフランソワが失踪してしまう。あたかも課題に付け加えて口にした、小説の冒頭に掲げる「死体より効果的なのは、死体がないこと。そう、行方不明だ」というアドバイスを実践したかのように。そして、次々と殺される参加者たち。異なる力(マナ)を象徴する五体の彫像(ティキ)を作ったのは誰か? 現場に残されたタトゥーの模様が意味するものは? 騙しの天才クリスティーの二つの不朽の名作に、大胆かつ独創的かつフェアな手法で挑戦し、新たな地平を切りひらいた騙りの天才ミシェル・ビュッシの手際をぜひ堪能して欲しい。

 

霜月蒼

『ヒート 2』マイケル・マン&メグ・ガーディナー/熊谷千寿訳

ハーパーBOOKS

 

 ノベライズみたいなもんでしょ?と軽く舐めて読みはじめたら、本編開始の第18ページで「これは本気だ」と悟って座り直した。文体が密なのだ。強奪映画の最高傑作のひとつである映画『ヒート』を引き継ぐ物語(正確にいえば前日譚と後日譚)なので、本書も当然、強奪小説。厚さにふさわしくデカい犯罪計画の物語が3つ、映画にも登場した刑事たちが活躍する捜査物語もたっぷりあって、そのすべてが因縁で結ばれてゆく。プロローグで映画『ヒート』のあらすじを一気に語っているし、映画の顛末もちょこちょこ書かれてはいるが、独立したクライム・スリラーとして完璧に完成している。熱い激情をたたえた語りと武骨な疾走感が印象的で、ルースルンド&トゥンベリの〈熊と踊れ〉2部作が好きだった方に特に強くおすすめしたい。

 今月は豊作で、ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』も捨てがたかった。一発ネタではあるものの、それを実現するために必要な手の込んだ加工が、日本産の叙述ミステリを思わせた。映画とのからみではクエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』もあり、こちらはミステリとは言い難いけれど、主人公のひとりクリフを描く章には酷薄な短編ノワールとして成立しているものもあって、犯罪小説ファンは拾い読みする価値ありです。あと、遅ればせながら読んだエルベール&ヴィル『禁じられた館』は、久しぶりに虚を突かれて声が出た謎解きミステリでした。

 

吉野仁

『悪魔はいつもそこに』ドナルド・レイ・ポロック/熊谷千寿訳

新潮文庫

 戦後まもないオハイオ州南部の田舎町で展開する狂気と暴力を描いた犯罪小説『悪魔はいつもそこに』は、殺人鬼に悪徳保安官が登場するなど、まさにジム・トンプスンの世界を思わせる作品であり、けっして二番煎じではない凄みをたたえている。実質、一か月前に出た作品ながら、本の奥付にしたがって今月のベストにあげた。個人的には、今月というより今年いちばんの収穫となるだろう。で、もし『悪魔はいつもそこに』の奥付が4月末だったら、こちらを選んでいた、というのが、ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』だ。南太平洋仏領ポリネシアの島で、あるベストセラー作家と作家志望の女性5人が集まり、ところが作家は行方不明となってしまった、という物語。ひとりまたひとりと死体で発見され、一種の「そして誰もいなくなった」状態へと向かう。「そし誰」といえば、3月刊グレッチェン・マクニール『孤島の十人』が似たような趣向だったが、こちらは強烈なラストが待ち受けている。ああ、そこに着地するのか、と驚かされた。同じく期待以上だったのが、このたびCWA会長の座についたヴァシーム・カーンの代表シリーズ第一作『チョプラ警部の思いがけない相続』だ。ムンバイ警察を引退したばかりの元警部チョプラが主人公なのだが、チョプラが子象を連れて巨大都市を縦横無尽にかけめぐるあたり、どこまでも痛快だ。しかも愛妻家というところが泣かせる。異色作といえば、ダヴィド・ラーゲルクランツ『闇の牢獄』で、これはストックホルムにおけるサッカー審判員殺害事件からはじまる、移民の女性警官がヒロインの犯罪捜査小説ながら、協力する心理学者レッケが問題をかかえたクセの強い人物で、そのため前半、ふたりの関係がどうなっていくのか気になるのだ。事件のほうもアフガニスタン、CIA、音楽家と思わぬ方向へとどんどん向かう北欧ミステリ。予想外といえば、ディアナ・レイバーン『暗殺者たちに口紅を』は、還暦の女性殺し屋四人が主役なのだが、思った以上にコメディ色が強かった。マイアミにパリと舞台を変えるので実写にすれば金がかかりそうなハリウッド・アクション娯楽もの風味の展開をたのしんだ。そのほか残念ながら、クレア・マッキントッシュ『ホステージ』、マイケル・マン+1『ヒート2』、そしてクエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』などにたどりつけず来月まわし。読む時間がタランティーノ!

 

杉江松恋

『寝煙草の危険』マリアーナ・エンリケス/宮崎真紀訳

 ミステリとしての興趣なら『恐るべき太陽』一択なのだが、短篇好きとしては言及せずにいられない一冊が出ているのでこちらを強く推す。国書刊行会が推進している〈スパニッシュ・ホラー文芸〉シリーズの第二弾だ。エンリケスはブエノスアイレス生まれのアルゼンチン作家で、2018年に『わたしたちが火の中で失くしたもの』が邦訳されている。同作に先行する短篇集で2011年に英訳版が国際ブッカー賞最終候補にもなっている。

 エンリケス作品には古典的な色彩の強い超自然テーマが盛り込まれるのが常なのだが、それを若者の風俗など現代的な意匠と共に語るのが上手い。最初の「ちっちゃな天使を掘り返す」は、庭に埋められていた祖母の妹の亡霊に取り憑かれてしまった女性の話だ。取り憑かれるといっても後ろからくっついてきて離れないだけなので、藤子不二雄の居候キャラクターよろしく、その存在に慣れてしまうのがおもしろい。次の「湧水池の聖母」はエンリケスの本領発揮と言うべき内容で、女子のグループに輝かしいまでの魅力を持った男性が近づいてくることから始まる。みんなが彼と特別な関係になりたくてうずうずしているのに、彼はなぜかグループの中で浮いている、ちょっと背伸びする傾向のある女子とくっついてしまい、他の全員が嫉妬に駆られるのである。この関係がとんでもないホラーの題材とくっつく。それまでのうららかな情景が一転して惨劇の場面になってしまう展開はあまりに唐突で、ちょっと笑ってしまった。むろん、怖くて笑ってしまったのだ。そういう短篇集である。凄いよ。

 フランス・ミステリがややリードの感ありですが、それ以外にも映像作品と連動した犯罪小説あり、個性的な短篇集ありと、やはりバラエティに富んだ月になりました。来月はどのような作品が紹介されるのでしょうか。期待してお待ちください。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧