今月もこんにちは! 相変わらず暑いですね……などと言うだけムダなんですけど早く涼しくなって!

*今月のチーム本*
リー・チャイルド『消えた戦友』(青木創訳/講談社文庫)


 リーチャーがATMで現金を引き出すと、残高が1,030ドル増えていました。憲兵時代の無線コード10-30が応援要請だったことからそれが元同僚からのメッセージと気づいた彼は、送金した相手を探すことから始めます。このシリーズはリーチャーの全方向的なスキルの高さや重量級のアクションが毎回楽しみですが、本書はかつての同僚とのチームプレイと、過ぎ去った日々の思い出が読みどころとなっています。リーチャーは除隊後に一般社会とのつながりを断ち、放浪の旅を続ける一匹狼ですが、同じ過去を持つ戦友たちのその後の人生はどうなっていたのでしょうか。ご存知の人も多いかと思いますがこのシリーズの邦訳は順番ではなく、本書は2007年に出た11作目になります。ですがどの作品も単体で読めるような内容なので、トム・クルーズの映画版やAmazonのドラマ版で興味を持ったら、ぜひ気になった作品から始めてみてください!

*今月の謎解き真っ向勝負本*
ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』(務台夏子訳/創元推理文庫)

 主人公はミステリー専門書店の店主マルコム。雪もひどくなりそうだし今日はもう店を閉めようか、と思っていたところにFBI捜査官が現れます。彼がかつて”完璧なる殺人8選”としてブログに載せたミステリ作品8つの手口に似た事件が続いているというのです。ミステリファンなら心をぐっと鷲掴みにされること間違いなしのこの出だし! これ以上何も情報を入れないで読むに越したことはない作品なのですが、唯一言いたいのは、今回のスワンソンは気持ち悪さよりも不穏さが濃厚。真相がわかった時のゾワゾワ感が読了後も尾を引いてしまった人には、選ばれた8作のひとつ、アイラ・レヴィンの戯曲を本人が脚色した映画『デストラップ 死の罠』(82年)を観るのをぜひオススメします。監督は『オリエント急行殺人事件』(74年)のシドニー・ルメット。新作が酷評された著名な劇作家(マイケル・ケイン)の元に、昔の教え子から一冊の台本が送られてきます。その見事な出来栄えに彼が思いついたこととは……。公開当時のパンフレットが「映画を見終わってからご覧ください」という注意書き付きの帯で封印されていたこの作品は、コメディ調からブラックな方向へと様相が変わり、ラストは観客をあっと言わせる見事なミステリです。余談ですが『探偵 スルース』(72年)を観てからこれを観るとより一層楽しめますよ!

*今月のイチオシ本*
ファビアン・ニシーザ『郊外の探偵たち』(田村義進訳/ハヤカワミステリ)

 インド人青年の射殺体が見つかったガソリンスタンド。巡査2人がいる犯行現場に突然、妊娠8ヶ月の主婦と4人の子どもが乗った車が現れます。末っ子にトイレを貸してもらうつもりでしたが、封鎖されていたためまさかの大惨事。不可抗力とはいえ現場を荒らしてしまったアンドレアは、知り合いのケニーと捜査を始めることに。実は彼女はかつてFBIで数々の事件を解決した敏腕プロファイラーでしたが、妊娠をきっかけに退職して以来専業主婦として子どもと夫の面倒をみる毎日です。相棒のケニーはというと、かつてピューリッツァー賞をものにし将来が期待されたジャーナリストだったのですが、あることがきっかけで今は弱小新聞社の記者。そんなコンビが型破りな方法で事件を調べていくうちに、過去のとんでもない大事件を掘りあてることになるのです。冒頭のお漏らしスプリンクラーでいきなり度肝を抜かれますが、ニュージャージーの郊外は一見平和そうでいて、実は人種差別と偏見に満ちていたことがわかります。白人ではない住民たちは常に不公平を強いられており、特に女性は我慢するのが当然のような生活を送っていました。そしてアンドレアの夫が地味にムカつくんですよこれが! 中国系のケニーも行動にちょっと難ありでたまにイラッとさせられたりしますが、アンドレアがラストでどうなるかをぜひ見届けてほしいです。

*今月の番外編本*
サリー・クラウン『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』(服部理佳訳/左右社)

 まず最初に、自分の勘違い。本書は複数の英語圏女性作家のインタビュー本だとばかり思っていましたが、実は各トピックに関する作家と作品を紹介・分析し、その作家に限らず関連したインタビューの発言を取り上げるという内容でした。インタビュー好きとしてはどんな切り口の質問からこうした回答が得られたかが書かれていないのがちょっと残念でしたが、その分、日本では知られざる作家と未訳本がたくさん紹介されていて、読みたい欲が猛烈に刺激される一冊となっています。本国版も昨年出たばかりなのでこの本から優れた一冊が邦訳されることを期待したいです! どの章もなるほどと思いながら読みましたが、とりわけ第十一章に出てくる〈女性に対する暴力の描写が一切ない本を称える文学賞〉についての作家たちの見解に力づけられました。犯罪の被害者が自分を守るため残酷な記憶を封印するのは当然だし、そのことを否定してはいけない。でもその憎むべき犯罪を被害者以外が無かったことにするのは断じて許されるべきではないのです。生まれてからずっと何かしらの暴力に絶えず脅かされてきた女性作家たちが現実から目を背けずに暴力を描くことは非常に意義があると自分も思います。

*今月の新作映画*
『ヒンターラント』9月8日(金)公開


 第一次大戦が終わり、ロシアの捕虜収容所から故郷のウィーンに帰ってきた兵士たちを歓迎する者は誰一人いませんでした。元刑事ペーター(ムラタン・ムスル)が家に帰ると、妻と子は去っていたことがわかります。やがて悲嘆に暮れる彼の元を警察が訪れ、無理やり連れて行かれた先でペーターが見たのは戦友の惨殺死体でした。その帰還兵の死こそが、連続殺人事件の始まりだったのです。かつては名刑事とうたわれていたペーターは、果たして真犯人を捕まえることができるのでしょうか。


 戦争で心身ともに傷ついた兵士たちの悲劇が事件の発端となるこの映画で、『ヒトラーの贋札』のステファン・ルツォヴィツキー監督がテーマに選んだのは有害な男性性でした。彼ら男性は「命がけで戦ってきた」ことで自分たちの優位性を謳い、無意識に女性たちを蔑んでいます。しかし祖国に残った女性たちも同じように戦い、傷ついているのです。それを認めようとせず自己憐憫にひたる主人公や、特権階級の傲慢さをあからさまに振りかざす男たちは冷ややかな視線で描かれています。


 そうした重要なテーマの他に、本作の見どころは全編ブルーバックによる撮影です。ウィーンの街並みが、あるときは幻想的に、あるときはいびつな悪夢のように変化します。自分は98年の映画『ダークシティ』(監督/アレックス・プロヤス)を思い出しました。本作もこのダークな映像美が記憶に残ることと思います。『第三の男』で有名な観覧車も見つけてみてください。

  


タイトル『ヒンターラント』

公開表記:9月8日(金)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
コピーライト表記:© FreibeuterFilm / Amour Fou Luxembourg 2021
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監督:ステファン・ルツォヴィツキー
脚本:ロバート・ブッフシュヴェンター、ハンノ・ピンター、ステファン・ルツォヴィツキー
撮影:ベネディクト・ノイエンフェルス
編集:オリヴァー・ノイマン
音楽:キャン・バヤニ
プロダクションデザイン:アンドレアス・ソボトカ、マルティン・ライター
衣装:ウリ・サイモン
出演:ムラタン・ムスル、リヴ・リサ・フリース、マックス・フォン・デア・グレーベン、マーク・リンパッハ、マルガレーテ・ティーゼル、アーロン・フリエス

2021年/オーストリア・ルクセンブルク/ドイツ語/99分/シネマスコープ/5.1ch
字幕翻訳:吉川美奈子/原題HINTERLAND/PG12

配給:クロックワークス
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『ヒンターラント』公式サイトhttps://klockworx-v.com/hinterland/
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■9月8日(金)公開『ヒンターラント』|予告■

♪akira
  翻訳ミステリー・映画ライター。月刊誌「本の雑誌」の連載コラム〈本、ときどき映画〉を担当。2021年はアレックス・ノース『囁き男』(菅原美保訳/小学館文庫)、ジャナ・デリオン『ハートに火をつけないで』(島村浩子訳/創元推理文庫)の解説を書きました
 Twitterアカウントは @suttokobucho










 

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