みなさま、カリメーラ(こんにちは)!

 まずはギリシャSFに関するミニ追加情報の続きです。
『ノヴァ・ヘラス』巻頭のディミトラ・ニコライドゥ「はじめに」で、1990年代末から2000年代初めにかけてギリシャSFが発展し始める中、「なんといっても見過ごせないのは雑誌『9(エニア)』の発刊だろう」という一節が出てきます。
『9』というのは新聞「エレフセロティピア」に毎週付録としてつけられた50頁ほどの冊子で、2000年創刊号から2010年の513号まで続きました。不思議な題名は雑誌の中心テーマである《9番目の芸術》、つまり《コミック》のことだそうです(最初この変わった雑誌名を見て私も何これ?と思いました)。

 
GreekSciFi | 9 (περιοδικό) (redworlds.gr)
 
 
 
【週刊誌『9(エニア)』創刊号(2001年)。ダニエル・ペクール作&ニコラス・マルファン画のコミック「ゴールデン・シティー」、ポール・ディ・フィリポ短編「技術に囚われたものたち」、フィリップ・ドリュイエのインタビューなどを収録。カヴァー絵はベージャ。
なお、このウェブページ「Greek SciFi Wiki」はギリシャのSFと幻想文学についての情報が盛りだくさんです。】

 もともとのコンセプトは、タイトルの語る通り、コミック中心の雑誌でした。発行責任者アンゲロス・マストラキスの方針で、外国人作家だけではなくギリシャ人作家も積極的に掲載し、全ギリシャの年間コミック・コンテストも主催することで、国内でも多くの人気コミック作家が誕生しました。
 さらにはSF小説分野にも対象を拡げ、国内外の短編作品やSFフェスティバル情報、作家インタビュー、批評なども収録するようになりました。第13号からはサブタイトルが「コミック週刊誌」から「コミック&SF週刊誌」に変更されます。
 十年間に掲載されたSF作品は442作にのぼり、うち123作品はギリシャ人作家によるものでした。この点でもギリシャ国内でのSF普及や作家の育成に大きく寄与したことが分かります。最初に採用されたギリシャ人作家は『ノヴァ・ヘラス』にも名前のあるミハリス・マノリオスで、2000年8月号「君はここにいるだろう」がデビュー短編。その後同誌に14作も発表することになります。
 2004年には9人の作家の雑誌掲載作を収めたアンソロジー『9ΕΦ』も刊行されています。「ΕΦ」は「επιστημονική φαντασίαエピスティモニキ・ファンダシア(=空想科学小説)」の略。

 
ヨルゴス・グラス他『9ΕΦ 9人のギリシャ人SF作家たち』

エレフセロティピア社、2004年。

 本エッセイで何度かご紹介したアンソロジー『ギリシャ幻想短編集』の中でも、『9』から採られた作品三篇に出会いましたので、ちょっとご紹介しておきます。

 第5巻には、ニコス・ハジヨアヌ「もう一度雨を見るように」(2002年)が収録されています。
 借金に困った《私》は記憶を売買する会社のドアを叩きます。私の記憶は鮮明で良質だと評判になって売れ行き好調ですが、そのせいでやがて……というお話。

 
マキス・パノリオス編『ギリシャ幻想短篇集』第5巻

エオロス社、2004。

 
 第6巻には二作品が入っています。
 スタヴロス・ディリオス「あ・た・ま」(2009年)では周囲の人間や動物が突然マネキンに変容するという珍事が出来。ヒッチハイクに乗り込んできた老人が主人公に異様な話を語ります。
 コスタス・ハリトス「父親自身」(2007年)が見せてくれるのは遺伝子解析により人間の個性が明確に算出される未来世界。ただし一つの項目にのみ不確定要素があり、息子を救うべく父親が取った行動とは? 過去と現在を交錯させる語りに工夫があります。
 ハリトスも『9』2001年9月号掲載の「ハードな現実」でデビューした人で、同誌に14作書いています。『ノヴァ・ヘラス』には「社会工学」を寄せています(仮想空間に挑む社会工学者。ラストが痛快)。たまたま《ギリシャ・ミステリ六歌仙No. 2》マルカリスのシリーズ主役コスタス・ハリトス警部――いまやギリシャの名探偵の代名詞――と同名なので忘れられません。
 

 
マキス・パノリオス編『ギリシャ幻想短篇集』第6巻

エオロス社、2012。

 

◆エヴィア島の若き警部の今

 さて、ミステリの方も負けずに行きましょう。
 今回のテーマは、若手作家が好評のシリーズ数作を発表した後、別の方向性を模索し開拓するお話です
 その作家とは、エッセイ第11回で「《旬》の三人衆」としてご紹介したディミトリス・シモス『蛙』(2016年)、『盲目の魚』(2018年)とヒット作を続け、今やマルカリスを継いで、警察・社会派ミステリの王道を歩んでいると私が思う作家です。
 第三作『毒の眼』(2019年)でもカペタノス警部が続投します。この表紙、バイオテロがらみなのでしょうか? 

 
ディミトリス・シモス『毒の眼』

ベル社、2019。

 
 例によって、時間を隔てた二つの事件が交互に語られ、最後に一つにまとめられる構成です。両者をつなぐキー・パーソンはいったい誰なのか?(もちろん一方は名前は変えていますが)
 
 まずは三年前、島の化学肥料工場の事件から始まります。従業員ネフェリは現在の困窮生活に不満を抱え、このところ集中力が不足気味。就業中あわや大事故を起こしかけたこともあります。女性上司の《化学夫人》(本名は語られず)はそんな様子を冷静に見守っています。
工場は殺伐とした雰囲気で、ルーマニア人の出稼ぎ労働者(あるいは移民?)たちの喧嘩も日常茶飯事のよう(これが事件の背景になっていることがやがてわかります)。
 ある日ネフェリは工場オーナーに呼び出されます。五十代の高圧的な脂ぎった男で馘にされた女性社員も多いらしい。セクハラ事件になるのかと思いきや、意外にもネフェリは幹部会メンバー候補に推薦されます。周囲の知人たちは祝福しますが、《化学夫人》はその決定になぜか不安顔。その後、深夜の工場の地下室に案内され、今度こそ危ないぞと読者は思いますが、そこでとんでもない光景を目の当たりにします。かと言って、ネフェリが胸に秘めた思いから行動に出るとか、実はアッティカ警察の潜入捜査官だったなんてことはありません。ネフェリの心情の揺れと変容、それに《化学夫人》の実に意外な行動が読者の興味を引き続けます。この二人の性格を生むに至った過去は十分に語られるので、ストーリーの展開に驚かされつつも説得力があります。

 そして現在の事件へ……
 エヴィア島で建築会社オーナーが射殺され、おなじみのカペタノス警部チームが再登場。妻と離婚し娘とは月一回の面会だけ許されたカペタノス警部、鳥打帽トラヤスカがトレードマーク(昭和の刑事風)オレスティス巡査長、シャレ者の巨漢ヴァンヴァカス警部補、元いじめられっ子ながら優秀なマルケナ警部補代理、というあの四人組です。
 シモス作品では現在のギリシャの複雑な社会状況があぶり出されるのも魅力です。先の工場の事件にはルーマニア人労働者がからんでいましたが、射殺事件のほうは島のロマ人居住区で起きており、警部は片言のロマ語を使いながら聞き込みに回ります。このロマ人家族は1922年トルコとの住民交換で北部のトラキア・マケドニア地方へ移り、戦後さらにアッティカ地方へ下って来たと言います。そのリーダーに警部は何か借りがあるようです(ロマンチックなこのエピソードは後に明らかに)。
 さて、殺されたパリシスは父親から継いだ建築会社をすでに売り渡し、競走馬の飼育とNGOの環境保護団体の経営で生活していました。そこで犯人の動機と機会を掘り起こすべく、その両方向に捜査は進みます。馬を飼育する島内の農場を訪れる一方で、環境保護団体の理事に名を連ねる被害者の弟やその妻、(政界進出を狙う)弁護士などからも聞き込み。農場を管理する家族からは、島の山中で深夜見られる鬼火の怪談話が飛び出し、環境保護団体には(やっぱり)資金流用の疑惑が浮かびます。シモス・ミステリのことですから、当然というべきか、この二方向は意外な部分でつながりを見せて行きます。
 さらにこの射殺事件に三年前の化学工場事件が結びつくとき、驚きの全貌が読者の前に広がります。表紙のデザインはやはり意味があったようです。
 政治家と企業家が暗躍する複雑な事件の糸を辿る捜査に加えて、海上での派手な銃撃戦やサスペンス溢れる森の中での追跡なども描かれ、相変わらずメリハリの効いた作り。加えて、カペタノス組メンバーにもエピソードが準備され、一人一人が立体化されていきます。オレスティス巡査長は恋人との別れで酒に溺れ、マルケナは新米時代の痛ましすぎるトラウマが発覚。カペタノス警部の新たな恋愛のシーンまでありますが、これはちょっと不要な気もしました(娘ニキとの微笑ましい交流で十分)。

 カペタノス物三作を出した後、作家は出版社を替えて『わたしを救って』(2020年)を発表します。

 
ディミトリス・シモス『わたしを救って』

メテフミオ社、2020。

 
 カペタノス警部は一切登場しません。舞台もエヴィア島を離れ、北東部のトルコに近い町コモティニになります。
 主人公はこの町育ちの三人姉妹で、特に次女ニコルに焦点が当てられます。十九歳でアテネに出て美術を学んだ後、彫刻家として独り立ちし、キフィシアとコロナキというリッチな地区にギャラリーを開きますが、作品制作はインスピレーションの湧く故郷にこもってやる方針。こうして久しぶりに帰省することから話が始まります。
 付近の村々が寂れて行く中、長女ラニアは祖父から継いだ小料理屋を切り盛りし、三女アルキスティは地元を離れずトラキア大学を卒業した後、獣医と結婚して幸せそうです。
 なのですが、再会した姉妹たちの間には遠慮と不信と反発がない交ぜになった妙な距離感が漂います。ニコルは「助けて欲しい」と口走りますが、はたして何を恐れているのか? 
 
 そんな中、コモティニの公園で女性の全裸死体が発見されます。全身に打撲傷、喉には擦過傷という凄惨な姿で、何よりの衝撃は刃物で眼をくりぬかれているのです(当初警察は猛禽に齧られたんだろうと思い込んだほど)。よほどの憎悪が込められているようです(まるで京極ミステリ『絡新婦の理』)。
 捜査するのは女性警部ルキディ。地元で有名な元検事の娘で、三姉妹とは幼馴染みです。続いて第二、第三の事件が起こり、ルキディ警部を振り回します。
 三人姉妹にルキディ警部、と主役級に溢れていますが、焦点はあくまで姉妹(特に次女ニコル)にあります。細かく分かれた章のうち、三姉妹の章は一人称語りで心情が細やかに吐露されるのに対し、ルキディの部分はあくまで三人称語り。つまりは警察目線の捜査ものと言うより、事件に巻き込まれる三人姉妹の物語です。カペタノス物とは逆方向のアプローチをしています。

 殺害犯人の追跡もさることながら、三人姉妹の間の、さらには母親との奇妙で息のつまりそうな関係の正体は何なのか。おまけに、三女の夫である獣医師は母親や義姉となぜ嫌悪しあっているのか。作者お得意の、現在の事件と平行した過去の語りのなかで、隠された秘密がじわじわと明かされていきます。

 長女が小料理屋を経営していることもあって美味しい料理がけっこう登場。なつかしのスティファード(肉とタマネギのトマトソース煮込み)にも再会できます。エッセイ第20回でご紹介したズルーディ『ミダスの汚れた手』でも、ヘルメス探偵が弁護士から、家内の自慢料理をぜひ!と熱心に勧められていました。

 コモティニは住民の半数近くをトルコ系が占める特異な町です。作品中でも、二十年前犯罪を犯したギリシャ人を友人のイスラム神学者が匿い、町を二分する大騒乱になった話や、両派をうまく収めて町の大物にのし上がった人物のエピソードが語られます。今回の事件でも、ムスリムの少女の被害者が出ています。


https://el.wikipedia.org/wiki/%CE%9A%CE%BF%CE%BC%CE%BF%CF%84%CE%B7%CE%BD%CE%AE#/media/%CE%91%CF%81%CF%87%CE%B5%CE%AF%CE%BF:20120815_Yeni_Mosque_Clock_Tower_Komotini_West_Thrace_Greece.jpg
【コモティニの新寺院(イェニ・ジャーミイ)と時計塔】

 心理的な圧迫が生み出す悪夢のイメージは、カペタノス物でも用いられていましたが、今作ではそれ以上に際立っています。特に、幼いころ肺に障害があり小型人口呼吸器を手放せないニコ ルとつねに寄り添う妹が迷い込む不思議な森の館のイメージは鮮烈。
 この作品はTVドラマにもなっています。以下が予告編ですが、なかなか気合いが入った作りです。

■Σώσε με – ΑΝΤ1 (trailer) ■

【コモティニのモスクの尖塔もチラリ映ってます】

 
 作家は新たな方向に挑戦しているようです。
 
 ところが翌2021年には『オデュッセウスの死』でカペタノス警部が帰ってきます。やはり警部の復活を望む声は多かったのでしょう。作家自身もこのキャラに愛着を持っており、滝壺に突き落としたりはしてません。

 
ディミトリス・シモス『オデュッセウスの死』

メテフミオ社、2021。

 
 この二年後には『私を救って』の路線で『息を吸って』(2023年)が出ます。

 
ディミトリス・シモス『息を吸って』

メテフミオ社、2023。

 
 今後はおそらくカペタノス警部物とノンシリーズを交互に出す計画なのでしょう。シモスの抽斗は確実に増えています。
 
 同じように自分の作風を広げようとしている若手人気作家がもう一人います。この人については、いずれまた。
 

◆欧米ミステリ中のギリシャ人(27)――サラ・コードウェルのギリシャ人――

 前回のエッセイメアリー・スチュアートを取り上げました。プロスペローの島ケルキラ(コルフ)で幻想的な事件が起こる『この荒々しい魔術』発表は1964年のこと。
 それから20年以上経った80年代半ばから90年代にかけて、同じこの島を舞台にしたミステリが二作現れます。ひとつはサイモン・ブレットのシリーズ探偵パージェター夫人が島を訪れる『手荷物にご用心』(1990年)(エッセイ第29回でご紹介)。もう一作が今回のサラ・コードウェル『黄泉よみの国へまっしぐら』(1984年)です。
 ただ数年のずれで二作が続いて発表された事情は分かりませんが、軍事政権がすでに崩壊しECの一員となったギリシャが、欧州諸国にとっていっそう身近に感じられるようになったことと関係あるのかもしれません。

 コードウェルはマイケル・イネスやエドマンド・クリスピンなどの英国新本格派に連なる作家だそうです。フーダニットの骨格にひねった英国風ユーモアをたっぷり盛った作品なのでしょうか。


 裕福なレミントン=フィスク家では五十年前の祖先の遺書により、代々の長子が財産を継ぐ決まりになっています。これに不満を持つ相続人が取り分を増やそうと訴訟を準備していたのですが、この人物、一族が集まってテムズ川のレガッタ競争を見物中に墜落死してしまいます。依頼を引き受けていた若手弁護士のジュリアは、師のテイマー教授にこの事故の調査を頼みます。このテイマー教授がシリーズ探偵です。
 こうして、いかにも黄金時代フーダニットを思い起こさせる、一族の財産争いが勃発します。事故は巧妙な殺人だったのか? 続々と登場する人物の姻戚関係がややこしくて、巻頭に系図が載っているほど。怪しいのは長子として目下相続権のあるカミーラほか三人の若き男女ですが、それぞれの親たちも分け前に与ろうと犯罪を目論む可能性があります。

 ギリシャがどこで出てくるかと言うと、一族の中にゼメトリウなるギリシャ人詩人(ギリシャ人っぽくない名ですが)と結婚した女性がいて、その息子レオニダスも相続の可能性があるからなのです。このギリシャ人親子はケルキラ島に持ち家があり、他の親族もその屋敷へ遊びに行ったりしています。
 一方テイマー教授の教え子たちの一人セリーナは恋人と一緒にイオニア海旅行に出航しますが、同じころヨット旅行をしていたカミーラたちが海上で事故に遭遇。どう見ても怪しい。
 最後はテイマー教授自らがケルキラ島へ乗り込みます。広場のクリケット場(英国に支配された歴史のある島ならでは)で試合に参加し、隣接する石畳の遊歩道とアーチ構造のリストン通り(これも名所)で一休みした後は、観光の目玉ヴェネチア要塞跡で息詰まるクライマックスを迎えます。真犯人は誰なのか、ストーリーのうねりは最後まで途切れません。
 


https://el.wikipedia.org/wiki/%CE%9B%CE%B9%CF%83%CF%84%CF%8C%CE%BD_(%CE%9A%CE%AD%CF%81%CE%BA%CF%85%CF%81%CE%B1)#/media/%CE%91%CF%81%CF%87%CE%B5%CE%AF%CE%BF:%D0%9A%D0%B2%D0%B0%D1%80%D1%82%D0%B0%D0%BB_%D0%9B%D1%96%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%BD2.jpg
【ケルキラの観光名所リストン。19世紀初めフランス支配期に建造】

 
 ケルキラ島という舞台はブレット『手荷物にご用心』よりも効果的に使われています。登場人物(セリーナの恋人セバスチャン)が明確な目的を持ってこの島を目指すからです。西洋古典学の専門家であるこの人物は、『オデュッセイア』漂流の足跡を辿ってやろうと、まずはイピロス地方のプレヴェザの方面から嘆きの河アケローンを遡行し、死者との交信の場だったネクロマンティオン遺跡へ向かいます。詩に出てくるオデュッセウス冥界行きの舞台はこの地方に違いない、と固く信じているのです。その後は再びイオニア海に出て、(オデュッセウスがナウシカー姫に出逢った)ケルキラ島に立ち寄り、最後は英雄の出身地イタカ島へ行こうと目論んでいます(まるで清張ミステリ「陸行水行」に出てくる命知らずの古代史マニア)。このへんからすっかり主役っぽくなったセバスチャンはケルキラ島で詩人ゼメトリウを訪問。西洋古典オタク同士意気投合し、エウリピデスの写本の異同などといったディープなテーマの討論に興じます。
 ところが作者は巧妙にも、そんな二人の行動をしっかり犯罪にリンクさせています。「どうしてセバスチャンの身が危険なんですか?」「彼は『オデュッセイア』とエウリピデスのテクストについて語りすぎたからね」なんていかにも本格物らしいケレン味ある会話です。
 作家の目は主に古代ギリシャに向いていますが、スチュアート『銀の墓碑銘』ほどではないにしても、現代のギリシャもさらりと描かれています。『現代ギリシャ詩集』の中に名を連ねるというゼメトリウは、実は軍事政権下でイギリスに亡命した人物であり、セバスチャンとの議論の中で、独裁制に反対したのは文学作品の詩的語法を腐敗させおったからじゃ、などと主張するのは、ピント外れの説で笑いを取るユーモアのようにも見えますが、実際に軍事政権は出版物の検閲を行い、公用語を古風なスタイルに換えるという反動的な押し付けを行っていました。

◆デルタ問題

 読んでいて気になったある点について書きます(ストーリーには全く関係ありませんが……)。
 惚れっぽいジュリアが美形のレオニダスΛεωνίδαςに声をかけると、相手は魅惑の微笑を浮かべて「ギリシャ語を話す人がいらっしゃるとは嬉しいですね」と答えます。これは彼の名に含まれるデルタの発音に関係があります。
 デルタΔ, δは古代ギリシャ語の発音ではもちろん/d/で、英語や日本語でも人名地名はそのように発音される(Διονύσιοςディオニュシオス 、Δελφοίデルポイなど)のですが、現代ギリシャ語では摩擦音/ð/に変化しています。そこで、自分の名にあるδを/ð/で発音できる英国人にレオニダスは驚いているわけです。ジュリアの方は美青年の気を惹きたい一心なだけですが(そのためカヴァフィスの詩も暗記しているらしい)。作者の音声学的説明も面白くて、「ジュリアはsootheの語末の音のように発音した」なんて言ってます。もっと簡単なtheseとかtheの語頭の音と言えば早いのに。たぶん後ろに母音の続かない音を挙げたかったのでしょう。
 さて、そこで思いあたりました。レオニダスの父親「ゼメトリウ」は「ギリシャではありふれた名前」とあって、そうかなあ? と思っていたのですが、つまりΔημητρίουなんですね(コードウェルはDemetriouと記している)。私の好みでは「ディミトリウ」としたいところですが、実はそう単純ではありません。現代ギリシャの人名地名をどうカタカナ表記するかは、人によって細かなところで揺れがあるからです。元々の発音は/ðimitriu/ですが、この語頭のΔをザ行とするか、ダ行か? クリスティー風に言えば「ZかDか」。
 純粋に音声を優先するなら摩擦のある「ゼ」の方が近い(ただし、後続のηは/i/なので「ジミトリウ」)。一方、古代語とのつながりを重視するなら「ディ」(もともとは豊饒の女神「デメテルΔημήτηρ」に由来)。
 訳者加地美知子氏は、ジュリアが摩擦音で発音したことを重視してザ行音にしたに違いない、と私は睨みました。勇敢な漁師Ανδρέαςというのが出てきますが、これも「アンドレアス」ではなく、「アンズレアス」になっています。ただしかし、肝心のΛεωνίδας「レオニダス」は「レオニザス」にはなっていませんね。う~む。私の勝手な妄想のようです。
 話のついでにもう一つ。ου(ローマ字ではou)の発音は/u/なので、詩人の名が「~トリオウ」ではなく、ちゃんと「~トリウ」になっているのはうれしい。おなじみの姓の語尾-πουλος(-poulos)の表記がときおり「~ポウロス」と書かれているのを見かけますが、ぜひ「~プロス」にしていただきたいと思います。ギリシャ姓はもともと長いので、一文字節約できるし。
 
 残念なことにコードウェルは2000年に癌で亡くなり(60歳、若い)、発表した長編ミステリは四冊だけです。
 作品発表の間隔が五年から十年という点からもわかる通り、プロットのみならず、文章の彫琢にしごく凝るタイプで、ひねった文をボーと読んでいると何が言いたいのか混乱し立ち止まってから、ああこれ皮肉か、とようやく気づいたりします。作家は読者の一歩前どころか、数歩先を進む感じです。このへん、さすが知的高踏的な新本格派の流れと言うことでしょうか。

 さてさてこれも一つの出会いだと思い、残りの三冊も読んでみました。

『黄泉の国へとまっしぐら』より先に発表された第一作は、1981年の『かくてアドニスは殺された』です。
 
 あ、その前に一つ。もしこれから四作品の読破を考える方は、やはり発表順に読み進めるほうがいいと思います。ネタバレと言うことではありません。次々に出てくるキャラたちを頭の中で整理するのに少々時間がかかるからです(私はそうでした)。
 シリーズ・キャラとして謎を解くのは、語り手のテイマー教授とその教え子の若手弁護士五人。けっこう大所帯です。デビュー作では、割合ゆっくりとこの六人組が語られ、人物像を記憶し定着させることができるように書かれていますが、(私が先に読んだ)第二作『黄泉の国へまっしぐら』では六人がすでに周知の人物としてストーリーが進み、おまけにセリーナの恋人セバスチャンが探偵No. 7として前面に現れるわ、遺産相続の候補者たちも系図付きでゾロゾロ現れるわで、第一章を読みながら頭が飽和状態になってしまいました。


 さて、『かくてアドニスは殺された』では、テイマー探偵団の中で一番キャラの立っているジュリアがヴェネツィアへ慰安旅行。同じ旅行グループで目をつけた美青年アドニス(本名はネッド)とお近づきになります。その結果、タイトルのようなことになり、一番親しくしていたジュリアが逮捕されてしまいます。彼女を助けようと、英国のテイマー教授は手紙の情報を手掛かりに、安楽椅子探偵として謎に挑みます。
 一方、もう一人のテイマー団メンバー、ティモシーは遊びではなく仕事でヴェネツィアへ出張。キプロスに住むある英国人からの依頼で、ヴェネツィアで亡くなった伯母の遺産の法的整理を手助けすることになります。ジュリアが巻き込まれたアドニス殺しとどうつながっていくのかが見所です。

 意外にギリシャがらみの作品でした。ティモシーに仕事を依頼した英国人はキプロスに惚れ込んで現地のギリシャ系女性と結婚し、トルコ軍侵攻後も国外脱出せずにとどまり、島の平和と統一に生涯を捧げるという声明書まで公表しています。ところが住所を英国に移せば巨額の相続税の控除があるので、彼をどう説得するのかもティモシーの仕事なのですが、これが殺人事件とややこしい関係にあることがわかって来ます。

 コードウェルはオックスフォードで法律を専攻する以前に、アバディーン大学で古典学を学んだそうですが、そこで触れたのであろう文献学の知識がトリックとして使われており、これはなかなか面白いです。《重複誤写》という、別に難解な現象ではなく、要するに写本の書き手が、書き出しの似た箇所をうっかり二度書き写してしまうことですが、犯罪の引き金になっています。
 先の『黄泉の国へまっしぐら』でも《難読優先》なる原則が利用されていました。こちらは複数の写本を比べながら、(失われた)オリジナルのテキストを復元する場合の方針です。写本が異なる読みを持つ場合、難しい方がオリジナルに正しい、というちょっと逆説的な考え方ですが、後代の人が分かりにくい言葉に出逢うと、より単純に解釈して書き換えてしまうという、私たちも日常でよくやる人間の傾向です。ミステリ作品の「あなたの手袋が~」とか「キャベツ椰子パルメットーがなんとか」といった訳の分からないクレームやダイイングメッセージもその変形だと思いますが、テイマー教授に解説されるとなんだか高尚な真理に聞こえて説得力が増すのが不思議。
 コードウェル女史、大学で名高い教授たちの講義を聞きながら、将来これ使えるわね、とほくそ笑んでいたのでしょうね。

 第三作『セイレーンは死の歌を歌う』(1989年)は英仏海峡に位置するタックス・ヘイヴンのチャンネル諸島から仕事が舞い込み、ジュリアと(空手ができる行動派)カントリップが向かいます。


 相続信託グループから巨額の基金の受取人探しという依頼(基金を設定した人物も不明)がある中、(当然のように)基金関係者が消されていきます。コードウェル・ミステリの犯罪動機は基本的には(なつかしの)金銭欲ということか? 詐取する手口は非常に現代的で複雑なのですが。
 島では古来デメテル、ペルセポネ、ヘカテ三女神の秘教祭式が行われていた形跡があり、月光の下《セイレーンの岩》で魔女たちが歌い踊って若い男をおびき寄せる、という伝説も残ります。ただし、残念ながらこの線はあまり活かされず。第二次大戦中のドイツ軍の島襲撃事件も盛り込まれ、こちらのほうが面白い。
 クライマックスの遠景からの描写は実に鮮やかで、映画にすれば映えるでしょう。もっとも、自滅するキャラは勝手に自分の欲望で動いているので、自業自得の感もあります。サスペンスに加えてファース味もたっぷり。特にカントリップの叔父大佐のハチャメチャぶりが濃すぎる(やたら銃を撃つ天才バカボンの本官さんのよう)。
 
 最後の作品『女占い師はなぜ死んでゆく』(2000年)ではイギリスの片田舎が舞台です。

 弁護士事務所でイケメン大工と銀行頭取が取っ組み合いというシュールなシーンで始まります。
 話の筋は明確。件の銀行頭取は引退を考えていますが、後継者候補の二人のいずれかがインサイダー取引に関わっているのではと危惧し、セリーナ(テイマー教授チームのリーダー格)に相談に来ていたのです。その後ジュリアの情報から、謎の銀行員がウェストサセックス州の村に住む女預言者を毎月密かに訪れていることがわかります。訪問はインサイダー取引に関連? 二人の候補者のうちのどちらかなのか? ところが、この怪しげな預言者イザベラが急死。さらに村では予期せぬ死が続きます。 
 原題The Sibyl in Her Graveに含まれる古代の預言者シビュラSibylはイザベラかその女弟子のことを暗示するようですが、特に古代の伝説につながるわけではありません。それよりもこの作品で忘れがたい印象を残すのはこの女性二人の強烈すぎる個性と、別のある人物の衝撃的な行動です。

◆ジェンダー問題

 最後に、コードウェル・ミステリで話題になるテイマー教授の正体について感想を。
『世界ミステリ作家事典』になかなかすごい説明があります。作者はテイマー教授の性別、年齢のヒントになるような記述を一切しておらず、どのような人物かさっぱり分からない。これは「作者が読者に対して仕掛けたミステリ史上類を見ないトリック」だと。
 オックスフォード大学教授で、若手弁護士たちの師なのですから、二十、三十代はちょっとあり得ず、四十代以上とみるのが自然でしょう。
 それよりもジェンダーの方が気になります。論文の著者なんかではなく、小説の主人公なのだから、読者としてはやはり主役の姿を頭で愉しみながら読み進めたい。女性の大学教授が主役探偵であってもいっこうにかまいません。80年代と言えばコーデリア・グレイの第二作『皮膚の下の頭骸骨』が出ているし、V・I・ウォーショースキーとキンジー・ミルホーンがデビュー、もう一世代後には検屍官スカーペッタの時代が始まります。
『セイレーンは死の歌を歌う』の訳者松下祥子氏のあとがきに引用されたメッセージで、作者はテイマー教授になり切って「本書は歴史的事実の記録であり、そこになんら歴史的関連性も一般的関心もないつまらぬ個人生活の紹介をごたごたと加え」たり、「著者が長身か短躯か、黒髪か金髪か、不幸な既婚者か幸福な独身者か、といった諸点にいかなる重要性があろうか?」とユーモラスに語っています。で、日本語のような言語タイプの場合、解決策は「翻訳者に一任することとしよう」だそう。
 いやいや教授、あんたは小説の主要キャラなんだから読者にとって重要性ありますって。あえて曖昧にして描かない分、どうしても薄味の存在になってしまいます。テイマー探偵団のメンバーは一作二作と読み進めるにつれ、個性の違いが際立ち、味が出てきますが、教授自身は最後まで印象が薄く透明人間のよう。いきなりファイロ・ヴァンスに「君はどう思う、ヴァン?」と呼びかけられ、読者は「これ誰? ヴァンス・・・・のミスプリ?」と驚くあの状況です。しかも天才型探偵(ハードボイルド探偵ではなく)の一人称語りという特異な設定で、ただでさえ自身の推理の過程を最後まで明かせないうえに、外貌はもちろん、性別が特定されるような状況も書かないというのは、よっぽどの狙いがあるのだろうと考えてしまいます。
 で、問題はその狙いと実際の効果です。
「知性にジェンダーはない」ことの実作による証明?(そのこと自体はその通りですが)。あくまで学術論文という体裁のエンタメ?(これはちょっと苦しい) 読者のジェンダー偏見を揺さぶり? 編集者への悪戯? 大学教授ら男性読者へのおちょくり?(ジュリアがまるでニンフォマニアックに描かれるのも同じ線か?) ジェンダーに関する先入見を利用して犯人を隠す作品ならクリスティー、カー、クイーン、シムノンら大御所たちも書いているし、綾辻行人氏の某大作もありますね。しかし、コードウェル・ミステリの場合、そういう狙いではないでしょう。語り手のジェンダー像が想像上でひっくり返されたところで、例のカー有名作のような「ルビンの壺」風の二重構造(©松田道弘)が発生するわけでもありません。事件の謎そのものには関わらないからです。もしかして、隅の老人かドルリー・レーンのような、シリーズ最後に明かされる驚愕の結末への布石だったのに、作者死去により未遂に終わったとか?
 この趣向の狙いがはっきりしない上に、その制約のために透明人間化した語り手が、しかし突然議論の場面に参加したり、ヴェネツィア要塞跡やジャージー島海岸のクライマックスで大活躍するのですから、教授どこから現れたの?って感じで、読んでいる間グラグラした不安定な気分でした。
 さらに、作品中で多用される書簡体(実際に行動するメンバーが現地から出す報告)も、教授を安楽椅子探偵にするのが狙いではなく、描写の前面に出さないためのひねった策ではないかとまで邪推してしまいます。この書簡体も(メンバーがコメントを入れるために)頻繁に中断されるので、ちょっとイライラさせられることもありました。
 それくらいなら、いっそメンバーの中で一番弁論に長けたセリーナをリーダーに据え、ジュリアをトリックスターとする五人衆(プラス第二作のゲスト格セバスチャン)の冒険を三人称で語るのでもよかったのではと思います。
 小説自体はテイマー探偵団の推理合戦(これは楽しい)、絶景セッティングでのアクション(特にヴェネツィア城塞跡の対決)、どんでん返しの連続と細かな伏線(いかにも本格派)、ひねりとウイットの効いた会話(すましたエリートたちのおバカな会話が笑いを誘う)と飛びっ切り面白いのに、この趣向へのこだわりで無理をして、違う部分で損してるなあというのが(凡人読者の)感想です。

 それにしても翻訳者泣かせの、こんな《コードウェルの罠》が仕掛けられるのも、英語という言語ならではでしょう。男女の話し言葉が相当に異なる日本語ではどう訳すのか、想像するだけで途方にくれてしまいます。

↑『かくてアドニスは殺された Thus Was Adonis Murdered英語版原書
 
↑『黄泉の国へまっしぐらThe Shortest Way to Hades英語版原書
【原書のカバーは驚くほどその瞬間を再現。ネタバレにはなってませんが、テイマー教授が居合わせなくてよかった。画家は困ったことでしょう】

 日本語ほどではないにしろ、名詞がジェンダー差を明示するタイプの言語では訳はなかなか苦しい。例えば、Professor / Professorin「男性教授/女性教授」のような区別があるドイツ語では? 翻訳家の苦心を知るために、ちょっと覗いてみましょう。

↑『かくてアドニスは殺されたAlso muss Adonis sterben独語版
 
↑『黄泉の国へまっしぐらBlitzschnell in den Hades独語版

 
「教授」はこんな風に訳されています(日本語訳、英語原文、ドイツ語訳の順に)

(日)「テイマー教授の名解説」、「テイマー教授の革命的分析」(『かくてアドニスは殺された』p.10)
(英)Professor Tamar’s masterly exposition’, ‘Professor Tamar’s revolutionary analysis’
(独)»Professor Tamars meisterhafte Abhandlung«, »Professor Tamars bahnbrechende Analyse«

(日)(メッセージの宛名として)「テイマー教授」(『黄泉の国へまっしぐら』p. 15)
(英)PROFESSOR TAMAR
(独)Hilary Tamar

 最初の例では男性形Professorで訳されていますが、後者はファーストネームHilaryで置き換えられています(あえて?)

 あるいは他の「歴史家Historiker/-in」「法律家Jurist/-in」「学者der/die Gelehrte」のようなジェンダーが明示される名詞を使う必要がある場合は――

(日)「私は自分が法律家というよりはむしろ歴史学者であると、最初から認めている」(『黄泉の国へまっしぐら』p.22)
(英)… I am the first to admit that I am an historian rather than a lawyer.
(独)… gebe ich gern zu, dass ich mich eher den Historikern als den Juristen zugehörig fühle.
 
(日)「経験豊かな学者――とは、かく言う私のことだが――の洞察力と綿密な調査」(『かくてアドニスは殺された』p. 9)
(英)the penetrating scrutiny of the trained scholar – that is to say, my own
(独)(mit) der Akribie des Gelehrten, nämlich der meinigen,

 ――のように、いちおう男性形の複数Historikern, Juristenを使って「歴史家たち/法律家たちの一員」としたり、単数des Gelehrten(定冠詞により男性明示)で訳しています。
 ただし、ドイツの読者がこれらの語でただちに男性を想像するのか、とりあえずはジェンダーを越えた総称的なものとして捉えるのかは私にはわかりません。後者の解釈が可能であるのならば、教授の正体は隠せそうですが。
 
 さらに、同じページでこんな文も目に留まりました。
(日)「というわけで不本意ながらも、私が引き受けざるをえなくなった〈…〉しかし私はこの犠牲を不服とするものではない」(『かくてアドニスは殺された』p.10)
(英)I am obliged, therefore, with some reluctance, to do the thing myself.〈…〉But I am content to make the sacrifice
(独)Es bleibt mir deshalb nichts übrig, als, wenn auch widerstrebend, selbst zur Feder zu greifen.〈…〉Aber ich bin bereit, das Opfer zu bringen.

 どちらもテイマー教授の性別には直接関係しません。ただし、『かくてアドニスは殺された』の青木久恵氏訳は《コードウェルの罠》が日本人に知られる前のものですが、ジェンダー問題とは別に、大学エリートの大仰でもったいぶった(その分、読者の笑いを誘う)言い回しが巧みに表されていると思います。
 それではなぜこの部分が気になったかと言うと、ギリシャ語の場合であれば、名詞はもちろんのこと(καθηγητής男性教授カシギティス」に対してκαθηγήτρια女性教授カシギトリア」)、形容詞・分詞でもジェンダーが明示されるからです。「うれしいハルメノス」「疲れたクラズメノス」「忙しいアパスホリメノス」などの平易な形容詞表現でさえ危険です・・・・。テイマー教授は感情を見せられず、自身の容貌すら描写できない。ここのobligedやcontentも直訳するとたちどころに正体がバレちゃうよなあ、と心配してしまいました。もちろん他の文型で言い換えて回避することになるのでしょうが。ま、残念ながらと言うか、コードウェル作品のギリシャ語訳はありません。

■テイマー教授のギリシャ語講座■

 詩人ゼメトリウがホメロス描く世界の現実性について激論する途中で思わず、
「ぽ、ぽ、ぽ、ぽ!」πό-πο-πο-πο!
 これはひじょうな驚愕や不信を表明したいときに口にする感嘆詞で、「おやおや、こりゃまた、なんてこった、びっくり!」の感じ。辞書にも載ってます。
 レイサン『ギリシャで殺人』にも出てきました。真っ昼間オモニア広場でアメリカ人観光客が誘拐され、「ポー! ポー! ポー!」と群衆から非難が湧きおこります。
語源ははっきりしませんが(擬声語なので自然な声の模写から?)、古代ギリシャ語にも似たようなのがあります。ホメロスの「オデュッセイア」で、やつれ切って生還した主人公に向かって、傲慢な山羊飼いが、
「やれやれὢ πόποι(オー ポポイ)何をほざくのか、この下らん思いにつかれた犬めが」(第17歌248行、呉茂一訳)とか、アイスキュロスの悲劇「アガメムノン」でアルゴスに捕囚として連れてこられたトロイア王女カサンドラが狂気にとり憑かれて、
ὀτοτοτοτοῖ πόποι δᾶ(オトトトトイ ポポイ ダー)」(1072行)
 久保正彰訳では「おっおっおっおっおぃ、ぽ、ぽぃ。だぁ」。
 

橘 孝司(たちばな たかし)
 台湾在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・一般小説も好きです。
 学生時代になぜか読みそびれた短編を五十年後にようやく《大人読み》。周囲の誰にも理解されない、しかしながら本人にとっては絶対的で崇高な犯罪の動機とは?(犯罪と言うにはあまりにもささやかですが)。乱歩風に言うと「信念の犯罪」。病院の中庭で目にしたものへの主人公の態度が色々なことを考えさせられます。精神を病み自ら命を絶った十九世紀のロシア人作家ガルシン「紅い花」。十年ほど後のチェーホフ「六号室」以上に視線は患者の内部に入り込みます。

【昭和25年ごろ書かれた、ミステリ小説の《動機》の四分類。迷える大乱歩は重複部分が多くて分類になってないよなと自分で嘆いてますが、今読んでもメチャクチャ面白いです。とにかくミステリ興隆にかける情熱が凄まじい。三番目のカテゴリー「異常心理の犯罪」の中で、新しい長編でまだ訳されていないが・・・・・・・・・・・・・・・・、と断ったうえでベスト級作品として挙げるのが『そして誰もいなくなった』。当時の読者の期待の声が聞こえて来そうです。こんな風にして海外の知られざる名作が紹介され、我が国のミステリ・ファンに歓迎されてきたわけですね。】


 
『この荒々しい魔術』(世界ロマン文庫)
メアリー・スチュアート、丸谷才一訳、筑摩書房

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