■サミュエル・アウグスト・ドゥーセ『スミルノ博士の日記』(中公文庫)■


 本書『スミルノ博士の日記』(1917) は、ミステリの「ある趣向」の先駆作として我が国では大正期から知られたスウェーデンのミステリ。
 なぜ、スウェーデンのミステリが早くから紹介されたのかは、本書の戸川安宣氏の解説に詳らかにされているが、医学博士でミステリの愛好家・実作者でもあった小酒井不木がドイツ語に堪能だったおかげで、ドイツ語に翻訳されたドゥーセの作品に行き当たったということだ。大正12 (1923) 年1月号から雑誌「新青年」に連載翻訳され、読者に非常に好評だった由。その後、数作のドゥーセ作品の翻訳もされた。
 戦後は、東都書房の世界推理小説体系に収録されたが、もはや入手は困難で、名のみ知られているに等しく、新たな刊行は嬉しいところ。今回の文庫版は、同書の宇野利泰訳を底本としている。こちらも、ドイツ語訳からの重訳ながら、編集部においてスウェーデン語版とドイツ語訳、日本語訳を比較し、ドイツ語訳版で変更・省略された記述を注記する配慮がなされている。翻訳は、60年も前のものと思えないほど読みやすい。

 天才法医学者スミルノは、仮面舞踏会の夜に、かつて交際していた女優の殺害事件に遭遇。今は人妻になっているかつての恋人スティナに容疑がかけられる。彼女の容疑を晴らすべく、名探偵レオ・カリングの手を借り、不可解な謎に挑むのだが…。
 ドゥーセのミステリ作品にはすべて探偵役として、レオ・カリングが登場。本書は、シリーズ第四作となっている。通常は、新聞記者のゲオルグ・トルネがワトスン役を務めるが、本書では、第一章でトルネが語り手を務め、結末にカリングの付記がある以外は、スミルノ博士の日記からなっている。
 ストーリーは、一人称特有の強度をもって進行する。被害者も容疑者もかつての恋人、スティナの夫には憎しみを抱いているとあっては、スミルノ博士の心も穏やかではない。関係者の尋問をベースにストーリーは進行するが、博士も関係者の一員であり、その心中の葛藤や秘密が描かれ、飽きさせない。

 さすがにミステリ黎明期の日本で好評をもって迎えられた作品だけのことはある。日記形式は博士の生々しい感情を表出させる一方で、論理性、フェアプレイ、ミスディレクションといった点は相当の完成度で、黄金期ミステリの特質を兼ね備えているといえる。
 「ある趣向」の先駆という面では、その趣向自体を明かせないので、何を書いても隔靴掻痒の感を免れないが、読む前は、アイデアが突出したもっと素朴な作品を予想していた。しかし、この面でも本書は十分に練られた作品であり、受精した卵に将来の成長・進化の可能性や課題が凝縮しているように、やはり出発点となる作品には、そのアイデアをいかに見せるか、いかに隠すかが巧みに考え抜かれ、その型の完成形といってもいいような風貌を備えている。この趣向に伴うモヤモヤ感がないという面では、後続の作品を凌いでいる部分もあるように思われる。犯人と目される人物を転々と推移させるための手がかりには、さすがに不自然を感じさせるところもあるが、現場に残された時計の手がかりに基づく論理展開、登場人物をやたら増やさず、限られた登場人物に、複数の役割を担わせて、全体をすっきりとまとめている点にも感心させられた。
 本書は、現在のミステリ大国になったスウェーデンのミステリ作品の古典としても貴重なものだ。英米黄金時代の先駆けともいわれるE.C.ベントリー『トレント最後の事件』が1913年の作品であることを考えれば、ほどない時期に、遠く離れたスウェーデンでこの作品が書かれているということに驚きを禁じ得ない。名探偵レオ・カリングは、かなりエキセントリック、かつ絵に描いたような名探偵であり、ホームズの時代を感じさせるが、内容は英米の黄金時代の作品と遜色ないもので、作品が時代のはざまにあることも感じさせる。この作品が英米ではほとんど知られていないというのだから、ミステリという大海は深く広い。

■J・J・ファージョン『すべては〈十七〉に始まった』((論創海外ミステリ))■


 作家J・J・ファージョンは、ミステリファンにも聞きなれない名前だが、著名な児童文学作家エリナー・ファージョンの二つ下の弟で、生涯70冊以上の作品を残した英国の作家。「ワクワクドキドキさせる冒険物を書かせたら、ジェファーソン・ファージョンの右に出る者はいない」とセイヤーズに賞賛された作家である(マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』)。本書『すべては〈十七〉に始まった』(1926) は、不定期船の船乗りベンを主人公にしたシリーズ8作の最初の作品。ヒッチコック監督の英国時代の映画『第十七番』(1932) の原作としても知られている。
 本書で姿を現すベンは、不定期船の船乗りながら、現在は失職中でからっけつ。ぼろぼろの服を着て、寝泊りするところもないという、ホームレスのような存在。しかし、ロンドンの下町なまりで繰り出される彼の言葉には、おどけ者の血と知性のきらめきを感じさせもする。このベンシリーズの性格は前半と後半で二分され、前半では、ベンに何が起こっているというのかが謎というミステリで、後半は雇われたベンが事件を解決していくという探偵物だという。本書は、ベンがロンドンの屋敷で、謎に包まれた男女に翻弄される犯罪劇だ。
 霧深いロンドン。空腹なベンは、食事をしようと入った宿屋で不審な男をみかけ、〈十七〉と書かれた紙を残していったことを知る。続いて、入った食堂では、男女の会話に〈十七〉という言葉を耳にする。さらに住居番号が〈十七〉の空き家に遭遇し、今夜のねぐらと決める。しかし、深夜には、地階から何者かの足音がするのが聞こえ、ついには、男の死体と遭遇して…。
 この後、逃げ出そうとしたベンは、謎の男フォーダイスと遭遇し、屋敷に舞い戻ることになる。この後、屋敷には、若い美女や男女の三人組が登場し、屋敷で進行する不思議な事態に右往左往することになる。
 もともとは舞台劇として書かれたものとあって、冒頭を除き、舞台は、空き家に限定されており、登場人物も少ない。不気味な雰囲気の中、いきいきとした台詞を中心に、初めて知り合った男女のロマンスの香りも交え、物語は進行していく。ストーリーのほうも二転三転、予断を許さない展開が続く中で、ロンドンを覆う霧がそれる如く、謎まみれの屋敷で進行している謀 (はかりごと) のヴェールが次第にはがされていく。サスペンスフルなストーリーをなごませるのは、ベンのおどけた台詞で、舞台ではベンが口を開くたびに大受けしたものと思わせる。
 ベンは、相当に憶病な性質 (たち) だが、結末に向かっては勇敢さを発揮する。ベンは、民話に登場する愚か者(その実、真の知恵者)の系譜に連なる存在であり、彼の視点で描かれることが、この作品の立ち位置を独特のものにしている。あまり類例をみない形の犯罪劇であり、ミステリの潜在力、可能性を示すものともいえそうだ。
 ヒッチコックの映画では、基本的なストーリーを踏襲しつつ、後半、舞台を屋敷から列車に移し、迫力のアクションシーンが繰り広げられるのが見もの。屋敷の不気味な雰囲気も陰影を巧みに使い丁寧に描写されていた。ベンが主役というよりコミックリリーフ的な役割になっている点は、小説と映画というメディアの相違を考えさせる。

■フランク・グルーバー『ソングライターの秘密』(論創海外ミステリ)■


 2018年刊行の『はらぺこ犬の秘密』から始まった論創海外ミステリの〈ジョニー&サム〉シリーズ長編全作品翻訳プロジェクトが本書『ソングライターの秘密』(1964) をもって完結。『フランス鍵の秘密』(1940) を第一作として、始まったシリーズ全14作が本邦に紹介されたことになる。ちなみに、『はらぺこ犬~』以前に他社から刊行されていたのは4冊で、論創海外ミステリでは10冊が翻訳されたことになる。故仁賀克雄氏のシリーズ紹介にかける情熱が実を結んだ形で、慶賀の至りだ。
 本書『ソングライターの死』は、シリーズ最終作でもある。
 シリーズが書かれた期間は意外に長く24年に及ぶが、ジョニーもサムも歳をとらず、大道でのインチキな肉体改造本販売を生業としている点では変わらず。本書では、本拠地NYの〈四十五丁目ホテル〉で活躍する二人の姿を追うことになる。
サムが参加したサイコロ賭博クラップスの相手は売れないシンガーソングライター。掛け金が払えなくなった当人は、大ヒット間違いとする楽曲〈アップル・タフィー〉の権利を40ドルでサムに譲り渡す。数時間後、そのソングライターは、何者かに殺害される。現場に居合わせたジョニーとサムの二人は事件に巻き込まれていくが、殺害には手に入れた楽曲が関係しているようで、その権利を手放せと怪しげな男たちに迫られ…。
 このシリーズ、作品ごとに特別な業界を背景・舞台とすることが多いが、今回は、音楽業界。それも、1960年代の話だけあって、新興のロックンロール界隈が扱われる。ジョニーは、ロックンロールミュージックの意義と目的はいかに幼稚っぽく、ガキっぽく聞かせるってことだ、現実逃避と一席ぶったり、レコードを買ってエルヴィスを聴いてみろ、と促したりする。楽曲の盗作疑惑が事件の背景にあるところは、なかなかに新鮮だ。
 相変わらず、ジョニーとサムはホテル代にも窮しているが、これまでもバトルを繰り広げている血も涙もないホテルの支配人に督促され、逆にジョニーが達者な弁舌をふるって二十ドルを支払わせるという偉業を成し遂げる。ホテルの従業員にも賞賛される一幕だ。
 シリーズのフォーマットどおり、ジョニーは知力とよく回る舌を存分に使い、サムはサムスンのような肉体に物をいわせて腕力をふるい、真相に迫っていく。関係者が集まった中での真犯人の告白は意外ながら唐突にすぎる感もあるが、楽曲を利用したクライマックスの仕掛けで盛り上がりを見せる。
 本書では、二人に大金持ちになるチャンスが訪れるが、その結末は読んでのお楽しみ。珍しく、二人のまっとうな義侠心に触れることができる。
 長らく楽しませたくれたこの二人のシリーズがこれで打ち止めとは一抹の寂しさがあるが、これといって最終作という雰囲気もないから、友情と信頼に結ばれた二人のノンシャランな冒険は今もどこかで続いているのだろう。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


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