今月は、バラエティに富んだ七冊。特に最初の三冊には、強い感銘を受けた。
■フランシス・ビーディング『イーストレップス連続殺人』(小林晋訳:扶桑社BOOKSミステリー)■
評論家ヴィンセント・スタリットに「探偵小説オールタイムベスト10のひとつ」と絶賛され、ヘイクラフト=クイーンの名作リスト「決定的な図書館」に選出された作品の初紹介である。
作者フランシス・ビーディングは、オックスフォードの卒業生同士であるジョン・レスリー・パーマーとヒラリー・エイダン・セント・ジョージ・ソーンダーズの合作ペンネームである。我が国では、これまでヒッコック監督『白い恐怖』の原作である同名作 (1927) が紹介されているのみである。著作は、30冊を超えるが、多くはスパイ・スリラーであり、黄金時代の本格ミステリ作家としてみなされなかったのが、長く読み継がれなかった一因だろうか。しかし、1931年という黄金期のさなかに書かれた本書には、本格ミステリのスピリットと現代的なサスペンスの双方が脈打っている。
ノーフォーク海岸沿いの風光明媚な保養地イーストレップスで老婦人が友人宅を訪れた帰り道、こめかみを刺されて殺害される。続けて、第二、第三の殺人が同じ手口で立て続けに起きる。街の人々は、「イーストレップスの悪魔」と名付けられた殺人鬼の影に怯える。スコットランド・ヤードの主任警部を加えた捜査陣は、有力な容疑者を確保したのだが…。
いわゆるリッパー物で、同種の作品には、ジョン・ロード『ブレード街の殺人』(1928)やフィリップ・マクドナルド『狂った殺人』(1931) などがあるが、本書は、恐ろしく現代的であり、黄金期の探偵小説にみられる古めかしさが一切ない。
冒頭は、不倫のためにアリバイづくり的な策を弄して人妻宅を訪問する男の描写から始まっている。描写は、警察を含む多くの関係者の視点からなされ、連続殺人という事件に立体性と複雑性を与えている。
連続殺人を共同体への強力な脅威とみなし、地元議員の国会での質問や自警団の生成といった社会不安の状況もしっかり描かれている。さらに、「名探偵」の存在がなく、警察官や警察の捜査がリアルなところも(スコットランド・ヤードの高等弁務官が登場する探偵小説もそうないだろう)、アクチュアリティを高めている。倫理面、描写、社会性、アクチュアリティ、いずれの面でも、同時代の探偵小説を引き離している。そういえば、本書には、自らの意志で生きる「強い女性」像も描かれていた。
スリリングなストーリーも特筆物。特に、容疑者の逮捕、有罪か無罪かを問う息詰まる裁判の場面、関係者の執念の捜査、真犯人の捕捉という一連の流れるような展開には、読者を揺さぶる最上級のサスペンスを味わえる。
そして、意外な犯人像とその動機。この動機の面でも、時代を超えた先鋭性が認められる。大胆な伏線の提示により、手練れには、犯人の見当は付いてしまうかもしれないが、その動機には戦慄を禁じ得ないだろう。読み終わってみれば、ある有名作との不思議なシンクロニシティを感じる。
推理やフェアプレイといった面では、やや物足りないが、全体の先鋭性、完成度には、眼を見張らざるを得ない時代を超えた逸品だ。
■ドロシイ・B・ヒューズ『ゆるやかに
ドロシー・B・ヒューズは、一時期翻訳されたものの、本邦では既に忘れられたような作家だが、彼女の作品が新潮文庫に収まる世界線があるとは、誰が想像したことだろう。最も、本国ではサラ・パレツキーが「ヒューズはわたしたちが常に目標とする巨匠」と賛辞を寄せるなどいまなお評価は高いようだ。『孤独な場所で』(1947) は、ハンフリー・ボガート主演で映画化され、フィルム・ノワールの古典とされている。
本書は、1963年の作品で、ヒューズの最後の長編となっている。
インターン医師である青年ヒューは、砂漠のハイウェイで、ヒッチハイカーの若い娘をみかけ同乗させるが、これが彼の運命を狂わせることになった。彼女をバスターミナルで降ろした後も執拗に彼を追ってくる。ヒューの目的地フェニックスに着いた後も、彼のところに押しかけ、堕胎手術を望む。ヒューは拒絶するが、翌朝、彼女は死体で発見される。匿名の密告により、ヒューが彼女を車に乗せていたことが判明し、警察がヒューの聴取に乗り出す。
ヒューは、犯人逮捕を求める社会の生贄になってしまうのか。
物語も四分の一を超えたところで、不意打ちのような驚きの会話がある。作者はそこで伏せていた事実を明かすることで、それまでの成り行きへの違和感という霧が晴れ、ヒューの心理を深く理解できる。ヒューへの警察の容疑をただならぬものとして受け止めることができる。ここに、このミステリの独創がある。
若い娘の死体には、堕胎手術の痕跡があり、ますますヒューの立場は危ういものになっていく。
ヒューがフェニックスの街に来たのは、姪の結婚式のためだ。幸福を絵にかいたような裕福な家族の大イベントに自らの逮捕という汚点を残すわけにはいかない。少女殺人の陰惨さと結婚式目前の家族の溌剌とした描写が対比的で、幸福な家族が逆に、ヒューの桎梏となる。
ヒューは、結婚する姪の友人の美女エレンと知り合いになり、彼女は、ヒューの窮状に一緒に立ち向かおうとする。
逮捕に向けて追い詰められていくヒューの焦燥と独自の調査、ヒューを犯人と思い込み執拗に迫る刑事がサスペンスを高めていく。
堕胎などの社会問題を背景に、怜悧な筆致で、ゆるやかに生贄にされていく男の恐怖を描いたこの物語は、今なお我々にリアルに迫ってくる。その中で育まれたエレンとの交情が本書の一服の清涼剤となっている。
■イサク・ディネセン『復讐には天使の優しさを』(横山貞子訳:白水Uブックス)■
ディネセンといえば、『アフリカの日々』で著名なデンマークの女性作家だが、『復讐には天使の優しさを』(1944) は、ナチス占領下、匿名で書いた小説。本書は、「ディネーセン・コレクション」の第4巻として1981年に刊行された作品の復刊である。著者のこの作品への評価は、厳しいもので、この大衆向けの小説を自作として認めるのなら、出版を中止したほうがましというものだったという。しかし、戦時下で広く読まれたこの本は、作者の天性のストーリー・テリングが光る滅法面白い小説である。19世紀半ば。身寄りのない18歳の少女ルーカンとその親友ゾジーヌは、ロンドンの職業紹介所でフランスの田舎牧師夫妻から1年の期限つきで養女にしたいという申出を受ける。異国の地で平穏な生活を送り始めた少女たちは、やがて恐ろしい悪の存在を知ることになる。圧倒的な悪の力に抗う二人の運命は?
二人の前日譚として、ルーカンは家庭教師として入った家で資産家の主人に結婚を迫られ、逃走してゾジーヌのところへ身を寄せる。しかし、大富豪だったゾジーヌの父は、投機に失敗し、破産寸前だった。ルーカンと再会した当日、ゾジーヌは父を海外に逃亡させる。
ルーカンとゾジーヌはいずれ劣らぬ美しい娘だが、性格は対比的だ。ルーカンは、清純にして無垢。一方、甘やかされて育ったゾジーヌは、天衣無縫なところがあり、自らの道を切り開く勇気もある。
巧みなストーリーテリングに、読者は、二人の少女の運命が先が気になって頁をめくり続けなければならない。
この小説の中で描かれる悪の存在は、圧倒的なものだ。かつて犠牲者になった娘のさりげない描写が、恐怖をいや増す。探偵小説にも稀に登場する類の悪事が企まれているが、悪魔を神と崇める存在自体が強烈な魔のオーラを放っている。
少女たちは、最初は逃亡をしようとするが、犠牲者になった娘の「復讐」を果たすこと
を誓う。恐怖のハイライトは、家にこもった二人を襲いくる脅威の場面、かすかに外から聞こえる音の正体を知ったときには、戦慄が走る。
変転するストーリーも魅力だが、ゾジーヌの父の乳母である巨漢の老婆オリンピアの存在や、彼女の語った挿話が後の伏線となるプロットの妙も味わい深い。
それに、ゾジーヌの「名探偵」ぶりはどうだ。タイプでいうと、状況から今何が起こっているかをピタリと分析する直観型。ゾジーヌのこの能力が興趣に富んだ物語を駆動させていく。
もちろん少女小説らしく、ロマンスも盛り込まれており、その面でも十分に楽しめる。
本書をナチス占領下にあるデンマークの抵抗という現実と重ねて読むのは容易で、実際にそのように読まれもしただろう。しかし、強烈な悪を描いた現代ゴシックとシスターフッドの物語が絶妙なストーリーテリングで掛け合わされていることで、この小説は、今なお新鮮な輝きを放っている。
■M・R・ラインハート『イザベルの
まず、ミステリ味が濃いのは、次の3編。
「クローゼットの中のヒント」は、警察で電話番等のボランティアを務める娘が、恋人未満の捜査官の捜査に同行する。若い女性の自室での銃殺事件には犯人を示唆するものはなかったが、同行した娘は、女性らしい気づきで、クローゼットの中に手がかりを見い出す。犯人の説得力はあまりないが、素人探偵の娘が魅力的。
「イザベルの
「
後の6編は、風俗譚の色合いが強い。
「男なら誰しも」 いきなり離婚を切り出された妻の対応とは。妻のしっぺ返しが強烈な風俗喜劇。
「無類の釣り好き」 無類の釣り好きの青年が新しい恋人のせいで、釣りを諦めるが。フロリダのリゾートを舞台に中年婦人の視点で綴られるユーモア譚で、作者のディッシュ物 (『レティシア・カーベリーの事件簿』等) を思わせるが、青年の出征前の休暇の出来事である点は忘れてはならない。
「灯火管制」 米国にも空襲監視員制度があるとは知らなかったが、主人公は、ボランティアで、古いブリキ製の鉄カブト、トレンチコートを来て、空襲監視員として働いている。妻は毎夜ブリッジにいそしみ、夫の行為を「自己満足」「ごっこ遊び」と見下す。一次大戦で出兵し、大恐慌を経てきた中年男のペーソスがにじむ。
「肖像画」 裕福な未亡人が出征した孫とその妻にも冷たくする態度に、顧問弁護士は激怒するが。結末はやや甘い。
「ミセス・エアーズの一時的な死」 日々雑事に忙殺され、息子たちの出征を気遣う年配の未亡人が、二週間外界と連絡を絶ち、「一時的な死」を選択するという設定が面白い。
「執事のクリスマス・イブ」 主人の娘に解雇された執事が一時的に呼び戻され、ハートウォーミングな結末を迎える。
出征、空襲監視、銃後の女性の勤労奉仕、シェル・ショック、入隊できない男の焦燥、配給制、検閲等等各短編の背景には、戦時下ならではの風俗が点綴されており、戦時下での人々の苦難に満ちた生き方が切り取られている。「灯火管制」「ミセス・エアーズの一時的な死」にみられるような作者の体制維持的な立ち位置には疑問も感じるが、そうした考え方も含めて、今となっては、見えにくくなっしまった戦時下の諸相を描いた作品集になっている。
■レックス・スタウト『人盗り合戦』(鬼頭玲子訳:論創海外ミステリ)■
『人盗り合戦』(1952) は、『編集者を殺せ』(1951) と『黄金の蜘蛛』(1953) の間の長編(1952)で、〈ネロ・ウルフ〉シリーズ第18作。今回の依頼人は、何と、ウルフの助手アーチー・グッドウィン !
なぜ、こんな顛末になったかというと――。
名前も名のらない美女がウルフ邸に押しかけ、一週間泊めてほしいと頼む。アーチーはウルフは絶対許さないだろうと思いつつ、大金を見せられ、一応相談はすると美女を留め置く。やはりウルフは追い出せと指示するが、弁護士が現れ、多額の遺産相続人である若い女性の捜索を依頼する。捜索を依頼された女性は、現にウルフ邸にいる美女と知ったアーチーだったが、結局、ウルフの指示に従って深夜に彼女を追いだしてしまう。翌朝、アーチーは、彼女と彼女のメイドが絞殺されと知る。彼女を早く帰すべきだったと考えたアーチーは、自責の念に駆られ、休暇をとって捜査することにする。しかし、事件関係者に関与するには、名目がいる。そこで、ウルフに事件解決を依頼するという流れになったわけだ。もっとも、捜査の手足に当たるのは、アーチー自身なのだが。
主たる容疑者は、殺された美女の代わりに、繊維会社の株式を取得することになる会社関係者五人。ウルフは、これら五人の中に犯人がいる蓋然性が高いとして、相続人の一人である未亡人を説得して遺産相続の差止め請求を行うという奇手を弄して、会社関係者らをウルフ邸に集め、尋問を行うこととする。ウルフ邸に関係者が集まるのはこのシリーズのお約束だが、今回はいわば、奇策により、ウルフの私設法廷をつくったわけで、いつも以上にストーリーの論理性が高い。
この関係者が集まり、犯人ではないと申し開きをする場面が異例に長く、40頁を超えるが、それぞれの発言に個性が表れており、読みどころとなっている。
続いて、関係者の中からさらなる犠牲者が出て、犯人探しの興味はいや増していく。
アーチーが独自の判断で警察の捜査に全面協力する一方で、ウルフはウルフでソール・パンザーを雇い、何事かを進めているようだ。
最後は、警察官立会いの下、関係者全員を集め、先日の会合の再現を行うとみせ、ウルフは意外な行動に出る。
ウルフの謎解きは、被害者の殺害動機の先入観を打ち消した上で、簡潔ながらすっきりとしたもの。さりげなく書かれているが、犯人に対するアーチーの怒りは、強烈で、人間アーチーの素直な感情に触れることができる。
なお、本書には、本国でも長らく刊行本から抜け落ちていたという、エピローグの17章を収録されている。
■マンリー・ウェイド・ウェルマン『ジョン・サンストーンの事件簿〈上〉』(渡辺健一郎,待兼音二郎,岡和田晃,徳岡正肇訳:ナイトランド叢書)■
米国ホラーの長老作家であり、SF作家としても知られているウェルマンのオカルト探偵物連作。上巻には、1943年から1948年にかけて「ウィアード・テイルズ」誌に書かれた8編が収録されている。主人公のジョン・サンストーンは、オカルト研究家。巨躯の持ち主で重厚かつ明朗真摯の眼差し、黒い髭がトレードマークだ。特に、探偵の看板を掲げているわけではないが、ディレッタントとして、毎回、この世のものならぬ存在との闘いに挑む。あちこちでシーベリー(シーバリー)・クインの創造したオカルト探偵ジュール・ド・グランダン(『グランダンの怪奇事件簿』等)と交友があることに触れられ、そのワトソン役トロウブリッジ医師も登場したりするが、同じ「ウィアード・テイルズ」誌の盟友への挨拶だろう。
最初の一編「ヴードゥーの踊り子イリュリア」は、NYのクラブで繰り広げられるヴードゥーの秘儀に怪しさを感じ取ったサンストーンが、裏で進められている魔人の陰謀を暴き出す。様々なオカルト文献が参照され、プッキッシュな怪奇短編という要素は、他の短編にも共通する。
「ジョン・サンストーンが遺贈されたもの」の幽霊屋敷物を経て、三作目「死人の手」で、サンストーン最大の闘争相手、〈ショノキン〉が登場する。この異形の存在は、先住民のインディアン以前のアメリカ大陸の支配者であった別な人類が生き延びたものであり、禍々しい力を駆使して本来の覇権を回復する計画を進めている。長い薬指と猫のような縦長の瞳孔が特徴。〈ショノキン〉の弱点は、同族の死体であり、サンストーンは、その弱点をついて、古びた家を買った親娘を救出する。
「魔人ロウリー・ソーンふたたび」では、第一話でサンストーンが打ち負かした魔人が精神病院を退院、怪しげな集まりの教祖として、再び、闇の策動を巡らす。この容貌魁偉な魔人は、実在の英国出身の魔術師で作家でもあったアレイスター・クロウリーをモデルとしているようだ。
「〈ショノキン〉ども」以下の三編は、いずれも〈ショノキン〉物。「〈ショノキン〉ども」は、人形を操る霊力を駆使する〈ショノキン〉との闘争。〈ショノキン〉側からのアクションは、サンストーンを自らの野望のための最大の障害物と認めたに等しい。「きわめつけの困難」では、サンストーンの買収に失敗したショノキンが頭蓋骨の化け物を使って、襲いかかる。「〈ショノキン〉の街」は、さらにスケールアップ。ニューヨーク州の北部に〈ショノキン〉だけが住んでいる街があるというのだ。支線の小駅で降りた医師は、命からがらの思いで、街を逃げ出し、サンストーンのもとに駆け付ける。サンストーンは、単身その街に潜入するが、その街で観たものは。この短編において、〈ショノキン〉には事故以外での死はないこと、女性や若者が存在しないこと、それゆえ同族の死を最も恐れていることが明らかにされている。〈ショノキン〉同士は、知られざる言語で語るが、その場面を見たサンストーンは、「生きているラヴクラフトにこれを聴かせたかった」と思う。〈ショノキン〉の発想のもとになったと思われる「クトゥルフ神話」の作者への目配せというところか。ともあれ、米国の田舎に、異形の人間たちの街があるという設定はユニークで単品で読んでも優れた一作だ。
最後の「ダ・ヴィンチの円盾」は、ダ・ヴィンチの知られざる傑作から現れた悪魔退治の話。
全体に推理の要素は薄いが、導入はそれぞれ工夫され、妖しい術を使う異形なる存在との対決シーンは迫力十分。サンストーンの体力で、妖怪を打ち負かすシーンが多いのも印象的。何よりも、編を重ねるごとに肉付けされていく〈ショノキン〉との対決がどうなるのか、下巻にも興味津々だ。
■クリントン・H・スタッグ『銀のサンダル アガサ・クリスティ愛誦探偵小説2』(平山雄一訳:ヒラヤマ探偵文庫)■

ヒラヤマ探偵文庫の最新刊。クリスティ『二人で探偵を』(1929) で、パロディ化された国内未訳作を紹介するシリーズ第2弾。著者のスタッグは、米国の脚本家、ジャーナリスト、作家で、盲人探偵〈ソーンレー・コルトン〉シリーズを書いた。盲人探偵として著名な存在として、アーネスト・ブラマの創造によるマックス・カラドスが挙げられるが、カラドスと同様、初登場は1913年であり、史上初の盲人探偵の一人といえそうだ。
『二人で探偵を』では、「目隠し遊び」という短編で、コルトン物をパロディ化し、「フィー」(見返り) と呼ばれる少年の助手役の名前も出てくる。
本書は、事件研究家ソーンレー・コルトン物の唯一の長編だが、なかなかの拾い物のミステリだった。
作者は、冒頭でソーンレー・コルトンのあまりの超人ぶりに気が引けたか、現実に存在しする盲人の例を挙げているが、コルトンは活字を読みとり、自由に歩き回ることができる。まったくハンディキャップを感じさせず、聴覚や触覚が発達した分、盲人で良かったとさえ言う。
NYはブロードウェイのレストランに現れた二人は、人目を引いた。一人は自動人形のようにギクシャク歩く男性、二人目は百歳を超えるかに思われた銀のサンダルをはいた女性。この奇妙なカップル奇妙な会話を続け、女性が去った後も男はじっとしている。その場にいたコルトンが男に触ると両手の動脈が切られ、死亡していることが判明した。しかも、少なくとも五時間も前に。男の洋服の下には鋼鉄の支えが仕込んであって歩くように見せかけていたのだ。犯人は、何の目的でこんなことをしたのか。コルトンと助手のシドニー、少年フィーの追跡が始まる。
冒頭のシチュエーションも驚かせるが、この後の展開も巧み。すぐに犯人らしき男が捕まるが、その正体の意外性も上々。さらに、事件は、謎の女占い師や、人語を喋るカラス、死んだしずの男との再会といった不気味な出来事を経て、輪廻転生を信じる人々に行き着く。次々と驚きの展開をみせながら、結末に向けても、パピルスの書かれた暗号と宝探し、犯人を名乗る男女が複数出るなど盛り沢山。コルトンは意外な犯人を指摘してみせる。
異常な冒頭に劣らない進行で、読者を引きずり込み、惑わせ、最後には納得のコルトンの推理がある。書かれた年代を考えれば、数々の趣向を盛り込んだ佳品といえるだろう。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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