■×月×日■
 日々寒気加わる。寒月氷の如し。
 しかし、12月は、クラシックミステリ・ファンには楽しい月だ。
 文学フリマでは、様々なクラシック系の同人誌が販売される。会場には赴けないが、通販で手に入れることもできる。
 例えば、『Carr Graphic vol.4』は、森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人の三人が、ジョン・ディクスン・カーの全長編について、殺人現場を美麗にグラフィック化しつつ読み込むという壮大な企画で、早いもので第4巻。今回は、1942年『仮面荘の怪事件』から1949年『墓場貸します』までを取り上げている。プロローグにあるように、カーの裏ベストの集中する時代である。圧倒的グラフィック力と読込みのクォリティが高く継続されているのに毎度敬服。歴史ものは別にまとめられているので、次巻が最終巻という。
『Re-ClaM vol.15』は、クラシックミステリ評論同人誌。今回は、クロフツらの作風を評してジュリアン・シモンズ命名したhumdrum(退屈)派の特集。一種の蔑称がミステリのサブ・ジャンルになっているのが面白い。カーティス・エヴァンズのhumdrumの研究書(2012) の序文では、英国黄金時代の認識がクリスティやセイヤーズら女流一辺倒になっている現状(そうなのか) に異議申立てをしているのが心強い。その他M・K氏の特濃の幻作家紹介やE・R・パンションなどの翻訳もあり。M・K氏の原書紹介では、スイスで開かれた世界密室ミステリ大会で密室や人間消失が続出するというフランス作家の長編が紹介されており、世の中広いと実感する。

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 「このミステリーがすごい!」が届く。海外では、並み居る現代作品を押しのけて、リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』が堂々第一位になっているのにびっくり。天国のデミングも、米国国民もでんぐり返っていることでしょう。本格好きもハードボイルド好きも投票したのが勝因か。『ミステリが読みたい』でも6位、文春でも5位と好位置をキープ。
 
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 たまに行くスナックのマスターの話。友人の葬式の後で大酒を飲んで足腰が立たなくなってしまい、ビルのビルの隙間に二時間くらいひっくり返っていた。ようやく立ち上がって歩くが左右に揺れて足元が定まらない。タクシーも警戒して止まってくれない。電柱に抱き着いてなんとか体を支えて助かった。これが「でんちゅうでござる」。師走らしいエピソードトークだ。

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 CAVA BOOkSで買った爬虫類館出版局の4冊の同人誌が届く。訳者はいずも、蟻塚とかげ氏。
 ジェームズ・サーバー『名探偵ブルー・プローメル』(爬虫類館出版局)は、アメリカを代表するユーモア作家サーバーが20代の新聞記者時代に才気にまかせて書き飛ばしたナンセンス探偵小説連作の本邦初訳。掌編13編収録。作者は生前に再掲載を断ったという。
 ジョン・ラッセル・ファーン『科学探偵ブルータス・ロイドの事件簿』は、ごく一部で「英国の愚作王」と讃えられた作家によるSFミステリ連作の本邦初訳。「奇矯なる事件発生に論理を超えた捜査と推理が続き、作者の正気を疑うレベルの解決がつく、40年代探偵小説の極北」らしい。50頁を超える訳者解説では、ファーンのミステリ作品を多数紹介。ファーンの好きな作家はカーだそうで、作品には密室物が多い。
 『“ビッディヴァー”対宇宙海賊 シオドア・スタージョン怪作集2』は、鬼才の1941に発表されたスペース・オペラの本邦初訳。
 『黄金の卵 シオドア・スタージョン怪作集3』は、脱力編だそうで、読後腰が抜けそうになる本邦初訳の二作品を収録とのこと。
 しかし、読んで訳して本にする、世の中には、凄い人がいるなあ。

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 ROM叢書から二冊届く。このところ、毎年、年末に二冊ずつ刊行してくれている。いずれも、訳者は、小林晋氏
 レオ・ブルース『死へのダイヴ』は、上級歴史教師キャロライン・ディーンが探偵役を務めるシリーズ第11作。『ジャックは絞首台に!』の次の作品。不可能犯罪物のようだ。
 ロバート・アーサー『カリオストロの城』は、ファンタジー系の作品を集めた本邦初訳ばかりの短編集。訳者解説によると、扶桑社ミステリーで出たファンタジー・怪奇小説を集めた『幽霊を信じますか?』の売行きがミステリ短編集『ガラスの橋』に比して振るわなかったようで、商業出版を断念し、ROM叢書の一冊となったようだ。商業出版にならなかったのは残念だが、同人誌の形でも、本にしてくれるのはありがたい。

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 一冊の本を読むのは、ゲームでいうダンジョンをクリアしていく感覚に似ている。様々な舞台で様々な人間や怪物に出逢い、ヴァーチャルな経験を積み重ねていくこと。一冊クリアすれば、また次の一冊が待っている。ダンジョンの語源が「地下牢」というのも、麗しい。本を読む場としては、最適な場所だから。

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ジャドスン・フィリップス『終止符には早すぎる』(矢口誠訳、新潮文庫)

年末ベストも賑わす新潮文庫〈海外名作発掘レーベル〉から、またも新たな宝が発掘された。ジャドスン・フィリップス『終止符には早すぎる』(1962)は、ミステリ原書を読み続け、数々の作品を紹介した植草甚一『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』で異例の高得点(☆☆☆☆★★★ (95点))が付けられたヒュー・ペンティコーストの別名義の作品。
 多作で知られるペンティコースト/フィリップスだが、日本の翻訳ミステリを牽引した早川ポケットミステリで、フィリップス名義は一冊だけ『ささやく街』(1960) (ポケミス795) が紹介されている。その本の解説子Sは、「ペンティコーストは、けっして一流のミステリ作家ではない。かといって、くだらない作家でもない」として、「おそらく、ペンティコーストの作品がハヤカワ・ミステリで紹介されるのは、これが最後だろう」と縁切り宣言ともとれることを書いているのが、少し悲しい (実際には、後に『狂気の影』、『過去、現在、そして殺人』が刊行された)。いずれにしても、我が国におけるペンティコースト/フィリップスの立ち位置が判る文章である。
 
 独身弁護士ライアンがNYの〈アスレチッククラブ〉のバーで出逢った依頼人は、マシュー・ヒグビー56歳。ライアンの上級パートナーからは、「活力にあふれ、理不尽なほど健康」「不快になるほど金持ち」と評される人物だ。ヒグビーは、サラブレットの馬主になり、大レースで馬を走らせたいが、そのためにはライセンスがいる。ところが、州競馬委員会の委員長であるフーバー将軍が公聴会でヒグビーのことを殺人者呼ばわりした。このままではライセンスが取得できないというのが、ヒグビーの言い分だった。ライアンは、ヒグビーに連れられて、フランシスという女性の住居に案内されるが、暴漢二名により、フランシスは傷つけられ、部屋は荒らされていた。
 禁酒法時代に酒の密輸をして稼いでいたとはいえ、それ以降、清廉に生きているというヒグビーにフーバー将軍はなぜ殺人者という汚名を着せるのか、フランシスとライアンはどういう関係か、暴漢二人は誰か、何の目的で部屋を荒らしたのかという謎が冒頭から提示されるが、続いて、暴漢の一人が殺され、彼は、将軍の甥であったことが判明する。一度警察に勾留されたヒグビーは、釈放後、失踪を遂げる。弁護士ライアンは、現場に残されたボウタイがヒグビーのものであることを知っている。
 弁護士としては、放り出してしまいたい案件だが、ライアンは、なぜかヒグビーの人柄に惹かれ、事件に関わることとする。
 さらに殺人事件が勃発するが、事件のクライマックスは、後半にやってくる。フランシスの二十歳すぎの娘ドーンがアパートメントビルの12階のテラスから今にも飛び降りようとしている。警官や親しい人間の説得にもかかわらず、彼女は意思を変えない。彼女の抱えている問題は何で、どうすれば飛び降りることを説得できるのか。まさに、手に汗握るサスペンスが展開する。『14時間の恐怖』(1951・米) という高層ホテルの窓外に立ち今にも飛び降りそうな青年の映画があったが、あちらには物見高い通行人が群がりイベント化していく展開があった。こちらは警察の配慮によって、もっぱら室内におけるドラマになっている。
 彼女の説得には、弁護士ライアンをはじめ、意外な人物が次々登場するが、なまなかな内容では説得はできない。それぞれは、自らの存在を賭けた言葉でドーンに語りかけなければならない。その過程において、それぞれが自らの生の真実を語って、ひとつひとつ秘密のヴェールが剥がれ、事態の全貌が明らかになっていくという構成がすこぶる秀逸なのだ。生か死か、極限の状況でのみ生まれるヒューマンドラマの秀作といっていい。
 植草甚一は、現代に生きる孤独なロマンティスト、ヒグビーのキャラクターに惚れ込んだようだ。冷静沈着、的確に対応する、飛び降り事件の責任者ニコルス警部のキャラクターもとてもいい。
 殺人犯の謎はあっさり氷解してしまうとか、語り手のライアン弁護士のキャラがかすんでしまうという欠点もなくはないが、アパートの一室で100頁にわたって持続するサスペンスには、得難いものがある。ペンティコースト/フィリップスの渾身作といえるだろう。

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 幻戯書房〈ルリユール叢書〉からメグレ物二長編の新訳を収める巻『故ギャレ氏 リバティ・バー』(中村佳子訳)が出た。『故ギャレ氏』(1931 ) は『死せるギャレ氏』として知られるメグレ物の記念すべき刊行第一弾。『リバティ・バー』(1932 )はシリーズ17番目作品に当たり、既訳では、『自由酒場』『紺碧海岸のメグレ』として知られる作。いずれも、ファイヤール社から出た初期の作品に当たる。前者は、創元推理文庫版があるが、現在では入手困難で、今回、初めて読んだ。
 セールスマンのギャレ氏がサンセールにあるホテルで殺された。メグレが死亡の事実をその妻に告げに行くと、夫はルーアンにいるはずで、昨日づけの葉書もあるという。メグレの調査で、ギャレは18年も前に所属する会社を辞めていたことが判明する。ギャレは、家族に内緒で二重生活を送っていたのか。
 はじめは、ちんけな事件に見えたが、死んだ男の肖像が次第にメグレにつきまとって離れなくなる。このメグレの被害者に対する入込み・共感、同じ危機を経験することというアプローチが最初期から一貫していたことが判る。真相に辿り着いたメグレの怒りは強く、パイプをかみ砕くほどだ。これは、メグレが憑依した読者の思いでもある。
 本書は、謎解き小説としても見事。有名なトリックが隠し味的に用いられている辺りの構成が抜群にうまく、徐々に明らかになるギャレの秘密には驚かされる。何より、メグレが推理した、ギャレが死に際に何かを待ち受けている姿が深く心に突き刺さる。

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レックス・スタウト『二度目の告白』 (渕上瘦平訳、論創海外ミステリ)

 『二度目の告白』(1949) は、『忌まわしき悪党』(1948) に続き、ネロ・ウルフにとって、モリアーティ教授に匹敵する巨悪〈アーノルド・ゼック〉が登場する三部作の第二作。
今回のウルフへの依頼者は、大規模な鉱山会社社長スパーリング。社長の次女グウェンがロニーという弁護士と交際しているが、社長は、ロニーが共産主義者ではないかと疑い、その証拠を見つけてほしいという。ウルフは、グウェンがロニーと別れればそれでいいと判断し、アーチーが持前の魅力を発揮し、グウェンを篭絡するように命じ、アーチーは、スパーリングの屋敷に偽名で潜入する。アーチーは、屋敷に滞在しているロニーの部屋を探るため、ロニーに薬を飲ませようとするが、逆に薬で眠らされてしまう(屋敷では、実は、長女のマデリンの方が、昔、新聞記事でアーチーのことを知ってから彼に夢中になっていたという楽しい幕間もある)。
 アーチーは、NYへの帰路、強盗事件を偽装して、ロニーの所有していた共産党員の身分証の写真を撮るのに成功する。しかし、ロニーは、ゼックと関係があるらしく、その報復は、苛烈なもの。小型機関銃で武装した連中がウルフの愛好する何千株もの蘭を育てている植物室に数百発の弾丸を打ち込み、粉々にするのだ。
 ウルフの仕事を通じて知り合った娘と多くの個人的関係を築いたのだから (その数、アーチーは「五千から六千」という。まあ、冗談だろう)、順番を逆にして、先にまず個人的関係を築いてもいいだろうというウルフの理屈も強引だが、強盗を偽装してロニーを襲うアーチーの手法もいつになく荒っぽい。それが、植物室破壊という蛮行にエスカレートしていくわけだが、ウルフの命が危険にさらされるというただならぬ状況を端的に表している。
 ゼックは、麻薬、密輸、不正取引、賭博、ありとあらゆる卑劣行為、窃盗、恐喝、政治的不正行為の影にいて無傷を保っている男とウルフはいう。犯罪実行者とゼックの間には、何重にも人を介しており、その正体を知る者は、ほんの一握りにすぎない。ウルフは、人を恐れることがないが、ゼックの存在だけは怖いと述懐する。
 命の事件を感じたウルフは、アーチーとともに、スパーリング屋敷に乗り込むが、そこでは、ロニーが自動車で轢き殺されるという事件が発生。しかも、轢き殺した自動車は、ウルフのもので、運転していたアーチーに容疑がかかってしまう。
 本書は、ゼックとの闘争の第二章でもあるが、前作同様、単体の謎解きミステリとしても十分読み応えがある。それは、犯人の意外性に趣向が凝らされているからであり、同じような趣向の作品があるにしても、これだけショートレンジでの逆転劇は、稀だろう。また、ウルフが犯人を炙り出すため仕掛けが壮大なもので、いったいウルフが何をたくらんでいるのか見当もつかないという点でも指折りの作品でもある。一方で、「皆までいわない」方式が、説明不足にうつる点もある。
 一方で、「赤狩り」の風潮をもろに受けた作品で、共産党と党員に対する排除・蔑視の感覚 (ウルフはそうでもないが) が少なからず感じられるのは、今日の眼からみると、つらい部分だ。
 また、ウルフの捜査の依頼人が途中からゼックになってしまい、結果として、ゼックに利する解決になってしまう点もモヤモヤする。これまで、電話だけでしかゼックとウルフは、第三作ではどのうような対決を迎えるのだろうか興味は尽きない。

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ハーバート・ジェンキンズ『マルコム・セージ探偵』(平山雄一訳、ヒラヤマ探偵文庫)

(https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/1225/p-r-s/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 ヒラヤマ探偵文庫から、クリスティ『二人で探偵を』(『おしどり探偵』) でパロディ化された未訳作品を紹介するアガサ・クリスティ愛誦探偵小説3。本書は、1921年に発刊された本の全訳である。だが、本書解説 (戸川安宣) によると、『二人で探偵を』には、ハーバート・ジェンキンズの名もマルコム・セージの名も登場しない。スプの素人がスパイ戦に巻き込まれ、職員不在の探偵事務所を引き継ぐような形で探偵業を始めるという設定が、ジェンキンズのこの作品をなぞったもと言えるだろう、と書いている。
 舞台は、一次大戦直後のロンドン。戦時中に活躍したZ機関という諜報部を退職した会計士のマルコム・セージがディーン准男爵夫妻らの後援を得て、探偵事務所を始めることになる。セージは、円錐形の禿げ頭で、金縁眼鏡の奥で光る鋼鉄の眼の持ち主。普段は物静かな紳士で、相手と話すときは、手元の紙に無意味な文字や絵を書き散らしている。Z機関在職中は、金銭的不正を見つける名人で、上司たちには嫌われていたが、スタッフには無類の人気を誇っていた。セージの秘書グラディスは、そのまま探偵事務所で秘書を続けられると知って、踊り狂うくらい。
 全17章で、この当時によくあるように、長編の体裁をとっているが、事件とは関わりのない3つの章を除いて、2つの章で一編の短編になっており、全7編が収められている。 (以下の短編のタイトルは、最初の章題による)
 「チャロナー氏の奇妙な事件」は、資産家の密室殺人事件を扱う。セージの探偵法は、事件現場の丹念に捜索し、証拠を蒐集、吟味していく方式であり、証拠に基づき機械的な密室トリックを見い出す。「サリー州家畜切り裂き事件」は、残虐な切り裂き事件のパターンを分析し、意外な犯人を指摘する。「海軍省覚え書き盗難事件」は、総理大臣を含む三大臣からの直接の依頼。重要機密文書が何者かに盗難されてしまう。大臣を前にしても一歩も引かないセージに人間的迫力がある。「レディ・グレンデールのホールドアップ」は、強盗による宝石盗難事件。やはり、現場の丹念な捜査から有無をいわせない、真相を見破る。「マクマレー事件」生理学者教授の怪死事件。一切の手かがりがない事件。しかも、死んだ教授は若返ってみえ、別人だと噂もある。これは、屈指の怪作。とにかく動機が凄い (話が成立するためにはある非現実を前提にしなければならないが…) 。「ガイルストンの中傷事件」は、牧師補と牧師の娘の関係を中傷する文章が村にばら撒かれ、やがては牧師補の暴行事件に発展する。裁判にかけられた牧師補は口を閉ざすが…。セージは巧妙な罠を仕掛け意外な犯人を指摘する。「ヘビー級選手の失踪」ボクシングタイトル戦直前に英国の王者が失踪。大試合前にセージは、選手を連れ戻せるか。失踪現場の丹念な捜索から、セージは犯人を推理する。試合のシーンまで描かれる、この時代では珍しいスポーツ・ミステリ。
 セージは、結末で読者が知らない証拠を提示することも多く、フェアプレイの面では今一つ。しかし、題材も幅広く、各編それぞれ工夫を凝らしているし、「マクマレー事件」のようなオールタイム級の怪作もある。ジェンキンズは、ハーバート・ジェンキンズ社という出版社も経営し、P・G・ウッドハウスの作品を出版していたという。セージ探偵物もディーン准男爵夫妻や事務所の面々の会話にみられるように、ウッドハウス風のユーモラスな一面も持ち合わせている。秘書や助手らにこれほど愛されている探偵もいないだろう。その大らかさで、今読んでも楽しい連作探偵小説だ。

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篠田航一『コナン・ドイル伝 ホームズよりも事件を呼ぶ男』(講談社現代新書)

 講談社現代新書から『コナン・ドイル伝』。副題は、「ホームズよりも事件を呼ぶ男」。
 著者は、現在、毎日新聞外信部長。小学生の頃からホームズ譚に親しみ、ロンドン特派員駐在中は、ドイルの足跡を追い、専門家に話を聞きに行くのが趣味だったという。
 本書は、医師、作家であると同時に、強烈な心霊主義者で愛国者だった矛盾をはらんだ作家の生涯を数々のエピソードで紹介する。
 ドイルの自伝もあり、数々の評伝もある中で、新味を出すのは難しいと思われるが、本書が想定する読者は、「遠い昔にドイル作品を読んだけど内容を忘れてしまった、またはまだ読んでいないという方たち」とのこと。いわば、ドイル入門書だが、確かにドイルの人生は、エピソードに事欠かない。ホームズのモデル、ベル博士と出会った医学生時代、捕鯨船の船医経験、医師開業とホームズの誕生、ボーア戦争への参加、選挙での落選、現実の事件の真相究明、コリィングリー妖精事件、晩年に嵌った心霊主義…。本書は、数々のエピソードを要領よく、楽しく紹介していく。
 中には、ドイル=切り裂きジャック説などもあって、もちろんこれは都市伝説の類とはっきり書かれているが (そもそもこの頃、ドイルはロンドンに住んでいない)、証拠をめぐってさまさざまな説が展開されたという。(余談になるが、英国作家の短編でドイルが犯人の小説を読んで仰天したことがあるが、こういう下地があったのかと思った)
 アガサ・クリスティの失踪事件にも、ドイルはしゃしゃり出て、クリスティの手袋を霊媒師にみせ、予言を得ている。いわば、心霊捜査だが、ドイルは予言が当たったと言い張り、新聞に英国の警察は心霊捜査を導入すべきだとまで主張したという。
 晩年には心霊主義に嵌ったとよく言われるが、本書によると学生時代に死後の世界に興味をもち、『緋色の研究』の頃には、オカルト研究雑誌に心霊に関する記事を書いているという。没入の程度こそあれ、心霊は、ドイルにとって生涯にわたるテーマでもあったわけだ。
 はじめに、「入門書」と書いたが、このように、ドイルの生涯を一通り知っている人にとっても、色々と発見のある本である。
 特に、専門家のインタヴューに基づく知見が散りばめられ、『バスカヴィル家の犬』の舞台ダートムアやライヘンバッハの滝、ドイルの自宅跡、妖精事件のコティングリー等に実際に脚を運んで書かれているのも、熟練のジャーナリストにより執筆された本書の強みでもある。
 巻末付録として、「世界一短いホームズのブックガイド」付き。

■×月×日■
 今年も暮れなんとす。歳をとると一年が早い。あと何冊読めるのだろうか。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/

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