■リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』(田口俊樹訳:新潮文庫)■
一つは、出版そのもの。著者リチャード・デミングは、古参の読者でも、わずかに早川ポケット・ミステリの一冊『クランシー・ロス無頼控』の作者として、あるいは、雑誌「マンハント」の常連作家と記憶されているくらいではないだろうか。しかも、今回訳された『私立探偵マニー・ムーン』の収録作七編は、一編を除き、初めて翻訳されたものだ。七編すべてが中編といっていい分量で、総ページ750頁を超える。米国本国ですら刊行されていないオリジナル短編集である。昔懐かしの作家にこの厚遇、いや驚いた。
二つ目は、その内容。「通俗ハードボイルド」の正統 (という言い方も変だが) でありながら、本格ミステリの醍醐味を味わえる。謎解き物を書くことをを作者自身、喜々として楽しんでいるような作品ばかりなのだ。まさに、出て驚き、読んで驚きの一冊。
リチャード・デミングは、1940年代後半のパルプ雑誌でデビュー、80年代まで犯罪小説を書き続けた職人作家。自作の傍ら、エラリー・クイーンのハウスネームによる代作も10作手掛けた (そのうちの一冊は、『摩天楼のクローズドサークル』(1968) として邦訳)。『刑事スタスキー&ハッチ』や『チャーリーズ・エンジェル』のノベライズも執筆。多くの短編も遺した。
〈マニー・ムーン〉物の第一作「フアレスのナイフ」(1948) は、作者の公式デビュー作でもある。本書に収録された七編は、シリーズ第一作から第七作までを順に収めている。
マニー(マンヴィル)・ムーンは、米国中西部の都市の私立探偵。元プロボクサーで、元レンジャー部隊の曹長。従軍により右脚膝下を失い、現在は義足を装着。腕っぷしも強いが、頭脳も明晰。いつも、警察を出し抜き、真相に辿り着く。イタリア人の元婚約者ファウスタは、現在は国内有数のブラックジャック・ディラーとなっているが、たまにデートもする仲。
以下、七編を概観する。
「フアレスのナイフ」 弁護士事務所に呼びつけられたムーンは、当の弁護士の刺殺事件に遭遇。現場は、ビルの14階にあり、出入り口は見張られていた。殺人が可能だった者は、直前に弁護士と面会していた美貌の女性以外にはいないものと思われた。マニーは、「今までに出会った中で最も愛らしい女性」が殺人犯のわけがないという無根拠の確信のもと、収監された女性を助け、真相解明に乗り出す。不可能興味も含め読者を惹きつける事件、事件を巡るデイ殺人課警視とのさや当て、丁寧な伏線と手がかり、当事者を集めた意外性のある謎解き、とシリーズのフォーマットは、既に第一作において確立している。
「悪魔を選んだ男」 会社経営者が殺されるが、最大の容疑者には、事件当時、完璧なアリバイがあった。酒場でマニーといざこざを起こし、警官を殴って留置所に収監されていたのだ。続けて、マニーは、被疑者から、「事件を二十四時間以内に解決してくれたら、一万ドルを支払う」という依頼を受ける。被疑者の奇妙な行動の理由が斬新。
「ラスト・ショット」 モルヒネ中毒の娘の自宅での監視業務を請け負ったマニーは、ある日、娘が自室で殺されているのを発見する。むざむざと監視していた娘を殺されたマニーは、悔恨を抱えながら捜査に当たる。悪意に満ちた真相が娘の不幸な死を照らし出す。
「死人にポケットは要らない」 街中の賭博利権を巡る新旧ギャングの抗争に巻き込まれたムーンが、密室状態のカジノの部屋での銃殺事件に遭遇する。いかにもハードボイルド的なテーマが密室の謎解きに焦点化するのが爽快。収録作で一番長く、読み応えも十分。
「大物は若くして死す」 突然の銃の発砲に反撃したマニーが撃ち殺した相手は、ギャングの大物だった。しかし、マニーに向け発砲した銃は周囲に見あたらず、過失致死犯として逮捕されそうになったマニーは行方をくらまし、真相を追う。凶器の消失の謎解きがちょっとした盲点をつくもので、探偵を道具として使う発想も面白い。
「午後五時の死装束」 革新派の市長候補が賭博シンジケートの隠れたボスであることを示す証拠の入手を依頼されたマニーは、証拠を入手した矢先、当の市長候補の死を知る。すっきりとした謎解き。絶対絶命のピンチにさらされたマニーの危地脱出も見どころ。
「支払いなくば死あるのみ」 演劇界の人気女優から面会を求められたマニーは、密室状況下の楽屋での殺人に遭遇。凶器と思われる拳銃をもっていたマニーの元婚約者ファウスタは逮捕されてしまう。巧みにミスディレクションに、トリッキーな犯行解明。
いずれも、伏線や手がかりをしっかり配置しており、関係者を集めての謎解きというのも本格ミステリの王道だ。
事件の設定では、「フアレスのナイフ」「死人にポケットは要らない」「大物は若くして死す」「支払いなくば死あるのみ」と、不可能状況で唯一犯行をなしえたのは一人 (だが、犯人のはずがない) というラティマー『処刑6日前』(1935)、カー(ディクスン)『ユダの窓』(1938) 風の設定を好み、作者の不可能犯罪志向を窺わせる。この中の数編は、不可能犯罪ミステリといえそうだが、不可能犯罪ミステリの網羅的リストであるロバート・エイディの『Locked Room Murders』(その補遺も含む)にも、デミングの名はない (クイーンの代作者として長編「Which Way to Die」(1967)は挙がっているが) 不可能犯罪好きには、思わぬところに盟友を見い出した感じだろう。
プロットの面でも、「探偵を道具として使う」という、私立探偵物にはたまにみられるパターンに、色々なバリエーションが用いられており、全体によく練られている。
独立心旺盛な私立探偵、美女とギャング、ワイズクラック、敵役にして協力者の警察との駆け引き、銃と暴力のアクションという、通俗 (というか陽性の) ハードボイルドの王道にして、本格ミステリの王道も往く、知られざる遺産の発掘を喜びたい。
■ヒラリー・ウォー『マダムはディナーに出られません』(熊木信太郎訳:論創海外ミステリ 333)■
ヒラリー・ウォーといえば、米国の警察小説の雄。『失踪当時の服装は』(1952) は、小都市のリアルな女子大生失踪事件とヴィヴィッドな捜査活動を描いて、米国ミステリに革新をもたらした。後の〈フェローズ署長〉シリーズでは、丹念な捜査活動に加え、謎解き興味十分の『事件当夜は雨』(1961)、『冷えきった週末』(1963) 等を発表。瀬戸川猛資が、『夜明けの睡魔』で、「アメリカ本格派の一支流」と位置付けたくらい、謎解きミステリとしての興趣がある。今回、紹介された『マダムはディナーに出られません』(1947) は、ウォーのデビュー長編。私立探偵〈シェリダン・ウェズリー〉シリーズの第一作に当たる。
NYの私立探偵シェリダン・ウェズリーは、元レビューの花形、ヴァレリー・キングが主宰するディナーに招待される。ヴァレリーと面識はなかったが、招待状には百ドルが添えられていた。妻であるダイアナとNY郊外の屋敷に乗り込んだシェリダンは、他の招待客である弁護士や鉄鋼業界の大物、コラムニスト、富豪の息子、上流階級の放蕩娘と出逢うが、招待主ヴァレリーは、姿を現さない。不審を感じたシェリダンは、近くの森を調べると、当のヴァレリーの全裸死体を発見してしまう。
シェリダンは、腕利きの私立探偵で、父の友人であるNY市警の警視から15歳のときから探偵業の薫陶を受けている。莫大な遺産を相続し、人もうらやむ美人妻ダイアナがいる。絵に描いたように恵まれた探偵だが、作者の念頭にあったのは、ハメット『影なき男』(1934 、映画でシリーズ化もされた) のニックとノラの夫婦探偵と思しい。こちらも、ノラが大富豪の遺産相続者であり、二人は有閑階級コンビ探偵だった。
さて、客たちはなぜヴァレリーの屋敷に招待されたのか、元スターのヴァレリーはどのような秘密を抱えていたのか。地元の警察署長である巨漢のスローカム警部の尋問や調査にウェズリー夫妻は立ち会う (シェリダンがNY市警の知人である特権だ)。シェリダンは独自に被害者の書斎を調査し、貴重な手がかりを見つける敏腕ぶりを発揮する。田舎の警察で殺人事件に初めて遭遇したにもかかわらず、無骨な捜査を徹底するスローカム署長がいい味を出している。
シェリダンは、タフガイというわけでもなく、暴力は最小限のソフトボイルド。本作で、お返しをするのは、、金持ちの意気地なしと金持ちの放蕩娘。映画女優にもなれる美貌の持ち主ダイアナとは、結婚3年目だが、いまだにラブラブで、二人の愛情に満ちた会話が散りばめられおり、やや食傷気味になる。
シェリダンの独自調査により、謎はほぐれはじめ、『私立探偵マニー・ムーン』同様、関係者を集めて、シェリダンの謎解きと相成る(ちなみに、シェリダンが真相に辿り着いたときの表現は、「ジグソーパズルのピースが生命を得て、飛び回りながらぴたりとはまったようだ」)。
真相に至る手がかりは、「あれか!」という古典的なものだが、消去法と組み合わせているるところに、創意が感じられる。
本書は、私立探偵小説ながら、ハードボイルドの意匠をまとった本格ミステリ作品であり、ウォーの本来の志向性もよく判る作品となっている。
会話も叙述も生き生きとしてスマートでリーダビリティも高く、「後年ある」を思わせるが、この〈シェリダン・ウェズリー〉三部作はさっぱり評判にならなかったそうだ。
その理由も、判るような気がする。二次大戦を経た時代に、いかにも恵まれすぎた名探偵は、きっと読者の嫉妬を買ったのだ。
■エス・ア・ドゥーゼ『毒蛇の秘密』(小酒井不木・平山雄一 共訳:ヒラヤマ探偵文庫)■

先ごろ『スミルノ博士の日記』(1917) が復刊されたスウェーデンの作家S・A・ドゥーゼ (ドゥーセ)の『毒蛇の秘密』(1919) がヒラヤマ探偵文庫から刊行された。
ドゥーゼの作品は、大正から昭和にかけて、医学者で作家の小酒井不木によって紹介された。本書も、不木によって、「大衆文芸」昭和2 (1927) 年1月号から7月号にわたり翻訳連載されたが、同誌休刊により中絶。当時の読者は中絶に切歯扼腕したのではないか。未訳だった後半部分を平山雄一氏が訳し継ぎ、中絶から98年、ついに完訳された本。百年をかけたリレーに感嘆してしまう。不木訳が第1章から第12章まで。平山氏訳が13章から21章まで。前者は、ドイツ語訳からの翻訳。後者は、スウェーデン語の原書から英訳し、それを日本語にしたという。不木訳の原書からの異同、省略部分は、巻末に訳注が付されているのも懇切丁寧。
探偵役は、『スミルノ博士の日記』同様、私立探偵レオ・カリングで、話者の「私」は、新聞記者のトルネ、シリーズの第六作に当たる。
レオ・カリングのもとに著名な探検家ビクトル・バンクから相談が持ちかけられた。バンクは、セイロン島のコロンボでローザという女性と恋に落ちた。しかし、相次ぐ窃盗事件の犯人がローザと疑われ、バンクは彼女と縁を切った。彼女は、海中で自死を遂げたようにみえたが、バンクの帰国後、彼のもとに夜な夜な彼女の幽霊が現れ、彼を恐怖に陥れ、今は健康の危機にあるというのだ。バンクから助けをもとめる電話があり、カリングと相棒の新聞記者トルネが駆けつけてみると、ローザのコブラ型の腕輪がバンクの腕に巻き付き、体にはコブラ毒が回っていた。
九死に一生を得たバンクだったが、このままでは、今後の危険を免れないとカリングは、バンクを死んだと偽ることを提言し、バンクの同意を得る。トルネ記者も死亡の偽記事を書き、公的機関も騙すのだから、かなり無茶な展開。
一方で、トルネの友人でウエンツェルという男が妻の不倫を疑っており、その相手というのが、バンクの従兄で素行の悪いインゲ。興味をもったカリングは、嫉妬深いウエンツェルとその妻、インゲの関係に踏み込んでいく。仮面舞踏会での派手な入れ替わりなどもあるが、家庭内のごたごたの比重が大きく、全体に中だるみしている感は否めない。17章で新たな殺人が起き、事件は新たな局面を迎える。
『スミルノ博士の日記』は、本格ミステリとしてよく練り上げられていて驚かされたが、本作は、全体的には、乱歩の通俗スリラーめいていて、謎の絵葉書売りの女、占い女なども登場し、いささか時代がかっているし、テンポもいまひとつ。規模の大きな犯罪計画であり、犯人のたくらみには新味があるものの、容疑者は少なく、途中で真相の見当はつきやすい。規模が大きいだけに共謀者が多いのも欠点になっている。
とはいえ、それは現代の基準を当てはめた話であって、幽霊事件という冒頭の意外な幕開けから不倫事件の真偽、仮面舞踏会の騙し合い、翻弄される探偵、犯人の邪悪な計略と、読者を惹きつける要素をたっぷりもったレオ・カリングの事件簿がここに甦ったのは、嬉しい驚きだった。
| ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |
ミステリ読者。北海道在住。