■マーティン・エドワーズ編『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』(深町眞理子他訳:創元推理文庫)■
短編は売れないのか、ミステリのテーマ・アンソロジーはしばらく眼にしなかったような気がする。そこへ、渇を癒すように、2021年に刊行されたマーティン・エドワーズ編『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』の登場だ。いいアンソロジーの条件とは何だろう。まずは「作品の質」、続いて「作品の稀少性
(あまり知られていないもの)。セールスを考慮すれば、「著名作家の作品」といったところか。つまり著名作家の知られざる高品質作品が並べば大成功だろうが、これは見果てぬ夢だろう。さらにテーマアンソロジーであれば、「テーマに沿った作品」「配列」といったところも重要になる。
『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』は、かなりの程度までこのアンソロジーの理想形に接近した作品集だ。まず「作品の質」は粒揃い。「稀少性」というところでは、既に翻訳された作品も少なくないが、あまり知られていない短編を採っている。知られざる作家S・C・ロバーツ、マージョナリー・ブレムナーの作品もポイントが高い。「著名作家」というところでは、英国の著名ミステリ作家がずらり。グラディス・ミッチェルなどマニアックなセレクトも嬉しいところ。
本書のテーマは、「本」。いわゆるビブリオ・ミステリで、広い意味では、本の書き手や出版人の出てくる作品も含む。本書には、本にまつわる多彩な作品が収められており、作品のタッチも硬軟様々。しかも、いかにも、英国らしい奇人が登場する冒頭作から始まって、聖書を扱った重厚なフーダニットで締める配列も工夫されている。
加えて、あの浩瀚な『探偵小説の黄金時代』の著者であり、『処刑台広場の女』等の実作者でもあるエドワーズ編だけあって、本格ミステリファンには嬉しいことに、黄金時代寄り、パズラー寄りの作品選択がなされている。そのことは、ヘンリー・ウィルソン元警視、フィリップ・トレント、ナイジェル・ストレンジウェイズ、シャーロック・ホームズ、フランシス・クォールズ、レイスン警部、ジョン・アブルビイ警部 (副総監)、ロデリック・アレン警部 (警視) といった名探偵が続々登場することでも明らかだろう。収録の16編は以下のとおり。
G・D・H&M・コール「作家に授ける殺人講義」 列車で推理作家と相席になった男が作家のの小説を徹底的にこき下ろし、自らの完全犯罪を実践する。犯人も狂っているが、ウィルソン警視の仕掛けた罠も狂っており、結末も狂っている。コール夫妻ただものならず。批評家への皮肉もうっすら感じさせる。
E・C・ベントリー「救いの天使」 死んだ富豪の伝えたかったこととは。庭園に仕込まれた暗号物。
ニコラス・ブレイク「暗殺者クラブ」 探偵作家の集まりでの殺人。ディテクション・クラブがモデルというのが珍しい。
S・C・ロバーツ「メガテリウム・クラブの奇妙な盗難事件」 著名な出版人であり、ホームズ研究家による上質なホームズ・パスティッシュ。
フィリップ・マクドナルド「殺意の家」 作者の短編代表作。夫と妻に捧げる犯罪物だが、サスペンスが濃厚で、結末のひねりが底意地悪い。
A・A・ミルン「荒っぽいゲーム」 冒頭で探偵行為と創作の同質性に触れられている。最小限の登場人物で、意外性ある真相をつくりあげる作者のプロット巧者ぶりが光る。
ジュリアン・シモンズ「本の中の手がかり」 死者のダイイング・メッセージはマーク・トゥェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』。犯人特定の論理もすっきりしている。
グラディス・ミッチェル「ある原稿」 燃やされた原稿と殺された娘の謎。小品ながら、意表を突く真相。犯罪者を集めて刑務所暮らしの本を書くという突飛な発想がこの作家らしい。
ロイ・ヴィカーズ「ある男とその姑」 妻の姑殺しの倒叙物だが、犯人の性格研究にもなっていて殺人に至るシーンは心をザワつかせる。新刊の詩集を巡って、犯人の焦燥が高まっていくサスペンスも見事で、結末の名刀のような切れ味が鮮やかすぎる。コロンボ物『二枚のドガの絵』を思わせる、フィニッシング・ストローク。
マイケル・イネス「灰色の幽霊」 「灰色の幽霊は黒だった」という不思議な一語から「九マイルは遠すぎる」風に始まった謎解きはゴースト・ストーリーに変貌し、最後は再び謎解きになるという凝った構成。長編『ストップ・プレス』『アプルビイズ・エンド』などにみられるフィクションの現実化というモチーフ。ポー「ウィリアム・ウィルソン」のようなドッペルゲンガー譚的味わい。これらをこんな小品でやってのけてしまうのだから、イネスの手腕には改めて恐れ入る。
クリスチアナ・ブランド「拝啓、編集者様」 ブランドから編集者あての手紙という体裁に、幾つもの趣向を凝らした、さながらブランド流仕掛け花火。読者は語り=騙りの迷路に連れ去られる。
マージョナリー・ブレムナー「あらかじめの殺人」 無名作家の作品だが、誰からも好かれた劇作家の殺人を扱った本作は、やはりフィクションと現実の関係が取り上げられていて、動機の解明や捜査の過程も読ませる。
ヴィクター・カニング「
ジョン・クリーシー「名誉の書」 ボンペイが舞台。英国人の出版社勤務の男と本売りを始めた貧しいヒンドゥー教徒の友情を描く。超多作家がこんな味わい深い作品を書いていたとは。
エドマンド・クリスピン「きみが執筆で忙しいのはわかってるけれど、ちょっとお邪魔してもかまわないだろうって思ったんだ」 長いタイトルで著名な作品。訪問者や電話に執筆の邪魔をされ続ける売れない作家の日常を笑いのめすが、ついには作家に殺意が芽生え…。結末のバッド・テイストがまた黒い笑いをもたらす。
ナイオ・マーシュ「章と節」 70年代に書かれたアレン警視と妻のトロイ登場の本格ミステリ。古本屋が持ち込んだ聖書に書きこまれていた謎の一族の名は何を意味しているのか。虚空からウサギをつかみ出すように謎解きが過去の犯罪を浮上させ、現在の犯罪の真犯人を炙り出すプロットに瞠目させられる。英語圏読者以外には真相にたどり着くのは難しいとはいえ、伏線も十分に練られており、編者が「逸品」というのも頷ける。
既読の作品でもビブリオ・ミステリという枠組みで、印象が変わったものがある。私的ベスト3を選べば、「ある男とその姑」「灰色の幽霊」「章と節」だろうか。粒揃いの作品集だけあって、読者のベストは各人各様だろう。
本書は、大英図書館出版部が手掛けたテーマ別短編アンソロジーの一巻で、既に二十冊以上刊行されているという。願わくは、続巻を。
■J・J・ファージョン『向かいを見つめる空き家の目』(小倉さなえ訳:論創海外ミステリ)■
昨年、本邦初紹介となった船乗りベンを主人公とするシリーズの第一作『すべては〈十七〉に始まった』(1926)に続き、シリーズ第二作『向かいを見つめる空き家の目』(1931) が刊行された。さきの『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』解説 (小山正) には、マーティン・エドワーズがアドバイザーとなった大英図書館出版部の〈クライム・クラシックス・コレクション〉で刊行された作者の『Mystery in White』という長編がクリスマス本のベストセラーチャート一位にランクインしたという情報もあった。同叢書からは、ほかにも作者の作品の再刊があるようだ。近年、再評価が進んでいる作家といえるだろう。
ベンは、不定期船の船乗りながら、現在は失職中で、寝泊りするところもないという、ホームレスのような存在、というのが前作の設定だったが、今回もベンの境遇には、変わりはない。ベンは、「国中の誰よりも多くの空き家に住んだことがあった」。
ロンドンは、ジャウル・ストリート〈二十九番地〉に今夜のねぐらを定めたが、ベンの周囲で予期しないことが次々と起こる。最初は、愛嬌のある青年の来訪者。真向いの〈二十六番地〉の家での老人と若い男の不審な行動。謎のインド人の来訪。ベンを骨抜きにするようなきれいな娘がやってきて、向かいの家の監視を依頼される。向かいの老人がやってきて拳銃で脅す。さらに、夜会服姿の美女の来訪があり、ベンは別の場所に運ばれ、監禁されてししまう…。この後もベンは不可解で過酷な状況にさらされ続ける。
舞台が空き家で、ベンが謎に包まれた男女に翻弄されるというのは、前作と同様。二部構成になっているのも同じだが、本書では、第一部が〈二十九番地〉、第二部が〈二十六番地〉となっており、第二部では、ベンは後景に退き、時間を巻き戻して、向かいの空き家で、その間、何が起こっていたかが描かれる。以前、三谷幸喜脚本でクリスティの『オリエント急行殺人事件』をTVドラマ化した際、第一部を捜査側、第二部を犯人側から描いて話題になったが、本作は謎解き物ではないにしても、ベンの遭遇した不可思議な事象の一連の意味が次第に判明していくところが似ており、本作の妙味ともなっている。
〈二十六番地〉で進行しているのは、あまり類のない犯罪計画なのだが、何を企まれているのかは、結末近くまで判然としない。犯行グループに属する人間には、厳密な階級がある。AはBに、BはCに、CはDに命令される立場であり、それぞれが憎悪しあっている。階級の末端にいる人間すら、飼いネコに八つ当たりする。犯罪集団内部の力関係が、官僚制のパロディのようで巧まざるユーモアになっている。
第二部の後半で、二つの物語の流れは合流し、きれいな娘の命が危険にさらされていることを嗅ぎ取ったベンは〈二十六番地〉に乗り込む。
「脅かされ、追われ、怒鳴られる以外、ベンには得意なことがあっただろうか?」と作者は問うているが、ほとんどホームレス、ロンドンの下町なまりのおどけ者が、白馬の騎士さながら、犯罪集団に乗り込むところは、大向こうから掛け声をかけたくなるところ。ここからも、曲折があり、最後に、犯罪集団のラスボスの正体、きれいな娘の行動の意図が明らかにされる。
大筋だけみれば、弱者が犯罪集団に挑む単純明快なスリラーとみえるが、モザイク状のプロットといい、風変りな犯行計画と犯罪集団といい、この物語を独特の味わいのあるものにしている。
もう一つ、特徴的なのは、その文体だ。
「〇〇 (注:人名省略) が近づくにつれ、額の奥の知能は分裂し、千の知能となって、それぞれが悲鳴をあげ、それぞれが別のことを考え、それぞれが
為 す術 もなく漂いながら母体を求めて泣きじゃくった」
これは、変装したベンに悪漢が近づくハラハラドキドキの場面の描写だが、この文章にとどまらず、随所に強烈な誇張法や擬人法、隠喩が使用されていて、コズミックとでもいいたいような独自の感覚がある。
このような独特な文体も、本シリーズの立ち位置を一層ユニークなものにしているように思われる。
■平井杏子『アガサ・クリスティを楽しみ尽くす百問百答』(大修館書店)■
辞典、教科書等の老舗、大修館書店の「百問百答シリーズ」第2弾。第1弾がシェイクスピアだったのだから、クリスティ凄いとしかいいようがない。著者は、昭和女子大名誉教授の英文学者。NHK文化講座で「アガサ・クリスティの世界へ」の講師も務める。
1頁に1問、問と答が書いてあり、全体で130頁なので、さらりと一読できるし、必要に応じ参照するなど、クリスティ世界へのハンディで親しみやすい入門書となっている。
全体は、「アガサ・クリスティってどんな人?」「作品の登場人物はどんな人?」「どんな作品ですか?」「どのように読まれ、楽しまれている?」四つのパートに分かれ、色々な角度から作品を紹介している。また、ネタバレのないように心掛け、どうしても避けられない場合は、ネタバレ・マークが付けられている親切設計。
1問1答1頁の形式から、「Q12 アーチーに去られたアガサはどうしましたか?」というクリスティ失踪という大事件も、「Q69こだわりのある数字はありますか?」といったトリビアも同じ分量という弱い面はあるが、むしろ、大小含めて作品世界に分け入る様々な視点を提供してくれているという点では、ありがたい。
著者が英文学者であることから、「Q65 登場する屋敷の名前には何か意味が込められていますか?」「Q67作中によく出てくる言葉はありますか?」「Q85 推理小説以外の文学作品の影響もありますか?」「Q93 現代の感覚で読むと気になる表現がありますか?」といった問答も興味深いところだ。
「Q56ポアロとミス・マープルが出会ったことはありますか」という質問に愛読者ならなんと答えるだろう。答はかなり面白いものだ。
最初に「入門書」と書いたが、作品や参考文献を徹底して読み抜いて書かれている点では、かなりの愛読者も楽しめる本だ。
欲をいえば、ミステリ史における位置づけや、世評の高い作品とその理由、クリスティのライヴァルたち、同時代の作家に対するクリスティの評価なども聞いてみたかったところだが、こういう問いを誘発する点で、本書は開かれた本ともいえる。読者は、自分なりのQをもつことで、より深くクリスティ世界に参入できるのだろう。
本書には、ほかに、コラム・付録として、「アガサ・クリスティにゆかりのある場所」「アガサ・クリスティのシリーズ作品の主な登場人物相関図」、できごと・出版・舞台・映像が一覧できる「アガサ・クリスティ年表」、参考文献が付いており、ファンなら書架に1冊置いておきたい本だ。
| ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |
ミステリ読者。北海道在住。