今回は、クラシックミステリが残念なことに見当たらなかったため、関連のある評論二冊を。
■渡辺博史『ミステリで知る全米50州』(早川書房)■
ミステリの最大産出国のアメリカには大変お世話になっているにもかかわらず、都市部を除いた各州には、漠としたイメージしか湧かない。こうした人間には、願ったりの叶ったり一冊である。著者は、元大藏省 (現財務省) 官僚で、一橋大学大学院教授や国際協力銀行の最高経営責任者などを歴任した方。1993年には、『ミステリで知る世界120国-開発途上国ミステリ案内』(早川書房)も上梓しているミステリ通でもある。
1974年米国のブラウン大学院留学の際に、2年間で米国全州を制覇、その後の数多い渡米経験を踏まえつつ、各州のあらましと併せて各地を活写したミステリ270作を紹介したユニークな本。全米50州基本データも付されている。
まず、データだけみても大層興味深い。例えば、
・ニューイングランドに属するメイン州の人口構成は、白人95%、黒人1%なのに対し、南部のミシシッピー州は、白人60%、黒人37%、メキシコに接しているニューメキシコ州の人口構成は、白人36%、黒人4%、ヒスパニック48%と大きく異なっている。
・ミシシッピー州の一人当たり所得4万9911ドル (全米50位) で1位のニューヨーク州11万0781ドルの半分以下と経済格差も大きい
各国の移民やイギリス、フランス、スペイン、北欧、メキシコ等異なった国に統治されていた歴史から、文化的な差異も大きい。いわば、50の多様な国が集まったようなものである。合衆国とはよくいったもの。「まえがき」によれば、「首都ワシントンに行ったことのあるアメリカ人は極めて少ない」、ダニエル・カールの言葉「全部で六つか七つの州しか行ったことがない」をひいて、「これがアメリカ人の平均的な訪問体験であろう」としている。アメリカ人自身も、一部の地方しかよく知らないというのが実情のようでもある。
「まえがき」においては、ミステリにおいても、大都市だけに舞台に限られている傾向が続いたが、1980年代に入って、作家たちが大挙していなか町を再発見するようになった〈新地方主義〉という批評用語も紹介されている。
本文は、50州 (+カナダ) に項分けして、データと、州の紹介、豆知識、訪問時の体験、州出身の有名人に、ミステリから引用が散りばめられている。記述に驚くことも多く、ナイアガラの瀑布はニューヨーク州にあるのかとか、カンザス・シティは、カンザス州にはなく、ミズーリ州にあるのか、などなど。ケンタッキー州の項では、世界のバーボン・ウィスキーの95%が同州産。バーボンの語源は「ブルボン王朝」のブルボンで、米国独立戦争時にフランスが独立軍を指示したことに感謝し、ある郡 (カウンティ) に命名したのがはじまりとか、「ミネソタの卵売り」という懐かしい歌は完全に日本製だとか。
「Coffee Break」として、「モーテル・チェーン」「ウィスキー」「ファストフード」「日本銘柄」などミステリに現れたチェーン名や銘柄のコラムもある。
引用されるミステリは、1970年代以降が多く、クラシックミステリファンとしては、ちょっと寂しいが、ケネス・デュアン・ウィップル『ルーン・レイクの惨劇』、ヘレン・ライリー『欲得ずくの殺人』といったレアなところも入っており、多くのミステリを渉猟されたことが伝わってくる(「あとがき」によれば、二つの州については探すのをついにギブアップして、ミステリ評論家・西尾忠久氏のデータベースの応援を得たそう)。引用がほとんどで、小説本体に触れることは少ないが、特定の州を舞台にしたミステリを探すには、大変便利だろう。
多く作家の文章が引用されているが、やはりジェイムズ・リー・バークやロス・トーマスなどの文章は、断片であっても光るものが多い。
本書以降、米国のミステリを読むと、一層その舞台が気になることだろう。傍らに置いて、常時参照したくなる本だ。
■霜月蒼『ガールズ・ノワール』(左右社)■
副題は「ハードボイルドよりも苛烈な彼女たちのブックガイド」。「ハードボイルドは男のロマン」などというが、著者は、「おじさんの自己陶酔を感じさせるキモい言葉だなと思いつつ、その違和感を明確に把握できてはいなかった」という。しかし、大学に入ったころ、榛野なな恵『Papa told me』というコミックの登場人物ゆりこちゃんの台詞「男には外に7人の敵がいるなんていうけど、女には23人くらいいるのよぉ」という言葉に衝撃を受け、眼からウロコが落ちる。
「何が男のロマンだよ。バカじゃねえの。」
敵が7人しかいない男よりも、23人いる女の方が三倍以上も強力な物語を生むのではないか? 30年のときを経て、ジョーダン・ハーパー『拳銃使いの娘』、カレン・ディオンヌ『沼の王の娘』など「銃をもつ女の子の物語」がメインストリームになろうとしている。こうした小説を〈ガールズ・ノワール〉と名付け、彼女たちの戦いを見届けようとするのが本長編評論である。扱っている小説は、ミステリ30冊超。プラスして49冊のミニガイドが付されている。
クラシック好きとして眼を惹かれるのは、本書がアガサ・クリスティー『秘密機関』とクレイグ・ライス『時計は三時に止まる』で始まっていることだ。
前者は、トミーとともに冒険を繰り広げるタペンスにスポットを当てる。「自立していて、実際的で、元気で無謀でキュート」。おきゃんな英国娘の系譜を『茶色の服の男』『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』等クリスティーの初期長編に次々と見い出すほか、先進的な女性キャラが登場する作品として『動く指』『杉の柩』『ホロー荘の殺人』などを挙げ、その到達点として、『パディントン発4時50分』の超一流家政婦ルーシー・アイルズバロウの存在を指摘する。この辺りは、『アガサ・クリスティー完全攻略』を書いた著者の独擅場であり、従来の評論等でも意外に語られていない部分でもある。
後者は、ハメット『影なき男』の夫婦探偵ノラの後継者として、『時計は三時に止まる』で初登場するヘレン・ジャスタス (当時は、旧姓ヘレン・ブランド) を挙げる。ヘレンの暴れっぷりは、タペンスどころではない。毛皮のコートの下はパジャマで奮闘し、ちょっとした法を破ることも屁とも思わない。シリーズ作品の多くが苦難に満ちた人生を送ってきた女性を事件の焦点にしていることに着目し、不屈のタフさで見せてそれに抗おうとする彼女たちをヘレンと夫のジェイク、マローン弁護士は義侠心で救おうとする、という指摘は新鮮だ。
タペンスとヘレンを〈ガールズ・ノワール〉の起点に置く論考は、嬉しくもあり、以降における本書における著者の慧眼を予測させるものでもある。
もう一つ。Chapter7「まだくたばらない」では、高齢の女性ノワールが論じられているが、その最初が、クリスティーのミス・マープル物『カリブ海の秘密』だ。初期の謎解きおばあさんといった役割を第六長編『ポケットにライ麦を』以降、抜け出し、自ら行動して悪を追いつめていく。ここに著者は、犯罪と戦う「女性ヒーロー」の先駆をみている。
『カリブ海の秘密』においては、ミス・マープルは自らを「
クラシック作品に関する論考を取り上げたが、本欄の関心から離れるものの、これ以降の論考も明晰で刺激に富んだものだ。1980年代前後、マーシャ・マラー、サラ・パレツキー、スー・グラフトンによる女性私立探偵の誕生、スティーグ・ラーソン『ミレニアム』シリーズの主人公リスベッドというキャラクターの画期性 (彼女の敵は「ミソジニー」)、ボストン・テラン『音もなく少女は』『神は銃弾』の女性たちの連帯 (シスターフッド) 、カリン・スローターのミソジニーと加害に関するミステリ、ついにはリサ・ガードナー『完璧な家族』のような性犯罪者を狩る自警団型女性ヒーローの登場といった〈ガールズ・ノワール〉の進展と深化が作品に即して解きほぐされていく。
いささか安直のようでも、〈ガールズ・ノワール〉という言葉が発明だ。それによって、過去の作品に淵源が求められ、これまで様々な問題意識で書かれた作品群 (マーガレット・アトウッド『侍女の物語』からク・ビョンモ『破果』まで) が再編され、作品に新たな照明が当たり、独自のパースペクティブのもとに将来を展望できるようになったのは本書の大きな功績だろう。
これによって、「ノワール」と呼ばれる小説も再定義が不可欠となり、「ノワール」の概念が更新される (『破果』の項)。
本書においても、著者の着眼点の鋭さ、立論の明晰性が際立っているが、最も感銘を受けたのは、その誠実性だ。自分が男性であることから、本書で扱った小説を適正に評価できるのか、推す資格があるのかという問題にはケリをつけられなかったと述べる。多くの男性読者も本書に取り上げられた作品には同様の感想をもつだろう。「素人の蛮勇」でこれを書いたという著者は、ある意味で、存在を賭けて、自らの読みを示しているのだ。こんなミステリ評論は、まずない。
(蛇足) 些末ながら、91頁リチャード・コネルの短編小説「The Most Dangerous Game」(1924/未訳) とあるが、同短編は、「世にも危険なゲーム」(新庄哲夫訳)として、エラリー・クイーン編『世界傑作推理12選&ONE』(光文社カッパノベルス・光文社文庫) に収録されている (同書では、「リチャード・コンル」表記) 。
| ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
|---|
ミステリ読者。北海道在住。ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |
ミステリ読者。北海道在住。