「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

  恐ろしく命が軽い。
 チェスター・ハイムズの〈墓掘りジョーンズと棺桶エド〉シリーズ最大の特徴だと思います。
 ミステリーの時点で大抵はそうではないかと言う方もいるかもしれません。なにせ、主に殺人事件をエンターテイメントにするジャンルですから。
 けれど、そうした軽々しさと〈墓掘りジョーンズと棺桶エド〉の軽さは、ちょっとタイプが違う。
 一般的なミステリーで「そんな理由で人を殺したのか」と〈意外な動機〉が語られたり、遺体をバラバラにしたり空を飛ばしたりするのは、基本的に現実世界では起きないだろうという前提があるからです。フィクションならではの楽しみとして、起こり得ないことを描いて、読者を驚かせている。
 〈墓掘りジョーンズと棺桶エド〉は感触が違う。
 ハイムズは人の死を大袈裟に語りません。さらりと書く。
 ノワールと呼ばれるクライム・ノヴェルを書いている他の作家と比べてみても異色です。大抵の作家は読者にショックを与えようと、殴り殴られの場面を強調する。カメラで喩えるならズームアップする。対しハイムズは街を遠景で撮っている中、命のやり取りが当然のようにそこに含まれている感じなのです。
 露悪的にすら書かれない自然さが、作者が当たり前に見てきた世界自体がきっと、こうなのだろう、と思わせる。それでいて、読む者に覚悟を要求するようなシリアスな物語なのかというと違う。むしろコミカルで入りやすい。
 ジョーンズとエドは、ニューヨークのハーレム地域を担当している黒人刑事です。
 刑事を主人公にしたバディものにもかかわらず、このシリーズでは殺人事件の謎解きが主眼にならないことが多い。『金色のでかい夢』(1960)や『夜の熱気の中で』(1966)が顕著で、物語を進行させるのは捜査ではなく小悪党たちの宝探しです。ハーレムで黒人が殺された? よくあることだろう。それよりも、こっちの儲け話の方が大切だ。そう言わんばかりで、殺しについての扱いが普通のミステリーとはまるで違う。
 今回紹介する『リアルでクールな殺し屋』(1959)はシリーズでは珍しく、謎解きミステリの構成を最後まで崩さない一冊です。それ故に普通のミステリとの違いが特に際立っている。
 
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 ハーレム地区、〈デュー・ドロップ〉酒場でのトラブルが全ての始まりだった。
 酒を飲んでいた白人のセールスマンが別の客に絡まれた。セールスマンは大男、対し、絡んできた黒人客は小柄だが手にはとびだしナイフを持っている。「よくも女に手を出しやがったな」と因縁をつけ、切りかかったところ、酒場の店主ビッグ・スマイリーに止められる。
 セールスマンは、ビッグ・スマイリーに場を任せ、命からがら抜け出したが、災難はまだ終わらなかった。店を出たところで銃を突きつけられたのだ。「よくもおれの女房に手を出しやがったな」とまた言われ、言い訳をする暇もなく引き金が引かれた。
 騒ぎがあったと聞いてジョーンズとエドが現場に到着した時には既にセールスマンは息絶えていた。すぐに犯人と目される靴磨きの青年、ソニー・ピケンズを拘束するが、ここで更にひと悶着。ハーレムを根城にする少年ギャング、〈リアル・クール・モスレムズ〉の連中が近寄ってきたのだ。
 普段のジョーンズとエドなら軽くあしらうところだがアクシデントがあった。ギャングの一人がエドに香水を振りかけたのだ。これはまずかった。エドにはかつて顔に硫酸をかけられたトラウマがある。反射的にエドの38口径が火を噴いた。
 気がつけば現場に死体がもう一つ増え、逆にソニーがその場から消えていた。
 無実の少年を殺してしまったためエドは停職処分。ジョーンズは一人、ソニーを追い始める。
 一方、ソニーの方はソニーの方で大変なことになっていた。あのセールスマンを殺したのは実はソニーではないのだ。確かに銃を突きつけはしたが、あれは玩具みたいなもので人を殺せっこない。一体、何がどうなっているんだ?
 開始早々、死体が二つ転がる。しかも一つは別に解くべき謎ではなくシリーズキャラクターが誤って殺してしまったもの。のっけからアクセルを全力で踏んでいるような導入部です。
 ただ色々なことが詰め込まれているというだけではなく、その読ませ方が素晴らしい。
 最初の数段落、咽るような熱気に満ちたハーレムの酒場の描写からしてグッとくる。ジュークボックスから流れているロックンロールよりも騒々しい客たちの様子が目の前に見えるようです。すっかり読者が〈デュー・ドロップ〉酒場にいるような気分になったところで粗筋に書いた一騒動が巻き起こり、押し流されるようにページをめくらされる。一気呵成に物語に引き込まれる、素晴らしい冒頭です。
 チェスター・ハイムズ作品を未体験という方には、是非ともこの『リアルでクールな殺し屋』から入門していただきたいと思っています。僕自身、本書が初めてのハイムズ作品でした。
 その後も、絶妙なリズム感でのストーリー進行が続きます。作者が計算をして書いているわけでもなさそうなのですが、それがグルーヴを生んでいる。脱線ギリギリのところを走り続ける物語はスリル満点、最後の最後まで読者の心を掴んで離しません。
 
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 本書は謎解きミステリの骨格を最後まで保っていると書きました。
 セールスマンを殺したのは誰かについてエドとジョーンズがしっかりと追っていて目的がぶれていない。最後の最後に明かされる真犯人も意外です。
 しかし、謎解きミステリとして真っ当な構成をとっていること、それ自体が皮肉になっているのがこのシリーズが一筋縄でいかないところ。
 冒頭でエドが罪なき少年を撃ち殺したように、この作品でも相変わらず人の命は軽い。引き金が軽いと言ってもいい。死ぬには至らなくても暴力が振るわれる場面が至るところに出てくる。
 なのに何故セールスマン殺しの真相だけ最後までしっかりと追われるのか。……セールスマンが白人だから、でしょう。
 ハーレムで黒人が死んでも大したことではないけれど、白人ならば大事件。だから警察は必死に犯人を追う。
 ハイムズはこうした差別構造を告発するわけではなく、いつものシリーズのテンションのまま描く。あるものをそのまま書いている。そんな感じで、そこにこそ凄味を感じます。
 
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 シリーズの第八作『暑い日暑い夜』(1969)で、ハイムズはまえがきとして、自分を殴ってきた男を撃とうとしたが、目が見えないばかりに関係ない人を殺してしまう男の話を紹介しています。
 原因となった物とは別の物を傷つけてしまう。これは現代の暴動、戦争と一緒の構図ではないか、とハイムズは論を進めます。原題がBlind Man with a Pistolであることや作中にエピソードそのままの場面があることを踏まえると、本作のテーマについて語ったということだと思いますが、実は他作にも通ずるように思います。
 社会の状況が生んだ理不尽な暴力が世の中には溢れている。ハイムズはそれを捉え、作品に落とし込んだ。
 茹だるような熱量が作中に満ちているのに内実はゾッとするほど冷めている。ハイムズのクライム・ノヴェルの独特の読み心地は、きっと、こうした目線から来ているのでしょう。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby